第79話 藪蛇
グランの台詞に俺は思考が一瞬止まる。
が、それでもグランに対する警戒は緩めていない。
そのことを理解したグランは残念そうに首を振っているが、そこまで残念そうでもない。
油断させるための策だったというほどのものでもなかったのだろう。
俺はとにかくなぜそんな状況になってしまっているのかを尋ねるべく、質問する。
もちろん、そんなことを話しながらも、牽制しあい、また剣を幾度となく合わせているのだが、さきほどよりは速度が下がる。
お互い、話しながら相手の隙を探ることにした、というわけだ。
ルルは尋ねる。
「"魔王ルル"って……なんだよ、それ。本来の意味じゃあ、ないんだよな?」
つまり、かつての魔王ルルスリア=ノルドであるということがばれたというわけではないのか、と聞いているわけで、グランはその意味を正確に理解して首を縦に振った。
「当たり前だろ。そうじゃなくて、ただの異名だな。なんで魔王、って言われているかは……知りたいか?」
にやにやと言われて、ルルは少し考えてみた。
知りたいような、知りたくないような、微妙な気持ちである。
もしかしたらそんな内心が顔に出たのかもしれない。
グランが吹き出すように笑って続けた。
「あんまり聞きたくなさそうだが、教えてやろう……。と言っても、別に理由が一つだけってわけじゃないんだけどな。いろいろ積み重なっての結果だ」
と、いうことはこの闘技大会においてある程度目立ったことが原因であることが何となく察せられた。
とは言ってもどれが決定的な原因になったのか、少し知りたくなってきて、ルルはグランの言葉を待った。
「まず一つ目だが……お前、予選でアンクウを下したろ?」
今となっては随分懐かしい名前のような気がするが、ほんの数日前に戦った相手だ。
大鎌と高度な魔術を操る上級冒険者アンクウ。
ルルが一番はじめに戦った強敵、と言ってもいいだろう。
しかも、あの黒服少年たちにさらわれてしまって、もはやあえるかどうかも分からない相手である。
今どうしているのだろうか、とぼんやり考えつつ、まぁどういう目にあってても彼に関しては自業自得な部分もあるから良いかと心配するのはやめる。
そんなアンクウを倒したことが一体どうしたというのか。
「確かに倒したが、それがどうした?」
「あぁ……お前のアンクウに対するやり方が、すごかったって話が結構広まってるんだ。手足切り落として放置したんだろ?」
「あぁ……そうだな」
言われてみれば、結構ひどいやり方だったように思うが、ルルとしてはきれいに切り落としたつもりだった。
つまり、大会事務局がすぐに治癒魔術により接合が出来るようにしておいたのであり、全部の手足を切り落としたのはせめて彼に同じようにされた大会出場者たちの気持ちを理解させてやろうと思ったからに過ぎない。
だから、ひどいやり方だった、と言われてもルルとしてはましな方だった、と反論したいところなのだが……。
そんなルルの気持ちを読みとったのかグランは頷いて言う。
「まぁ、それだけならそうだったがな。その前にお前、アンクウにいろいろ言われてるだろう? お前みたいなのを待ってたとか、人間離れしてるとかなんとか……」
確かに言われた気がする。
しかしそんな一言一句広まっているのだろうか。
観客たちのネットワークというものは凄まじいのだなと驚く。
「いや、あんまりにも印象に残ったみたいだからな。つまりだ。アンクウみたいなのに心待ちにされて、しかもその期待に添うように彼の手足を残虐に切り落とした奴、っていう印象がお前の戦いを見ていた観客の心の片隅に残ってたみたいでな。それが理由の一つ目だ」
「一つ目って……まだあるのか」
「そりゃそうだ。それだけならまぁ、すごい新人もいたもんだ、で終わるさ。その後に、お前はシュイやウヴェズドをぼこぼこにしただろう? 特級って言うのはかなり特別な存在だからな。英雄と同視されているようなところがある。それは魔物の退治なんかに多大なる功績を挙げていないとなれないから、というのと極端な強さを持っているのが最低条件だ、というのがある。けれど、お前はそんな奴らをばったばったと倒してきたわけだ」
「……正義の味方をぼこぼこにしたから魔王扱いってわけか?」
「まぁ、そうだな。それが二つ目。そして最後の一つが……」
「まだあるのか!?」
「あぁ……と言っても、これはおまえ自身の話じゃないがな。イリスとキキョウだよ。あいつら……」
イリスとキキョウ?
その名を聞いてルルは首を傾げる。
彼女たちに何か問題があったとは思えないからだ。
少なくとも、ルルが魔王と呼ばれる原因になどなりえないのではないかと。
しかしグランの言葉をそんなルルの想像を裏切る。
「闘技大会でがんがん勝ち上がっているからあいつらの実力については結構知れ渡っていることは分かるだろ? そしてあいつらもルル、お前と同じでアグノスとヒメロスを倒してる。アグノスは特級じゃなく上級だが、修道女の副族長だからな。その信頼は特級に比肩するわけだ」
「でもそれなら俺じゃなくて、イリスとキキョウ自身がなにか悪名がつくもんじゃないのか?」
二人が有名な冒険者に勝ったからと言って、ルルが魔王だという話にはならないだろう。
けれどグランは首を振った。
「確かにその通りなんだが、ルル、お前イリスとキキョウと一緒に住んでるだろう? ぜんぜん隠してないからだろうが、もう大体王都の人間はそれを知っている。つまりだ、イリスとキキョウはお前の手下に見えるわけだ。そして三人でこの王都の有名冒険者たちをがんがん下している……ボスはルルらしい……っていうのがだんだんと大げさになっていってな。最終的に新聞関係が煽ってお前の異名は魔王に決定した、というわけだ」
「手下って……」
呆気にとられてなんと言っていいのか分からないルルがそう呟くと、グランはその台詞にすら補足を入れてルルの精神をがりがりと削る。
「あぁ、悪い。今は手下扱いじゃないぜ。イリスとキキョウはお前の愛人だという話に……」
「何言ってるんだ!?」
「それがよう。イリスもキキョウも見た目は派手というか、美少女だからな。街中歩いてればその辺の若いのが突っかかっていくわけだ」
見た目の話をするならば、確かに二人とも文句の付けようがない容姿なのは間違いない。
中身は……なんとも言えないが。
「それで?」
「あぁ、だけどな。二人の声をかけた奴らは軒並み玉砕してるんだ」
「なんだか読めてきたぞ……」
「お、そうか。まぁ大体予想通りだろうな。イリスはそんな奴らを断るときに、こう言うことが多かったらしい。『私にはお義兄さまがおりますので』。キキョウは『ルルさんくらい甲斐性があったらいいんですけどねぇ。三食お昼寝おやつ付きのおうち……』とか言っていたみたいだな。それを聞いた奴らは嫉妬と共に、ルルは二人のいたいけな少女を手込めにしている悪鬼である。魔王だ、やつは魔王だ! とヒートアップしていったらしい。新聞関係と相まって、どんどん広まっていってな。今や"魔王ルル"の異名はとてつもない広がりを見せている、というわけだ。ま、イリスとキキョウが愛人扱いされてる、と言うよりは、ルルにだまされているかわいそうな二人、ということになっているんだが……」
それは事実か?
と事実ではないと分かっている顔でグランが首を傾げた。
ルルは叫びだしたい気分になってきたが、そんなことしたら大きな隙が出来て切り込まれるのは目に見えている。
それに、同居している二人にマイナスな印象がついておらずほっとしたというのもあり、自分が魔王などと呼ばれていることから受けた驚きと相殺された。
ルルはグランに言う。
「……全く。生まれ変わってもそんなこと言われるとは思っても見なかったよ。しかし今更だ。魔王と呼ばれるなら、それにふさわしい戦い方でもしようかな?」
そう言った瞬間、ルルの表情と雰囲気が一変したことにグランは気づく。
どうやら、自分の言ったことが相当な藪蛇になってしまったらしいとそのときはじめて理解した。
七年前にルルと出会い、その実力を至るところで見せつけられてきたグラン。
それが過去、魔王だったために得られた実力であるということには納得していたが、それでもこれほどの存在がこの世界にいるものかと思ってしまうほどに、ルルの力は隔絶したものだった。
けれどそれでも、今までのルルが戦うところを見ても、自分は追いつけない、と、あそこまでたどり着けることはない、などと思ったことは一度もない。
努力と修練でもって、自分はまだまだ強くなれる、もっといけるとグランはずっと思ってきた
それは実際正しく、七年前の自分と比べれば身についている実力は数段上昇しているという確信もある。
そしてこれでもまだ、限界は見えていない。
人族はその種族故に寿命や能力について大きな制約があり、そのために他種族よりも持つ可能性が小さいと言われることがある。
ただ、数が多いために、それだけをアドバンテージに人族は繁栄しているのだと。
けれど、その一般論が実は正しくないのだと言うことを、グランは自分の肉体でもって理解した。
可能性は、たとえ人族であってもとぎれていない。
鍛えれば鍛えただけ、目指せば目指した分だけ、自分の身に結果として返ってくるのだと、そのことをこの七年の年月が教えてくれたのだ。
だから、いずれルルにも追いつけると、そう信じてやまなかった。
しかし、である。
今、目の前にいる少年に宿る力はどうだ。
先ほどまでも強い魔力の脈動を感じていた。
人族がこんな力を発揮できるなど、冗談ではないかと思ってしまうほどの力があった。
けれど今のルルからは、そんな印象すらをも塗り替えるほどの力が渦巻いている。
つまり、ここに来てはっきり分かるのは、今まで手加減していたということだ。
シュイとの戦いも、ウヴェズドとの戦いも、全力ではなかったと言うことだ。
なぜ、力を押さえながらルルが戦っていたのかを考えてみると、それは先ほどの台詞から推し量ることができる。
彼はつまり、あまりにも大きな力を振るえば、自分は周りからおかしな恐れられ方をするのではないか、とそう思ったのだろう。
かつて、魔王ルルスリア=ノルドの話を聞いた。
そのとき、人族がいかに魔王について、また古代魔族について大きな誤解を持って挑んだのかを教えてもらった。
そのときの記憶が、彼に意識的にもまた無意識的にも手加減を強いてきたのだろう。
しかしもはやすでに魔王と呼ばれ、そういうものだと理解されているのならば、もう少しギアを上げてもいいのではないか、と思ったのではなかろうか。
彼の本来の戦い方は大規模魔術と限界までかけた身体強化による飽和攻撃らしいが、それをやるにはこの会場では規模も耐久性も足りない。
だから身体強化のみで挑んでいることは分かっていたが、そのギアを一つ、彼は今、上げたのだ。
「全く、冗談にもならねぇぜ。本当に魔王陛下としか言いようがねぇ
じゃねぇか……」
負け惜しみに近い気分で、冷や汗をかきながらそんなことをいうグラン。
ルルはそんなグランに不敵な笑みを浮かべながら言う。
「光栄に思えよ、グラン。俺がここまで力を出して戦ったのは今まで、勇者ただ一人なんだからな」
「……勇者ってのは、こんなやつに勝ったのかと驚きしか感じねぇよ。なんだその馬鹿魔力は」
「馬鹿言え。あのときは四対一だったから負けたんだ。一対一なら負けなかったぞ……つまり、お前にも負ける気はないからな。ただ、俺に勝ったら勇者を名乗ることを許してやるぞ?」
冗談じみた台詞を言って笑うルル。
しかしその台詞は冗談になっていない。
これに勝てるのは、勇者だけだ。
少なくとも、歴史上、今までそうだったのだ。
それを自分に破れるのか?
自問してみるも、とてもではないが是、とは頭の中で考えることすら出来ない。
ここまで圧倒的な敗北感を、戦う前から感じることなど今までなかった。
きっとこれからも、無いだろう。
しかし、だからこそ。
「俺はお前に勝ってやるぜ……勇者なんて時代じゃないけどよ、小さなころは俺だってあこがれたんだ。チャンスがあるなら、挑戦するのが男ってもんだろうが!!」
そう言って、グランも身体強化に魔力をさらにつぎ込む。
その技法は、ヒメロスの使った超限界突破そのものであり、しかも彼女よりも遙かに多い魔力を使用していることが分かる。
そしてそれでも、ルルの体から吹き出る魔力量に及んでいないことを理解しながらも、グランは勇敢に地を蹴ったのだった。
男には絶対に引けないときがある。
今こそがそのときであると、信じて疑わなかった。