第78話 想定していなかった事実
グランの持つ武器は巨大な大剣だ。
その戦い方に合わせて誂えられたそれは、当然グランの戦い方を示している。
重く巨大な武器を振るい、一撃必殺にて相手を屠る。
それがグランの戦い方のはずだった。
けれど、試合開始と同時に地を蹴ったグランの速度はおよそそのような戦い方をする人物の出すようなものではなかった。
疾風もかくや、という動きでルルに向かってきた彼は、流れるような動きでもってその大剣をまるで重さなど存在しないかのように振るってルルを叩き潰そうとしてくる。
並の剣士であれば、おそらくは一撃で終わっていただろうその攻撃を、しかしルルはしっかりと捉えて対応する。
大剣の重量と勢いを完全に生かし切ったグランの攻撃である。
馬鹿正直に受け止めれば、いかにルルとは言え、その体を持って行かれるのは分かり切った話である。
ルルはそんな愚かなことをするようなタイプでもないし、またしたいとも思わない。
斜め左上から振り下ろされるグランの剛剣に静かに触れるように片手剣をつけると、加えられた力を利用して身を翻し、グランの横に移動する。
そしてその勢いのまま、グランのわき腹をえぐるべく、剣を振る。
グランと比べれば身軽なその体をうまく扱い、相手の懐に入って徐々に傷つけていくのが今のルルの戦い方だった。
せこい、と言われても仕方のない戦い方だが、いかんせん、ルルの今の肉体は人族のものなのである。
十四年の時をかけても、その身に魔力が通りにくい、と言う点に代わりはなく、また身体能力それ自体も魔族だったときと比べればかなり落ちていることは否定しがたい。
必然的に、魔王だったときとは少し変化したスタイルを採用することになる。
とはいえ、その本質には変更はなく、畳みかけるように、追いつめるように攻撃を加えていき、相手の心をひたすらに折るべく行動することは魔王時代から続くルルの戦法であった。
ここに大規模魔術の使用があれば、それこそあの頃を彷彿とさせる戦い方に近づくのだが、この戦いにおいては剣術のみで行くと決めたのだ。
絶対障壁を破壊してまで強力な魔術を連発したいわけでもないし、障壁を壊せないような魔術を使ったとて、グラン相手にはあまり意味のないことだろう。
七年間、彼とは訓練を共にしてきたが、その中で様々な技術を彼に教えた。
冒険者としては、グランが先輩であったわけだが、ルルはグランの対魔術師戦における師匠的な存在でもあるわけである。
もともとグランはそんじょそこらの魔術師など問題にしないほど、魔術、というものに対してこの時代の剣士にしては高い対応能力を持っていたわけだが、かつて遺跡においてイリスに魔力弾を放たれて気絶したように、古代魔族の持っていた特殊な技術を使われた場合にはどうしても対応ができないと言う弱点があった。
もちろん、そんなものを使う存在が現代にどれだけいるのかは疑問だが、イリスに気絶させられた当の本人としては、不意打ちに近いとは言え、たかが魔力弾で一撃で沈められるというのは許容しかねる事態だったらしい。
ルルから、ルルとイリスが古代魔族だと聞いて、それならそう言った怪しげな技術で自分がやられるのも仕方がない、とは思ったようだが、それでも放置しておくわけにはいかない弱点であると認識したグランは、ルルに、イリスの放ったような魔力弾をどうしたら防げるのかを聞いたのである。
ルルとしては、避ければいい、と言うのが一番簡単な対応だったのだが、それではもし四方八方から魔力弾を放たれた場合には対応しきれないし、そもそもグランの戦い方というのが、魔術を受けても耐えきりながら突っ込んでいく、という猪じみたものであるので、避けるというのはあくまで次善の策にしたいようだった。
結果として、ルルやイリスは彼に対して古代魔族の持つ特殊な魔術の数々を生身の肉体で防ぐことが可能なようにグランを鍛える羽目になったわけだ。
自らの天敵を増やすようなものだったが、グランについては契約魔術もあり、それについての解除方法を伝授しない限りは問題ないし、人柄についてもある程度の期間見た上で、教えることにしたのでそれほど大きな問題はなかった。
それに、いざとなったら、手段を選ばないと言う前提付きで、グランをどうにかすると言うことはルルにとって難しいことではない、というのもあった。
だからルルはグランに、いろいろ教えたのである。
結果として、魔術師に対してほぼ無敵に近い剣士というこの時代にあって相当危険な生き物ができあがってしまったわけだが、それについては後悔していない。
こんな風に闘技大会で戦えるというのも楽しいし、七年経った今では彼には絶対に死んでほしくないと思うくらいの信頼は寄せているのだ。
ルルの持つ知識や技術が、そのために役に立つなら、教えておくというのは何ら惜しいことではない。
それに、古代魔族の技法に通じて、それをある程度、対抗できるようになるというのは、魔王を倒せるようになるということと同じ意味ではないのだ。
過去の勇者たちのように、人族であっても、古代魔族の魔力弾に容易に対抗するような者たちは少なからずいたのだ。
そしてそうであるにも関わらず、魔王ルルスリア=ノルドは勇者とその仲間たちに倒されるそのときまで、無敵を誇る魔王として君臨し続けた。
つまりそれは、魔力弾を防げる、というくらいのことは、魔王の前では素手で勝負しなければならなかったのが木の盾を持つことが許されるようになったかの如く等しい小さな優位に過ぎないのだということだ。
この戦いにも決して負けるつもりなどなく、剣術勝負になったとて、別にグランの優位な戦場に飛び込んだ、というつもりはない。
魔王はどんな場面でも理不尽に強いから魔王なのである。
ルルの剣は、グランの体の上を幾度となく撫で、彼の身を削っていく。
その攻撃は、まさに吹く風すべてに身を切られているような、恐るべき攻撃であり、グランにはまるで防ぐ術がないように思える。
実際、観客から見れば、今のグランはルルの良い的で、このままではいずれ体力を削られてその巨体を闘技場ステージに沈めることになるだろうことは明白なように思えた。
けれど、実際に相対しているルルにしてみれば、そんなことは全くない。
確かに、ルルの剣はグランの体を傷つけているが、薄皮一枚を切り裂いているに過ぎず、与えているダメージはそれほど大きくはないのは明白だった。
やはり速度に重点をおいて、ちまちまと体力消費を狙うような戦法では、彼を戦闘不能に陥らせるような致命傷を与えるには至らないのかも知れない。
しかし、強力な一撃を加えようとすれば、必然的に隙が大きくなり、グランに攻撃のチャンスを与えることも理解していた。
だからこその細かな攻撃の数々であったのだ。
大剣を構えて、ルルの目を見つめるグランの瞳に、諦めの色はまるで感じられない。
おそらく、あれは反撃のチャンスを狙っているのだろう。
彼の攻撃は一撃必殺。
当たればルルとてただではすまない。
しかしこのままでは埒が明かないことも分かっているルルは、とうとう覚悟を決め、勝負をすることにした。
◇◆◇◆◇
「……なんだ、速度で翻弄するのはやめたのか?」
ルルの考えていたことを完全に見通していたような台詞を言うグラン。
結局、ルルにしても、グランにしても、今の一連の攻防は様子見に過ぎなかったということだろう。
ルルがグランに刻んだ傷も、もうほとんどふさがりかけているあたり、小手調べにもなってなかった。
それにグランがルルに加えようとした最初の重い一撃も、その狙いは容易に理解できるもので、避けることを前提に放たれたものに過ぎなかったのだろう。
しかし、それでも二人の繰り出した攻撃は、並の冒険者ならば、いや、並以上の、それこそ上級、特級に足を踏み入れたものですらも、危険であると断じざるを得ないおそるべきものであった。
およそ現代では考えられない膨大な技術と経験の蓄積があるルルだから、そしてそんなルルを現代においてもっとも長く見てきたグランだからこそ、お互いの攻撃に笑い混じりで対応できるのであって、初見の者が彼らに向かえばそれこそ一撃で沈んでしまう。
そんな技を、彼らはさきほどの一瞬で見せたのだ。
観客たちは、二人の足が止まったそのときに、何とも言えないうめきと歓声を上げて、その興奮を示す。
「いやぁ……いい歓声だぜ。こんなのは久しぶりだな」
じりじりと距離をとり、相手の動きを油断なく見据えながら、グランは嬉しそうに微笑む。
ルルもそんなグランの言葉に反応しないわけにはいかず、首を傾げて尋ねる。
もちろん、警戒を解くことはできない。
いつでも動き出すことができるように、剣の握りは常に臨戦態勢にある。
「そういえば、特級は今回の大会まで出場できなかったんだもんな……」
「あぁ。俺が以前大会に出たのは特級になる前のことだからな。……中級になったかならないか、くらいのときだ。もう二十年近く前のことだが」
「へぇ……二十年か。とすると……俺たちとおなじくらいの年のときのことか?」
「いや、もう少し年はいっていたが……っと、こんな話は後でもできるぜ。あんまり時間が経つとお前はすぐに魔力が回復しちまうもんな。短期決戦だって決めてきたんだが、お前と顔を付き合わせてるとついついいろんなものが懐かしくなっちまう……ぜッ!!」
グランの闘技大会についての昔話など聞く機会などあまりなく、ルルはその続きを尋ねようとしたが、我に返ったグランが再度ルルに向かってきたので中断される。
ルルとしては時間稼ぎ、のつもりはなかったのだが、カディス村でルルがその回復の早さを何度も見せたからだろう。
グランとしてはそれを警戒しているらしい。
厳密に言うと、回復が早い、というわけではないのだが、時間がある程度与えられなければ使える魔力が目減りしていくのは事実だ。
戦略としては、グランが正しく、苦いものを感じながらルルはグランの大剣に対応するべく構えた。
先ほどと同じように、流すのが一番良いか。
そう思った瞬間、驚くべきことにグランは先ほどよりもずっと速くルルとの距離を詰めていた。
驚いてルルはつい、反射的に剣を差し出してしまった。
グランはそんなルルの剣の軌道をも予測していたようで、完全に回避した上で、大剣を振るのではなく、最短距離を突き込むことによってルルを狙ったのだった。
あまりグランのやらないその戦い方に予測を二度、覆されたルルは自分が少し油断していたことを理解する。
けれど、この体勢からグランのその突きを完全に避けるのは難しく、となれば、多少の傷は覚悟しなければならない。
実際、グランの突きをルルは回避したのだが、その頬をかすったグランの大剣はその顔に一本の傷を作り出した。
非常に浅い、それこそ軽傷としか言いようのない傷である。
しかし、それでもグランの一撃が、ルルに血を流させた。
ここに来るまで、ルルに明確に傷を刻んだ者は、皆無である。
それは実力者たちの戦いは彼らの技の持つ破壊力があまりにも大きいため、どちらか一方が一撃を加えた時点で勝敗が決まってしまうという性質を持っていることも原因の一つではある。
けれど、ルルはここまで、軽傷すらをも負わずにきたのであり、そんな彼に対して、一本でも傷を負わせたのは、快挙であった。
グランも、そこまで自分の思いつきに等しい策がうまくいくとは思っていなかったのだろう。
ルルが頬から流れる血を拭っているのを少し目を大きくして見つめながら、にやりと笑っていった。
「……おいおい、魔王陛下。油断が少し過ぎたな?」
ちゃかすようなその台詞は、観客たちに聞こえようがないことを理解しての言葉だろう。
そう思って、ルルが冗談染みた口調で言い返す。
「俺が油断するタイプじゃなかったら勇者は俺を倒せなかっただろうな……」
ともすれば自慢以外の何者でもないが、グランはその台詞がほとんど真実に近い強さをルルが持っていることをよく知っていた。
正直に言って、自分がルルに傷を負わせたこと自体、信じられないくらいなのだ。
一撃、しっかりと命中させれば、自分にも勝機がある。
そう思って、この試合に挑んできたわけだが、その思いが確信に代わり、心が高揚していく。
「じゃあ、魔王陛下。油断ついでに、俺がお前に勝つ、二人目の人間になることを許してくれるな?」
それは宣言であった。
ルルに、勝つと言う、そのままの意味の。
しかしこうもはっきり言われたのでルルは笑った。
「言うじゃないか、グラン……というか、その呼び方やめろっての」
最初の一回くらいは良かったが、そう何度も呼ばれるとだんだんむずがゆくなってくる。
冗談だとしても、なんとなく勘弁してほしい。
しかしグランはルルの言葉に首を傾げて笑った。
それはおもしろいものを見つけたというような表情で、実際、次に出た言葉にルルは驚く。
グランは、とっておきの秘密を教えてやろう、という雰囲気で言ったのだった。
「おい、ルル。お前もしかして知らないのか? お前……最近観客たちの間で、“魔王ルル”って異名が付いてるんだぜ?」
「え?」