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第8話 目覚めの時

 カプセルの透明な素材の向こう側で、作り物のように精巧で現実感のない美貌を持った少女が息もせずに眠っていた。


 銀色の髪に、血管が透けるほど白い肌、それに細く華奢な手足。

 年齢は今のルルと同じくらいであり、その顔はあどけないと言って良いくらいには幼かった。


 しかし、そんなことはどうでもいい。

 ルルにとって、重要なのは、その少女の身体的特徴が、現代において古代魔族と呼ばれているそれの特徴と合致していることだった。

 余りにも強大な魔力が、魔力伝導性に優れた古代魔族特有のその髪の色を銀に染める。

 それが、古代魔族のもっとも大きな特徴だったのだから。

 人族ヒューマンの髪では、こうはいかない。

 現代に、古代魔族の特徴は伝わってはいないようだったが、当然、ルルはそのことを知っていた。

 この容姿こそが、古代魔族のそれであると。

 だから、目の前のカプセルに眠る少女は、古代魔族なのだと。


 そして、もっとも大きなことは、ルルが少女の身元をよく知っている・・・・・、ということだった。


 忘れるはずはない。

 勇者の戦いのときだって、気になっていたその少女。

 永遠にその誕生日は祝えないのだと、少し残念な気分で想っていた、その顔。

 かつての魔王ルルスリア=ノルドの腹心バッカス=タエスノーラの娘。


「……イリス……」


 ルルはそう、つぶやいた。


 グランもルルの後ろからカプセルを覗き、そこに少女が横たわっていることを確認すると驚いた声を上げる。


「……おい、なんでこんなところに人がいるんだ!? 生きてるのか?」


 その台詞で、やはりこの時代には古代魔族の特徴というのは伝わっていないのだと言うことが再確認できる。

 グランには、彼女が人にしか見えないのだ。

 実際、髪の色を除いて、少女の、イリスの容姿は人族ヒューマンと何ら異ならない。

 魔力は多少多く感じるが、それでも人の範疇に収まっているように感じられるのは、彼女が長期間に渡って眠り続けたからだろう。

 長期睡眠のシステムは、その稼働に大量の魔力を使用するが、その弊害として睡眠中に魔力が目減りしていくという副作用があった。

 ルルが魔王だったときには、その副作用が無視できないレベルで大きく、百年も経たずにすべての魔力が魔導機械に吸収されて干からびるだろうとまで言われていたので、実用化の目処は経っていなかったのだ。

 あれから、技術は前に進み、数千年の時を経ても大丈夫なくらいに改良されたという事なのだろう。

 体内魔力を多少使用する、というくらいならば古代魔族にとっては何ら不都合ではない。

 目が覚め、活動を始めればその力はかつて人族ヒューマンを恐れさせた古代魔族相応のものに元通りになるはずだからだ。

 その他に大きな問題のあった機械ではなかったし、そうするとおそらくイリスは無事に眠っているはずである。


 だからルルは答えた。


「何故なのかは分からないが……生きてはいるんじゃないか? 確認するためにはこれを開けるしかない」


「開けるったってよ……どうやって開けるんだ、これ。こんなもの、見たことねぇぞ。中に人がいるんじゃそれこそぶった切る訳にもいかねぇし」


 グランが困ったようにそう言った。

 イリスを覆っている透明なカプセルもまた、古代魔族の技術により作られたものであり、数千年の月日を無傷で耐えきっている以上、切りかかっても先ほどの扉と同じ事になるのもなんとなく想像がつく。

 そうである以上、これもまた正攻法で開けるしかない。

 扉のときは、ルルが触れたら施設を管理する人工知能らしきものが開けてくれた。


 今回も同じようにカプセルに触れれば……?


 そこまで考えたルルはゆっくりと、静かにカプセルに手を近づけた。

 長い年月、生き物を眠らせて生命を維持しつづけただろう機械である。

 乱暴に触れて、破壊するのが恐かったからこそ、そんな手つきになってしまった。

 実際は、そんなに柔な素材ではないとは理解していたが、こういうのは心の問題というものだ。


 そうして、ルルの手が、透明なカプセルに触れる。

 すると、


『……長……眠装置……号機……停止……すか……?』


 という掠れた人工音声が再度響いたので、ルルはそれに答える。


「停止してくれ! 装置を使用している者の命を優先にだ!」


 装置だけ停止して終わり、では困る。

 安全に目を覚ましてもらわなければならないのだ。

 だから、ルルはそう言った。

 かつて魔導技術により作られた人工知能はそういったファジーな指示にも従えることをコンセプトに作られたものだから、数千年の時を経て不具合が出ていない限りは、ルルのそういった命令をも聞いてくれるはずだった。

 実際、人工音声は、


『……了解……』


 と告げて、長期睡眠装置の停止作業を始めたようである。

 目の前にあるカプセルの中に、霧のような、何らかの薬品かなにかを噴霧される。

 そうすると、青白かったイリスの顔に、徐々に血色らしきものが戻ってきているのが確認できた。

 全くの不動で、呼吸すらしていなかった彼女の胸元がゆっくりと上下しだし、息をし始めたのが分かる。

 覚醒しようとしているのだ。


「……生きてるみたいだな」


 グランがその様子を見ながらそうつぶやいた。

 彼からしてみれば、目の前のカプセルが一体なにをしているのか理解できないことだろう。

 ルルからしても、イリスを起こそうとしているというのは理解できるが、それ以上の細かいことは分からないのだ。

 この時代の人間に理解しろと言うのが無理がある。


 それからどれくらいの時間が経っただろう。

 それほど長くなかったような気もするし、また一瞬だったような気もした、その時間が過ぎたとき、カプセルの中心に突然、縦線がピッ、と入り、そこからカプセルが開いて、透明素材はカプセルの両端に収納されていった。


 とうとう、イリスが目覚めるのだ。

 そう思って、ルルはよりイリスの眠るその場所に近づき、その覚醒を待った。


 ルルは近くで見るその顔に、深い懐かしさを感じた。

 思い出す、友人が初めて子供が出来たと喜んでいたときの顔。

 何度も祝った、その誕生日。

 甘えるように走ってきた、イリスの笑顔。

 それを見つめる、彼女の両親の幸せそうな表情。


 そのすべてが、イリスの顔を見ると蘇ってくる。


 あぁ、とうとう、彼女が目覚めるのだ。

 あの戦いで命を落とすだろうと予想していたのに、こうして五体満足で生き残り、そしてすでに死したはずの自分と再会する。


 そのことに、深い感動を覚えた。


 かつて、人族ヒューマンとの戦いの最中、決死の覚悟で死地に向かうとき、兵士たちは出征前にその恋人に言ったものだ。


『もし玉砕したとしても、来世で会おう。輪廻は必ず自分たちを再会させてくれるはずだから』


 それは信仰であり、気休めであり、慰めであった。

 そうなることを心の底から信じていたが、だからといって本当にそんな機会が巡ってくるとは期待してはいなかったことでもある。


 それなのに、自分はいまそんな奇跡に見えようとしているのだ。


 とてもではないが、信じられないことだった。

 しかし、これは現実だ。


 人族ヒューマンとなった自分が、かつての友人の娘と数千年の時を隔てて、出会う。


 それが、現実なのだ。


 そんな風に、漏れ出しそうな深い感動を、まだ今ではないと抑えながら、ルルはイリスの顔を見つめていたのだった。


 ◆◇◆◇◆


 そして、少女は目を開く。


 ゆっくりと、厳かに。


 それは美しい光景で、ルルもグランも一瞬魅了されるものを感じた。


 けれど、あくまでもそれは一瞬のことだった。


 はじめに気づいたのはグランだった。


「……ッ!? ルル! そいつはヤバい!! ……ぐあっ!!」


 グランが叫ぶと同時に何の脈絡もなく吹き飛ばされ、壁にたたきつけられた。

 驚いてルルが正気に戻ると、目を開いて仰向けになっているイリスの右の手のひらがグランの方に向けられて、煙をあげていた。


 グランが吹き飛ばされたのは、イリスがやったのだとルルはそれで理解する。


「……なにを!?」


 ルルはあわてて叫ぶも、ゆっくりと起きあがったイリスは、ふっと微笑み、そしてその柔らかな眼光を鋭いものに変えてルルをにらみつけた。

 赤く輝く目が憎しみと怒りを纏って燃えていた。


「……人間。死ぬがいい」


 氷河よりも冷たく暗い声だった。

 ありったけの絶望が塗り込められたその声。

 そして、その台詞にルルは気がつく。

 気にもとめていなかったが、自分は人間であり、そしてかつて魔族と人族ヒューマンは敵対し、殺し合っていたのだという事実に。

 イリスにとって、ルルは敵にしか見えないのだということに。


 七年の人族ヒューマンとしての平穏な生活は、ルルから魔王時代の警戒心を忘れさせていたのだ。


 イリスの手がゆっくりと、しかし人族ヒューマンの基準からすれば目にも留まらぬ速度であがり、そしてルルに向けられた。


 呪文を唱える気はないようだ。

 一瞬で集約された魔力はイリスの手元で圧縮され、そのままルルに向かって放たれる。


 止める間もないその魔力の運用にルルは驚くべきものを感じる。

 ルルの知っているイリスはこれほどの力は持っていなかったからだ。

 まだ小さく幼い子供にすぎず、魔力だって成長期で、魔法や魔術の扱いもこれからという年代だった。


 それなのに、これでは一端の兵士並である。

 ルルが死んでから、一体どれくらいの月日がイリスの身に訪れたのかは分からない。

 けれど、彼女が相当の厳しい訓練をくぐり抜けただろう事が、その力だけで分かった。


 イリスの手から放たれた魔力弾マギア・グロブスとでも言うべき真っ赤な球体は、恐るべき速度でルルの胸元に迫った。


 これを受けたら、死を覚悟しなければならない。


 誰もがそう思ってしまうだけの力と速度をその魔術は持っていた。


 けれど・・・、ここにいるのはかつての魔王ルルスリア=ノルドの生まれ変わりなのだ。


 いかに高度なレベルに達しているとは言え、いかに古代魔族だとは言え、一般兵レベルを抜けていない程度の力量では、その防御を抜くことなど不可能である。


 おそらくは渾身の不意打ちだっただろうイリスの魔力弾マギア・グロブスをルルは柔らかに手のひらで受け止めると、それをまるで自らの魔力で作られたもののように扱い、うまく造形して四つに分解してしまった。

 そして、その魔力の塊をまるでお手玉のように扱い始める。


 四つの魔力球を縦横無尽に操りながら、ルルは、かつて魔王だった時も、こんなことをよくやったものだなと、昔の記憶に浸って懐かしい気持ちになった。


 魔王として、人族ヒューマンとの戦いで親を失った子供をたまに訪ねて、一緒に遊んだりしたものだ。


 遊びは、普通の他愛もないものもあれば、戦闘の技能を高めることをもその目的に含んでいたものも少なくなかった。

 魔力の扱いに子供を早いうちに遊びを通じて習熟させるための遊びがいくつもあったのだ。


 魔力を広げてその居場所を突き止める鬼ごっこ。

 魔力弾マギア・グロブスをぶつけ合って行う雪合戦ならぬ魔力弾マギア・グロブス合戦。

 自分の魔力でお手玉を作って、自由自在に操れるかを競う魔力お手玉。


 どれもが、実戦で魔族の子供たちの命を守ることだろう技術の習得のために考案された、遊びだ。


 ルルがそんな遊びのうちの一つをやっていることを、魔力弾マギア・グロブスを放ったイリスは目を見開いて見つめていた。


 そんな遊びを、人間が知るはずもないし、また知っていたとしても一朝一夕で出来るようなものではないからだ。


 それだけではない。


 今や、ルルの手元で踊る魔力弾マギア・グロブスの数は数十を越えている。

 始め四つしかなかったそれは徐々に分裂していって、数をどんどん増やしていったのだ。

 今や、数だけではなく飛び回る速度も尋常ではなくなっている上に、どれ一つとして一度たりとも接触することなく綺麗に制御されている。


 魔族でも、相当な実力者でなければ出来ない所行であり、しかも、イリスはその数の魔力弾マギア・グロブスお手玉が出来る者を、たった一人しか知らなかった。


「……おじさま?」


 のどから絞り出すように出たそのか細い声は、ほとんど確信に満ちていて、だからこそルルはその年齢に似合わない、けれどかつて魔王だったとき何度も浮かべたどこか皮肉げな印象を人に与える微笑みを浮かべて言ったのだった。


「……イリス。おじさんが来たよ」


 いつも、友人の家を訪ね、少女が一番に出迎えてくれる度に言っていたその台詞。

 それをイリスも覚えていたらしく、目を見開いて、驚きをその顔一杯で表現し、それから涙を一筋流しながら、走りだした。

 近づくイリスの小さく細いからだ。

 それから彼女は軽く飛び上がって、ルルの胸元にぽふり、と顔を埋め、ありったけの声で叫んだ。


「おじさまっ……おじさま!!」


 泣きわめきながら、それしかいわないイリスの頭を、ルルは静かに撫で続ける。

 それから、横目でグランの様子を確認した。


 着ている鎧は見事なまでにへこんではいるが、死んではいないようで、大きな傷もない。

 どうやらただ気絶しているだけらしく、安心する。


 しかしそれにしても、グランも運の悪い男である。

 グランが一流の冒険者であることはもはや疑う余地もない。

 その技術はそれ相応に高く、初見の相手であっても全く何も出来ずにやられるということは通常ならあり得ないことである。

 だから、別に、グランはイリスの魔力弾マギア・グロブスを見切ることが出来ていなかったわけではなかったのだ。

 今回の事はもう、ただひたすらに相手が悪かったとしか言えない。


 グランはおそらく、イリスの魔術を普通の魔力弾マギア・グロブスだと考えて対応したのだろう。

 魔力を巡らせた防具なら耐えきれると踏んであえて受けたはずだ。

 その方が次の行動に移りやすいし、相手方の気勢も削げると考えることはむしろ経験豊富であるからこそ納得できる行動でもある。


 けれど、古代魔族にとって必須の技術に、術式制御があったのがグランにとって致命的だった。

 相手の巡らせている魔力の流れを見て、それを分解する性質を持つ魔法を放つことは一般兵レベルに達した古代魔族なら誰でも出来る技なのだ。

 しかし、現代ではそのような技術は失伝してしまっていることから、グランには対応することが出来なかった。

 最も簡単な方法として、ただ避ければそれで良かったのだが、知らなければそんな行動も取りようがない。

 結果として、ああいうことになってしまった、というわけだ。

 本当に気の毒である。


 そしてルルはそんなことを考えながら、これからどうしたものかと頭を抱える。


 イリスもそうだし、グランにどう言ったものか、というのもある。

 村に戻ったらユーミスにも何か言わなければならないだろう。


 ラスティたちを助け、この遺跡の存在意義を調べる、という目的はおおむね達成したのだが、それに伴って生じた問題が多すぎた。


 とはいえ。


 胸元で泣いている少女を見る。


 すると、彼女もルルを見上げてきた。

 ひどい顔だ。

 本来は人形のように美しいはずのその顔は今、涙と鼻水でぐしゃぐしゃである。


「ぷっ……」


 あまりの様子にルルは吹き出してしまった。

 そんなルルを見て、イリスは少し顔を膨らませて、


「ひ、ひどいですわ……わたくし、今日までずっとおじさまの敵討ちを考えて生きてきたのですのに、そんな風に笑って! もう……」


「……でも、鏡を見てみろよ。ひどい顔してるぞ」


 そういうと、イリスは少し首を傾げて、


「そんなにひどいのですか……? ……そういえば、口調がお変わりになったのですね? ……よく見るとお顔も……? どういうことですの? ですの? というか、おじさまは勇者と戦って討ち死になされたはずですのに……それに、今はいつですの? ここはどこですの?」


 一つ考え始めると、疑問が噴出してきたらしい。

 どう答えたものか、ルルにもいきなりは整理できず、仕方なくルルは言った。


「後で説明するよ……いろいろあったんだ」


「いろいろ、ですか?」


「あぁ、いろいろだ」


「そうですか……あっ、そういえば、先ほどわたくしが吹き飛ばした方は大丈夫でしょうか? おじさまのお知り合いなのですよね? あの、わたくし、敵だと思ってつい……」


 ルルの言葉に頷いたイリスは、途端にあわて始める。

 本来、イリスは人族ヒューマン憎しというタイプではなかったからだろう。

 はじめに襲いかかってきたのは、寝起きで、しかもルルの敵討ちどうこうと言っていたところに理由があるのだと思われた。

 しかし、ルルは生きていたし、意識もはっきりした今になっては、冷静になったのだ。


 ルルは改めてそんなイリスに笑う。


「今更そんなこと言っても……あの男、グランは生きてるけどな。だから、あとで謝ることだ。たぶん、許してくれるだろう」


「度量の広い方なのでしょうか……人族ヒューマンにもおじさまのような方がいるのですねっ!」


「いや、俺はそんなに度量は広くないけど……グランは大雑把だし、不幸な事故だったと言えばなんとかなるんじゃないか?」


「で、ではそのようにいたします……」


 他愛もない会話が懐かしく、ルルはなんだか久しぶりに満たされたような気持ちになっていた。

 グランが起きたら、とりあえずは説明しよう。

 そして村に戻って、ユーミスにも。

 それから、それから……。


 今まで考えられなかった楽観的で、明るい未来を想像しながら、ルルはイリスとの会話を続けたのだった。

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