第77話 よく見知った相手
観客席から降り注ぐ歓声も、もうここまで来れば慣れたものだ。
ステージの上から見えるアリーナは人でひしめき合っており、その誰もが興奮と応援の熱気に燃えている。
さらに今日の試合は特に面白いものが多いとあっては、その盛り上がりは半端なものではなかった。
ルルが登場すると同時に、煩いくらいの歓声と悲鳴、それに怒号がまじりあってぶつけられ、予選から一つ一つ登っていくにつれて大きくなっていった歓声もここにきて最高潮に達していることを、音が揺らす空気と肌で理解できた。
とは言え、ルルの実績と言えばただ闘技大会で勝ち上がった、それだけのことだ。
もともとこの王都デシエルトで人気と実績を積み重ねて、王都の民の信頼を得ているものと比べれば、その人気の差は歴然としている。
そのことを、ルルは対面から現れた男――グランに向けられた歓声の音量によって理解させられた。
見慣れた大剣をもって現れるその理想的な剣士は、俺を見てにやりと笑い言った。
「……ついにお前とやれる訳か。初めて会ってから七年――長かったのか短かったのか」
「別に模擬戦くらいはしただろ? 今さらだ」
「お前は本気じゃなかったし、場所が場所だったから俺も本気じゃできなかったからなぁ。ここなら別だ。ほれ」
こんこん、と、グランがステージに入ってから即座に貼られた古族の絶対障壁を叩く。
カディス村で模擬戦と言えば、辺りの森に出来るだけ被害を出したくなかったため、ほとんど魔力は活用せずに行っていた素の組手が基本だった。
使っても、速度は十分に強化するが、打撃や斬撃が森の木々を破壊しないように努力していたので、本気で戦っていたとは言い難い。
カディス村の人々の中には、当然のことながら猟師などがおり、森の生態系を破壊されては彼らの仕事は上がったりなのだ。
そんなことをしてまで修行したいわけでもなく、またそんなことをせずとも修行くらい出来るから、やらなかったわけだ。
けれどここは違う。
少なくとも、グランが全力を出して障壁を叩いても、耐えきるものと思われた。
出力も、今までより上げられていることが障壁を見ただけで分かる。
ウヴェズドの時のように、罅が入ったりすることもないだろう。
もしかしたら、あのときのことを考えて、あえて今回ははじめから高出力で障壁を張っているのかもしれない。
とは言え、見た目上はさしたる違いがあるようには見えない。
半透明の壁であり、触れると曇ったり紫電が走ったりする程度で、基本的には外から内部がよく見えるようになっている。
技術的には不可視にも出来るのかもしれないが、そんなことをしたら闘技大会の意味がないのだから、これでいいのだろう。
「俺としては本気なんか出さないでさっさと負けてくれた方がありがたいんだけどな?」
ルルがそう言うと、グランは大らかな笑顔を獰猛なそれに代えて言う。
「馬鹿を言うんじゃねぇよ。俺は一度、お前と本気で戦ってみたかったんだ。覚えているか、あの遺跡の魔導機械を。俺はあんなものを素手で破壊していくお前を見て、冗談じゃなく世界が変わったんだ。俺が知ってると思ってたそれは、思いのほか小さかったらしいってな。だからお前に関わりたくなった。もっと多くの人間と関わって、世界を広げたいと思ったんだ。氏族“時代の探究者”だってそのために必要だと思ったから作ったんだ」
ルルのために氏族を作った、と言っていたから、てっきりただそれだけのために作ったのかと思っていたら、意外と深い思いがグランにはあったらしい。
確かに、それくらいのことを思っていなければ、中規模とは言え、あれほど多くの人を所属させたりはしないだろう。
ただルルたちを入れたいのであれば、ルルとイリス、ラスティたちくらいを入れればそれで十分なはずだ。
あとはグランとユーミスがいれば、小規模氏族としては十分な数であると言えるのだから。
けれどグランは、そうはしなかった。
それはルルとイリスを目にして、彼の考え方が大きく変わったという事なのだろう。
ずっと独立の冒険者として、どこにも所属せずにやってきたグランとユーミス。
今までそれで良かったのだからこれからもそれでいいと思っていた二人に、組織を作らせたのは、もっと広い世界を見るためにはそれが必要だと思ったからなのだ。
ルルとイリスという古代魔族に出会い、彼らは自らの知らないものがもっとあるのではないかと思えずにはいられなかった。
それを探究するために、必要な組織と力を得るために、それが出来る新たな氏族を作る必要を感じた。
そういうことなのだろう。
「はじめからそう言えばよかったのに。条件だ、とか言わなくても」
そもそも、グランの話を聞くなら、あの提案は結局、ルルたちの利益にばかりなるようなものだったという事になる。
つまり、結局ルルたちはグランたちに何も差し出していないということになるだろう。
多少の魔法技術とか、古代の知識とかを語ったりはしているが、契約に縛られた微妙なものだ。
それで報酬だ、などと言うのは正直微妙な気がする。
「別にいいんだよ。あえて言うなら、お前らは何かやりそうに見えた。見てみろよ、この光景を」
そう言ってグランは手を広げて周りを見た。
そこには多くの観客達がいて、全員がグランとルルに注目しているのが分かる。
グランは続けた。
「お前は、王都に来て短いのに、これだけこの大会を盛り上げたんだ。それだけでも、普通の奴ならどれだけ頑張ったって出来ない。それに特級たち――シュイやウヴェズドとの間であれだけの熱戦を繰り広げて……今は俺の前に立ってる。俺はこれだけでも、この七年間、お前らの為に時間を使った対価として十分だと思ってる。今回の闘技大会を見た奴は、きっと夢を見ながら冒険者が出来るだろう。きっと今日の俺たちの試合を見て、冒険者を目指す奴だって出てくるはずだ。そういう奴らが新しい発見とかをしたり、冒険をして……また次につなげていく。今の俺達には、そういうことが出来ている。お前がいなければ、そんなことは出来なかった。お前がいたから、俺も夢を見れている。たぶん、ルル……お前にとってはここが始まりに過ぎないんだろうが、それでもこれだけのことをやってくれてる。俺は、そんなお前に、お前たちに感謝する……」
思った以上に熱い台詞で、ルルは驚く。
まさかそれほどまでにルルに対して感謝してくれているとは思わなかった。
そもそも、感謝するのなら自分の方がしなければならないのだ。
グランがいなければ、あの村に来なければ、きっと今のルルはここにいないだろう。
イリスもあんなに近くにいたのに、きっと会う事も出来なかったかもしれない。
全ての始まりがどこにあったのか、と尋ねられれば、きっとルルはこう答えるだろう。
ある日二人の冒険者がカディス村を訪ねてきたそのときだ、と。
魔王として滅びたとき、二度目の生を受けたとき、それもまた始まりではあった。
けれど、今回の人生の歯車が動き出したそのときは、紛れもなく、グランとユーミスが村に来たあのときなのだ。
だから、ルルは言う。
「グラン。それはお互い様だ……グランたちがいなければ、たぶん、俺はここにはいない。イリスもいなかったし、キキョウもいなかった。ラスティだっていなかったし、ガヤたちとも出会えていないだろう。……たぶん、縁ってやつはこういうものなんだろうな。今分かったよ」
「……そうか……なら、よかったよ。俺はお前の邪魔をしてるんじゃないかと思うことがたまにあったからな。お前は……一人でならもっと色々なことが出来るんじゃないかってよ」
それは意外な言葉である。
そんなことはない。
ルルが一人で出来ることなど、そんなに多くは無いのだ。
身の回りのことはイリス任せだし、冒険者のことについてだってラスティやガヤに尋ねないと分からないことがまだある。
この世界のどこに何があって、どう調べていけばいいのかだって、グランやユーミスがいなければ方針すら立てられなかっただろう。
かつてルルは魔王で、強力な力をもっていた。
けれど、あくまでそれは力を持っていた、というだけだ。
人族に対抗できる力を。
細々としたことは部下任せだったし、戦い以外の事になるとてんで、とまでは言わないまでも抜けている部分が少なくないような、そんなものだった。
誰かに助けられなければ、魔王だって出来なかったのである。
人族として生を受けても、その本質が変わることは無い。
ルルは、人の助けがなければ生きてはいけないことを、深く理解している。
だから言った。
「そんな訳ないだろう。俺の常識の無さはグランが良く知ってるだろう。大体グランやユーミスがいなければ近所の遺跡に知り合いがいることすら分からなかったんだ……一人でやっても、ダメなことは分かってる」
無理に最後、一人で戦おうとした結果があれだ。
今回、仮に同じことがあったとしても、もうあんなことはしないだろう。
「そう言ってもらえるとありがたいな……じゃあ、お互いに知られざる内心を吐露しあったところで、本気で戦うってことでいいか? 手加減は無しだぞ?」
過去の事を懐かしむ顔から、きりりと戦士の表情に切り替えてグランは言った。
試合開始前だからまだ構えてはいないが、その身体には魔力が巡り始めている。
少し卑怯な気もするが、別に禁止はされていないことだ。
ルルもそれに倣って自らの体に魔力を流し始めた。
「グラン相手に手加減は難しそうだな……」
笑って言うルルの体から溢れる巨大な魔力の脈動を感じ、挑発したグランの方が冷や汗をかき始める。
グランの記憶を遡れば、かつて、ルルがこれほどの魔力をその身に集めたことはなかった。
かろうじて、ウヴェズドの部分竜化状態と戦った時に、僅かにその片鱗が見えた程度で、あとは軽い強化をかけていることしか見たことがなく、今のルルはグランの目から見ても相当危険な生物に見えている。
「おいおい……お前……やっぱり少し手加減しねぇか?」
その即座の前言撤回にルルは笑って、しかし首を振ってこたえた。
「そんなこと言う割には、グランの体を巡る魔力がどんどん増えていっているのはなんでだろうな。楽しそうだ」
「へっ。お前みたいな奴を相手にするには俺も本気にならなきゃならねぇと気を引き締めただけだぜ。魔力は……お前と違って魔術に割く必要がないからな。身体強化に全部突っ込むのが俺流よ」
グランは複雑な構成をしなければならない魔術をほとんど使えない。
時間をかければ使えるかもしれないが、少なくとも戦闘で使えるようなレベルでは修めていない。
それは、彼が剣士であり、身体強化こそが何よりも強力な攻撃手段であるからだ。
魔術が飛んできてもその強靭な肉体と魔力強化された武具でもって防いでしまう。
つまりは、魔術なんて使っている暇があったら殴る方が早い、という分かりやすい男なのであった。
それでいて、彼は魔術師に対しても強いのだから冗談のような男である。
魔術が使われる前に倒す。
魔術が使われてもその魔術に突っ込んでいって倒す。
魔術師からしてみれば、一体どうやって対応すればいいのか分からないような猪だ。
手加減など出来るはずがない。
開始の合図が響く前に、どう戦うかを決めなければならない。
魔術師として挑むべきか、魔法剣士として挑むべきか……。
本来、魔王としては魔術と剣を駆使して闘ってきたので、魔法剣士としての戦闘がルルにとっては一番しっくりくるものだ。
けれど、おそらくだがグランには魔術を放ってもあまり意味がないような気がした。
体中に緊密にいきわたっている彼の魔力は、外部の魔力からの影響の一切を防ぐ鎧のような役割をしている。
あれに魔術を放っても……ルルの魔術なら効くだろうが、効くだけでは意味がないのだ。
戦闘不能まで持ち込めるような気がしなかった。
そして、思考の末に、ルルは結論する。
ここは馬鹿正直に戦うべきところなのかもしれない、と。
剣には剣で挑むのが礼儀にもかなっているではないか、と。
お互い、癖は知り尽くしているし、ただ魔力も使わずに剣を合わせる模擬戦なら何度もやってきた。
今回は、それを、魔力を使用して行うだけだと思えば、これほど分かりやすい勝負もない。
模擬戦と比べれば、お互いに発揮できる速度と、力はけた違いのものになるだろうが、一度くらいはそういうのもやってみたい。
これは公開訓練のようなものだ。
そう言い聞かせて、先ほどまで魔術に割こうと考えて体に流していなかった魔力を、全て自分の体に流すことにした。
増加した圧力に、グランは笑う。
「……まだ上がるのか」
「この辺が限界だよ」
そう言った瞬間、審判の声が響く。
「……始めッ!」
二人の体はその瞬間、観客の目から掻き消えた。