閑話 ロメオ=カンパネッラ
「おい! ロメオ! 大変だ! リコル様が……!」
そう血相を変えて近衛騎士団副団長アイアスが走ってきて伝えた情報を聞き、ロメオ=カンパネッラは普段の彼から想像できないくらいに動揺した。
――リコル様がいない。
その事実が発覚したときその場に広がった感覚を言葉にするなら、それは、またか、という一言に他ならない。
別に、彼女の行動領域を制限している訳でもないのだから、本来どこへ行こうと彼女の自由であり、問題は無い。
けれど、少なくともリコル様はまだ幼く、何か危険な目に遭ってはいまいかと心配してしまうのが、彼女を近くで見てきた者が通常抱く感覚であることもまた、事実である。
その容姿は幼子そのものであり、ふらふらと歩いているその様は、まさにただの子どもとしか評価しようがない少女だ。
未だ保護が必要であると考えてしまうのも、当然のことと言えた。
だから、ロメオは慌てた。
彼女がどこかへと行ったのなら、とにかく彼女の居場所を把握しなければならない。
そしてそれが危険なところであるのなら、彼女を早々に遠ざけて、保護しなければならないと、そう思ったからだ。
実際にはそんな必要はないのかもしれない。
リコル様は、非常に不思議な方で、本当に危険な場所には近づこうとしないし、仮に危険な場所に近づいても、何らかの偶然が作用してそれを避けてしまうのだ。
だから、保護などそもそも必要なく、好きなように歩かせていても問題は無いのかもしれない。
しかし、それでも心配なものは心配なのである。
彼女と会って、その容姿と性格に危うさを感じないものなどいない。
神出鬼没、と言っていいくらいに色々なところにふらりと現れ、そして去っていく彼女。
当然、その捜索には近衛騎士団の力をもってしてもかなり難儀した。
浮世離れした変わった様子の白髪の少女を見なかったか、と尋ねれば返事はすぐに帰ってくることは多かった。
あぁ、見たよと結構な人数が言ったくらいだ。
けれど、その見た場所、と言うのが問題で、まるで統一性がなくばらばらであり、さらに同一時刻に別の場所に二人存在していたのではないかと言いたくなるような、奇妙な目撃証言も少なからずあった。
そんな様子では、捜索場所の特定も出来ず、結果として広い王都デシエルト全体にわたって地道に聞き込みと捜索を繰り返すしかない。
しかしいくらそう言ったことを繰り返しても見つからないので、ロメオは自分を含めた近衛騎士団の能力を疑いたくなった瞬間もあった。
人探しが専門ではないが、それでも国家組織なのだ。
子供一人、半日かけて探せないような存在ではないはずなのに、この体たらく。
ついつい泣きたくなるほどである。
そして、結局、近衛騎士団はその力でリコル様を見つけ出すことはできず、最終的に確定情報をロメオにもたらしたのは、真っ当な迷子捜索組織であるところの、治安騎士団であった。
そこで得られた情報によると、白髪の少女を連れた男性が迷子だから預かってくれと言った少女がまさに近衛騎士団の求めている少女の特徴と完全に一致するのだと言う。
詳しく聞いてみれば確かにその人こそリコル様だ、とロメオも確信した。
さらに、その連れてきた男性がどんな男かと尋ねれば、非番のカディスノーラ卿であったというではないか。
なぜリコル様が彼に連れられているのかはまるで理解できなかったが、カディスノーラ卿――パトリックと言えば、ロメオにとって旧知の間柄であり、その心根の正しいことはよく知っている。
誠実で、物静かで、物知りで――そして、強い。
そんな彼と切磋琢磨してきた歴史が、今のロメオを形作っていることは間違いなく、そんな彼がリコル様を保護していると聞き、ほっとする。
しかし、それで、今、その少女はどこに、と尋ねると、もう彼女はパトリックと一緒にはいないのだという。
そこでまたロメオの胸に動揺が走った。
しかし冷静を装って詳しく聞けば、今、リコル様はパトリックの息子であるルルの家に滞在していると言うではないか。
あの闘技大会で恐ろしい技量を見せてくれたあの少年。
彼の家に。
ロメオはルルと面識はなかったが、一方的に顔と、その技は知っている。
ルルの力は凄まじく、自分が戦って勝てるのかどうか、断言できないほどで、しかもその性質については知らないのだ。
そんな彼とリコル様が一緒にいるというのは、果たして大丈夫なのだろうかと少し不安になる。
パトリックの息子だ。
おそらくは、しっかり育て、誠実な人間であるのだろうとは思いつつも、一抹の不安は実際に話してみなければ拭えない。
だから、ロメオは治安騎士団の者に話を聞いて、すぐにルルの家に向かったのだった。
ルルが、しっかりとリコル様を保護していることを願って。
◆◇◆◇◆
彼を初めて自分の目で見たときの印象をどう表現して良いものか、ロメオにはそれがわからない。
いや、色々な印象があり、それを個々に表現することは出来る。
しかしそうではなく、彼と言う人間を一言でどういえばいいのか、それがロメオには分からないのだ――
彼、つまりはルル=カディスノーラは、非常に不思議な少年だった。
年齢は十四歳であると彼の試合を一緒に観戦したときに聞いていたが、叩いた扉を開いて出てきたその少年の雰囲気は、なぜか十四の少年のものとは思えなかった。
自分や、自分の周りにいた者たちがかつて十四だった頃を想像してみれば、その奇妙さが際立つ。
十四、と言えば冒険者組合にも登録でき、一端の大人として扱われる年齢ではあるが、その本質的な部分は未だ大人より子供に寄っていて、話してみればその幼さというものはすぐに伝わってくるし、場合によっては会話などせずとも顔を見ただけでその若さ、幼さというものが理解できるものだ。
たとえば、ロメオのような立派な騎士鎧に身を包んだ壮年の男が突然家を訪ねてくれば、驚いて慌てるか、憧れの視線を向けて瞳をきらきらさせるか、そのどちらかしかないと言っていいくらいには単純で、分かりやすい年齢である。
けれど、今ロメオの目の前にいるルルは、そう言った一般的な十四の少年とは何もかもが違った。
気が急いていたからか、名乗らなかったロメオを冷静に観察し、騎士であることは理解したようだったが、それだけでは信用できなかったらしく、その身分をはっきりと述べる様に求め、ロメオがその求めに応えると頷き、恭しい態度で接してきた。
その仕草は洗練されていて、田舎貴族の息子がこういうとっさの場面で出来るようなものでもなく、また受け答えも丁寧で、話の振り方も失礼にならないだろうギリギリのところをうまくやっている。
相当の場数をこなしてなければ、自分よりも上位の貴族に対し、これほど自然に振る舞えるものではなく、ましてや年齢と出自を考えれば立派を通り越して奇妙ですらあった。
さらにそれだけではなく、ルルは初めにロメオに敵意を向けてきた。
普通の使い手なら理解も出来ないだろう、極めて微弱な、それでいて分かる者には分かるだろう――つまるところ達人同士の挨拶のようなものを。
地方の騎士団などに行くと、たまにそう言ったものを向けられることもあり、ロメオはすぐにそれと気づき、反応した。
けれど、まさかこんな少年がそんなものを向けてくるなどと言うことは予想外で、つい、手が腰のものに伸びそうになった。
それをルルはしっかりと見つめて、ロメオの腕が緊張を解き、武器に触れようとするのをやめたことを理解してから、彼はやっと警戒を解いたのだ。
強い、とは思っていたし、この年齢にして極めて高い能力を持っているとも思っていた。
けれど、こういった駆け引きについても熟練のものを持っているとは思っていなかった。
こういうものは、単純な強さ弱さの問題ではなく、熟練の経験によってのみ身に着くものだからだ。
力だけ誇る若者と言うのは少なからずいるが、そう言った技術についてまでも熟練のものだということが分かり、ロメオはルルに感嘆しきりだった。
そしてそんな、ロメオが驚かされっぱなしの挨拶が終わったところで、ルルはやっとロメオを家にいれても問題ないと理解したのか、中に招き入れた。
非常に雰囲気のいい家で、ロメオは先ほどまで感じていた緊張が少しずつ解れていくのを感じた。
さらに、リコル様が楽しげに遊んでいるのを見るに至って、肩の力は完全に抜けたのだった。
しかし、それでも戦士の本能は未だその場に警鐘を鳴らしていて、なぜなのだろうと思って観察してみれば、その場にいた二人の女性もまた侮れない実力者であると言うことに気づく。
たしか闘技大会に出ていて、未だに勝ち残っている二人だ。
見ていて、相当な手練れだと感じたのを思い出す。
そんな、ルルと同じくらいの年齢だろう銀髪の少女と、黒髪の少女。
今はさほど強い圧力は感じないが、強者特有の威圧感とでも呼べるべき何かが確かにそこにはあった。
「あ、ロメオー!」
何か自分は相当危険なものの巣に入り込んでしまったのではないか、と冷や汗が吹き出しかけたところで、リコル様の愛らしい、気の抜けた声が響いた。
少女二人はそれでやっとロメオに気づいたらしく、ふっとロメオに注目する。
――恐ろしい目だ。
ロメオは少女二人の視線に、そう思った。
銀髪の少女の目には、同じ生き物を見るような感覚が感じられなかった。
まるで、カエルや虫を見るかのような、無機質な感情がそこには宿っていて、刺されるような痛みを感じる。
怖い。
ロメオはただそう思った。
黒髪の少女の目からは、正反対のものを感じた。
それは、何もかもを見透かすような、まるでこの場で裸で立たされているような不安になっていくような視線だった。
何も悪いことなどしていないのだが、遥か人生を遡ってすべての罪を見られているかのような、そんな気持ちがするのだ。
なんだここは。
どういう場所なんだ。
なぜリコル様はこんなところでくつろいでいられる。
そんな疑問が浮かんでくる。
しかし、こちらに向かって走ってきて足元に抱き着いてきた白髪の少女は、首を傾げて言う。
「ロメオ。こわくないよ?」
まるでロメオの内心を見透かすような言葉。
いや、実際に彼女には分かっているのだろう。
大きく表情を変えていない彼のその顔の裏に、一体どんな感情の渦があるのかが。
リコル様はそういう存在だった。
色々なものを見通され、そして教えてくれる。
だから、この国において、彼女は――
そこまで考えて、ロメオはしゃがみ、リコル様に視線を合わせて小さな声で囁くように言った。
「……彼らは……その、」
大丈夫なのですか、とまでは聞けなかった。
けれどリコル様はロメオの言葉を正確に理解して、微笑みながら頷いた。
「だいじょうぶだよ。みんな、いい……ひと?」
なぜか最後に首を傾げる。
けれどともかく、これで彼らに怯えなくても良さそうだということが分かり、ロメオは安心する。
それから、ロメオはルルたちに言った。
「取り乱して申し訳ない……ずっと探していたので、感極まってしまって」
真実ではないが、その一端ではあるその言葉。
ルルはそれを嘘だとは思わなかったらしく、頷いて言った。
「いえ、構いませんよ。こう言っていいのか分かりませんが……リコルは、少し変わっていますから、心配される気持ちもなんとなくわかります」
その言葉に、ロメオはルルたちが彼女に振り回されたのだろうという事を理解し、微笑んだ。
彼女に関わる者は、大体が彼女の気まぐれに振り回される。
彼らのような、騎士団にもそうそういないような実力者たちですら、そのことから逃れられないのだという事を知り、なんだかロメオは深く安心していくのを感じた。
「ははは……そう言って頂くと、気持ちが楽になります」
会話も、今になって振り返ってみれば、普通である。
一体自分はなぜあれほど怯えたのか……。
確かに彼らは強そうだが、そういう人間は多々見ている。
彼等だけをそれほどおそれる理由など無いのだと、そう思う。
それから、リコル様を交えて、彼らと少しばかり雑談をした。
彼らの人柄を知りたいというのもあったが、闘技大会を見ていて、少しファンになってしまっていたというところもある。
だから、どうやってそこまで腕を磨いたのかとか、そういうことを訪ねた。
やはりパトリックに学んだ部分も多いようだが、グランやユーミスと言った、有名な特級冒険者に幼いころに見いだされたという話には男として心躍るものを感じた。
冒険、というのはそういうところから始まるのかもしれない、と年甲斐もなく。
自分もかつては地方騎士団から始めて、徐々に出世していったのだ。
若さには夢と可能性があると、彼らと楽しく会話ができ、満足し、それからそろそろとリコルと共に、その場をお暇したのだった。