第75話 夢現
「へぇ、中々いい家だね」
ルルたちの家に辿り着き、パトリックはその外観を見てまずそう呟いた。
瀟洒な、というほどでもないが手入れの行き届いていてすっきりとした一軒家はパトリックの目にも好意的に映ったようだ。
一緒に来た白髪の少女リコルも、その瞳の色からなんとなく気に入っているような様子が見て取れた。
それから四人で家に入った。
キキョウは試合が終わった後、シフォンに臨時に手伝いに来てほしいと頼まれて酒場にフウカと共にバイトに行ってしまった。
本選となると、さらにその忙しさは増しているらしく、猫の手ならぬ犬の手も借りたい状態になってしまっているらしい。
とは言え、犬の手の方がキキョウより優秀なのも面白い話だ。
実際はフウカが妙に優秀すぎるだけでキキョウも最近はまぁまぁ慣れて働いているのだが。
家の中に入ると、イリスがパトリックの外套や荷物などを受け取り、荷物置き場に移した。
それから部屋の奥――キッチンに歩いて行く。
お茶でもいれるつもりなのだろう。
では、自分がやるかとルルはパトリックとリコルを連れて家のリビングへと案内した。
リビングには始めからほとんどの家具が置いてあり、テーブルセットも存在していて、しかも六人掛けのものがあったので、急に誰かが来ても問題なく座れる。
それ以上の人数が来ても家の奥にまだテーブルとイスがあるので、十人くらいまでなら何とかなるほどだ。
部屋、というか家自体が結構広いからそれでも窮屈にならないこの家屋は、やはり良いものなのだろう。
パトリックはきょろきょろと家の中を見て言う。
「本当に良い家だね……王都でこれだけの大きさとなると、たとえ多少郊外でも結構値が張るものなんだけど」
もし自分で買ったり借りたりしたならそうなることだろう。
けれどこの家はそもそもユーミスの持ち家である。
氏族で色々あったがゆえに、ただで借り受けているもので、税金すらもユーミスが支払っているものだからただで住めているのだ。
その辺の詳しい事情をパトリックに説明すると、
「それはまた……こんな家を借りられたんだから良かったんだろうけど……大変だったね」
と言われた。
大変と言えば大変だったが、楽しかったと言えば楽しかった。
何の義務もなく、ただ好きなように暮らせる、というのはそれだけでルルにとって楽しいことだ。
遥か昔――魔王だったころは、そんなことが出来なかったから。
とは言え、それはパトリックには言っていないことだ。
実の親を契約魔術にかけるのもおかしな話だし、申し訳ない気もするから、今のところ話そうとは思わない。
いつか言うこともあるかもしれないが、今はまだいい。
もしかしたら一生言わないかもしれないが、言っても言わなくてもパトリックとの間には実の親子と言う絆がある。
遥か昔の想い出を彼に語ることに、それほどの意味を見いだせないと言うのもあった。
そんなことを考えていると、イリスが香ばしい匂いをさせて、キッチンから紅茶とお菓子をトレイに載せてやってきた。
「お口に合うかどうかわかりませんが、どうぞ」
そう言って、紅茶とお菓子を一人一人に配膳していく。
イリスはそう言うが、まずい、ということはないだろうとルルは確信していた。
料理もそうだが、お茶や菓子作りもイリスの趣味の一つとなっている。
その腕前は、たまにシフォンの手ほどきも受けていることもあってか、王都に来てからもどんどん上がり続けているのだ。
お茶の葉にしても、厳選に厳選を重ねて、シフォンと共に様々なブレンドまで自らの手でやり始めているくらいであるから、これもまたまずいはずがない。
実際、紅茶を口にしたパトリックも、そしてリコルも香りを嗅ぎ、それから口に運ぶと同時に目を見開いて、息を吐いたくらいである。
「……美味しいね、これ。どこで買ったんだい?」
とパトリックが言い、
「もりのにおいがする……」
と言って微笑んだ。
どちらも褒めている、と解釈していい言葉だろう。
賞賛に気を良くしたイリスはしきりにお菓子も薦め、それもまた二人は気に入ったらしく、美味しそうに食べてくれたのだった。
それからしばらくの間、雑談をした。
まずは、本来ならここで紹介すべきだった少女について。
「そうそう、そう言えばここには俺達だけじゃなくて、もう一人住んでいるんだ。本当だったら父さんにも紹介したかったんだけど、今日はまだ帰ってないみたいだから、多分夜中まで仕事だろう」
ルルがそう言うと、パトリックが首を傾げる。
「仕事って言うと、君たちと一緒に住んでいることから予想すると、冒険者なのかな?」
「いや、そいつは酒場でバイトしてるよ。キキョウって言うんだけど……」
すると、パトリックはあぁ、と頷いて、
「それってもしかして、闘技大会に出てた不思議な服装の子かい?」
「そう、それだよ」
「なるほどねぇ……今日の試合は僕も見ていたよ。あれは凄かった。ヒメロスは僕も知っているが、そう簡単にやられる剣士じゃないってことは分かってる。それなのに、あの試合の決着の仕方。不思議なものを感じたね」
「それは俺もだ。俺の知らない魔術を使ったんだろう、と思うんだが……なんだろうな。良くは分からなかった」
「君でもか……となると、イリスも分からないかい?」
パトリックはそう言って話を振る。
カディス村において、イリスはユーミスと高度な魔術理論について議論していたこともあって、パトリックからするとイリスは魔術の専門家、と呼べる存在なのだ。
パトリック自身も魔術について詳しくないというわけではないが、その本質は剣士であり、高度な知識を持つ魔術師と比べればそれほどでもない。
剣士にとって、魔力を扱う技法はあくまでも魔力循環による身体強化が主であり、それ以外については対処法を考えるために効果を知っていればそれでいい、という認識であることが普通だからだ。
イリスはパトリックの質問に少し考えるも、答えは出なかったようである。
「いえ、私にもわかりません。実はキキョウさんは少々変わった出自の方ですので、特殊な系統の魔術を覚えておられても不思議ではないのです。ですから、この国の魔術師には分からない技術を持っていてもおかしくはなく、おそらくそう言ったものをお使いになられたのではないか、とは考えているのですが……」
おそらくはそうだ、としか言えないくらいに、キキョウのあの魔術らしきものは異質だった。
少なくとも、ルルもイリスも見たことは無かった。
もっと至近距離から見れば、何か糸口くらいは掴めたかもしれないが、結界越しで、かつ観客席とステージと言う遠距離ではわかるものもわからない。
その程度の理解が限界だった。
「ふむ……まぁ、それはいいか。戦う者にとって、手の内はあまり晒さない方が得なのは間違いない。キキョウという少女にどんな魔術を使ったのか、と聞いても応えてくれないだろう。闘技大会で自分の手札全てを晒すものは実力が上がっていくにつれ、減っていくものだしね。そんなものだろう」
そう言って、パトリックは頷いたのだった。
しかし、そこで小さい声でリコルが言った。
「あれは、びっくりした」
その言葉に、ルルは首を傾げて尋ねる。
「リコルもキキョウの試合、見てたのか?」
白髪の少女は、その青色の瞳を瞬いて、こっくりと頷き、
「うん。わたし、あのひと、すき」
と言って再度、紅茶を飲み始めた。
お菓子もよく食べて、両方をお代わりする辺り、なんだかどこかの少女を彷彿とさせる。
もしかしてキキョウとこの少女は気が合うのかもしれないな、と思った。
それからパトリックはしばらく雑談をして、そろそろ戻らないと明日の任務に障るかもしれないと立ち上がった。
なんでも明日はパトリックも一隊を率いて治安騎士業務を手伝う必要があるらしい。
「宮仕えなんてこんなもんさ」
そう言いながら、明日の朝、早起きをしなければならないことを嘆きつつ、イリスから特別にブレンドされた眠気覚ましの紅茶を分けてもらって嬉しそうにしていたパトリックは、
「じゃあ、また来るよ。あと、その娘――リコルのこともよろしくね。押し付けるようで本当に申し訳ないんだけど。今日は紅茶も頂いてしまったし、何かとしてもらってばかりで……今度必ずお礼はするよ」
そう言って騎士団宿舎に帰っていったのだった。
リコルはそんなパトリックに妙に懐いたらしく、家の外に出てまで見送り、手を振って、
「ばいばい」
と言って微笑んでいた。
なんだか全体的に不思議な雰囲気を纏った少女であるが、その性質は温かいものであるのだろうということがそれだけで分かる。
こんな少女がずっと迷子でいるのは可哀想で、出来れば早く迎えが来ることを祈って、家の中に戻ったのだった。
◆◇◆◇◆
キキョウが帰ってきたのは案の定、かなり遅くなってからだったが、それでも夜中、というほどの時間帯でもなかった。
シフォンが臨時に来てもらったキキョウとフウカに真夜中まで働かせるのに気が引けたらしく、明日も試合があるだろうから、と言って早目に返してくれたらしい。
しかしそれでも一人と一匹を呼ばざるを得なかった酒場の忙しさを想像すると、大丈夫なのかと心配になってくる。
キキョウもそのことをしきりに心配していて、
「私、帰ってきてよかったんですかねぇ……?」
と言っていた。
けれどリコルを見て、
「はっ、な、なんですか、この可愛い娘は! 私にプレゼント!?」
などと妙なことを口走り始め、それからずっと一緒に遊んだり話したりし始めて、今ではもうすっかり仲良くなってしまった。
結局寝室も一緒にする、ということになり、キキョウとリコルは二人そろって「おやすみ」と言って、同じ部屋に向かったのだった。
色々あった一日もこれで終わりか。
そう思いながら、ルルもイリスに就寝の挨拶をして、自室に向かう。
ベッドの上で柔らかい毛布に包まれながら、明日も必ず勝とうと、病気の少女のことを思いながら眠ったのだった。
◆◇◆◇◆
魔王の仕事と言うのは、激務だ。
毎日が地獄のように忙しいと言ってもよく、なぜ自分がこんな役回りをしなければならないのだろうと思う事も少なくは無かった。
けれど、これは自分の役割であり、自分しか出来ないことだと言う自負もあった。
だから魔王ルルスリア=ノルドは、そんな忙しい日々であっても、決して腐ることなく完璧に過ごすことが出来ていた。
とは言っても、たまにさぼりたくなることもない訳ではない。
別に一日中さぼるわけではないのだ、ちょっとほんの数十分、いや数時間自分が抜けても、どこかの誰かがなんとか代わりに繋いでくれることだろうと思いながら、執務室を抜け出して、視察と言う名のお遊びに出向くこともしばしばある。
その日は、まさにそう言った魔王の気まぐれが働く日であった。
向かうべき場所は、とくに決まってはいなかった。
ただ、魔王とて、あまり遠くに行くと、別の意味で心配されるという事は分かっている。
ただのサボりを「魔王様が打ち取られた!?」とか「魔王様が誘拐された!?」などと騒がれては困ってしまうし、後々、酷く恥ずかしい思いをすることになってしまう。
そんな訳にはいかず、そういう声が聞こえ始めたら何食わぬ顔で、「え、我、ここにおるよ?」と言った顔つきで出ていけるような、近所をうろうろしようと、そう思っていた。
そんな魔王の需要に最も合致する場所は、広大な魔王城には少なからずあり、今日はそんな中の一つ、ミュトスの研究所に向かうことにした。
いくつもの管やよく分からない魔導機械が所狭しと置かれている部屋の中で、怪しげな雰囲気を纏った老人が忙しそうに働いていた。
幾人もの助手と思しき白衣を纏った魔族たちも数人いて、彼らに対し、その老人――ミュトスは、事細かに指示を出している。
そんな中、突然現れた彼らの主人たる魔王にミュトスとその助手たちは気づくと、恭しく頭を下げ、
「こんなむさくるしいところにおいでくださいまして……」
と、堅苦しい挨拶をし始めようとしたので、魔王は掌を前に差し出してやめさせる。
そう言った扱いは公式の場においてのみで十分であり、そしてこの場において、魔王には気になるものがあり、それに関する質問を早くしたいがために挨拶など後回しにしたかったからだ。
「よい……それより、これはなんだ?」
ちらり、と魔王は目についたそれを見つめて、ミュトスに尋ねる。
白衣の助手たちが後ろに下がって控えているのは、魔王と直接言葉を交わせるほどの地位にはない、と認識しているからだろう。
魔王としてはそんな決まりを作った覚えはないが、自然に魔王から噴き出る魔力や威圧が、助手たちを自然にそのような態度にさせていることを彼は気づいていない。
ミュトスが平気なのは、彼が魔王の魔術の師であり、また彼自身も強大な魔力を持つ魔導師であるためだ。
何の緊張も宿らない声で、ミュトスは長く白い顎鬚を撫でながら、好々爺然とした口調で語る。
魔王と、ミュトスの前には、人ひとりが入る筒状のガラス管があった。
中には淡く発光する薄緑色の液体と、少女、と思しき裸の生き物が浮いているのが見える。
ガラス管の上部と下部には、複雑な機構を備えた魔導機械が取り付けられていて、少女を何らかの方法で管理していることが見て取れた。
「こちら、ですか? これは人造生命体でございますよ」
ミュトスの言葉に、魔王は首を傾げ、
「……自動人形とは違うのか?」
その言葉にミュトスは首を振り、
「違いますな……自動人形は魂を持ちませぬゆえ……人造生命体は、全てを人の手で作り出しながら、魂をも持つ存在として定義されるものです」
魔王はミュトスの言葉に驚く。
魂、と言うものが存在している、ということは証明されていない。
魔族の信仰であり、誰もが信じているものではあるが、こうやって魔導機械を使って再現が出来るようなところまで来てはいないはずだ。
そんな魔王の気持ちをくみ取ったのか、ミュトスは笑って言った。
「もちろん、儂とて魂など作れはしませぬ……観測すらできませぬ。ただ、挑戦はしてみようと思いましてな。色々問題はありますが、ここにおる人造生命体には魂が宿るだろうと確信しております」
つまり仕事でなく趣味でやっている訳だ。
物好きなことだが、それは確かに魔族の強い興味を引く研究である。
魔王とて、止めようとは思わなかった。
予算の問題があるが、まぁどうにかしようと思えるくらいには。
しかし、疑問はあった。
仮に人造生命体とやらが稼働したとして、その魂の有無はどうなるのだろうかという疑問が。
だから魔王はミュトスに尋ねる。
「だとしても、それをどうやって判別するのだ。魂の有無など……」
そこが大きな問題のはずだ。
自律的行動をする自動人形が作れる以上、この人造生命体が自律的に行動したとしても、それを魂が宿っている、などと言うことは出来ない。
ミュトスもそこには多大なる問題を感じているようで、少し眉を寄せるが、おどけるような声で言った。
「さて……創造主たる儂に、自ら反抗したそのときに魂の有無を認めてもいいのではないですかのう」
確かに、それは自動人形には出来ないことだ。
彼らは命令に忠実に動く。
逆らうことは、できない。
もちろん、はじめから逆らうように命令していれば別であるが、命令されて逆らったかそうでないかの区別くらいは出来るだろう。
魔王はミュトスの言葉に納得して頷く。
「では、その日を楽しみにしていようではないか」
ミュトスは、
「ありがたき幸せにございます。……さて、魔王陛下。そろそろお仕事にお戻りになっては? 先ほどから近衛の声が城内に響き渡っておりますぞ」
どうやら、彼には全てお見通しだったようだ。
魔王はかつての教育係に頷いて、それから自らの職場に戻ったのだった。
◆◇◆◇◆
懐かしい頃の夢に、目を開いた。
すると、驚くべきことに目の前に、夜の月の光に輝く白髪と、蒼い瞳があった。
「……リコル?」
ルルが首を傾げると、彼女は言った。
「ゆめを、みたの?」
眠っていたからそう考えたのだろうか。
ルルは頷く。
「あぁ……昔の夢をな」
「そっか。ゆめは、よかんだよ」
「予感? 何の?」
「きっと、くる……」
尋ねたのに、リコルは答えてくれなかった。
それから、どうしてなのか急激に眠くなってきたルルは瞼を閉じる。
眠気に、抗えない。
それから、はっと目覚めると、窓からは太陽の光が差し込んでいた。
「……夢、か?」
首を傾げたルル。
しばらくぼうっとしていると、部屋にノックの音が響き、イリスの声が聞こえた。
「お兄さま、そろそろ起きられた方が……」
ルルはその言葉に、確かに、と納得して体を起こした。
そのときにはもう、夢の内容も、リコルのこともルルの頭から消えていた。
新しい一日が始まる。
そんな気持ちだけが、胸の中で鼓動していた。




