第70話 変化
「魔術剣の次は……っと、これはどうじゃな。……『我は根源に望む、この身に宿る古代の記憶を引出し、顕現させんことを――部分竜化』!」
ウヴェズドが不敵に笑って唱えたその魔術に、ルルは驚愕に目を見開く。
なぜならその魔術は、過去ミュトスが研究し、そしてとうとう完成させることが出来ずに終わった魔術だったからだ。
ウヴェズドの体から噴き出た魔力はそのまま凝縮し、そして彼の体を包んでいく。
バチバチとした稲妻が彼の体の上を縦横無尽に走り、そして徐々に彼の体を変化させていく。
しかし体全体が変わっている、という訳ではないようであった。
両腕と、そして首から口元に係る部分、それに瞳も変化しているようだが、その他の部分は人のままだ。
そうして、しばらくすると、――とは言っても、観客からすれば一瞬で――その肉体を人とは別のものへと変化させたウヴェズドがそこに立っていた。
瞳は爬虫類の如く瞳孔が細長く縦に伸び、両手と首筋には堅そうな鱗が張り巡らされ、手には鋭く長い爪が、さらには口からはちろちろと長い舌が伸びている。
どう見ても、ウヴェズドの体はその一部を、竜へと変じていた。
「……なんだその魔術は」
ルルが驚きと好奇心の両方が宿った声でそう尋ねると、ウヴェズドは答える。
「その反応は、この魔術の事は主も知らないのじゃな? はっはっは。やっと驚かせることが出来たのう」
「いや、知らない、というわけじゃないが……少なくとも未完成だったはずだと思ってな。どうやって……」
ルルのその台詞に今度はウヴェズドの方が驚いて、しかし楽しそうに言った。
「なんと! こんなものまで知っておったとは……本当に同好の士というものは探せばいるものよ。……どうやって、という質問じゃったな。そんなにややこしい話じゃないぞ。ただ、書物からこういった魔術についての研究が記載してあったでのう。それを自分なりに突き詰めてみただけじゃ」
つまりは魔術剣と同じ、という事らしい。
しかし魔術剣はあくまで魔術としては完成していたのだ。
ウヴェズドの見せたこれは……。
いや、ルルは確かに知らないが、それはあの時点でミュトスは完成させていなかっただけかもしれない。
あの後、彼はこの魔術を完成させ、そして書物なりなんなりに残した、ということだろうか。
それなら、ありえそうだ。
それにしても、問題はこの魔術がどの程度強力なのか、ということである。
詠唱と現実の魔術の作用を見る限り、部分的に竜へと変じる魔術なのだという事は分かるが、どこまで竜に近づいているのかが問題だ。
もし、本当に竜と同じ存在になってしまっている、と言うのならばそれは恐るべき話である。
竜の鱗は武器に対しても魔術に対しても高い抵抗力を持っているからだ。
並の魔術も剣も通らない、ということにほかならず、しかも――
「では、行くぞ!」
そう言って向かってきたウヴェズドの速度は先ほどよりも更に早い。
どうやら外見だけでなく体の中身それ自体も竜に近いものへと変わっているらしい。
さらには、いつの間にか目の前にまで来ていたウヴェズドがその口を人族の体からすれば不自然なほど大きく、ぱかりと開いた。
その瞬間、ルルには周囲の魔素がウヴェズドの喉に集約されていくのが感じられた。
「……おいおい!」
言いながら、ウヴェズドの喉が光と熱を帯び、カッ、と光った。
竜の固有技能である吐息である。
竜がその喉に持つ特殊な器官に魔素を集め、それをエネルギーにして放たれる一撃必殺の固有技能であり、魔術とは異なるためルルをもってしてすらその発動を防ぐことは出来ない。
したがって、避けるか障壁を張って対応するしかないのであるが、障壁を張るほどの時間をウヴェズドは与えてはくれなかった。
しかたなくルルは吐息の放たれる方向を予測し、飛んでこないであろうと思われる場所に飛ぶ。
結果としてその賭けは成功し、ウヴェズドの吐息は明後日の方向に放たれることになったが、目標を失ったそれは客席に向かって飛んでいくこととなった。
勿論、闘技場のステージと客席との間には古族の絶対障壁があり、特級クラスの放つ魔術であっても問題なく防ぎきれる――と言うのが、大会運営の今大会における謳い文句であったはずだ。
したがって、観客達は、突然飛んできたその黄金の光を放つ吐息にびくり、と身体をこわばらせるも、間違いなく自分の下へはあの攻撃は飛んでこないと瞬間的に心の中で考えた。
そして、ウヴェズドの吐息は古族の拵えた絶対障壁に命中し、バリバリとした巨大で耳触りな音を闘技場全体に響かせる。
ルルを狙って会場全体にまき散らされる吐息の光は、一瞬、闘技場を光と爆音の渦の中に放り込んだ。
観客もその音と光、そしてそんな現象を生じさせたウヴェズドの恐るべき魔術に歓声を浴びせたが、数瞬の後、彼らは異常に気付く。
ぴしり、ぴしりと絶対障壁にひびが入り始めているのだ。
絶対障壁に向かってまき散らされ続けたウヴェズドの吐息のエネルギーはそれほどまでに強大なものなのか。
絶対障壁が、ウヴェズドの放つ吐息に負け始めているのか。
もしかしたら、このままでは――。
そう思って、大きな危機感を感じる観客達。
しかし、そう思った瞬間、絶対障壁は一瞬大きくたわんで、その罅を完全に修復した。
ウヴェズドの吐息も徐々に減衰していき、そして消滅する。
その瞬間、観客達はやはり絶対障壁の防御力は素晴らしいと感心したのであるが、ウヴェズドは少し不満そうな顔をしていた。
「障壁をぶっ壊すつもりだったのか、爺さん」
ルルが剣をウヴェズドに向けて振りながら、一通り、吐息を吐き終わったウヴェズドにそう尋ねると、ルルの剣を腕の鱗を盾として扱い受け流したウヴェズドは笑って言った。
「特級クラスの力であっても壊せない、などと言われると壊してみたくなるのが人情と言うもんじゃろ。いいところまで行ったと思ったんじゃがのう……罅が限界じゃった。再調整されてしまったような雰囲気じゃし、もう壊すのは無理じゃろ。あとは主との戦いを楽しむことにしよう……」
そう言って襲い掛かってくるウヴェズドの爪は鋭い。
身を翻して避ければステージはまるで名刀で切られたかのように縦の線が入り、遠ざかろうと地面を蹴ってもしつこく爪が伸びて追いかけてくるのだ。
「……老人にあんまり長く戦わせるのも性分じゃないんでな。切り札は全部出しきったか? そろそろ俺からも行かせてもらうぞ」
「ほほっ、それは面白い……少なくともこの儂を老人扱いして勝った奴はおらんぞ。来るがいい」
挑発するように竜の爪を立て、掌を上に向けて手招きするウヴェズド。
先ほどから持っている杖は全く使わず拳で来る辺り、本来は拳術の方が得意なのかもしれない。
放っておけば尽きることなく多彩な魔術や技が繰り出されるだろうことを予感させるこの老人に、これ以上付き合うのはあまりよろしくないと判断したルルは、そろそろ試合を終わらせるべく方策を巡らせる。
そして、どう詰めるか決めたルルは、地面を蹴って、ウヴェズドに向かっていく。
剣には強く魔力を通し、魔術を構成しながらウヴェズドの鱗に覆われていない部分を狙う。
しかし瞳が竜になっているからか、その視力、それに反射神経は人を凌駕するものがあるらしい。
ルルの狙いを正確に掴み、防御すべく腕を動かす。
剣は幾度振ってもその鱗に阻まれ、中々ダメージを負わせることが出来ない。
ウヴェズドも、竜化した自分の身体能力に絶対の自信を持っているのだろう。
竜の身体能力と、人の技術を持ち合わせたこの存在にそう簡単に対抗できるとは思えない。
ただ、どこまで行っても、ウヴェズドの本質は結局のところ人の魔術師なのである。
そのことをよく理解しているルルは、とうとう勝負に出た。
体に通した魔力の動きを操り、本来なら既につけられた動きの勢いに乗るしかないところを、無理やり方向転換してウヴェズドの背後に回る。
魔術師の身体強化魔術では出来ない、戦士の技術のみが可能とする高度な魔力運用技術である。
ウヴェズドもそれを知らなかったわけではないだろうが、無意識なところでルルの本質を魔術師であると考えていたためか、一瞬反応が遅れた。
「これで終わりだ、爺さん」
そう言うが早いか、振り抜かれたルルの剣は、ウヴェズドの鱗に包まれていない部分である背中を正確に切り裂く。
無防備なその背中への攻撃は、ウヴェズドの体力を奪い、そしてその片膝を地面につかせた。
「……ぬかったか……」
うめくようにそう言ったウヴェズド。
しかし、いかに膨大な魔力を持っているとはいえ、魔術剣を使用し、さらに長時間、竜化し、さらには吐息まで放って戦い続けたウヴェズドにもはや魔力も体力も残ってはいなかった。
つまり、そこが彼の限界だったらしく、ウヴェズドはそのまま地面に倒れる。
ウヴェズドの竜化が徐々に解けていき、もとの老人の姿に戻ったとき、
「勝者、ルル選手!」
とのアナウンスが闘技場に鳴り響く。
そして、その瞬間、ルルに向かって巨大な歓声が巻き起こったのだった。
◆◇◆◇◆
ルルとウヴェズドの戦いの最中、闘技場の裏では古族たちが技術的な戦いを強いられていた。
今は試合が終わり、なんとか乗りきって息も絶え絶えの様子であり、その戦いの過酷さが理解できる。
疲れ切っている古族たちの大半は比較的若い者たちばかりだが、一人だけ老齢の者がおり、開会式を見た者なら、それが古族の族長の一人であるロットス長老であることが分かることだろう。
疲労困憊の様子で闘技場内の壁を背もたれにしながら、次の試合までに少しばかりの休憩をとっている若い古族の一人が、ロットスに言う。
「ロットスさま……先ほどの試合、凄まじかったですね……」
それは、絶対障壁に罅を入れかけたあの一撃を念頭に置いての台詞だっただろう。
しかし、ロットスからすれば、初めにあの二人がほとんど同時に使用した魔術剣も並大抵のものではなかったということは明らかで、もし絶対障壁に直接ぶつけられていたら危険だった、と感じていた。
そしてあんな魔術師は人族でなく古族であってもかなり数少ない存在であり、古族の手練れ数人を思い浮かべても容易に勝てる存在ではないとも。
なので、ロットスは若い古族に言う。
「あれは例外中の例外じゃろうからな……あんなのが人族に何人もいれば古族の絶対障壁はとっくの昔に奪われておるわ」
「そうですか……いや、そうでしょうね……。けれど、結局は守り切れたわけですし、森に籠っていることくらいは出来るでしょう」
ウヴェズドの吐息は確かに絶対障壁に罅を入れたが、あくまでそれは低出力の状態でのことであり、様子を見て出力を途中で変えた結果、何の問題もなく防ぎ切ったという部分に若い古族は自信を持ったようだ。
言わんとすることはロットスにも分からないでもない。
ただ、なぜ低出力状態を基本にしていたか、ということについて考えていないのは問題だろう。
「ずっと高出力のままじゃとどうしても装置が焼き切れてしまうからのう……そう簡単に量産できるものでもない。本国の装置であればそれほど心配は要らないかもしれぬが、あまり無茶はさせられん……。今回の闘技大会が終わる前に壊れてもらっても困るのじゃ。その辺り、しっかり調整せよ」
今回、古族たちが持ってきた絶対障壁を作り出す装置は、いわば携帯用の簡易のものだ。
とは言っても、簡単に量産が利くものでもなく、貴重であるのは間違いない。
そして本国のものよりも性能は低く、あまり負荷をかけると壊れてしまうようなものなのだ。
その辺りについての情報は基本的に機密であることから、古族はそれほど詳しく大会運営に説明していないため、決勝が終わる前に壊れてもらっては困るのだ。
もし壊れたら、古族の絶対障壁はその程度のものである、と思われ、本国に攻め入られる可能性まで生んでしまうかもしれない。
そう言った配慮をしなければならないことが、今まで古族が外部に障壁の技術を供与しようとしてこなかった理由の一つでもあるので、余計に今回のスタッフの責任は重い。
若い古族はそう言ったロットスの思いをくみ取ってうなずき、装置の調整に入った。
幸い、先ほどかかった負荷はそれほどではなく、充填されている魔力もまだ十分に余剰がある。
それを確認した若い古族はロットスに言った。
「分かりました。頑張ります……長老も、お疲れの出ませんように」
それは、闘技大会の裏で様々な種族の者たちと交友を持つべく歩き回っているロットスの体を気遣っての言葉だった。
そうしてロットスはそれに頷くと、その場を去っていったのだった。