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第68話 疑いは晴れて

「おいしゅうございますわ、陛下」


 花がほころぶような、とはこういう微笑みに感動した詩人がそう言ったのだろう、と思わずにいられない。

 聖女シャルロットの浮かべた微笑みはまさにそういう、その場にいる全ての者に、幸福と温かさを分けてくれるような、そんなものだった。

 これだけの微笑みをこの世に現出させることができたのである。

 彼女の口に運ばれた菓子や紅茶もきっと満足することだろう。


 そんな聖女に、国王グリフィズは王者らしい鷹揚な笑みを向けて言う。


「そうかならば良かった。アイアスも、噂の聖女殿にこれほどに喜んでいただければ、満足であろう。……そうだな、アイアス?」


 振り返って、給仕に徹して無言を貫いていた巨漢の騎士に国王はそう言って確認する。

 アイアスはそんな国王の言葉に僅かに一言、


「御意にございます」


 とその容姿と実に合致した重く低い声で応じた。

 本当にこの人物が目の前の非常に精緻な細工のなされた菓子を作り、小さな茶器に紅茶を丁寧に注いだのかと疑問に思ってしまうが、そんなことに嘘をつく意味など無く、やはりそれは事実なのだろう。


「それは重畳……さて、いつまでも雑談している訳にもいかないな。シャルロット殿もお忙しいだろう。そろそろ貴女をここにお呼びした理由についてのお話に入ろうと思うが、よろしいかな」


 そして、国王はとうとう話を本題へと移した。

 聖女としてもその点に異論はないようだが、ただ、忙しい、という部分については否定した。


「国王陛下の為ならば、いくらでも時間はお割きしますわ。……あえて申し上げますと、闘技大会の様子が少し気になりますが……」


「ほう、ちなみにだが、シャルロット殿は贔屓の選手はいらっしゃるかな?」


「えぇ……ルル、という選手が。ちょうど今、戦っておられますあの若い選手ですわ」


 聖女の言葉に、国王はなるほどとうなずき、背後にいる近衛騎士たちに尋ねた。


「ふむ……儂もあのルルという冒険者には注目しておるよ。ただ、儂は武術についてはあくまで素人なのでな。アイアス……それにロメオよ。お主らの目から見て、あの少年の実力はいかほどなのだ?」


 国王に尋ねられた騎士たちは背筋を伸ばし、そしてそれぞれが答える。

 まずはアイアスがその野太い声でもって、


「は……あの少年は剣技も魔術も一流と言っていいものと思われます。冒険者である、ということですが、機会があれば一度剣を合わせてみたいと思わせるほどです」


「ほう……それほどか。ロメオ、お前はどう思う?」


 女性と見まごうばかりの端正な顔立ちをした金髪の美剣士は、国王の言葉に、透き通るような声で答える。


「は……私もアイアスと同様に、あの少年は恐るべき力を持っているものと考えます。アイアスは剣を合わせてみたい、と申し上げましたが、私としてはそのようなことに陥るのは避けたいと。むしろ、機会があり、その心根に間違ったところがなければ近衛騎士に推挙したいと思ってしまうほどです」


 この二人の評価は、レナード王国においてほとんど最上位の剣士二人にその実力を認められたという事であり、他の人間がこれを聞いたならばルルのことを尊敬と羨望の眼差しで見たことは間違いない。

 ただ、この場にいる人間は残念なことに五人しかおらず、さらにそのうち二人は国王と聖女であり、その頭の中身は一般的な価値観を超越しているところがあった。

 この場においてたった一人の一般人であるノンノは、近衛騎士団長、副団長に認められた冒険者であるルル、という少年は一体どういうものなのか、と誰かに大声で尋ねたいと思ったが、それが出来る相手も、またその感覚を分かち合える相手もここにはいなさそうであることを悟ると、出来るだけ表情を変えないように、この場においては空気に徹しようと色々諦めたのだった。


 対して、国王はロメオの言葉にもなるほど、と小さく頷いた程度で、それほどの衝撃は受けていないようである。

 聖女も微笑んでいるばかりで、分かりやすい驚きと言うのはその表情には浮かんでいなかった。

 国王はそんな聖女に和やかに言う。


「この二人がこれほど言うのだ。シャルロット殿の目利きは確かなようだな……」


「いえ、そんな……」


「その目利きでもって、あの黒服の少年たちをどこかから見出されたのか?」


 突然切り出されたその話題に、ノンノは首を傾げた。

 黒服の少年、とはなんなのだろうと。

 しかし、国王の語気も態度も、一瞬前までとは異なり、なぜか強烈な圧力に満ちていてその眼光は鋭く強い。

 何かがこの国王の不興を買ってしまっているということは間違いなく、しかしノンノにはそれがなんなのか分からなかった。

 しかし国王は困惑を浮かべているノンノなどよりも、聖女の方が気になるようである。

 その瞳から放たれる強い光は聖女に向けられており、まるで聖女のことを責めたてているようにも感じられる。

 なぜなのだろう。

 聖女は、聖女様は、国王陛下に何かをするような方ではないと言うのに。


 困惑しているノンノは、横から聖女の顔を見つめた。

 彼女の表情を見れば、何かが分かるのではないか、と思ったからだ。


 そしてノンノの目に入ったその美しい横顔は、国王の鋭い視線を受けて、微動だにしていなかった。


 聖女の表情は、先ほどとまるで変わらない。

 柔らかで、慈愛に満ちた微笑みを僅かに浮かべているだけで、国王の視線からも何らの圧力も感じていないようである。

 そして聖女は言葉を待っていた国王に、ゆっくりと言った。


「――はて、一体何のお話をされているのか、分かりかねます」


 と。

 国王の言う黒服の少年、と言うのが何を指すのかはノンノにはまったく理解できなかったが、それは聖女も同じだったようである。

 不思議そうに首を傾げて、国王に質問する。


「何か、その……黒服の少年、と言うのが陛下にされたのでしょうか?」


 国王は言葉を発する聖女の目をしばらく、不躾と言ってもいいほどに見つめていたが、突然ふっとその視線から力を抜くと、紅茶に少しだけ口をつけて言った。


「ふむ……本当に知らないのだな?」


「と、言われましても……何を、知らないのかすらわかりかねますので……」


 そんな聖女の態度に国王も納得したのか、元の、初めに見せていた鷹揚な顔に戻って言った。


「そうか。ならばいい。実はな、つい先日のことなのだが、我が国において冒険者の大量失踪事件というものが起こったのだ。その首謀者を今探しているところなのだが……」


「それが私であると?」


「いや、その疑いは今晴れた。正直手当たり次第の部分があってな……聖女殿以外にもここに国賓の方々を呼びつけては鎌をかけたりしているのだよ。まぁ、どれも空振りに終わっている。シャルロッテ殿にも不快な思いをさせたな。申し訳ない」


 そう言って国王は頭を下げた。

 聖女はそんな国王の姿に慌て、手と首を大げさに振って言う。


「いいえ、いいえ! そんな大事件が起こっていたなど、存じ上げずに……。そんな事態なのに闘技大会の観戦にかまけていた自分が恥ずかしく思えてくるくらいです」


「いや、これは我が国の防衛の問題だからな。聖女殿が気にされることではない。それに、闘技大会を楽しんでいただけているならそれは我が国を楽しんでいただけていることと同義だ。恥ずるべきは我々であって、貴女ではない……さて、お時間をとらせて申し訳なかった。実のところ、話はこれだけなのだ。結果として、ただ無為に時間を浪費させただけとなってしまったが、聖女殿にはお国に帰られるそのときまで、闘技大会を、そして我が国をお楽しみいただければと思う」


 そう言って、国王は話を締めた。

 本当に用事とはただそれだけであったらしく、不当な疑いをかけたと国王はしきりに聖女に謝っていた。

 聖女もそこまでされなくても構わない、国のことを大切に思う気持ちは誰しも持っているもので、それをこういう形で見れたことはむしろありがたいことですらあった、と言って謝罪を受け入れた。

 それから聖女とノンノは、お土産、と言われてアイアスが焼いたと言う例の菓子まで持たされ、丁重に返されたのだった。


 聖女に与えられた特別観戦室へ帰りしな、ノンノは聖女に言った。


「なんだか、随分と大変な事件が起こっていたのですね。私、まったく知りませんでした……」


 ノンノの率直な感想に聖女も首を縦に振る。

 その表情には悲しみが宿り、そんな事件が闘技大会と言う楽しいイベントの裏で起こっていたことを憂いているようである。


わたくしもです。まさか、大量失踪事件など……恐ろしいことですが、みなさん無事だといいですわね……」


 自分がそのような事件に巻き込まれる可能性よりも、失踪した者たちの無事をまず祈るその姿勢は、まさに聖女に相応しいものだとノンノは感じる。

 それから、聖女に与えられた特別観戦室に戻った二人は、改めて紅茶を入れ、貰った菓子を楽しみながら、闘技大会の観戦に戻ることにしたのだった。


 ◆◇◆◇◆


「……どう思う?」


 聖女のいなくなった王族用の特別観戦室の中で、国王グリフィズはぽつり、と二人の近衛騎士にそう尋ねた。

 何の話か、とは二人とも聞き返したりはしない。

 何のことを言っているのかは、自明であるからだ。

 それはつまり、先ほどの聖女が本当に無実なのかどうかについてである。


 巨漢の騎士アイアスは少し考えて、それから国王に返答する。


「私は……怪しいと考えます。確かに無反応でしたが、むしろあれほど無反応なのは逆におかしいのではないでしょうか」


「それは私も思いますね。それにそもそも、例の黒服少年たちは西に向かったのです。あの先にある国は様々ありますが、アルカ聖国が存在していることも間違いありません。未だ追跡中である以上、断定はできませんが、少なくとも今の段階で白という事は出来かねます」


 二人の印象は、あの聖女は限りなく黒に近い、というものだった。

 確かにあの聖女の仕草や態度、返答には何一つ今回の事件の主犯と見るべき証拠となるような部分は存在しなかった。

 ただ、二人の騎士としての勘が、彼女はあまり良くないものなのではないかと警鐘を鳴らしているらしい。

 言い換えれば、それだけのことが、ただの主観だけが聖女を怪しいと思う根拠になっているのだが、そういう勘を中々外さないからこそ、二人は命のやり取りをいくつも重ねて生存してこれたという事実がある。

 そんな戦場で磨いた勘は、あの聖女こそが犯人であると告げていた。

 もちろん、そんなことで一国の要人を糾弾できるわけがなく、歯切れの悪い言い方にならざるを得ないのはそのためなのだが、この印象は国王も同様に感じたようだ。


「儂も二人に同感だ……だが、証拠がない。例の事件の後、すぐに“影”に調査させ、幾人かが王都で暗躍する例の黒服少年たちを見つけたは良いが、結局王都では最終的には黒服の少年たちにはほとんど振り切られてしまっているしな……馬車の積み荷として冒険者たちが積まれていたのに門を通られてしまったのも問題だった。鼻薬と調書の改ざんなど……あのままであれば間違いなく全員に出国されてしまっていただろう……ただ、一時、例の村に滞在した馬車が冒険者の手で暴かれた故、彼らを再度発見できたわけだが、それでも未だに追いかけられている者は……」


「二人です。他は全て振り切られるか殺されました」


 ロメオの冷静な声が響く。

 国王はその言葉にうなずき、そして少し考えてから言った。


「全く、恐ろしいことよ……しかし、そんな奴らが姿を現したにもかかわらず冒険者たちを救出したルルという少年も凄いものだ。……先ほどの評価は本気か?」


 国王は二人の近衛騎士に尋ねる。


「掛け値なしの、本音です」


 アイアスが答えた。


「本当に近衛騎士に推挙しましょうか? あの少年はカディスノーラ卿の息子さんですよ。身分的には少し低いかもしれませんが、実力がありますし、カディスノーラ卿の名声を考えると反対はあまりでないかと思います」


 ロメオが続けて言う。

 その言葉には楽しそうな響きがあり、カディスノーラ卿を慕っているらしい様子が見て取れる。

 国王はその言葉を聞いて少しだけ驚き、


「何……? なるほど、通りで。それならば強いのも当然、というわけか」


「間違いなく扱かれているでしょうからね……にしても、あの年であれほどの力を持つには努力だけではどうにもなりませんから。カディスノーラ卿同様、化け物染みた才能の塊なんじゃないでしょうか。本当に、戦いたくないですね」


 王立騎士団剣術指南役のカディスノーラ卿と言えば、この国の騎士団に所属する者は名前を聞くだけで震え上がる存在の一人である。

 その剣術の凄まじさも勿論だが、その訓練の厳しさも群を抜いているからだ。

 ロメオは彼と同じくらいの時期に、地方の騎士団に入隊して近衛騎士団長まで登り詰めた男だが、そんな彼ですら、カディスノーラ卿には一目置いているほどである。

 ただ、ロメオもまた、名の通った騎士であることは間違いなく、カディスノーラ卿と戦った場合、おそらくはロメオが勝つだろうと言えるくらいの実力は持っている。

 そんな彼ですら、戦いたくない、と言わしめるルルと言う少年は一体どれほどの存在だと言うのか。


 国王は、事件のこと、今回の大会のことなど、さまざまなことを脳裏に思い浮かべ、深いため息を吐くと、


「本当に、退屈しなくて嬉しいぞ……」


 と、嬉しくなさそうに言ったのだった。

 それから、


「そう言えば、あの菓子を食ったが平気そうだったな」


 と、アイアスに言う。

 巨漢の騎士は頷き、しかし難しそうな顔で答えた。


「聖女が今回の事件の主犯かどうかはともかくとして、リコル様から忠告された存在ではない、ということではないでしょうか」


「ふむ……では、どこにいるというのだろうな……」


「いずれ分かる、とはかの方の言葉ですが……」


「曖昧なことばかりおっしゃられるようでは困るのだがな」


 そう言って国王は笑った。

 けれどその表情は愛娘に我儘を言われた父親のようである。


「ま、今は闘技大会を楽しむとするか……」


 そう言ってガラス窓に近づき、試合の様子を眺めたのだった。

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