第66話 本選第一回戦
本選は予選とは熱気が違った。
予選までは様々な選手たちが四つの闘技場に別れて玉石混交の状態で戦っていたため、観客達も自分の贔屓の選手のため、あるいは有名な選手を見に行くために分散して会場に出向く傾向があった。
けれど、本選の試合は全て、国営闘技場一つで行われるのであり、その入場にあたっては高い倍率がつき、入れない者が続出するほどである。
実のところ、この本選の観戦をどうしてもしたいがために、出場者のために設けられた専用観戦席を狙って闘技大会に出場する者も後を絶たない。
もちろん、命の危険のある大会であるから、それなりに修行してから出場するわけだが、それでも確実な安全など保証されるわけがなく、大会のために命を賭けていると言っても過言ではない。
それほどに王都中が熱狂する大会の、クライマックス、それが大会本選であり、その熱気も理解できると言うものであろう。
そんな熱気の中心に立ちながら、ルルは対戦相手が現れるのを待っていた。
ここに立っていて以前までと異なるところを挙げるなら、それはルルに対しても歓声が向けられていることだろうか。
罵声もあるが、それも一番初め――シュイと戦う前には存在しなかったものであり、知名度が上がったと言うことに他ならない。
ある意味で愛情のある声だと思って受け入れようかと考える。
それから、今回の対戦相手のことを考えた。
シュイと当たってからずっと思っていたことだが、ルルの対戦相手は皆、実力者たちだった。
シュイは特級であるし、そのあとにぶつかった相手もそこまで行かずとも上級の者だった。
確かに今回の闘技大会には例年と比較すると上級冒険者の数が多く、また特級も新たに参加しているのであるから、ぶつかる可能性はないとは言えない。
ただ、いくらなんでも、ルルとの対戦相手に実力者が偏りすぎていないか、という気がしていた。
予選二回戦以降、一人たりとも上級未満の者にぶつかっていない、と言うのはルル以外の出場者の中には存在しないのだ。
確率的にあり得ない、とは言えないのだが、それでもなんとなく作為的なものを感じないではない。
しかも、今回の相手もまた――
「やれやれ……儂、棄権したいんじゃがのう……」
そんなことを言いながらその老人が現れたとき、会場は盛大な歓声に包まれた。
ルルに対する応援の声も少なくないとは言え、やはり知名度、という意味ではこの王都で長年冒険者をやってきている目の前の老人には敵わない、ということだろう。
それに彼の功績もまた、非常に大きいと聞く。
十年に一度程度の期間で、王都の周囲に魔物が集団発生することがあるらしいが、彼――ウヴェズド=アンゲル、それに彼の氏族“綺汚の真理”はその度に参戦し、多くの魔物を大規模魔術の行使でもって沈めてきたと言う。
氏族“綺汚の真理”自体の歴史も非常に長く、それこそ冒険者組合結成後、氏族という団体の存在が公式に認められる前から存在した歴史ある氏族であり、王都デシエルトの魔術師にとってこの氏族に所属することは一流の魔術師として認められることに他ならないとして憧れられている氏族であると言う。
そんな氏族の族長であるウヴェズド=アンゲルは、老齢であり、髪も髭も白く、体も細くて見るからに貧弱そうな老人、という容姿をしている。
ただ、弱々しい、という感じはなく、一言で表すなら陽気そうな好々爺、という感じだ。
だから、彼が巨大氏族を率いる特級冒険者の一人であり、しかも魔術師としてはこれ以上望むべくもない頂きに手をかけている存在である、と言われても、彼の顔と名前に付随した名声を知らない者なら首を傾げて疑ってしまう事だろう。
けれど、ルルには彼をそんな風に扱うことなど、とてもではないが出来なかった。
確かに、目の前の老人は――ウヴェズドは一見、ただの老人に見え、魔力もそれほどではなく、動きも極めて鈍そうに見える。
若いときは確かに強力な魔術師だったのかもしれないが、今はもはや隠居寸前であり、過去の栄光に縋りながら生きているような存在に見えなくもない。
しかし、ルルは彼のような存在をかつて見たことがあった。
いや、見たことがあったというより、知っていた。
ルルの――魔王の参謀であった、彼とよく似た雰囲気を纏う魔導師、かつての彼の側近の一人、ミュトス=イレヌス。
ウヴェズドの纏う雰囲気は、まさに彼とそっくりであった。
ぱっと見はまるで強そうではない。
体も干からびて、もはや生き物としての活力が感じられないようですらある。
けれど、それはただの擬態なのだ。
魔力が小さく、弱く見えるのは彼の中で極限まで練り込まれた魔力が、いつでも魔術へと注ぎ込めるように準備されているからであり、体が貧弱に見えるのは、極限の魔術師である彼にとって、身体能力と言うのは体を鍛えて得るものではなく、大量の魔力と緻密な魔力操作技術によって創り上げるものだからだ。
ウヴェズドは、そんなおそるべき魔導師と、似ている。
その事実は、決してルルに油断をすべきではないという危惧を抱かせた。
だから、彼の口から出た、棄権したい、などという言葉もただの冗談にしか聞こえない。
ルルは彼に言う。
「御老体。とてもではないが、あなたは棄権しなければならないような力しか持っていないようには見えないぞ。それよりもむしろ……戦いに燃える興奮を感じる」
ウヴェズドは、そんなルルの言葉に笑い、長く白い顎鬚を撫ぜながら首を傾げる。
「はて……こんな老人にそれほどの力があるものなのかのう……? ほれ、よく見てみよ、若者よ。お主ほど魔術に精通しておれば、儂がどれほど小さな魔力しか持たぬか、一目で感じられることじゃろう……違うかな?」
手を広げて、そんなことをのたまう老人に、ルルは尚更警戒を強くする。
油断させる気満々のその言葉は、どう考えてもルルに勝つつもりで言っているのに間違いない。
そのためにあらゆる手段を使い、そして決してそれを相手に気取らせないように様々な仕草に気を遣っているその様は、やはりかつてのミュトスを思い起こさせる。
ルルがそのことを理解できるのは、ルルがその魔術を教わった相手がミュトスに他ならないからであり、そしてそのミュトスも目の前の老人のように、狡猾に相手の油断を誘ってくるタイプのくそ爺だったからだ。
ルルはかつてのその知り合いを思い出しながら、言う。
「……俺の知人に、あなたにそっくりの爺さんがいてな……そのときの経験が、あなたには油断するなと教えてくれているんだ。魔力は確かにあまり感じないが、それがなぜなのか、俺はよく分かっているよ。だからあなたが恐ろしい爺さんだと俺にはよく分かる……油断は、しないさ」
ルルの言葉に、ウヴェズドは目を見開いて、ほっほと笑った。
「儂に良く似た爺さんとな? ……またそれは、性格が悪そうな爺じゃのう。会いたくないわい……」
そんなことを宣う当たり、やはり全ては油断を誘うための罠なのだと自認したようなものだ。
そして、ウヴェズドは続けて言う。
「しかし、それならば……もはや隠しても意味はないかのう? ふふふ……ま、若者よ。倒れるでないぞ」
そう言った次の瞬間、老人の体の奥に隠されていた魔力の渦が、辺りにまき散らされた。
濃密で、膨大な量の魔力。
それは今世においてルルが見たどんな魔術師よりも巨大で濃い魔力だった。
しかも非常に攻撃的な性質も感じる。
魔力は闘技場全体に圧力を加え、魔力に対する抵抗力の低い者たちの意識を奪っていく。
試合が始まる前なのに、気づけば会場の観客の約3分の1が気を失っているようだった。
「とんでもない爺さんだな……」
「ふん……貴様に言われとうないわ。同じことが――いや、もっと大規模なことが、主には出来るじゃろう。シュイやユーミスが言っておったが、これほど馬鹿げた魔力を持った人間がこの世にいるとは信じたくないわい。……儂は先ほど棄権したいと言ったの。あれは本気じゃよ。主のような化け物と本気で戦いたいと思う阿呆魔術師がどこにいると言うんじゃ。さっさと逃げて自分の家で布団被って寝ていたいわい」
嫌そうな顔でそんなことを言うあたり、本当にそう思っているのだろう。
ただし、戦意がないわけでは勿論ない。
彼の瞳にははっきりと気迫が満ちており、さきほどまでとは異なる強い圧力を彼の体全体から感じるのだ。
「出来れば俺もあなたには眠っていてほしいんだが……本当に棄権しないか?」
「それこそ、馬鹿を言うでないわ。こんな儂とて、氏族の族長なんじゃ。それなりの戦いを見せるならともかく、戦いを避けて通ったとあっては氏族の者たちにも申し訳が立たぬわ。魔物が群れをなして向かってきたときであっても、これほどの恐れを感じたことはないが、これもまた本気を出せるよい機会を与えられたと思って戦おうぞ。諦めてこの老人に胸を貸すことじゃな、若者よ」
「普通逆だろう……若者のために道を開けてくれ、爺さん」
ウヴェズドからほとばしる魔力に、ルルの魔力も巻き込まれ、試合がまだ始まってもいないのにステージ上に紫電が渦巻く竜巻が形成されようとしていた。
闘技場に集った観客達の興奮も最高潮に達したそのとき、やっと待ちに待った合図が闘技場に響く。
「……始め!」
そして試合は始まる。
◆◇◆◇◆
「あの方は有名な方なのですか?」
イリスが一緒に観戦しているユーミスにそう尋ねた。
予選の間は氏族の族長副族長様に設けられた特別観戦席で見ていたグランとユーミスも、本選は会場の熱気を直に感じたいらしく、毎年、本選については闘技場アリーナ席において観戦することにしているらしい。
「ウヴェズド=アンゲルの爺様は氏族“綺汚の真理”の族長だからね。有名も有名よ。一般的な魔術はほぼすべて使えると言われているし、それに加えて独自の術式まで持っていると言われているわ。とは言っても、それを見た者はまだいないらしいんだけど……何せ、あの爺さんに魔術で敵う人間なんて探しても滅多に見つからないからね」
「ではあのお爺様が世界最強の魔術師、ということなのででしょうか?」
「いえ、そういう訳ではないわ。国内においては、宮廷魔術師長を除けばもしかしたら最強かもしれないけど、他の国には同じクラスの魔術師はいるものだし、それに加えて独自術式も持っていればあの爺さんの方が分が悪いかもしれないから。ただ、それはあの爺さんの持っている切り札であろう独自術式がどんなものか、にもよるわね。場合によっては、あの爺さんが最強の可能性もないではないわ」
それを聞いて、イリスは、ウヴェズドの実力を、魔術師としてトップクラスなのは間違いないが、最強かどうかは分からない、その可能性は無いではないが、現実に最強と目されている者同士が戦ってみなければ分からない、ということだと理解した。
実際はもっと複雑かもしれない。
下位の者が上位の者に勝つことは珍しいことではないし、常に強者の地位と言うのは入れ替わり立ち代わりしているものなのだから。
しかし、それでもウヴェズドの強さが王都誰もが認めると言うものであるということは間違いないだろう。
それに、イリスもまた、ルルと同じくウヴェズドに懐かしいものを感じたのだ。
「……ミュトスお爺様そっくりですわ……」
普段は好々爺であり、学者然としていたかつての魔王側近の一人。
少し神経質というか、自分のコレクションには決して誰にも触らせたくない、というような性質のある老人だったが、その実力は本物であり、またそれ以上に狡猾で知られた人でもあった。
教師としても優秀で、彼に魔術を学んだ者は多く、イリスもその教示を受けたこともある。
そんな彼と似ている、という事は、つまりあのウヴェズドは一筋縄ではいかない者だと言うことに他ならない。
手段の良し悪しよりも、結果を重視する善悪の感覚の薄い人でもあったミュトス。
ルルはあまり絡め手を使うタイプではなく、そういう相手は得意な方ではない。
だが、それでもルルはかつて魔王だったのだ。
その魔力と、力でもって、魔族を率いた彼。
そんな彼が、かつての側近に似ているとはいえ、人族の魔術師に負けることなどないだろうと確信し、イリスはルルの勝利を信じて見守ることにしたのだった。