第63話 痛み分け
こじ開けた細長い棺桶染みたその箱の中に入っていたのはやはり想像通りと言うべきか、人間であった。
いくつもの品物の入った箱の数々はあくまでカモフラージュだった、ということだろう。
箱の中から覗くその顔に見覚えはないが、おそらく闘技大会の出場者だった者であることは何となく分かる。
高い魔力を感じるし、明らかに体つきが鍛えられていて、身に着けているものも特殊な素材で作られた防具である。
「大当たりってわけだ……」
ルルがそう呟くと、イリスとキキョウが取り掛かって開いた他の箱からも同じように人間が出てきたようである。
「人です!」
「こっちにも!」
そんな声が聞こえてくる。
結局、この馬車には四人ほどの人が箱に詰められた状態になっていて、しかも魔術的な眠りに落ちている様子だった。
息は静かで、体温は低く、顔色が悪い。
解呪してやらなければこのまま眠り続け、いずれ死に至ることは明白である。
「まず、馬車から運び出して、宿に置いてもらおう」
そう思って、とりあえず運び出した四人の冒険者を一人ずつ背負い、村の宿に運び込む。
ルルだけ両手に一人ずつ抱えているが、人数配分的に仕方ないだろう。
実際は、イリスの方が力があったりするのだが、若い女の子が両脇に軽々と成人男性を二人抱えて歩いてくると言うのは少し恐ろしい光景であるから、それは避けた方が良さそうだったというのもある。
宿に入ると、亭主は驚いた顔をしていたが、事情を説明すれば快く引き受けてくれ、その辺に転がしておいてくれれば自分がベッドまでそれぞれ運んでやるから他にもいたら連れて来いと言ってくれた。
その好意に甘えて、ルルたちは再度、馬車に戻って他に攫われた者がいないかを探すことにする。
宿から出る直前、宿の二階からどたどたと誰かが下りる音がしていた。
おそらくルルたちが馬車から冒険者たちを運び出していることに気づいた御者や商人たちなのだろう。
彼らがどこまで知ってこれを行っていたのかは分からない。
ただ、後で必ず色々事情を聞かなければならないと考える。
少なくともどこの誰が黒幕となってこんなことをしたのかは聞かなければならない。
とは言え、今はまず誘拐された者たちの救出である。
ルルたちは急いで馬車に向かい、残りの積み荷の中から、先ほどのような細長い棺桶状の箱を探して開けていったのだった。
◆◇◆◇◆
三台目の馬車を調べているときのことだった。
「お兄さま!」
イリスのそんな声が響き、ルルは馬車の奥の方で箱を開けていた彼女の方を見た。
イリスの視線は箱の中に固定されており、そこにいる人物の顔を見ていることが分かる。
ルルはそちらに近づき、イリスの開けた箱の中を見た。
すると、
「……オルテスさんですね」
ひょこり、とルルの後ろから顔を出したキキョウがルルの台詞を奪った。
ルルは頷いて、
「あぁ、そうだな」
と言う。
そこには確かに闘技場でユーリと戦っていた、あの金髪の美青年、オルテスが眠っていた。
これで、一応の目的は達成した、と言えるだろう。
他の冒険者を救えたらしいことも重要だが、一番はやはりオルテスを探すことにあったのだから。
しかしすぐに楽観できるわけではない。
オルテスの顔を見れば、やはりあまり顔色が良くない。
それを見て、イリスが頷いて呟く。
「やはり……魔術によって眠らされていますわね」
イリスの言うとおり、オルテスの眠りは普通のものではない様子である。
ルルがその耳をオルテスの口元に寄せると、確かに、僅かに息をしていることが分かるが、脈は遅く、顔は青白く、生き物としての活動が全体的に低下していることが分かる。
もしもこれが永遠に続けていられるなら、それはイリスがあの遺跡でついていたような長期睡眠に発展するだろう。
けれど、オルテスの眠りは、そう言ったものではなく、長く持って一月が限界で、それ以上放置したら間違いなく死んでしまうものだ。
しかも、徐々に衰弱していくため、このまま放置しておくのもあまり良くは無い。
まだ眠りについてから二日前後しか経っていないため、今起こせば健康には問題ない状態にあるのは不幸中の幸いである。
「……とりあえず、起こすか」
そうルルが言うと、イリスは、
「他にもまだ箱の中で眠っている方々がいます。全員を箱から救い出した後で、まとめて起こした方が手間も魔力もかからず良いと思われますが……」
と提案したのでそれもそうかと思い、救出を優先することにする。
それから、三台目の馬車の中の箱の中にいたオルテスたちを宿に運び込み、四台目に取り掛かろうとしたそのとき、馬車の中から何者かが箱を背負って飛び出してきたのが見えた。
全身真っ黒の、夜闇に紛れやすそうであると感じさせるその服装は、日が完全に落ちた辺りの暗闇にしっかりと溶け込んでその姿を捉えにくくしている。
さらに良く見れば、ルルたちが入ろうとした馬車のみならず、他のまだ手つかずの馬車からも似たような恰好の者たちが飛び出してきている。
四人ほどの者が棺桶状の箱を背負い、そしてどこか別々の方向へと走り去っていくのが見えた。
彼らが背負っていた箱は、間違いなく中に人の入っているものだろう。
なぜ四人分だけ、と一瞬思ったが、中級クラスの騎士と、上級冒険者の数を合わせればその人数になることに気づき、その中身がおそらくそうであるのだと気づく。
基本的に、中級冒険者よりも騎士の方が実力の高いことが多く、高位の実力者を優先して攫う方向に切り替えたと言う訳だろう。
あまり遠くまで行かれると魔力で感知することも難しくなるため、逃がすわけには行かない。
「待てッ!」
と、声を上げてみるも、こんな状況で馬鹿正直に待つ者などいるはずがない。
ルルの声を完全に無視して逃げ去っていく黒服たち。
そして、それを追いかけようとするルルたちの前に、そうはさせまいと数人の黒服が立ちふさがって武器を構えた。
短剣、片手剣、槍と、あまり統一性のない感じであるが、だからと言って錬度が低いというわけでもなさそうである。
それなりにこなれているということがその立ち姿だけで理解できる。
箱を持って逃げた者たちを追うには、まず目の前の黒服たちを倒さなければならない、と思って構えたところ、
「お兄さま、ここは私に任せて先に!」
とイリスが言った。
その手には何も持っていないが、彼女は素手でも十分強く、目の前の者たち程度なら問題ないと言う判断なのだろう。
後で色々聞くために怪我は最小限に、という配慮もあるかもしれない。
続いてキキョウも、
「私もがんばりますよ~」
と言って素手で構える。
武器を使って戦っている様子は闘技大会でも見なかったが、それをここでも貫くらしい。
とは言え、それで十分強いことは分かっているので、ルルは彼女たちに任せてその場を後にすることにする。
「……任せる!」
黒服たちの合間を縫って通るとき、彼らはルルを止めようと武器を振ったが残念ながらどれも命中することなく、そのままルルはその場を抜けることに成功したのだった。
逃げた黒服たちの方向は全員別々である。
ルルの体は一つしかなく、誰を追うべきか一瞬迷った。
しかし、最終的に彼らがどこかで合流するだろうことは間違いないことだろう。
そう考えると、誰かしらと捕まえてそれを吐かせることが重要だ。
そして、逃げた黒服の中で、最も洗練された動きをしていた者こそがリーダーであると当たりをつけ、ルルは目標を定める。
幸い、まだ追える位置にいることは、ルルの感知能力でもって確認できる。
それから、ルルは方向を確認し、疾風のように走り去ったのだった。
◆◇◆◇◆
「……やれやれ」
追いかけてきたルルに気づいたらしく、その黒服はそう言ってため息をつきながら、背中に背負った箱を置き、振り向いた。
人一人分の重量のある箱を持ってこれだけの速さで走ることは普通の人間に出来ることではない。
何らかの訓練を積んだ人間であることは明白で、しかも他の黒服も同じようなことは出来る様子であったから、今回のことが何らかの組織的な犯行であることは明らかだ。
ただ、身に着けているもの、仕草、その他色々な状況を見ても、一体どことつながっているのか、どんな組織なのかを解明する手がかりは今のところ見当たらない。
一人でも多く、実行犯であるこの黒服たちを捕まえ、事情を聞く必要がある。
「……諦めたのか?」
ルルが改めてそう聞くと、その黒服は首を振ってこたえた。
思いのほか若い声で、おそらくは少年なのだろう。
黒服の隙間から見えるのは目元だけだが、それでも二十代にはなっていないだろうということが理解できる。
「そんな訳ないじゃないか……ま、ある意味で諦めたとは言えるけどね。一人の死者も出すつもりがなかったんだけど、ねッ!」
そう言って、彼はどこかから取り出した短剣をぶん投げてきた。
明らかに手慣れた様子であり、今までその短剣で幾人の命を奪ってきたのか分からない。
ただルルにとって、その攻撃はさほどの脅威ではない。
受けることは簡単であり、身体に届く直前に剣を抜いて叩き落とした。
しかし少年はそんなルルの行動を読んでいたらしく、短剣を叩き落したときにはすでにルルの後ろに回り、呪文を唱えていた。
何の魔術を使うつもりなのかは分からなかったが、受ければ危険であることは何となく理解できたために、すぐに身を翻して距離をとる。
「……へぇ、やるじゃないか」
そう言って遠く離れたルルを見つめ、少年は一歩で距離を詰めてくる。
武器ではなく、手刀が飛んできたため、ルルは上体を逸らして避けた。
目の先に捉えた黒服の手をルルは引っ掴み、そして近くの大木に向かって投げる。
けれども、そこは黒服も中々のもので、猫のように一回転してそのまま大木の幹に器用に着地し、そして膝をぐぐっと曲げてそのままの勢いでルルに向かって突っ込んでくる。
ルルはやはりその一撃も掴み、無力化しようとした。
実際、掴むところまでは成功した。
しかしその後、地面に向けて黒服の体を叩きつけたところ、うまいこと受け身をとられてしまい、一瞬緩んだ手を外されて、またもや、少し遠ざかった位置に着地されてしまう。
あまり人を生け捕りにする、という経験をしたことのないルルは、思いのほか逃げ足の速い黒服の身の軽さに驚きつつ、感嘆の声を上げた。
「うまいもんだな……軽業師にでも転向したらどうだ? 暗殺者とかそういうのよりよほど向いているぞ、お前なら」
ほとんど軽口である。
相手の少年もそれに応じるくらいのひょうきんさは持っているらしく、苦笑しながら言った。
「そういう選択の許される家庭環境じゃなくてね……それに一応、僕はこの仕事が気に入っているんだ。人の為に働くって、いい気分になるものだよ」
「人のため、か……お前は一体誰のために働いているんだ?」
ふと、ルルの聞いたその質問に、少年は首を振って明かすことを拒否する。
「それを簡単にばらしたら僕らの仕事はおしまいじゃないか。そういうことを聞く前に、君にはしなければならないことがあるんじゃないかい?」
「することね……お前を気絶させること、か?」
「いやいや、そうじゃなくて……ほら、後ろを見てみなよ」
「後ろ?」
ルルはその言葉に、少年を警戒しながら振り返った。
すると、遠くの――そう、大体、村の辺りに火の手があがっているのが見えた。
暗い森を赤々とした炎が照らしている。
「お前、何をし――っ?」
もう一度振り返ったそのとき、そこには誰もいなかった。
棺桶状の箱も消えており、明らかに見失ったようである。
魔力もまるで感知できず、それこそまるで霞のように消えてしまったらしい。
「一体、どうやって……?」
警戒を解いたわけではない。
魔力でずっと捉えているつもりだった。
けれど振り返った瞬間にそれは消滅し、そして二度と捉えることが出来なくなった。
転移系の魔術だろうか?
いや、あれはそんなに簡単に出来るものではないはずなのだが――。
考えても答えは出ない。
他の黒服の反応もどうやら完全に途切れてしまっている。
まさに、見失ってしまったようだった。
こんなに短時間でそれほど遠くに行けるはずがなく、近くにいるだろうということは間違いないと思うのだが、目印もなく探すにはこの辺りの森は深すぎる。
どうすべきか。
探すべきか。
しかし、そんなことを考えていると、先ほど少年に言われた言葉が頭をよぎった。
――君にはしなければならないことがあるんじゃないか?
……たしかに、そうだ。
非常に悔しいことだが、それは間違いがない。
とりあえず、あの村の火事を消火すること。
それ以外に、ルルが今とれる行動はないのは、この場における明確な事実であることを認め、ルルは村に向かって戻ることに決めたのだった。