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第57話 聖女の観戦

 今日も闘技場は活気と賑わいに満ちている。

 それを確認して、ルルたちは闘技場の中へと入っていった。

 昨日までとの違いを並べるなら、観戦者たちの中にちらほら中級以上の実力者たちが増えているところだろうか。

 予選第二回戦で敗北して、そのまま観客へとスライドしたと言うわけである。

 闘技場出場者を証するバッジは、たとえ敗北してもそのまま入場券代わりに使うことが出来るので、せっかく来たのだから最後まで見物しておきたいと言う者が多いのだろう。

 もちろん、負けたから故郷に帰る、というせっかちなタイプも少なくないのだが。


 闘技場アリーナには多くの人がひしめき合っていて、中心で行われている試合を悲喜こもごもの様子で眺めていることが確認できる。

 また、アリーナ上部には特別観覧席があり、上位冒険者用のもの、王族用のもの、来賓用のものといくつかあるのも確認できる。

 そのうちの一つに、聖女らしきものの姿が見えたのだが、すぐにその特別観覧席にガラスは曇り、そこにいる者の姿は見えないようになってしまった。

 昨日グランに聞いたところによれば、特別観覧席を覆うガラスは、特別な製法で作られたもので、一種の魔法具であると言う。

 そのため、内部の様子が見えないようにする機能も付属しているらしく、聖女はそれを活用したという事だろう。

 いかに聖神教の偶像として隙のない立ち居振る舞いを身に着けているにしても、ずっとそのままでは疲れるだろう。

 誰からも覗かれることのない部屋の中で、ゆっくり休みたいときもあるだろうと、そうしたことに不思議は感じなかった。


 ◆◇◆◇◆


「首尾の方は、いかがでしょうか?」


 その折れそうなほど細い首を品よく傾げながら、聖女は柔らかなソファの上から背後に真っ直ぐ背筋を伸ばして立っている少年にそう質問した。

 傍から見れば、一体どのような意味があるのか理解しがたい質問だったが、少年にとっては自明だったようである。

 一般的な神官服とは異なる、黒を基調とした禍々しい意匠のそれを纏った少年は、服装とは受ける印象とは違って非常に洗練された仕草で頭を下げ、答える。


「はい。概ね、順調でございます。本国への移送も含め、昨夜のうちの完了しておりますので、王都でこれ以上問題になることはないと思われます」


 その答えに満足げに頷いた聖女は、質問を重ねた。

 とは言っても、彼女は少年の手腕をそれなりに信頼しているらしい。

 あくまで確認に過ぎないような口調で、聞く。


「関所は?」


「関を抜ける方法などいくらでもございますれば……我々にとりまして、それは本職でございます。ご心配にはおよびません」


「そうですか……なら、お任せしましょう。リュトン、あなたには苦労をおかけしますわね……」


「いいえ。貴女様のために働くことができることこそ、至上の幸福。お気を使われず、道具のように扱って頂ければ十分でございます」


 そんな殊勝な少年――リュトンの言葉に、聖女は大らかで、包み込むような母性溢れる笑みを浮かべて、言った。


「道具のようになど……あなた方は私の大切な宝です。むしろ、我が子のように思っておりますわ……今回のことも、あなた方がいなければ成らなかった。もしその身に危険を感じたときには、目的よりも、あなた方の命の方を優先しなさい。私には、そちらの方がよほど大事なのですから……」


 聖女のその言葉に、リュトンは一瞬、震えた。

 それは喜びのゆえ、だったのだろう。

 そして深く頷き、


「いいえ、我々はその命が尽きようとも、目的の方を優先させることでしょう。それこそが、聖女さま。あなたのためになると知っているから……では、そろそろ失礼いたしいます」


 言われて、聖女は驚いた顔で言う。


「あら……もうそんな時間ですか。では、あなたに聖神のご加護を……」


 そう言って、聖女はリュトンの頭に触れ、少しの間、祈った。

 それからリュトンは丁寧に頭を下げ、影のように音も立てずに特別観戦室から姿を消した。


 しばらくして、別の神官が部屋に入ってくる。

 一般的な、白を基調としたものである。

 彼女は、今回の聖女の訪問のために付けられたお供であり、聖女の身の回りの世話をすることがその任務の下位神官であった。

 彼女は特別観戦室に入ると同時に、ふっと何かに気づいたかのように辺りを見回す。


「……? 今、誰かがこちらの部屋にいらっしゃいましたか?」


 ただの勘であったのだろう。

 とは言え、人の気配、というものはいくら隠しても分かるもので、直前までその場に誰かがいた、ということは何となく理解できるものだ。

 けれど聖女は首を振って、


「いいえ。誰もおりませんでしたわ。……王都デシエルトにいるときは、誰かがいらっしゃる場合、貴女を通す、と決まっているではありませんか、ノンノ」


 言われて、その決まりを思い出したらしい、女性神官ノンノは、あわてて頷く。

 それから、自分が勘でもって感じた人の気配などというのは気のせいだったのだと忘れ、自分の本来の任務に戻ることにした。

 彼女に、聖女を疑う、などという選択肢は存在しない

 なぜなら、聖女の言葉に嘘など存在するはずがないと信じているからだ。


 だから、彼女は聖女の手元にあるカップが干されていることを確認し、すぐにお茶を入れる準備を整え、それからゆっくりとカップに注ぐ。


 聖女はそれをその美しい瞳で眺め、色合いを見つめて、ノンノに言った。


「やっぱり、ノンノの入れてくださるお茶は、美味しそうですわ……色も綺麗で、香りもすっきりして……」


 そのまま彼女はカップを口につけ、ノンノに笑いかけて話を続けた。


「味も、とてもおいしいです……あなたが私のお供についてきてくれて、本当によかった……」


 その言葉に、ノンノは飛び上がらんばかりの喜びを感じる。

 本来、ノンノは聖女、などという遥か天上の人のお供に付けるような位階ではないのだ。

 それこそ、下から数えた方が早いような有様で、ついこの間までは地方の聖堂で、併設された孤児院を運営しながら細々と神に仕えていたくらいだ。

 なのに、ある日突然、神都オードレンに存在するガトラス大聖堂――つまりは、聖神教本庁より辞令書が届き、聖女のお付きに任命されたのである。

 片田舎の聖堂で、神都の静謐に満ちた宗教生活を夢見ながら、それと同時に文化の中心地から遥か遠い僻地でいるにも関わらず、子供たちと満ち足りた生活を送れることを、聖神さまと聖神教本庁、それに聖女さまに感謝しながら生きてきた。

 永遠に自分と直接的な関わりを持つことはありえないだろうけど、間接的にでもそれら素晴らしいものに繋がっていられる生活に、喜びを感じていた。


 ところが、あり得ないと思っていたその空想が、真実になるのだという辞令に、ノンノは驚きと、畏れを感じた。

 自分のような卑しい者が、聖女さまの近くで彼女のお世話をするなど、またガトラス大聖堂の中に一室を与えられ、生活するなど、恐れ多いにもほどがあると。

 だから、せっかくの辞令ではあるが、お断りしようとすら思った。


 けれど、そんなノンノの背中を押してくれたのは、ノンノが世話し続けた聖堂の仲間たち、それに孤児院の子どもたちだった。

 せっかくのチャンスなのだから、そしてこれこそが、聖神さまの思し召しというものなのだから、行ってくるといいと、みんながそう言ってくれた。

 今までのノンノの努力を、きっと見てくれる人がいたのだと。

 そう言って。


 だから、ノンノは、少ない荷物を持って、神都まで赴き、ガトラス大聖堂を訪ねた。

 そこで出会った方々は誰もが立派な人格者であり、神学者であり、宗教者であった。

 こんな人々と自分は肩を並べて生活していけるのかと、そう思ったくらいに。


 そして、最後に会った人物は、そんな人々の印象すら霞ませるほどの神々しさでもって、ノンノを出迎えてくれた。


「貴方がノンノ、ですわね? よく来てくれました。難しい決心だったでしょう……けれど、貴方のその心、無駄には致しません。孤児院の子どもたちの心配もいりません……ノットス、アイラ、ドーリンの三人が中心になってまとめていますわ。それに、聖堂のシスターたちも、しっかりあなたの仕事を引き継いでおります。……少しだけ、私の権限で予算が多目に配分されていますが、少しくらい、いいですわよね?」


 途中までは威厳と神々しさのまじりあったような、独特の声と視線で話していた聖女であったが、最後はノンノの耳元で、少し茶目っ気を出し、片目を瞑ってそんなことを言うものだから、笑ってしまった。

 不敬だったか、と瞬間的に思ったのだが、聖女も特に不快な顔をしておらず、近くにいた別のお付きの神官が呆れたような顔つきで聖女を見つめていたので、きっとこういうところも持った可愛い人なのだろう、と思った。


 だからだろうか。

 ノンノはすぐに聖女を信頼するようになった。

 人間味の無い、ただの人形のような人ではなく、深く広い心と、静謐な信仰心、それに強い意思と、優しさを兼ね備えた人物なのだと、そのやりとりだけで理解できたような気がしたからだ。


 それから、ノンノはずっと聖女のお付きをしている。

 聖神教内部の、事務的な連絡は別の男性神官が担っているが、女性でないと対応できないようなものについては、ほとんどノンノが承っている。

 こういう、旅のお供などもそうだ。

 聖女は非常に多忙で、神都から外に出かけることも珍しくない。

 しかも腰が軽く、どんなところにでもほいほい出かけていく気安さを持っている。

 一度、ノンノが神都に来るまでいた僻地の聖堂まで足を延ばされたこともあったほどで、その際には、子供たちと遊んだりしてくれたのを覚えている。


 それは、幸せな光景だった。

 本当に、慈愛溢れる聖神がそこにいて、子供たちに祝福を与えてくださっているような、そんな気がしたくらいだった。

 そして、思った。

 この人は、そういう人だからこそ、愛されるのだろうと。

 誰も彼女を嫌いにはなれない。

 彼女が信じる者を、彼女が望む者を、否定することなど、できはしない。

 彼女の中のどこにも、邪なものはなく、その行動原理は善なるもので支配されている。

 

 そんな風に思ってしまうほどだ。


「……そろそろ、試合が始まりますわね。ノンノはどの出場者を応援しますか?」


 聖女が、ノンノにそう言って笑いかけた。

 自分などのような者に、気を遣われることなど無いのに、こうやって話題を提供してくれる聖女に感謝しながら、ノンノは言った。


「そうですね……昨日の試合で戦っていた小さい女の子がいましたでしょう? あの娘を応援したいです」


「……あぁ、あのイリス、という少女ですか。初級であるにも関わらず、上級の一角を崩した期待の星、ですわね……」


 聖女も、その出場者については覚えていたらしい。

 ただ、それは当然かもしれない。

 あれほどの結果を残す出場者など、何年に一人も現れないという話だ。

 勝負は時の運とは言え、大体戦う前に勝負は決しているものだという。

 だから、番狂わせは滅多に起こらないらしい。

 とは言え、だからこそそういうものが起こった時、興奮すると言うものなのかもしれないが。


 聖女の答えを聞き、ノンノは少し考えて、反対に質問した。


「聖女さまは、どちらの方を応援なさっているのですか?」


「私はみなさんを平等に応援しますわ……」


 非常に聖女らしい、と言えるそんな台詞。

 しかし、彼女はその続きを、やはりあのときのような茶目っ気溢れる表情で言った。


「と言うのは建前で、私はルル、という方を応援致しますわ」


 やはり、誰に対しても平等な彼女と言えど、こういう見世物を見るに当たっては、贔屓の選手と言うものを探さずにはいられないらしい。

 これは、ノンノだけが知っている聖女で、そんな部分を見せてくれる彼女に、ノンノはほとんど愛情に近い感情を覚えていた。


 それにしても、ルル、という冒険者についてはノンノも覚えている。

 特級冒険者であるシュイ=レリーヴを魔術戦で下してしまったとてつもない才能の持ち主である。

 イリスも凄かったのは事実だが、やはりその活躍もルルの前には小さなものに過ぎない。

 昨日のその戦いを見た者の大半が、今は隠さずルル贔屓を表明しているような有様である。

 そんなルルを、聖女が推す、というのだから、彼の勝ちは聖神の思し召しなのかもしれないとノンノは思った。


「なるほど、聖女さまも、やはり強い者がお好きなのですね」


 そう、ノンノが言うと、聖女さまは頷いて、


「そう……ですわね。ただ何となく考えてしまうのですわ。ああいった者たちが、我が国に沢山いてくれれば、国民たちは誰もが魔物や盗賊の脅威に怯えずに、安心していられるのに、と……」


 その台詞は、やはり聖女の本質を表しているようにノンノには思えた。

 結局、どこまでいっても、聖女は国のことを、国民のことを大切に思っていて、そのために行動しているのだと。


 ノンノは改めて聖女に忠誠を誓い、それから彼女と一緒に、闘技大会を観戦することにしたのだった。

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