第56話 夜闇での出来事
闘技大会予選第二回戦が終わり、王都の住人達は酒場で飲み明かすか、寝床に戻って明日に備えている時間帯のこと。
闇の帳が柔らかに王都を覆っていた。
辺りを照らすのは魔法具が先端に取り付けられた街灯だけであり、ぼんやりと陽炎のように輝くその灯りは夜道を歩く人々の影を作って揺らしている。
道行く人の数は昼間と比べて随分と少なく、足音はたまに聞こえるものがいくつかあるだけだ。
闘技大会中とは言え、真夜中の王都は表を出歩くものは少ない。
そんな足音の主の一人であったオルテスは、自分が敗北してからずっと滞在していた酒場を後にして、自宅への道を歩いていた。
家では妹と母とが自分の帰りを待っていることは分かっていたが、負けた自分が一体どの面下げて家に帰れるものかとひたすら酒に逃げていたのだ。
けれど、オルテスは酒を飲んだ程度で現実を見失えるほど弱い人間ではなく、酒場の主がもう店を閉める時間だ、と言ったそのときに酔いはすぐに引いていき、あぁ、家に帰らなければならないということに思い至って、店を出た。
闘技大会の結果が、オルテスの胸を去来する。
未だ若い魔術師の少女に、ほとんど完敗と言って間違いのない敗北を刻まれた戦いを思い出す。
そして、思う。
自分は勝たなければならなかったのに。
勝てば、明日のために早く家に戻り、妹と母と食卓を囲んで、それから英気を養うために早めに睡眠をとっていたはずなのに。
それなのに、自分はこんな真夜中まで酒場で酒を飲み、弱かった自分に絶望しながら、けれど明日からしっかり生きていかなければならないことを忘れられずに、こうして帰り道を歩いている。
うだうだ悩んでいても仕方がないことは分かっている。
もう、終わったことは忘れて、別の方法を探さなければならない。
幸い、妹の体はすぐにどうこうというわけでもない。
こつこつと冒険者のランクを上げて、稼げるようになればいずれどうにかできることだろう。
ただ、それまでにどのくらいかかるか分からない、というのがネックであるが、それもこれも負けた自分が悪いのである。
諦めるほかない。
それに、妹は、自分が負けたことを残念には思っているだろうが、それは勝ち進む兄の姿が見たいからであり、自分のために勝ってほしい、などとはつゆほども思っていないことも分かっている。
負けた自分を、家にいる妹は労い、慰め、そして気にすることは無い、と言ってくれることだろう。
だからこそ辛い、というところもある。
だけど、それが自分たち家族なのだから、それでいいのだろうと納得し、オルテスはとぼとぼとした足取りをしっかりとしたものに変えて自宅への帰路を真っ直ぐに進み始める。
今回は目的のものを得ることは出来なかったが、冒険者をやっていればいずれ機会はあるだろう。
そのために、落ち込んでいる暇など無いのだと、そう心に決めて。
だからだろう。
闘技大会の活気に満ちた王都には似合わない、暗闇の中を走る銀色の輝きにすぐ気づけたのは。
――ふぉん、という、命を奪う物体にしては羽のように軽やかな音を立てながら迫ってくるそれは、確かな技量に支えられた短剣であると分かった。
しかも、それは明確にオルテスを狙っているものであり、慌てて腰から剣を抜いて対応する。
――ぎぃん、と、金属と金属のぶつかり合う音と共に、火花が散って僅かにその襲撃者の顔を照らした。
黒い頭巾と衣装とに包まれたその人物は、体形と頭巾から僅かに除く目元から、おそらくは少年であろうと言う印象を感じる。
ぱっと見で、あぁ、暗殺など、裏の仕事を生業とするものだろう、という事が理解できるその恰好。
暗闇の中にしっかりと溶け込み、これほど近くまで来るまでその存在を気づかせなかった技量は敵ながらあっぱれと言いたくなるほどだ。
ただ、それにしても全く見覚えのない顔である。
オルテスは職業柄、自分がいつどのような人物に恨みを買っているのか、分かったものではなく、ある日突然知らない者から襲われてもそれは仕方がないことだと思っている。
なんでもない気持ちで受けた依頼が、どこかの誰かの利益を損なうものだったりするなど、理不尽と思えるような流れと因果関係でもって、不思議な結果に行きつくことなど、冒険者にとって日常茶飯事であるからだ。
ただ、そうであると理解していても、実際に、全く心当たりがない状態で暗殺者のような人物に襲われてみると、なぜ自分が、という思いを感じずにはいられない。
それに、思ったこともある。
いくら自分に恨みがあったとしても、今日この日のような、大勢の人間が王都にひしめき合っているときではなく、オルテスが依頼を受けて人気のない森の中とかに遠出している場合などを狙った方が確実で楽なはずではないかと。
少なくとも、自分が相手の立場ならそうするし、その方が仕事が簡単であるのは間違いない。
素人であるような自分にも、それくらいは分かることだ。
本職に理解できないはずがないだろう。
にもかかわらず、こんな場所で狙ったその理由が分からない。
確かに真夜中であるから人気は少ない。
ただ、人がやってくる可能性は多分にあり、そして闘技大会の最中であるからそれが冒険者である可能性だって低くないのだ。
だからオルテスは、リスクがありすぎる相手のそのやり方に、深い疑問を感じた。
だからオルテスはその襲撃者の白刃に対応しつつ、声を荒げて質問をする。
「一体、なぜ僕を狙う!? 何のために!?」
しかし、案の定と言うべきか、襲撃者は無言をもってその答えとした。
そして、ただその刃のみが、彼の狙いを伝えていた。
非常に洗練された業だ。
おそらく、オルテスより実力があると感じる。
けれど未だにオルテスが対応できているのは、襲撃者にオルテスを殺す気はなさそうだからである。
何せ、その気があれば、恐らくもっと早く決着をつけられただろうと、そう感じられるくらいの実力を、襲撃者は持っているのだ。
それ以外に理由は見つけることは出来なかった。
けれど、とオルテスは考える。
オルテスを捕獲して一体何になると言うのだろうと。
確かにオルテスは、中級冒険者として、この年の割には実力があるほうである、とは言える。
ただ、それくらいの人間なら王都には大勢いるのだ。
わざわざ自分を狙う理由が思いつかない。
しかし、なんにせよ、オルテスにはおとなしく捕まる気などあるはずがなかった。
迫りくる刃を受け、避け、そして一瞬の隙を見つけて、オルテスは襲撃者に向かって切り込む。
「……もらったッ!!」
絶妙のタイミングだ、とオルテスはその一撃で襲撃者が沈むことを確信していた。
避けられる状態でもなく、完全にその身体を自分の剣が捉えていることも理解できた。
けれど、剣が襲撃者に届く直前、襲撃者の手元から何か液体のようなものがオルテスにかかった。
そんなものに惑わされるような軟な鍛え方などしていなかったオルテス。
だが、かかった瞬間、自分の身体から力が急激に抜けていくことに気付く。
そして、剣を振り下ろすスピードは低下し、届くはずだった刃は軽々と相手に避けられてしまい、気づいた時には形勢は逆転してしまっていた。
「……くそ」
首筋に添えられた相手の短剣に、呪詛の言葉を吐くも、そんなことには何の意味もない。
何かの呪文を唱えているらしい襲撃者の口元を見たと同時に、オルテスの意識は消えていったのだった。
◆◇◆◇◆
「……行方不明?」
ルルがそう言ったのは、みんなで予選第三回戦の会場へ向かう途中に、キキョウがニュースだと言いながら奇妙な話を語り出したからだった。
それによると、闘技大会において敗北した者たちのうち、何人かが昨夜、姿を消して行方が分からなくなっているということで、大会事務局でも大会における遺恨沙汰などの問題があった可能性も考えて捜索を行っているらしいが、見つかっていないのだと言う。
いなくなった大会出場者にはあまり共通点は無いらしく、ただ中級以上に実力があった者である、というくらいだという。
それだけの実力があったのにいなくなってしまったわけだから、王都に何か危険な存在が入り込んでいる可能性もあり、大会事務局は今、てんやわんやの騒ぎらしい。
いずれしばらくしたら出場者たちにも、そして観客達にも注意を促すアナウンスがされるということだが、何も言われていない今の時点でそんな情報を掴んでいるキキョウは一体何者なのかと聞きたい気分になってくる。
実際に聞いてみれば、
「街中でばったり出くわした酒場の常連さんとかが教えてくれたんですよ~。大会事務局の人とかもいますのでっ!」
「そういう話は普通、部外秘なんじゃないのか? ほいほい教えていいものじゃないと思うが」
「ある程度、すでに噂になってしまっているみたいで、特に隠すべき話でもないとのことですよ。ただ全容が整理できていないので、それが終わってから発表する、ということのようです。それに、いなくなった出場者たちの家族が探し回っているらしいですし、人の口に戸はたてられないって奴ですね~」
その口調からかなり多くの人がいなくなっているという事が推測されたので、大体どれくらいの人数がいなくなったのか、どういう奴がいなくなったのか詳しく聞いてみる。
すると、確認できているだけでも二十人弱が行方不明になっている、ということであり、しかもその中には、あのオルテスと、それにアンクウまで含まれていると言うのだから驚きであり。
百歩譲って、オルテスはどうにかできるかもしれないが、アンクウは攫おうと思って攫えるような人間ではない。
そのアンクウがいなくなっているということを考えると、もしこれが誘拐などであると考えれば、相当な実力者が関与していると考えるべきで、そうなると、今、王都は相当な危険地帯だという事になるのではないだろうか。
そう、キキョウに言うと、
「どうでしょう。アンクウという冒険者の方は見たことないので分かりませんけど、王都には特級クラスの実力者が何人もいますから。上級がいなくなった、ということはそれほど重く見られてないのかもしれませんね。それにそもそもなぜいなくなったのかが分かっていませんから……警戒しようにも警戒できないと言う部分もあるでしょう。まとめていなくなっていることから、誘拐か何か、というのが一番可能性が高そうですが、そもそも攫って意味があるのかどうかも分かりません」
そうだ、確かにキキョウの言うとおり、攫ったと仮定して、その意味が分からない。
身代金を要求するならもっと誘拐するのに適切な人物がいるだろう。
わざわざ戦いをその職業とする者ばかり誘拐してもただ危険なだけである。
という事は、今回の事件を引き起こした主犯がいるとして、その目的は金ではないという事だ。
では、何が目的か。
戦う人間をさらったのだから、その武力が目的であるというのが一番納得できる考え方だが、無理やりに攫ったところでそれを活用など出来ないだろう。
なのに、それを行った目的は何か……。
「……駄目だな。考えても応えは出なさそうだ」
そう言ったルルに、イリスが横から言った。
「そうですか? たとえば……洗脳、とか言ったことは考えられませんでしょうか?」
「洗脳か……ないとは言えないが……」
そんな可能性は考えられなくもないが、難しいのではないだろうか。
精神系の魔術でそういうものはないではないが、人の行動を継続的に縛ることは意外に難しい。
ほんの一時の間、行動を制御する、と言ったものが大半で、たとえば、長い間、自分を守る兵士として戦わせる、と言ったようなことは、有り余るほどの魔力が無ければできない。
ルルになら不可能ではないことだが、それにしたってコストと結果が見合わない。
中級や上級の冒険者を操るのに、膨大な魔力を使うくらいなら、大規模魔術を一発打ち込んだ方が大きな結果を得られることだろう。
小回り、という意味では前者の方が高性能かもしれないが、それをやるくらいなら専門的な技能を持つ者を教育した方がいいのではないだろうか。
「駄目だな。やっぱり分からない。まぁ……俺たちは気を付ければいいさ。実力的に狙われているのが中上級の者たちだと言うなら、ラスティたちなんかが狙い目だろうしな。気をつけろよ」
そう言うと、ラスティたちは三人で頷いて答えた。
もしものときは、ルルが気を配っておけば何とかなるだろう。
それほど心配せずに、ルルたちは闘技場へ向かった。




