第53話 予選第二回戦 その十
バリバリという耳障りな音と放電のような雷色の迸りが、闘技場ステージと観客席とを分断するドーム状の結界に強く走った。
それが表している事実は、シュイの放った魔術がそれだけの威力を誇っているということであり、そして古族の技術をもって作られた絶対障壁が可視化したのは、今回、大会が始まってから初めてのことになる。
本来、それほどの威力の無い魔術や攻撃では障壁は可視化したりせず、術差が僅かに透明な壁に遮られたように感じられるだけだが、絶対障壁が一定の威力を超える衝撃を受けた場合、流しきれなかった圧力が障壁を震わせ、音と放電のような光となって一部可視化するのである。
言葉に表現すれば簡単なことのように思えるが、しかし実際にそんなことを可能にする攻撃など、今日ここに至るまで出場者たちは一度も放つことが出来ずに来たのである。
やはり特級冒険者であるシュイは一味違ったというわけだ。
とは言え、そんな目を疑う光景の前に一瞬思考を忘れていた観客達も、今回のシュイの相手は初級冒険者に過ぎない存在である筈だ、という事実を、あの強大な魔術を放たれた相手がどうなってしまうのかを想像し始めた段になってやっと思い出した。
普通に考えれば、あれほどの魔術を受けて無事な初級など、この世に存在するはずがない。
だからこそ、特級たちは予選第一回戦でもっと規模の小さな魔術をうまく使い、地味に勝利を修めて来たはずである。
一歩間違えれば、相手を再起不能にしかねない力を自分が持っていることに、特級の実力を持つ者たちは自覚的なのである。
そして、当然そんなことは言われずともシュイも理解しているはずのことである。
それなのに対戦開始直後にこれほどの魔術を放った理由を、観客達は見つけられなかった。
シュイの放った魔術による膨大な光と音の渦に支配されて、それ以外の何物も見ることのできない会場の中、観客達は思う。
あの初級冒険者は果たして無事なのだろうか、結界の内側の一切を塗りつぶしたこの魔術は一体どれほどの威力を、持ち、それによってあの初級冒険者はどうなってしまったのだろうか。
このたった一発の魔術行使によって、再起不能になってしまったのだろうか。
そして、これは、シュイの勝利という事なのだろうか。
そんな観客達の思い浮かべるどんな質問に対する答えも、全てはこの光と音が収まったそのときに明らかになるのだろう。
願わくば、あの少年がそれほど大きな怪我をせずに、冒険者としてまたやっていけるような身体でありますようにと、そう考える観客達もいた。
それぞれの思いを胸に、観客達は待つ。
しかし、誰もがその結果に疑いは無かった。
シュイが、負けるなどない、ありえないと、皆が考えていたと言ってもいい。
だから、この光と音が止んだ時、そこにある光景は彼らの中では既に決まっていた。
それはつまり、闘技場のステージ、そこに立つシュイと、地べたに這いつくばるルルの姿に他ならなかった。
◆◇◆◇◆
上級魔術“浄化の炎”。
それこそが対決開始直後にシュイが高速詠唱により放った魔術の名前であり、彼の最も得意とする魔術の一つでもあった。
その魔術の効果は極めて単純であり、分かりやすいもの。
魔術の範囲内に存在するもの全てを、原初の炎で焼き尽くし消滅させる、ただそれだけの魔術であり、そしてだからこそ防ぐ、ということが難しい魔術でもある。
シュイは、試合が開始する直前まで、これを放つべきかそうしないべきかを迷っていた。
と言うのも、確かにルルはシュイから見ても大きな魔力を持っていることは確かだが、それはあくまで才能の話であって、実際に強いかどうかとは別なのかもしれない、という疑いを拭うことが出来なかったからだ。
“浄化の炎”は、それが放たれれば上級程度の実力があっても大けがは免れず、防御することも出来ないと確信できるシュイの切り札に近い存在の魔術であり、そんなものを初級冒険者に放つのはどうなのか、とも思っていた。
けれど、迷いながらも、シュイはそんな不安を断ち切り、自分の勘を信じることにして、開始直後にこれを使うことにした。
何がシュイにそんな選択をさせたのか、と聞けば、使わなければ、おそらく勝てない、と心の深いところがシュイに向かって囁いていたからだ、と答えることになるだろう。
シュイは、自分の目の前に立つ者は、相当に危険な生き物であり、かつて出したことがないくらいに全身全霊を込めて魔術を行使しなければ、むしろ自分が危ないと、どこかで思ったのだ。
そして、シュイは今、その勘を信じた自分に、心から感謝していた。
“浄化の炎”は、魔術の範囲内にあるもの全てを焼き尽くし、消滅させる強大な魔術である。
その直撃を受ければ、どれほどの実力者であっても、無傷と言うことはありえず、またほとんどの場合、決して立ち上がることも出来ないというのがシュイの常識であった。
それなのに、シュイの感知能力は、今、闘技場ステージの向こうに、あるはずのないものの気配を捉えていた。
魔術により生み出された光と音は未だ断続的に続いていて、だからこそそれが収まりきっていない今、視覚的にものをとらえることは難しく、だからこそシュイは魔力感知能力を最大限に活用して闘技場内に存在しているものの位置や様子を捉えていた。
その中の一つが、明らかに生き物であること、そして何事もなかったかのように立っていることを、シュイの感知能力は捉えていた。
この闘技場、そのステージの存在していた生物など、シュイ自身を除いて他に、ルルしかいない。
シュイの魔術の作った高熱の空間の中、生きていることの出来る生物を、シュイは今までついぞ見たことが無かった。
「……信じられないッ……!?」
そう呟きながら、次に打つべき手を考える。
なぜ効いていないのか、それを明らかにしなければいくら魔術を放っても意味がないのかもしれないと一瞬考えないではなかった。
けれど、一歩一歩近づいてくるその気配の前に、シュイは珍しく恐慌に陥ったと言っていい。
自分の知りうるありとあらゆる魔術を今ここで放たなければ、あの恐ろしい生き物は自分の前までやってきてしまう、と言う底知れぬ恐怖が、シュイの体を動かした。
自分の知りうる魔術、炎でダメだと言うなら、それ以外でどうか。
風の上級魔術、“断罪の風刃”を唱える。
悠長に一語一語唱えている余裕など持てるはずもなく、ひたすらに高速詠唱をとちらないように注意しながら挑む。
そして魔術が完成するとともに、シュイの周囲に数十の圧縮された風の刃が形成され、縦横無尽にルルがいると思しき場所に向かって襲い掛かった。
どがががが、と何かが削れるような音が聞こえてくるが、しかし明確には何が起こっているのかは分からない。
シュイが頼りにするべきは、魔力感知だけでしかなく、いつもであればそれで十分に問題ないはずだったが、今回についてはそんな大雑把な方法による補足では不十分なようだった。
膨大な数の風の刃は、それこそ村一つくらいであれば一瞬にして滅ぼすことが可能なほどの威力を誇っている。
それなのに、やはり未だにルルと思しき者の歩みは止まらない。
なぜだ、どうして、どうなっている。
そんな心の声を抑えられず、焦りと恐慌は徐々に大きくなっていく。
そして、光と音が、収まった。
◆◇◆◇◆
まさか初撃であそこまで大規模な魔術を放たれるなどとは、考えてもみなかった、とルルは思った。
適切に対処しなければ、死にはしなかったろうが、確かに大けがは免れなかっただろう。
ただ、結局のところ、あれは魔術である。
かつてそれを極めきったルルにしてみればその対処はそれほど難しくなかった。
はじめに放たれた魔術、あれはたしか“浄化の炎”だった。
ユーミスが教えてくれた現代魔術の体系によるならば、あれは上級魔術に分類されるそれであるという話だったが、ルルの――魔族の感覚からすれば、あれはせいぜい中級下位魔術がいいところである。
それでもシュイの持つ巨大な魔力量、そして高度な魔力制御技術から通常よりかなり大きな威力を出すことに成功しているようだが、だからと言ってルルを仕留めるには足りないと言うほかない。
具体的には、反対魔術を使用することで対消滅を狙ってもよかったが、ルルはその方法をとらなかった。
そうではなく、単純に自らの周囲に結界を張り、魔術的影響から遮断された空間を作り出したのだ。
しかし、出し抜けに使われたからか、少しだけ服が焦げてしまったのは油断しすぎたからだ、と言うことにする。
思いのほか実力が高かった、というのもあるが、それはユーミスと肩を並べることも可能なレベルの魔術師ということが事前に分かっていた以上、言い訳にもならないだろう。
それに、服は焦げても身体に傷は一つもないのであるから、許容範囲ではないだろうか。
そんなことを考えながら、ルルは一歩、一歩シュイに近づいていく。
剣で仕留めるか、魔術で仕留めるかは迷ったが、相手は魔術師であり、そしてルルのことを剣士だと思っているのだ。
魔術師として戦った方が、面白いのではないかと考え、剣は腰に差したままにすることにした。
けれど次に飛んできたのは数多くの風の刃である。
ルルはこの魔術を知らなかった。
厳密にいうならやはりユーミスに聞いて知っていた、というべきだが、かつてルルの時代にはこの魔術は無かったということである。
風の刃をいくつも作りだし、それを制御してありとあらゆる方向から敵を襲う飽和攻撃を可能とするこの魔術にはルルも感心する。
風の魔術の基本である“風の刃”の応用ないしは発展形の魔術であるという事は、その構成を見ることによって理解できた。
なぜこの魔術が自分たちの時代には無かったのか、と考えながら、いくつも飛んでくる風の刃を一つ一つ素早く潰しながらルルは歩く。
そして結論に達する。
この魔術には欠陥があるという事に。
効果としては非常に高いものを持っているように思えるが、使用魔力量が多すぎ、効率が悪そうだ、とその構成を見て発見したのだ。
同じような効果を持つ魔術に、“地獄暴風”というものがあったが、これは対象を竜巻で覆い、その内部に向けていくつもの風の刃を飛ばし続けるという魔術であった。
これと比べると同じような効果を持つ割には魔力の使用量が多く、制御も難しそうであり、魔術として優秀とは言い難い。
だから、あまりこういう方向に発展することは無かったのだろう、と思った。
もちろん、利点を探してみれば現代魔術の方に軍配が上がる部分もないではない。
刃一撃の威力は現代魔術の“断罪の風刃”の方が上かもしれない。
それに、出現させる刃の数をいじりやすそうであり、複数の敵を相手取る場合には、便利なのかもしれないとは思った。
ただ、今、ルルに対して使うと言う場合においては、良い選択とは言えない。
これならむしろもう一度あの“浄化の炎”を放たれた方が厄介だったが、一度防がれている魔術をもう一度放てるような勇気は持てなかったのかもしれない。
結果として、ルルはほぼ無傷のまま、シュイと、観客達の前に姿を現すことになった。
音と光が収まり、風の刃による土ぼこりも消えて、闘技場ステージ全体が見えるようになった中、観客達は驚きの声を上げている。
ルルが未だ立っているということが信じられないのだろう。
そしてそれは対戦相手であるシュイも同感のようだった。
「まさか全て防がれるとは……は、はは……」
乾いた笑い声を上げながら、しかしシュイは未だに諦めてはいないようだ。
いつの間にかその身体には身体強化魔術がかけられているようである。
高いレベルで魔術を収めているシュイが身体強化魔術を自らの体にかけた場合、その力や素早さは中級の剣士を凌駕する。
単純な身体能力だけでも十分驚異的なものになる上に、そこに先ほどのような強大な魔術を放つ能力がくっついているのだから、悪夢と言う他ないだろう。
しかしそれはあくまでその相手がルルでなかった場合の話である。
ルルにとって、そのどちらも大きな脅威とはならない。
もちろん、結界も張らずに相対することは出来ない。
それくらいの実力があるということは、さきほどの攻撃で理解できた。
けれど、万全な状態で、これからシュイの攻撃が来る、と分かっている状態で挑んで、どこかルルに劣る点があるのかと言われれば、否、と答えるほかなかった。
ルルは、自らの勝利を確信しながら、シュイに言う。
「これで終わりなら、降参してくれても構わないぞ?」
それは初級が特級に言うにはあまりにも不遜な台詞であり、会場には一瞬不穏な空気が流れる。
けれど、そんな雰囲気はシュイの一言で拭い去られることになった。
「降参は、しない。むしろ私は嬉しい……本気で魔術を放てる相手など、中々いなかったものだからね。ルル。私は君の実力を信じ、私の最大最強の魔術でもって、君への敬意を表することにする……」
そう言ったあと、シュイの体から放たれ始めた気配は、ルルをして中々と思わせるほどのものだった。
シュイの周囲に浮遊する魔素が、彼の力に呼応して振動しているのが分かる。
「……本気じゃなかったってことか?」
そう聞くルルに、シュイは首を振ってこたえた。
「いや、本気だった……紛れもなく。けれど、次に君に放つこれは……私にも制御しきれるかどうか不安でね。絶対障壁による安全が保障されたこんな場所以外で、そして私がこれを使ってもきっと死なないだろうと確信できる相手以外に、使うことができなかったというだけだ……期待してるよ、ルル」
そう言って笑ったシュイは、詠唱を始める。
会場が緊張と興奮に満ちていた。
ルルは、どうすべきか、一瞬迷った。
今すぐに、シュイの首元に攻撃を叩き込み、気絶させるべきだろうか、と。
しかし、シュイは楽しそうなのである。
そして、どんな魔術を使うつもりなのかは分からないが、今日この時が、そのための唯一の機会だと言っているのだ。
だから、邪魔するのも悪いだろうと思った。
仮に受けても、死にはしないだろう。
防御にどれほど失敗したとして、ルルならせいぜい重傷で済むのではないだろうか。
そう思って、ルルは気楽に待つことにした。
ルルのそんな配慮を理解したのか、シュイは笑って言った。
「ありがとう……そして、出来ればこれで、沈んでくれ」
そして、シュイの詠唱は完成を迎えた。




