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第52話 予選第二回戦 その九

 闘技場ステージへと続く廊下をこつり、こつりと音を立てて歩いている。

 石造りの冷たい壁で囲まれた細長い空間の先に、長方形に切り取られた白く輝く出口が見える。

 一歩一歩、そこに近づくにつれ、遠かった歓声と地鳴りのような観客達の起こす振動が、少しずつ、少しずつ、大きくなっていく。


 そして、ルルはとうとう、出口に辿り着く。

 向こう側には、円形の闘技場に設けられた観客席に座る多くの観客が、ルルの戦いを見物するために待っているのが、伝わってくる歓声と熱気で理解できた。


 いや、ルルの戦いを、ではない。

 彼らが待っているのは、特級冒険者である魔術師、氏族クラン道化師の図書館フォッソル・ビブリオテーカ”のシュイ=レリーヴである。

 氏族クランとしても、個人としても多大なる功績を上げ続ける大規模氏族クランの族長である彼の名を知らぬ者など、王都には存在しないらしく、観客達の歓声の中、聞こえる名前はほとんど全てが、シュイ=レリーヴの名を叫んでいた。


 ルルは出口から出る前に、それを確認し、少しだけ笑って観客達の前へと姿を現すことにした。

 そこには予選第二回戦初出場の者にありがちな緊張はなく、非常に自然体であり、怒号のように鳴り響く歓声の圧力に呑みこまれるような様子も見られない。


 その姿を見たとき、観客達はルルに底知れぬ何かを一瞬感じた。

 この若者は、もしかしたら何かをやってくれるのではないか。

 そんな思いを観客達に抱かせるほど、ルルの姿は異質な何かに見えたのだ。


 けれど、あくまでそれは一瞬のことであり、観客達はすぐに自分の勘がおそらくは間違っていると結論して会場の雰囲気をもとのものへと戻す。

 それは、シュイ=レリーヴに対する期待の歓声に満たされた会場という事だ。


 彼らのほとんどは、今日、特級冒険者たちがこの国営闘技場において予選を行う事を知って、それを目的にやってきた者たちだ。

 特級冒険者、と言う人の到達できる限界にまで登り詰めたその存在の技の冴えを、魔術の威容をその目に焼き付けたいと願い、高いチケットを買ってこの場に身を運んだ者たちだ。


 だからこそ、ルルなどと言う海のものとも山のものともつかない初級冒険者に対する勘などと言うものは、シュイ=レリーヴと言う特級冒険者の名と力の前には象の前の蟻程の力も持たずに押し流されてしまったのである。


 ルルは、予選第一回戦で上級冒険者アンクウを降している。


 もし彼ら観客達がそのことを知っていれば、会場の雰囲気も少しは変わったかもしれない。

 けれど、その事実を知る観客は、確かに国営闘技場の観客席に座っていたが、特にその事実に触れずに、ただルルに対する歓声を送っている。

 それは、今この場において、ルルの実力を知らない者に対する配慮だった。

 予選第一回戦が終わった時点で、賭けの第一段階は終わっている。

 第二段階は本選出場者が出そろってから行われるが、予選の段階で賭けた方が倍率が高くなっている。

 そして、予選第二回戦以降、出場者たちの実力は多くの人の下に白日に晒されるため、本選直前に賭けるより、予選第一回戦が終わった直後に賭ける方が得であるし、また面白いと言うのもあり、多くの人が賭けるのはそちらである。

 だから、この場において、ルルは強いのであり、十分特級とも渡り合える、とアンクウとの戦いを見ていた観客が口にしたとしても彼らの賭けにおける優位は変わらない。

 しかし、彼らもまた、何年、何十年と闘技大会を見てきた者たちである。

 驚きと言うのは、試合の中における応酬においてもたらされるのが最も面白いのであり、自分が見ていなかった出場者の活躍を他人に語られるほど興ざめなこともない、というのを理解している。

 だからこそ、彼らは今は未だ、黙っていた。

 彼らが語り出すのは、おそらくは試合が終わった後、ルルの実力が誰の反論も許さない程度に明らかにされたそのときに他ならない。

 もしもルルが負けたときは彼らは何も語らずに自分の賭け札を捨てることになるだろう。

 そうやって幾人もの有望株が闘技大会の波間に消えていったことも、誰もが知っている真実であるのだから。


 ルルは、ルルに対してほとんど関心を持っていない観客達の中に、面白そうに自分を見つめている視線がいくつかあるのに気付いた。

 見れば、それはネロやアンクウとの試合を街中で見ていた者たちやラスティたちであった。

 それに、闘技場観客席の高い位置に作られているいくつかの特別観戦席からの視線も感じた。

 不思議だったのは後者の視線で、なぜかルルを侮っているような雰囲気を感じない。

 むしろしっかりと冷静に観察するような視線であったのだ。

 なぜだろう、と目を凝らしてみると、特別観戦席の一つの中、ガラスの向こう側に見える人物に納得が行く。

 グランとユーミスがそこにいて、ルルに見られたことに気づいたらしく手を振っている。

 その後ろにも何人か人がいるが、遠目で見ても中々の実力者たちであることが分かる。

 グランたちと同じ特級冒険者、それにその知り合いたちのために用意された特別席ということだろうとあたりをつけ、彼らに向けても手を振って、シュイ=レリーヴの登場を待った。


 ◆◇◆◇◆


 彼が出て来たとき、会場に満ちていた歓声は、直後、まるで巨大な怒号のような響きへと変わった。

 それは間違いなく、彼――シュイ=レリーヴに対する期待を直接的に表現したものに他なからなかった。


 これが、特級冒険者というものなのか、とルルに思わせたその歓声。


 ルルはかつて魔王だったとき、数万の兵たちの前で彼らを鼓舞したときに返ってきた返答のように胸のすくような思いを感じる。

 真っ直ぐに向けられる感情は、そこに混じりけの何もない素直な気持ちの発露だからこそ、これほどまでに人の気分を高揚させるのだろう。

 自分に向けられたものではないが、観客達のシュイ=レリーヴに対する声には彼らの望みが籠っていた。


 自分の目の前でその力を、技を、魔術を見せ、相手を気持ちよく打ち破り、そして自分たちを感動させてくれ、あんたならそれができるだろう。


 そう雄弁に主張していた。


 だからこそ、ルルは思う。

 そんな気持ちを踏みにじるのは、きっと悪の所業なのだろうと。

 彼らの迷いのない、ただ一つの結末を信じる純粋な心には、正しい流れでもって報いることこそが、この場にいる誰もが幸せになれる道なのだろうと。


 けれどルルは魔王だった。

 かつて、人族ヒューマンの信じるものを打ち破り、倒し、そして魔族の栄華を望んだ、悪の権化であった。


 人の望みは打ち砕いてこそのカタルシスであり、望まれたものと正反対のものを目の前に作り出して、絶望させることが、かつての彼の仕事だった。

 だから――


 ルルがこの場で勝つことには、何の問題もない、と結論する。

 かつてのように、人の悪として立ち、打ち滅ぼすのだ。

 あの頃と同じように、真っ直ぐに信じ抜く自分とは正反対に立つ人たちの希望を打ち砕き。

 そして、自分は哄笑を上げることだろうと。


 ◆◇◆◇◆


「……始めまして、ルルくん。君の話はグランから聞いている」


 試合開始の合図の前に、まずそう話しかけてきたのはシュイの方からだった。

 その言葉に、ルルは納得する。

 シュイの眼鏡の向こうに覗く、知性宿るその紫がかった瞳の中に、一切の侮りがなかったのはそういうわけか、と。

 ルルはグランやユーミスに契約魔術をかけるにあたって、大した縛りはしていなかったから、ルルが強いだとかそう言ったことを他人に告げることについては殆ど自由であった。

 ルルとしては、古代魔族である、という点さえ吹聴されなければそれで十分だったので、その程度の縛りにしたのだが、その他の点についてはいずれ冒険者として生活していけば少しずつばれることであるから、そう言った部分について縛るのは難しいだろうと思っての事でもある。

 だから、シュイの言う、グランから聞いている話と言うのは、この警戒の仕方から言って、それなりに強い、ということについてだろうと推測できた。


 ルルは冷や汗を流しながらこちらを強く警戒した視線で見つめるシュイに対し、正反対の態度で――つまりは随分な自然体で答える。


「そうか……グランと仲がいいんだな? 色々聞いているのかもしれないが、俺は大したもんじゃない。そんなに警戒することはないぞ」


 シュイはそう言われてまるで今気づいた、とでも言うように自分の額から流れる汗や、少しだけ固くなった自分の体に気を払い、深呼吸する。

 そしてこちらがいつもの彼なのだろう、と思わせるような悠々とした雰囲気を発する立ち姿に落ち着き、それからシュイはルルに礼を述べた。


「お気遣い、ありがとう。……緊張などしたのは随分久しぶりなのでね。言われなければそれと気づかなかった……まさか、初級冒険者相手にこれほどの緊張を覚えるとは、予想外だったよ」


 素直にそんなことを認める辺り、シュイは非常に冷静なタイプなのだろう。

 ルルはそんなシュイに言う。


「それこそ過大評価だと思うが……参考までに聞くが、なぜそんなに緊張しているんだ?」


 それが少しだけ、不思議だった。

 ネロにしろ、アンクウにしろ、戦う前には彼ほどに緊張などしていなかった。

 特級だから、ルルの実力をその仕草だけで見抜いたのだろうか。

 そんなルルの疑問に、シュイは顎を擦りながら、答える。


「ふむ……グランから聞いた、というのもある。イリス嬢の信じられない力を見たと言うのもある。けれど、それ以上に、私には君の持つ魔力の大きさが私に分かるから、だろうな。こうして目の前に立ってみなければ分からないほど、君は巧妙にそれを隠しているようだが、これでも私はそこそこの冒険者なのでね。しかも魔術師だ。これを理解できないと言ったら、それはもはや廃業すべきときだろう……」


 ルルはシュイの答えに驚く。

 確かにルルは自分の魔力を常にある程度隠しており、それは殆どの者に分からない程度には巧妙で、高度な隠し方だった。

 とは言え、完全に隠蔽するとなると人族ヒューマンの体では、今は魔力そのものの使用を控える必要が出てくるので、それなり以上の魔術師が見ようと思えば見れなくもない、程度の隠し方しかできていないが。

 ただ、それでもほとんどの魔術師には分からないくらいの隠し方はしているつもりだったので、シュイがそれを言い当てたことに驚いたのだ。

 ちなみにユーミスもルルが魔力を隠している場合にはその存在を感知するのは簡単ではなく、シュイはどうやらそういった感知能力の点においてはユーミスをも凌駕しているらしい。

 人族ヒューマンの魔術師として、また王都の魔術師として最高峰に近いと言われるだけの能力はあるらしかった。

 ルルはシュイに言う。


「これでも頑張って隠しているつもりなんだが……よく見破ったものだ」


「冒険者として活動しているが、その内容のほとんどが古代遺跡の発掘や調査なのでね。そう言った遺跡の仕掛けや罠を見破るときには、どうしても魔力の動き、というものを直観的に理解できる能力が必要だから自然に身に着いたのだよ。しかし本当に見事な隠蔽だ。魔力自体の扱いというものは、魔術師よりも戦士たちの方が魔力循環による身体強化を頻繁に扱うために巧みなことが少なくないが、それにしても君のそれは今まで見た誰よりも巧い隠し方だ。その能力は魔術師に転向しても相当な高みに登れると言っていい」


 ルルの言葉に返答したシュイの台詞に、ルルは首を傾げる。

 どうやら、シュイはルルのことを戦士だと思っているらしい、ということがそこから理解できたからだ。

 確かに、ルルの格好は魔術師と言うより戦士と評価されるものだ。

 片手剣を持ち、動きやすい服を身に纏っているのである。

 それに、予選においても魔術師としてではなく、剣士として戦ってきた。

 シュイは大規模氏族クランとして情報収集能力も高いと思われるから、ルルの戦い方くらい調べたかもしれない。

 そう言った情報を総合すれば、ルルを戦士である、と考えるのは無理からぬことだ。


 そして、そんな勘違いを訂正してやるほど、ルルは優しくもないし正々堂々戦わなければならないと信じているタイプでもなかった。

 ルルはシュイに言う。


「そう言われてみると、確かにグランは魔力自体の扱いはうまいな。魔術の構成が下手すぎて、魔術はほとんど使えないみたいだけど」


 そういうルルに、シュイは頷いて答える。


「そう、魔術師に必要な能力は、魔術の構成力だ。膨大な魔術知識を覚え、理解し、応用してその構成を組み立てる力。それが出来ない者に、魔術師への道は開かれない」


 シュイの言っていることはルルからしてみれば、正しくもあるし、また間違ってもいた。

 魔術の構成力は確かに必要な能力だが、それと同時に魔力の扱い自体も鍛えなければ使えない魔術というのが数多くあることを、ルルは知っているからだ。

 おそらく、このシュイのような考え方が現代の人族ヒューマンの魔術師の基礎にあるから、過去存在したはずの魔術的知識が遺失してしまっているのかもしれない。

 ただ、それでも偶然か何かで魔力の構成も魔力の扱いも巧みな者と言うのが生まれ、それによってシュイのような高い実力を持つ魔術師と言うのが生まれるのだろう。

 ユーミスもシュイも、ルルから見ても中々、と思わせる程度には魔力の扱いが上手い。

 それは見ただけで、分かる。

 彼らの体内にある魔力のうごめきが、そのことを証明するように滑らかだからだ。

 そんなシュイが、一体どんな魔術をこれから見せてくれるのか、ルルは楽しみで仕方なかった。


「……始めッ!」


 闘技場に試合開始の合図が鳴り響く。

 直後、高速で魔術を唱え始めたシュイの詠唱が完成する。

 巨大な光と爆音が、闘技場を包んだ。

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