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第51話 予選第二回戦 その八

 自分の氏族クランの副族長が、小さく華奢な女の子に顔面を引っ掴まれ、そのままぶん投げられて宙を舞う光景を見る機会が、人生に一体どれほどの回数あるというのだろう。


 ヒメロスはそんなことを考えながら、ガラスの向こう側で繰り広げられるその様子を、口をあんぐりと開いて眺め、イリスがアグノスをしっかりと抱き留めたのを確認してから、大声でグランに叫んだのだった。


「あ、あのイリスという娘は一体何者なんだ!? ありえないだろう!?」


 そう、あり得ない。

 何をもってそんなことを言うのかと言えば、たった今、見せられた光景全てをもってそう言うのだと言わざるを得ない。

 まず、初撃からしておかしかった。

 アグノスがイリスに譲った結果、彼女を襲ったあの一撃の重みは、遠くから見ているだけでも伝わってくるほどのものだった。

 イリスと言う少女を見る限り、その肉体にそれほどの力が秘められているとはとてもではないが考えられず、意外を通り越して驚倒しかけたと言ってもいいほどだ。

 もちろん、身体強化魔術ないし魔力循環による身体強化により、その肉体強度を上げた、と考えられないこともないのだが、そもそもどちらも掛け算のようなもので、もともとの身体能力を基礎として発動するものであり、そのことを考えればイリスのあの速度、そして力は異常と言っていいものだった。

 ただ、それでもまだ理解することは出来た。

 イリスに非常に高い魔力があり、それを使ってあの華奢な体を目一杯強化して、あの力を見せたのだと考えれば分からないでもないからだ。

 高い次元にある魔術師ほど、小さな力を大きなものへと増幅できる。

 イリスも、実のところそのような魔術師であり、だからこそ熟練の剣士であるアグノスを圧倒できる速度と力を手に入れたのだと言われれば、納得はできる。


 ただ、そうではないのが、あのイリスと言う少女の恐ろしいところだった。

 何が恐ろしいかと言えば、あれだけの速度、力を見せたにも関わらず、ヒメロスの目から見て、イリスの体には一切の魔術的強化・・・・・・・・がかかっていなかった、ということである。

 アグノスにはしっかりと魔力循環による身体強化がかかっていたと言うのに、である。

 それはつまり、素の身体能力のみでイリスはアグノスの強化された身体能力を圧倒したと言うことに他ならない。


 熟達した上級冒険者の身体能力は、それこそ岩をも砕き、鋼をも両断すると言われるほどのもので、そんな能力を素の肉体で発揮できる者などいるはずがない。

 なのに、たった今、ヒメロスの前で繰り広げられた光景は、そんな常識を明らかに覆していて、一体自分が今見たのは果たして真実だったのかを何度も自問してしまう程度には、あり得ない光景であったのである。


 そんな混乱の渦にあるヒメロスに向かって、グランは笑って言うのだ。


「賭けは、俺の勝ちだな」


 腹立たしいくらいに清々しい顔でそんなことを言うものだから、ついつい手が出そうになるヒメロスだったが、逆の立場ならむしろヒメロスがこんな表情を浮かべていただろうことを考えて、それはやめておくことにする。

 それに、そんなことよりも今は聞かなければならないことがあった。

 それは、あのイリスと言う少女が一体何なのかという事だ。


「賭けの事はいい……女に二言は無しだ! “時代の探究者エラム・クピードル”の奴ら全員に腹いっぱいになるまで食わせてやる。だがな、グラン。その前に聞かなければならないことがある! あの少女は一体何者だ!」


 そのときのヒメロスの様子はまさに詰め寄らんばかり、と言った雰囲気であった。

 しかし、グランはその質問に対して意外にも明確な返答は避けた。

 いつもならはっきりと言いそうであるのに、優柔不断と言うか、言葉を選んでいるような感じである。


「何者……と言われると俺も参っちまうんだよな。俺からは何とも言えねぇ。本人からも口止めされちまってるしよ。ただ、俺はこないだの会合からずっと、嘘も誇張も言ってねぇぜ。それだけは確認しておけよ。これはヒメロスだけじゃねぇ。ここにいる全員に言っておくぜ」


 そんな風に。

 ヒメロスはそんなグランの返答に煮え切らないものを感じ、更に詰問した。


「何とも言えないと言われても、納得しかねるぞ。あれだけの腕だ、どこか名のある者の秘蔵っ子なのだろう? そうなんだろう?」


 しかしいくら聞いてもグランは答えようとはしなかった。

 そしてしつこいヒメロスに呆れたように言ったのだった。


「言ったろうが。俺は口止めされているってな。これはただの口約束じゃねぇ。どうしても知りたいなら、本人に聞け。答えるかどうかはあいつらが決めるだろう」


「口約束ではない?」


 ヒメロスは、グランの言葉に一瞬首を傾げたが、少し考えてその意味を理解した。

 口約束ではない口止め、それはつまり、魔術的契約による拘束、ということではないかと。

 それだから、こんな微妙な言い方をするのかと理解できた。

 そしてそうである以上、いくら聞いても無駄だろうとも。

 契約魔術は絶対である。

 それを破った場合、どのようなペナルティがあるかは時と場合によるが、グランがこれほどまでに忌避するということは軽い罰ではないだろう。

 それに、よくよく考えてみれば契約魔術があろうがなかろうが、グランがこの手の約束を破るとは考えにくかった。

 頭に少し血が上ってしまっていたようだと反省し、ヒメロスは深呼吸をする。

 それから、


「……そうか、分かった。すまない。興奮して……つい」


 そう謝った。

 そもそも本人たちが話したくないことを他人から聞くべきではないと言う当たり前のマナーを、ヒメロスは破ろうとしてしまったのだから。

 グランはそんなヒメロスに対し、


「ま、どうせ俺は話せないし、ユーミスだって同じだ。それに本当に知りたいなら、本人たちに聞けばいい。あいつらは俺とユーミスを契約魔術で縛ったが、かなり緩い縛りだからな。何が何でも隠したい、とまでは思ってないんだろう。聞けば話してくれるかもしれねぇぞ」


 ヒメロスはグランの言葉に首を傾げる。

 そんなに隠すつもりはない、とはいったいどういう事なのかと。

 隠したいからこその契約魔術ではないのかと。

 そんなヒメロスの表情を読んだグランは、続けて言う。


「まぁ……なんつーか、うまく説明できない事情があるんだよ。それも含めて、本人たちに聞いてくれ」


 よく分からなかったが、ヒメロスはそれに頷くしかなかった。

 それからグランは別の方向を向いて、続けた。


「っと……そんなことより、次はシュイがルルと戦うんだったな。お前、今の試合見るまでヒメロスと同じであいつら嘗めてたろ? どうする? 賭けるか?」


 グランの視線の方角にいるのは、氏族クラン道化師の図書館フォッソル・ビブリオテーカ”のシュイ=レリーヴである。

 その眼鏡をかけた細面は冒険者と言うより学者を思わせるが、彼は真実、この王都では指折りの実力を持った魔術師である。

 そんな彼が、先ほどの試合を見てから、冷や汗を垂らし続けているのである。

 そして、シュイは、グランに答えた。


「それは、つまり……ルルと言う少年が勝つか、私が勝つか、ということか?」


「そうだ」


 頷いたグランに、シュイは少し考えて尋ねる。


「……もし、賭けるとしたら、君はどちらに賭けるんだ? 私か、それともルルと言う少年か?」


 そして間髪入れずに返って来た答えは、


「決まってる。ルルだ」


 であった。

 本当なら、ここで激昂してもいい答えなのかもしれなかった。

 だが、シュイは、そこまで現実が見えていないタイプではなかった。

 むしろ、やはりそうなのかと納得してしまったくらいである。

 先ほど目の前で繰り広げられたイリスと言う少女の戦闘は、それこそとてもではないが新人の枠に収まるようなものではなかったのだから。

 シュイの相手になるはずの、ルルと言う少年は、そんなイリスの兄にあたるのだと言う。

 そんな人物が、弱いはずがない。

 むしろ、イリスより強い、と考えるべきであった。


 ただ、それでも勝算がない訳ではなかった。

 シュイにはアグノスと異なる点がある。

 それは、シュイは魔術師であり、アグノスは剣士であるという事だ。

 遠距離攻撃や結界による防御により、相手の速度や単純な筋力と言うものを無視できるような戦術を組み立てることが出来るのが、魔術師の強みである。

 ルルと言う少年が兄であるなら、その戦い方も妹に似ているだろうと考えることは間違いではないはず。

 そうすると、自分はあのイリスのような速度や力に対抗できるよう、出来るだけ距離を取り、身を守りながら飽和攻撃をすれば可能性はあるのではないか。

 そう思った。


 そしてそう思ったからこそ、シュイは、グランの申出を断ることはすまい、と思った。

 氏族クランの族長同士で賭けという言葉が出たとき、そこにかかっているのは単純な金銭だけでなく、その強さに対する誇りも賭けられているものだ。

 シュイは族長として、引くわけにはいかないのである。


 だから、シュイはグランに言った。


「……では、私は私の勝利に賭けよう。君の秘蔵っ子を、完膚なきまでに叩きのめしてやると、ここに誓うさ」


 その答えに、グランは微笑み、そして言う。


「言ったな……はは、今日の晩飯は豪華になるな! 楽しみだぜ」


 そう言ったグランの声には一切の不安はなく、完全に自分の勝ちを確信しているようである。

 シュイはこの男に絶対にほえ面をかかせてやると誓い、特別観戦室を出て、選手控室へと向かったのだった。


 ◆◇◆◇◆


 闘技場は先ほどまでの歓声が嘘のように静寂に満ちていた。

 中心にはアグノスを抱きしめているイリスが立っている。


 試合は、大方の予想を裏切り、初級冒険者が上級冒険者を打ち破ると言う十年に一度の快挙によって幕を閉じた。

 しかも、その戦いは圧倒的であり、アグノスは殆ど何も出来ずに負けたと言っていい。

 これを何と言っていいものか、観客達は困惑し、そして何も言葉を発せずにいたのだ。


 ルルの隣に腰かけていたガヤがその瞳を大きく見開いて、それからこちらを見て言う。


「ル、ルル……イリスが……イリスの……あれ、なんなんだ!? どうやって勝ったんだ!? 俺には何にも見えなかったけど……って言うか、その前にイリスってあんなに強かったのか!?」


 色々聞きたいことがあるようだが、まとまっていないのは仕方ないことだろう。

 目の前で信じられないことが起こった時、人は大体こんな風になるものだ。

 ガヤと反対側に座るラスティはむしろ何とも思っていない様子で、まぁこんなもんだろうな、という顔でステージの方を見つめている。

 ミィとユーリも同様であり、なぜかキキョウもあんまり驚いていない。

 ルルはガヤの言葉に一つ一つ丁寧に答えることにする。

 彼の隣に座る、二人の彼の仲間たちに向けても。


「イリスのあれがなんなんだ、って言うのがどうやってアグノスを空にやったのか、という意味なら、それは顔を引っ掴んで思い切りぶん投げた、って感じだな。どうやって勝ったのかって言われると……まぁ、あのまんまアグノスが落下してたらイリスの掲げてた剣に突き刺さって終わりだと思ったアグノスが降参したからだろう。イリスの実力については……まぁ、見ての通りとしか言いようがないな」


 ガヤ達は一つ一つの答えを咀嚼するようにゆっくりと頷きながら聞き、そして改めて驚きの表情を浮かべ、そして、


「……すげー……イリス、すげーよ! 俺、感動した!!」


 そんなことを言いながら立ち上がって、イリスに対して感嘆の声を上げた。

 そのガヤ達の声が呼び水となり、他の観客達もイリスを褒め称える言葉を送り始める。


「あんた、小さいのに凄いな! 贔屓にするぜ!」「アグノス! あんたも強いが、今回は相手が悪かったみたいだな!」


 などなど、様々である。

 アグノスに対して不平不満をぶつけるような声が少ないのは、彼女が手加減したり八百長したりする性格ではなく、真面目に戦ってこの結果であるという事を観客達が分かっているからだろう。

 そしてそうであるのにイリスが圧勝したという事に対して、驚きと、清々しさを感じているからだ。

 こういう大どんでん返しがあるから闘技大会は面白いのだ、と言う声がいくつも聞こえてくる。

 これで、彼女の――イリスの名は、闘技大会において最も注目される選手のものの一つとなった。


 闘技場中央でそんな歓声に手を振るイリスを眺めながら、ルルは言う。


「……良くやったな……」


 やはりここでもなんとなく父親気分が出てしまうルル。

 バッカスの代わりに、その成長を見てやらねばならないと言う妙な義務感に駆られてしまって目頭が熱い。

 そんなルルに、ラスティがふっと囁くように言った。


「イリスでこれだけ盛り上がるんだ……ルル、お前もこれ以上に魅せてくれるって期待していいんだよな?」


 そう言ったラスティの表情は、子供の頃、悪戯を思いついて幼馴染みんなで実行しようかというときのそれに近いものだ。

 この場で、ルルの正しい実力を知っているのは、ラスティたちとイリスだけ。

 何も知らずにルルの実力を見せられたときの観客の表情を見るのが、今から楽しみなのだろう。

 ルルはそのことを理解して、ラスティに言った。


「勿論……楽しみにしておくことだな」


 そう残して、ルルは選手控室に向かう。

 背中から頑張れよ、と言う幼馴染たちの声が聞こえた。


 負けるわけにはいかない、と思った。

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