第47話 予選第二回戦 その四
「……父さんは一体どんな約束をしてるんだよ……」
ラスティと騎士との会話を聞いたルルは思わずそう言って頭を抱えた。
イリスはそんなルルに微笑んで言う。
「苦し紛れについ言ってしまったのではないでしょうか。お義父さまは、普段は穏やかな方ですから、ああ言った熱意ある方から詰め寄られては断りにくかったのでは?」
ラスティの相手の騎士は、重武装だが鉄仮面はつけておらず、その顔はよく見えた。
厳めしい言葉遣いの割には、それほど年は取っていない。
二十をいくつか超えたか、という位の若い騎士であり、まだまだこれからという雰囲気がある。
だからだろう、その瞳には確かに熱があり、雰囲気にも気概が満ちていて、パトリックとは正反対の性質を持つ人のように思われる。
そんな彼から、パトリックが詰め寄られたら……。
それを想像して、ルルはため息を吐いて頷いた。
「確かに、父さんは断れなかっただろうな……」
ただ、時間が取れなかったのかそれとも単に面倒だったのかは分からないが、どうにか逃れようと努力したのだろう。
その結果出た言い訳とも言うべき台詞が、弟子に勝利した場合には戦ってやる、だったというわけだ。
ただそれだけの言葉を頼りに闘技大会に出場するらしいという事を掴んでここまで来たのならその執念たるや物凄いものがある。
単純にパトリックが闘技大会に出るかもね、と言っただけかもしれないが。
あれと自分も戦わなければならないのだろうか、と思って何となく忌避感を感じないでもないルル。
そんなルルを見て、イリスが言う。
「ラスティが勝利すればそんな心配もする必要はありませんわ」
イリスの言葉に、そう言えばそうだな、と思い至ったルルは、俄然ラスティの応援に対するやる気が噴き出すのを感じて、実行に移すことにした。
闘技場の前方で、途中からずっとフウカと共に出場者たちの応援をし続けているキキョウのもとに近づき、それに加わるべくその肩を叩く。
「あ、ルルさん! 一緒にやりますかっ!?」
振り返ってそう言ったキキョウは、両手に持っていた、扇子、と呼ばれる彼女の国の工芸品をルルに手渡した。
彼女が言うには、こう言った場で応援するときには扇子を使って応援するのが彼女の国の伝統なのだと言う。
確かに先ほどから彼女はそれを巧みに使ってキレのいい応援をしていたのをルルは目撃していた。
魔王として、その応援の様子はしっかりルルの脳裏に焼き付いており真似しようと思えばすぐにできる。
「さぁ! 応援しますよ~っ! ふれ~! ふれ~! ら・す・てぃ!」
キキョウのその声に合わせ、ルルは扇子を振る。
シュールな光景であった。
イリスはそれを観客席に座って眺めながら、微笑む。
ちなみにフウカは、どうやってなのかは分からないが、キキョウたちと同じく扇子を自分の周囲に浮かべて応援している。
明らかに魔術的現象であるが、そのことについて気にする観客はなぜかいなかった。
◆◇◆◇◆
ラスティと騎士、向かい合う二人はじりじりと相手の隙を伺っていたが、先にしびれを切らしたのはラスティの方だった。
パトリックであればこのような場合は相手が手を出してくるまでずっと構えていたかもしれない。
そういう根気の必要な守る戦いを彼は得意としているからだ。
けれど、彼のみならず、どちらかと言えば好戦的な性格をしているグラン、そして攻撃的な戦いを得意とするルルにも学んだラスティにとって、相手を待つことにはそれほどの意味は無かった。
むしろ、どこまでも攻めて攻めて攻めまくる、くらいの方が、ラスティにとっては戦いやすく、それを可能にする体力が彼にはあるのだ。
ラスティはそのことをよく理解したうえで、騎士に向かって踏み出した。
無意識にでも体に魔力を流せるようにひたすら訓練させられた。
それに合わせて身体強化魔術も発動させているラスティ。
通常であれば、魔力量や集中力の関係で、どちらかしか発動させることが出来ないが、ラスティには出来る。出来てしまう。
それは、村で行った厳しい訓練の日々と、無意味な訓練を一つも入れずに合理的なそれだけを組み上げた三人の師匠たちのお陰であった。
未だ、体も技術も完成からは程遠いラスティであるが、しかしそれでもその技術は、彼の実力を同年代より頭一つ二つ飛び抜けさせていて、そのことは彼の対戦相手である騎士の予想を超えていた。
飛びかかってくるラスティの恐るべき速度に、驚愕の表情を浮かべる騎士。
しかしそれも一瞬の事だった。
「……面白い!」
にやり、と笑って構えた剣でラスティを迎え撃つ。
そうしてラスティが放ったのは、王国正統剣術の中で最も基本的な技、誰もが一番初期に習う上段切り――俗に“一の太刀”と言われる基本的な技だった。
当然のことながら、同じく王国正統剣術を学んでいるだろう騎士もその技の事は知っていた。
それどころか、彼も使うことができる。
けれどその事実は決して彼を大きく有利にすることは無かった。
一般的な“一の太刀”の速度とはかけ離れた速さで迫ってくるそれを、“一の太刀”と呼んでいいとは彼には思えなかったのである。
あれは、同じ技だが別のものだと思わなければ、避けることも受けることも叶わないだろうと言う事を彼はすぐに理解した。
そして、騎士はその技を受けるべく、踏ん張る。
迫ってきたラスティの剣は、騎士からすれば恐るべき重さでもって騎士の剣に叩きつけられた。
重い。
どこまでも重い。
まるでそれはハンマーを叩きつけられたかのような強大な衝撃を騎士に運んできた。
だが、それでも騎士に剣を手放させるには不十分である。
「……ぬぅ……まだ、まだッ!!」
そう言って、騎士はラスティの剣を弾いた。
「くッ……!」
がきり、と飛ばされたラスティは驚きの声を上げるが、しかし騎士のやったことは彼の想定内のことではあった。
かなり強いだろう、と試合前に感じたことは間違いなく、そしてそうであるならば一撃でやられるわけがないということは分かっていたからだ。
だからこそ、ラスティは剣を弾かれたあと、すぐに動きだし、騎士の脇に回って二撃目を打ち込む。
しかし騎士もまたそれは予想のうちだったのだろう。
ラスティがわき腹に向かって放ってきた一撃を自らの剣で軽く弾き、その上でラスティの脳天を狙って剣を振り下ろしてくる。
その速度はそれほど速くは無い。
十分に余裕を持って避けられる攻撃であり、ラスティは半身をずらして回避し、距離をとった。
騎士がラスティに放った一撃はラスティにとって大したものではなかった。
しかし、それを持って騎士の実力を判断するのは間違いだと、ラスティはその一瞬で理解した。
なぜなら、そのときの騎士の動作には余裕があり、またラスティの出方を観察して楽しんでいるかのような雰囲気すらあったからだ
まだ、本気ではない。
そう思ってラスティは怯えるより、むしろ微笑んだ。
「……ほう。貴殿、理解して笑っているのだな?」
騎士の挑発するようなその声に、ラスティは答える。
「それはもう。こんなに簡単に防御や回避をされたのは、闘技大会では初めてですから。やっと強い人に会えたなと言う気分なんです」
その言葉に、騎士もにやりと笑う。
「強い人、か。そうおだてられてはもはや手加減などする気にならんな……貴殿もまだ本気ではないようだ」
やはり今の一連の応酬は小手調べに過ぎなかった、ということなのだろう。
しかしラスティもそうであったことを、この騎士は見抜いた。
「……手加減したわけではないのですが」
「ふん! 小手調べだったと言うなら同じことよ。ま、人のことは言えぬが……そろそろ、お互い真面目にやろうではないか」
「ええ、望むところです!」
そうして、二人の体に力がみなぎっていく。
観客達には先ほどと何が変わったのかは分からない。
ただ、ある程度の実力者にはその気配が理解できた。
二人が本気で戦おうとしている、その意味が。
◆◇◆◇◆
「魔力を練り込み始めましたね。戦士には必須の技能でしょうが……二人とも中々です」
キキョウが扇子を振りながらそう言った。
ルルは頷いて、
「身体に流す魔力の密度は高ければ高いほどいいからな。その分、消費も大きいし、集中力も技術も必要になってくるが、あのくらいまで魔力を練り込んで高められるだけの技能がある奴は多くないだろう。中級くらいの実力だとほとんどいないな」
「それに加えてラスティさんは身体強化魔術を併用していると。そんな器用なことよく出来ますね~」
どことなく尊敬するような目でキキョウはラスティを見た。
ルルは言う。
「三人で叩き込んだからな。身体強化魔術については俺が、身体に魔力を流す技術については父さんとグランが。本来両方併用してもどちらにも集中力を割けなくなるから結果的に弱くなる、と言われているがラスティは別だ。しっかりどっちも維持できてる……これからが楽しみだな」
身体強化魔術と、体に魔力を流す技法は厳密には別だ。
両方合わせて身体強化魔術、というときもあるが、前者は詠唱が必要な魔術師の技術であり、後者は詠唱が不要な剣士の技術だと言われることが多い。
また、前者は他人にもかけることが出来るが、後者は自分の体のみを対象としているものだとも言われる。
本質的には異ならず、究めると後は出力の問題でしかなくなってくるが、そうでない場合は、重ね掛けした方がより高い身体能力を発揮できる。
ただ、両方を個人で発動させることは集中力や技術の問題で難しいため、勧められないのが一般的であり、自分のスタイルに合わせてどちらか一つを身に着けるのが普通である。
この通説的な考え方に反逆しているのがラスティであり、そう教え込んだのがルルとグランとパトリックなのであった。
面白そう、というのもあるが、三人はそれぞれの理由で身体強化魔術と体に魔力を流す技法を両立させられる可能性に気づいており、そしてそれは何も知識のないまっさらな状態で行うのが一番いい、と考えていた。
そして三人はそれを自分の体でもって実証しており、それが確実に可能なことも分かっていた。
だから、ラスティにこれを叩き込もう、ということになり、そのための方策について相談しながら身に着けさせた、というわけである。
ミィとユーリも僅かに両方を併用することが出来ているが、バランスよく身についているのはラスティただ一人だ。
そしてだからこそ、近接戦闘においては、ラスティ、ミィ、ユーリの中でラスティが最も強いと考えられるのである。
「……だから、勝つんだぞ。ラスティ」
異質かつ無謀な訓練を施した弟子を見つめながら、ルルはそう呟いたのだった。
◆◇◆◇◆
がきぃん!!
剣と剣がぶつかり合い、そんな音を立てるのもこれで何度目だろう。
幾度も剣戟を繰り返しながら、ラスティと騎士は同じことを考えていた。
技量では騎士が勝っている。
しかし、速度ではラスティが勝っていた。
そしてそのことが、二人の決着を長引かせている。
総合的にはほぼ互角らしい彼らの戦いは、観客達を長い時間興奮させて来たが、しかしこのままでは埒が開かない。
絶対に負けたくないと思った二人はそれぞれ賭けに出ることを決めたのだった。
騎士はラスティの技量にまだ荒いところがあり、付け入る隙をひたすらに探していた。
そしてそれを今、見つけたのだ。
剣を振り下ろす瞬間、ラスティは一切の躊躇もせず全力で振り切ってくる。
そしてそれを弾かれたそのとき、一瞬の隙が出来ることを騎士は理解したのだ。
それは何度も剣を合わせなければ気づくことの出来ない、僅かな隙。
けれど、長い時間戦った騎士にとっては大きな隙だった。
だから、騎士はその隙に向かって、飛び込む。
ラスティが大きく剣を振る。
「うりゃあぁぁ!!!」
その剣線を全身全霊で感じ取り、そして確かに受け止める騎士。
「……ふぬぉ!!!」
そして、狙い通り、ラスティの剣は弾かれる。
その瞬間、騎士には見えた。
勝利への道筋が、そこにある隙が。
だから、騎士はその一瞬を絶対に見逃さぬと、そこに向かって渾身の斬撃を放つ。
――勝った。
騎士はそう、思った。
見つめているのは、その大きな隙だけ。
だから、彼は気づかなかった。
ラスティの口元が僅かに微笑んでいることを。
あと数センチで自らの剣がラスティに届く。
そう思った瞬間、騎士の意識は一瞬で刈り取られたのだった。
◆◇◆◇◆
「……わざとか。悪くなかったな」
倒れた騎士を見つめて静まり返った闘技場の中、ルルがそれを見てぼそりと呟いた。
騎士の剣がラスティの腹に切り込まれると思われたその瞬間、ラスティの剣は疾風のように走り、騎士の体を吹き飛ばしたのだ。
それはラスティにとって限界の剣速だっただろう。
そしてそれはとてつもなく速かった。
騎士の剣があと数センチを詰められなかった程度には。
ラスティの身に着けた身体強化魔術と体内魔力循環の技法は、彼の身体能力を限界まであげてそれを可能にしたのである。
それを見たルルは、確かにそれが出来るようには鍛えたが、これほど見事にやりきるとは思わなかったと驚きを覚えた。
騎士に対して、わざと僅かな隙を作り、そしてその隙を突くべく騎士が全身全霊を込めて技を放ってくる瞬間を見極め、自らの渾身の一撃を放つ。
それは、口で言うのは簡単だが、現実に行うのは難しいことだ。
思わぬラスティの成長に喜びながら、ルルは勝者に対する歓声の第一声を送ることにする。
「よくやった!!!」
それを皮切りに、観客達の歓声がラスティに送られる。
本当に、いい戦士に育った。
満足を覚えながら、ルルは勝者を迎えるためにロビーに向かうことにしたのだった。