第45話 予選第二回戦 その二
「村を出た後も、訓練を怠らなかったようで嬉しいです」
ミィの試合を見た後、ふっと微笑んでイリスはそう言った。
実際、ミィの戦いぶりはルルの目から見ても中々のもので、村を出る前よりもずっと腕を上げているように思える。
あの頃には無かった、注意深さと周到さがそこにはあったように思え、他の二人も同様なのだろうかと楽しみになってくるくらいである。
そう、イリスに言うと、
「身のこなしに関しては、ミィが一番ですから……他の二人は別の部分で楽しませてくれることでしょうね。ただ、ラスティについてはお兄さまの方がお詳しいでしょうけど」
確かにミィの身のこなしは見事だった。
もちろん、あの体型で素の身体能力のみであの挙動が可能だったとはとてもではないが思えないので、その大部分は身体強化魔術による強化によるものなのは間違いない。
ただ、身体強化魔術の難しいところは、火の玉を放ったりするタイプの魔法と異なり、その制御に多大なる精神力が必要になってくるところにある。
魔術はその魔力の扱い方から、即時性と、持続性という性質があり、火の玉を放つタイプの魔術は前者の部分が大きい。
この違いは、たとえ火の玉を放った後に集中が乱れても、火の玉自体は消滅しないというところに現れる。
この点、身体強化魔術は、持続性の占める部分が大きく、集中が乱れるとその時点で身体強化は解けてしまうところに現れる。
したがって、身体強化魔術は常に気を張っていなければならず、その使用場面も近接戦において最大の効果を発揮するものであるから、魔術の中では難易度が意外と高いものなのである。
そんな魔術を、ミィは彼女に出来る範囲で十分に制御し、戦って見せたのだから、その努力の程は分かろうと言うものである。
そのための集中力を身に着けさせるために滝行とか瞑想とかしつこいくらいやらせていた光景を何度か見たことがあるが、そのころに比べて更に錬度が上がっているという事は、冒険者になってからそれ以上に過酷な状況の中で頑張ってきたという事でもある。
思いのほか成長している弟子たちに、イリスは本当に嬉しそうであった。
◆◇◆◇◆
「次は、ユーリの試合だな」
ミィの試合ののち、数試合が行われた、そのどれもがミィのものほどの見ごたえは無く、魔術も剣術もあまりぱっとしない者たちのものが続いて観客達もだれ始めていた。
けれど、次はユーリの試合である。
きっと面白いものになることは間違いなく、ルルたちは背筋を伸ばして試合観戦に望むことにした。
不思議なことに、他の観客達もその試合には興味があるようで、先ほどまでの数試合とは異なった気迫で試合を見守ろうとしている。
なぜだろう、と思った矢先、闘技場のステージに出場者が歩いてくるのが見えた。
始めに現れたのは、非常に高級そうな鎧に身を包んだ、軽そうな男であった。
輝く金色の髪に、甘いマスク。
どことなく気取った雰囲気はよく似合っていて、武術家や戦士というよりかは、役者の方が向いているのではないかと思ってしまうような容姿である。
「オルテスさま~!」「絶対勝ってくださーい!!」
などと、辺りの若い女性から黄色い声が彼に向けられていくつも放たれており、かなり人気のある男のようだった。
彼自身も非常に感じがよく、いちいち歓声に手を振ったり声を返したりしている。
反対に、会場に集っている男性陣たちは機嫌悪く、
「けっ……戦いは見た目でやるもんじゃねぇぜ!」「負けちまえ負けちまえ!」
と言う風に、分かりやすい嫉妬を素直に表現していた。
一緒に来たらしい女性や、妻らしき女性が自分をほったらかしにして若い男に必死に応援の声を上げていたら気分が良くはないだろう。
しかも、これが筋骨隆々のいかにも戦士然とした男ではなく、あの男、オルテスのような軽そうな男となれば尚更である。
しかしルルの連れの女性陣二人はそんな周囲の様子とは異なり、鋭い戦士の視線でオルテスを観察して呟いていた。
「……あの男、結構な腕をしていますね」
イリスがそう言った。
身のこなしや鎧の隙間から垣間見える筋肉の付き方、それに周囲への視線の向け方などから大体の実力を測ったのだろう。
キキョウも、
「うーん……大丈夫ですかね、ユーリさん……」
などと言って心配していた。
事実、ルルの目から見てもあのオルテスという軽薄そうな男は容姿とは異なり確かな技術を身に着けているだろうと思わせる程度には洗練されている。
体型もよく絞られていて、鈍重そうなところなど一切なく、装飾一辺倒にすら見える装備品も皆中々の魔術的強化が施されている品で、一級品とまでは言わないが悪くないものだ。
決して嘗められるような存在ではなくむしろ先ほどミィと戦ったあの大男よりも強いだろうことは明らかだった。
キキョウの心配も理解できる。
ただ、それでも……。
「おそらくは、大丈夫でしょう」
イリスはそう言いきる。
身に着けている品や、身のこなしから、オルテスは純粋戦士型だと思われるところ、ユーミスに師事し、後方支援を主とする魔術師として修行してきたのであるから、本来相性は最悪のはずである。
にもかかわらずそう言い切るという事は、ユーリに相当な信頼があるものと思われた。
しばらくして、闘技場にユーリが入場してくる。
滑らかな灰色の髪、蒼い瞳、それにあの頃とは異なる成長した肢体はかなり魅惑的な美貌を放っていると言ってもいいだろう。
今だ十六でこれなのだから、いずれ傾国傾城と言われてもおかしくはない、それくらいの潜在力を彼女は感じさせる。
観客達もそれは感じたようで、女性陣がオルテスに歓声を向けたように、今度は男性陣がユーリに桃色の声を向けた。
「うぉぉぉぉぉ! 俺はあんたを応援する」「あんな顔だけの奴なんかぶっとばせ!」「俺たちはあんたを信じてるぜ!」
などと、割と勝手なことを言われているが、ユーリもまたふっと微笑み手を振ってその声に応えた。
中には当然口にしがたい台詞もあったのだが、冒険者と言うのはそれ以上に酷い台詞を言われがちな職業であるから、涼しい顔である。
ユーリは村を出たあと、戦闘力のみならず、そう言った面の皮の厚さも身に着けたらしかった。
女性陣は先ほどの自らの行動を忘れて、隣にいる男性の頬やわき腹をつねったりしているが、まぁご愛嬌と言う奴だろう。
オルテスとユーリは歓声が収まってきた会場の中、ゆっくりと構えてお互いを見た。
そこには色気の類は一切なく、二人も完全なる戦士の顔をしていて、凛々しい。
「……始めッ!」
心配の声が会場に響く。観客の歓声も。
そうして、試合が始まる。
◆◇◆◇◆
「……さて、試合が始まってそうそう、こんなことを言うのもなんだけど、君のような美しい人を傷つけるのは忍びない。降参しないか?」
金髪の美剣士オルテスは、ユーリに向かってそう言い放った。
それは自分の武に対する絶対の自信が言わせる台詞ではあったが、彼に実力があるのは事実である。
そのことを、ユーリも理解していて、決して自分を馬鹿にするようなものではないことは分かる。
ただ、それでもユーリには彼の提案に乗る気は無かった。
なぜと言って、彼女自身も自分の力に自信があるからだ。
たとえ剣士が相手なのだとしても、そう簡単に負けはしない。
そう思えるだけの経験と訓練を蓄積してきたのだから。
だから、ユーリは言う。
「ありがたいご提案だけど、謹んでお断りさせて頂くわ。私、貴方に傷つけられるほど弱くはないしね」
そんな風に嘯いて。
オルテスはその言葉に微笑み、そして気迫を強くした。
「……君も僕の見た目に勘違いをしている口かな? 第一回戦ではそうやって油断した沢山の戦士たちが沈んでいった……どうやら、君にも見せてあげなければならないらしい。僕の力をね……!!」
どうやらオルテスは、ユーリの言葉を嘲りと受け取ったらしい。
そう言い放った後、すぐに踏み込んで襲い掛かってくる。
その一連の動きには確かな技術が感じられ、彼の高い実力をその言葉通りに証明しているようだった。
その雰囲気から嘗められることが多いのかもしれない、オルテス。
実力が低ければ低いほど、彼のような存在を正確に評価できないのだろう。
ただ、ユーリはそうではない。
闘志に燃えて、武器を構えて向かってくるオルテスの速度も、むしろ予想のうちであり、会話をしながらしっかりと魔術を組み上げていた。
ユーミスから学んだ魔術に、イリスの教えた無詠唱技術を活用したそれを、ユーリは発動させる。
「……出でよ、剣の精霊!」
本来であればもっと長大な詠唱を重ねなければ発動しないはずのその魔術は、しかし現代において望める最上の教師二人の技術を学び、消化した結果、たった二語というおそるべき短音節で発動まで漕ぎ着ける。
今のユーリの技量ではイリスのような完全なる無詠唱は出来ないが、それでも驚異的である。
実際、襲い掛かってきたオルテスの剣がユーリに届くよりも先に、魔術は発動し、そしてその剣を弾いたのである。
絶対の勝利を確信しての切り込みを絶妙のタイミングで防御されたことに驚いたオルテスは、そのまま追撃を行う事をせずにむしろ観察をこそすべきと後ずさってユーリを鋭い目で見つめた。
自分の攻撃を防いだそれが、一体いかなる魔術なのかを見極めるためだった。
ユーリ自身が自らの武術的技能でそれを行った、というわけではないことは、彼女にそのような様子が一切見られなかったこと、そして直前で耳に聞こえたあの詠唱から明らかだ。
ただし、オルテスにはその詠唱の意味は理解できなかった。
それも当然のことで、ユーリの詠唱はユーミスとイリスに学んだもの。
現代の魔術言語とは発音からして異なるものだ。
詠唱から効果を推測するわけにもいかなかったオルテスは、魔術それ自体を観察することによってしか、その効果を確認することができない、というわけである。
そして、ユーリから距離をとった彼が見たものは、今まで見たこともないものであった。
ユーリの周りにぼんやりとした結界が張られていて、それが魔術師のよく使う手である結界であることは分かったが、その外側に、明らかに戦士と思しき全身鎧を身に纏った何かが立っているのである。
闘技場に出場者以外が入ることは禁止であり、それが行われた時点で失格になる決まりだ。
けれど、今の時点で審判は沈黙を保っている以上、あの全身鎧は乱入者というわけではないということになる。
そして、それは今、ユーリを守るように立っており、それはつまりオルテスの攻撃を防いだのはあれだということで……。
「驚いた?」
ユーリの微笑みとともに、そんな声がオルテスに投げかけられる。
その余裕を含んだ上位者を思わせる声に自分の立場を知らされたような気がして、思わず首筋に冷や汗が流れたオルテスは、しかし聞かねばならぬと勇気を振り絞って尋ねた。
「……驚いたさ。驚いたよ。そいつは、一体なんだ? 僕の攻撃を防いだのも、そいつの仕業だろう?」
答えることを期待して尋ねたわけではなかった。
魔術師が自分の手の内をさらすことは少ない。
人によっては使える魔術の名前すら言いたくないというものもおり、詠唱は出来るだけ小さく早く、が基本であったりする。
しかし、ユーリはそこまで秘密主義のタイプではないらしい。
嬉々として、とまではいかなくとも、最低限の説明はしてくれたのである。
「これは、御推察の通り、私の魔術……私の呼び出した精霊よ」
その言葉は会場に響き、観客達のざわめきを生んだ。
それは驚きの声だった。
直接聞いたオルテスもまた同様である。
なぜと言って、精霊を操る魔術と言うのはどれも極めて高度であり、そう簡単に使えるものではなく、あの一瞬の交錯の中でそれを発動させられると言うのは魔術師として相当高位にあることの証拠に他ならなかったからだ。
しかも、あのような姿の精霊は見たことがない。
鎧を身に纏い、剣を帯びた剣士のような……。
それがどんな精霊なのかは、聞いてもおそらくは答えてはくれないだろう。
ただ、それでもオルテスの渾身の一撃を防いだあの精霊の技量が、彼の上を行くことは明らかである。
このステージに出てきた当初、相対する相手が年端もいかない少女であることを確認して、自分は挑戦を受ける側だと思った。
けれど現実はどうだろう。
あの魔術である。
むしろ、オルテスは自分が挑戦者の側に立っている存在であることを知り、緊張が体に満ちていく。
しかしそれでも負けるわけにはいかないのだ。
何のために大会に出たのかを思い出せと、自分に言い聞かせて、魂を奮い立たせる。
そして改めて剣を構えたオルテスは、ユーリに言った。
「どうやら、嘗めていたのは僕の方だったらしい。謝罪するよ……だけど、僕は負けるわけにはいかない……負けるわけには、いかないんだっ!!」
そう叫んだオルテスは全身に力を込めて、飛びかかっていく。
渾身の、それこそ初めの一撃よりも力の籠った攻撃だった。
観客達はそんな一瞬を、固唾を呑んで見守ったのだった。