第40話 予選第一回戦 その三
――さて、これからどうしたものでしょうか。
目の前で可哀想なくらいに委縮している初級冒険者であろう三人組を見つめながら、イリスはそんなことを考えていた。
イリスに対して渾身の魔術を叩き込みながら、直撃を目撃したにも関わらず無傷で現れたことがきっと恐ろしいのだろう、とは思うのだが、イリスの主観からするとそもそも大したことではないのだ。
魔術が衝突する直前に障壁を張り、防御しただけの話であるし、それくらいのことはそこそこの魔術師なら出来ることである。
そう思っているからだ。
けれど、このイリスの考えは、かつての魔族と人族との戦争の行われていた時代ならば一般的なそれであるとしても、現代においては決してそんなことはなかった。
確かに、魔術障壁を張ることが出来る魔術師と言うのは大勢いる。
目の前にいる未だひよっこに過ぎない魔術師たちも、はい、魔術障壁を張ってください、と師匠なりなんなりに言われれば、分かりましたと言って普通に障壁を張れることは間違いない。
しかし、それには手順というものがあり、その手順の工程がイリスとは比べ物にならないくらい、長い。
詠唱をしながら魔力量を調整し、その構成に細心の注意をしながら構築していくのが魔術というものの本質であるとこの時代の魔術師は誰もが考えているのであって、なんとなく、勘で、しかも詠唱などなくとも魔術を瞬時に組み立ててしまうような存在は化け物と言われるそれであるということを、イリスは知らなかった。
つまり、イリスを恐れて後ずさる三人組魔術師たちの主観からすれば、イリスは生身の肉体で三属性の魔術の直撃を受けているのに無傷で微笑んでいる存在、ということになり、それは確かに恐れるに足りるそれであるのは誰に聞いても間違いのない話だった。
それに、彼女たちがイリスを恐れる理由は、それだけでもなかった。
イリスは怯えきり、しかも渾身の魔術を無効化されて万策尽きた魔術師たちに、最後通告のように呟く。
「……来ないのですか? それならこちらから参りますが?」
その言葉に、震えが止まらなくなる三人。
そして、イリスはその言葉通りにゆっくりと彼女たちに向けて助走し始め、腰に下げていた短刀を抜いて速度を上げた。
一連の動作のどこにも無駄は無く、なめらかで、道の両脇、結界の外で見ている観客達、それにイリスの相手である筈の少女たちも一瞬見とれてしまったほどだ。
けれど、観客とは異なり、このままでは命の危険すらあると瞬時に我に返った少年少女たちは、慌ててこの後どうするか考える。
そして、答えは瞬時に出た。
これは闘技大会の予選第一回戦である。
バッジを必要数集めて、それを保持し続けることがその勝利条件だ。
参加者はそのために戦っており、だからこそ、戦いを逃れるためにすべきことは一つしかない、と。
つまりそれは、自分の胸元に輝くバッジを相手に差し出すこと。
そう結論した三人は急いで自分の胸元からバッジを外そうと、手を伸ばした。
けれど、
「……? 何をしているのですか?」
気付いた時にはすでにイリスは彼女たちの背後に回っていて、その美しく細い首を傾げて不思議そうな顔で彼女たちを見つめていた。
そして、その頭上には振り上げ短刀が光る。
「……や、やめっ……!」
三人の少年少女魔術師のうち、誰がそう言ったのかは分からない。
けれど、最後まで言葉を言い切ることは出来なかった。
三人の意識は銀髪の少女に一瞬にして刈り取られ、暗闇に沈んでしまったからだ
何の抵抗も出来ずに倒れたその少年少女たちを見つめながら、イリスは言う。
「なんだったんでしょう……?」
イリスの考えからすると、これは所詮ただの大会である。
命の奪い合いをしている訳ではない以上、降参、などということはよっぽどの不測の事態でも発生しない限りはするようなことではなく、したがって目の前に倒れている三人がそれをしようとしていたとは考えもしなかった。
だからこそ、何の手加減もせずに攻撃を加えてその意識を奪ったわけである。
三人からすれば、イリスの存在それ自体が不測の事態以外の何物でもなかったことは言うまでもない話だが、そんなことを知らないイリスは、三人の体からバッジを外してじゃらじゃらともてあそび、腰に下げた皮袋を開く。
驚くべきことに、その中にはすでに十個ほどのバッジが入れられており、もはや必要数は完全に満たしていると言っていいだろう。
イリスもそのことは分かっているようで、バッジの数を数えてため息を吐いた。
「……全部で十三個、ですか。集めすぎでしょうね……」
これだけで少なくとも二人は一回戦を突破できる数であり、イリスの言うとおり集めすぎなのは間違いない。
ただ、もちろんルール違反という訳でもない。
予選第一回戦は、言うなれば、あまりにも実力の低い出場者の足切りとしての役割を持っているもので、弱い冒険者を先に進ませないで、事故の可能性を引き下げるという意味合いがあるものだ。
ある程度以上の実力がなければ、本選に進んだ場合死ぬ危険性すらもある。
そのため、むしろ予選第一回戦においては多くの冒険者のバッジを狩ることは推奨されているのだ。
とは言っても、現実にそれが可能なのは相当の実力者だけであり、初出場なのにもかかわらずこれだけのバッジを集められている者は、滅多にいないのは間違いなく、イリスはすでにかなり目立っていると言っていいだろう。
けれど、イリスは別に嬉々としてこれだけの数のバッジを集めたわけではなかった。
そうではなく、イリスの華奢でいかにも戦いなど知らない女の子、という風情に付け込みやすさを感じた他の出場者が徒党を組んで襲ってきたのが原因である。
その誰もが、イリスからバッジを奪えることを疑ってはいなかったのだが、誇張でも何でもなく、イリスはその全員を鎧袖一触と言った様子で打ち倒してしまったのである。
先ほどの三人の魔術師たちは、そんな場面を少し離れたところから見ていたのであり、だからこそ、イリスから出来るだけ遠ざかろうと逃げ回った、というわけだ。
十人からなる屈強な戦士たちを一瞬で倒してしまった様子を見たら、誰でも恐ろしいと思うのが人情である。
あれはやばい、と一瞬で悟ったあの三人組はその瞬間、逃げることを決断したわけだ。
だが、イリスには昔から逃げるものはなんとなく追いかけたくなると言う狩猟本能的気質があった。
それに運悪く引っかかってしまった三人は、それこそ地獄の底まで追いかけてきそうな速度で追い立てられる羽目になってしまった、というわけである。
本当に、運が悪いとしか言いようがない三人だった。
イリスも、少し大人げないことをしたかもしれない、とは思わないではなかったが、そう言う大会なのである。
諦めてほしい、とすぐに自己正当化した辺り、ルルと性質が似ている。
それから、観客達から歓声を送られたイリスはそのまま次の獲物を狙って悠々と歩き出していく。
すでに彼女にはファンがついているらしく、彼女の歩みと合わせて結界の外の道を歩く観客達も何人かいるほどだ。
男女比は意外に女性の方が多く、男性陣はさきほどの魔術師三人の追い立て方に少し恐怖を感じてしまったらしい。
しかしそんなことなど露も知らないイリスは、何も気にせずに次の戦いへと向かっていく。
「これ以上は目立たないように、頑張らないといけませんわね……」
既に魔王よりも目立っている、と突っ込んでくれる人員は、いまこの場には一人もいなかった。
◆◇◆◇◆
ルルとイリスがそんな風に、王都の住人に面白い見世物を提供している中、それとはまったく正反対のことを行っている人物がいた。
街中を子犬がとことこと歩いている。
非常に賢そうな雰囲気を持った子犬であり、その首には袋が下げられていて、がちゃがちゃと音を立てている。
何が入っているのかは分からないが、おそらくは金属製のものが入っているのだろう。
しかも、その子犬は結界で区切られた内側を歩いている。
ということは、つまり闘技大会の参加者、ということになってしまうのだが、当然のことながら闘技大会は動物の参加を認めていない。
いや、厳密にいうなら、動物の参加を想定していない、と言った方がいいだろう。
それを禁止する明確な規定は大会開催規則のどこにも明記されていないのだから。
とは言っても、動物が大会に絶対に参加しないというわけではなく、例外があった。
それが、使い魔としての参加である。
冒険者にしろ、国に仕える騎士や兵士にしろ、また傭兵や流しの自由戦士にしろ、戦い方と言うのは千差万別であるところ、その中に動物や魔物を使役して戦う者も少なくない数存在している。
そのような動物や魔物を使い魔と呼び、そしてそう言ったものを使役する技能を持つ者たちは、使い魔の使役自体に能力の多くを注ぎ込んだ結果、自分自身の戦闘技能に費やすべき時間がなくなり、自らの肉体でもって戦うという事が出来ないと言う場合も多くある。
このような場合に、動物などを使役する技能者に対し、使い魔の参加を認めない、とすると、彼らは極端に不利になり、結果として闘技大会の、強いものを決めるという目的を達成できない可能性もある。
他の国や地域で行われる闘技大会はともかく、このレナードで行われる闘技大会は、ありとあらゆる者の中で、最も強い者を決める、という建前で行われている。
去年までは暗黙の了解として、上級冒険者程度の腕前の者までしか参加を認められなかったわけだが、それは安全性のためにそうせざるを得ないからそうしていただけであって、剣士であるか魔術師であるかそれとも使い魔の使役者であるか、と言った技能の違いによって参加を認める認めないを決めることはしないことは基本的な了解だったのだ。
だからこそ、使い魔の参加は認められている。
そして今街を歩いているこの子犬が、堂々と結界の内側を歩いている以上、これは誰かの使い魔であるということになるのだろう。
そしてあの首から下がっている袋に入っているだろうものは、おそらくは予選での収集目的物であるところのバッジであろうことは簡単に想像できる。
あの子犬を狙って袋を奪い取れば、簡単に予選突破に必要な数のバッジを集められる。
そう考える者がその子犬を狙っても仕方がないような状況であった。
しかし、不思議なことに、参加者の誰もがその子犬を狙おうとはしなかった。
それどころか、脇を子犬が悠々と通り過ぎても、不思議そうな顔すらせずに、すれ違って遠ざかっていくのだ。
奇妙なことだった。
まるで、子犬の存在自体に気づいていないかのようではないか……。
観客達は皆、そう思った。
そう、参加者たちは気づいてはいないかのように子犬を扱ってはいるが、結界の外にいる観客達にはその子犬の存在は認識できているのだ。
なぜなのか、不思議で、だからこそ観客達はその子犬の動向を見つめた。
それから、しばらくとことこと歩いた子犬は、一つの樽の前で停止し、周りをしっかりと確認してから、かちゃかちゃと爪でもって樽の側面をひっかく。
爪でも砥いでいるのだろうか、と不思議そうに見つめる観客達。
しかし驚くべきことに、突然その樽はがたがたと動きだし、蓋がぽーんと吹っ飛ぶように外れて、そこから人間が一人飛び出してきた。
非常に運動神経がいいのか、その飛び出して来た人物はくるくると空中で回転し、すたり、と地面に格好よく着地する。
それだけで相当な錬度の武術者であることが観客達には理解できるほどのものだった。
それは、不思議な服装の少女だった。
赤と白の二色で構成されたシンプルな服。
髪色の黒と相俟ってどこか神秘的な雰囲気を帯びている少女。
その顔の作りも、どこかこの辺りの人間とは異なっていて、種類の違った魅力があるように感じられた。
だから、おそらくは、この国の人間ではないのだろう。
この闘技大会に参加するために、ここに来たのだろうと、観客達は思った。
けれど、それならば彼女はバッジを五つどうしても集めなければならないはずだ。
なのに、樽の中に隠れていた。
そのためなぜそんなところにいたのか不思議で、観客達はその人物と子犬から目を離せずに見つめていた。
それから、その少女は子犬にしゃがみ込み、そしてその首に垂れ下がった袋を受け取って、中身を確認した。
そして観客達は驚く。
開いた袋の口から少女の手にじゃらじゃらといくつかの金色のバッジが出てきたからだ。
少女はそれを満足そうに見つめて、言う。
「おぉ、やりましたね! フウカ。これで今度からフウカのご飯のグレードを一つ上げることをここにお約束しましょう!」
そう言って子犬を撫でる少女、キキョウ。
観客達は、彼女、キキョウが子犬にバッジを収集させて、自分は安全なところに隠れていたのだという事に気づき、ため息をついた。
やる気はあるのか、と聞きたかったからだ。
これは闘技大会である。
その実力をいかんなく発揮してこそ、面白いのではないかと非難めいた感情すら湧いてくる。
けれど、少女のような戦い方があるのも、長年闘技大会を見てきた観客達は分かっていた。
罠や策略を駆使して挑む出場者も毎年ある程度いることを知っていた。
動物や魔物を使役する者の最も恐れるところは、使役対象を無視され、術者本人が攻撃されることである。
その危険を考えて、本人は隠れるという策略もまた、決して間違いではない戦法であるのだ。
だから、そんな観客達はむしろ賢く戦う彼女の様子に賞賛を送る
「あんたのやり方、嫌いじゃねぇぜ!」「体力温存して頑張りな!」「女の子はそれくらいずるがしこい方がうまくいくよ!」
そんな、少しずれた歓声がキキョウに送られ、彼女は照れくさそうに笑って手を振り、言った。
「ありがとうございます! 私、五位を目指して頑張りますからっ!」
そう言って彼女は駆け抜けていく。
彼女がその場に残していったのは、そんな爽やかな笑顔と声だった。
けれど、観客達は改めて彼女の残した言葉を考え、そして首を傾げる。
なぜ、優勝ではなく、五位を目指すのかと、そう思ったからだ。
闘技大会出場者は一人残らず優勝を目指すもの、それはどんなに弱い駆け出しでも心の奥底では間違いなく抱いている強い感情である筈だ。
なのに、彼女は五位入賞。
なぜだ。
そしてしばらくその場で考え続けた観客のうち、一人がぼそりと呟く。
「……そう言えば、五位の商品は聖餐のテーブルかけ、だったな」
と。
それは現代では作り上げることが出来ないと言われる、発掘品、つまりは魔導機械の一員とも言うべき特別な道具である。
しかし、極端に珍しい、というわけではなく、それなりに見つかる、それこそ、それぞれの国に二、三枚はあるだろうというものだ。
けれど、その効果は非常に便利で、一日に三回、二人分の食事を召喚できるというものである。
「……よほど食い物に困ってるのか」
あさっての方向に勘違いし始めた観客達は口々にそんな言葉を呟き始め、食事に困窮しながらも毎日を明るく元気に生きる少女の姿を幻視した。
「かわいそうに……あの年で」「きっと色々あったんだろうよ……」「そういえば、あの娘が酒場で働いているのを見たよ。きっと、故郷とかに仕送りをしたりしてるんだろうね……」
同情的な声がいくつもあがる。
現実として、キキョウは特に食べるのに困っているわけではなく、むしろ主従ともども毎日賄いをお腹いっぱいシフォンに食べさせてもらっているのだが、そんな事情は街人の知るところではなかった。
それに、色気よりもお金に対する欲望よりも、食い気に負けて五位を目指しているのも事実である。
つまり、街人の見立てはそれほど大きく間違っているわけではない、というわけだ。
そうして、その場にいた街人は、食べ物に困っている欠食少女キキョウの応援を決めたのだった。