第39話 予選第一回戦 その二
「ぬりゃぁ!!」
野太い男の声と共にルルに向かって槍が突き込まれる。
ルルはその一撃をしっかりと目で確認しながら剣で軌道をずらして避けた。
しかし、男の方もその一撃だけでしとめ切れるとは考えていなかったらしい。
初級冒険者に過ぎない、一見かなり華奢に見える少年であるルルに対して随分な警戒だと思わなくもないが、それだけ油断なく戦いに挑む姿勢こそが中級冒険者として必要な素質と言うことだろう。
目の前で槍を暴風のように振り回しながらも疲れを見せない筋肉質な髭の男。
彼のことは冒険者組合で何度か見たことがあった。
どころか、会話もしたこともある。
他の冒険者たちと比べてルルとイリスに対して気さくで親切に振る舞ってくれたのを覚えているので、こうやって闘技大会の場で戦っていることになんとなく嬉しいものを感じる。
やはり知り合いと力比べをする、というのは知らない強者を打ち倒すこととはまた違った喜びを与えてくれるもののようである。
ルルはそれを相手に示そうと、剣を油断なく構えながら口を開いた。
「中級上位にまで至った冒険者が、初級下位に過ぎない俺みたいなのにいくらなんでも本気になりすぎなんじゃないか?」
冗談混じりにそう言ったルルに対して、目の前の男、中級上位冒険者の槍の男ネロ=ミロスは、獰猛かつ豪快な笑みをその顔に浮かべて言う。
「ふはははは! 何を言うか、この食わせ物め。わしには分かっておったぞ。お前が相当な実力のある者だということはな!」
かなり楽しそうなその様子に、この男も戦いの場に高揚しているのだろうと思った。
とはいえ、いつも割とテンションの高い男ではあるのだが。
冒険者になった理由も強者との戦いが待っているからだという筋金入りの戦闘狂でもある。
実際、その実力は中級上位冒険者の中でも一つ抜けていて、いずれ上級入りすることは間違いないと言われるほどだ。
主な武器は槍と身体強化魔術であり、ほぼその身一つで戦う肉体派であると言っていいだろう。
しかしそれにしてもある程度とは言え、ルルの実力をこの男が見抜いているとは思わなかった。
もしかして親切だったのもそれが理由か、と一瞬思わないでもなかったが、この男が親切なのはルルたちに限ったことではなく、他の初級冒険者に対してもそうであるから、その可能性は低いだろう。
氏族やパーティにうまく所属できなかった者を集めて冒険者のイロハを叩き込む講習のようなことをほとんどボランティアのようにやっているところも何度も目撃している。
ルルがある程度強い、と思いながらそのことを吹聴したりしなかったのは、おそらく好意なのだろうと思った。
「ご期待に添えるかどうか分からないが……察しの通り、弱くはないな。負けても泣くんじゃないぞ? ネロ」
そんなルルの言葉にも笑って答える。
「言いおるわ! どうやらさきほどの一連の攻撃を防ぎきったのもまぐれではない様子。こちらとて、強者は望むとこである! さぁ、行くぞ、ルル! ぬぅん!!」
そう言って、ネロはその構えた槍を縦横無尽に振り回し始める。
彼の先ほどの一撃からして、突きが得意そうに思えたが、そういうわけでもないらしい。
ルルの足下を狙って薙ぎ払おうとしてくる。
当然、飛んで避ければ二撃目で空中から墜落させられることは容易に想像ができるから、ルルはそんなことはせずに大きく後退することで対応した。
槍のリーチも見抜いていたからこそできる芸当であり、ネロもそのルルの見切りに驚くと同時に感心したように笑った。
しかしネロは決して攻勢を緩めたりはしなかった。
一見、ルルとは異なり、高身長で筋肉質の肉体をしているネロは、身につけている鎧、それに槍も含めて相当な重量級の戦士であるところ、その動きは鈍重そうに思える。
しかし現実はそんな想像とは異なり、彼はかなり俊敏に活動する。
引き下がったルルを追いかけるように踏み込み、そこから槍の間合いに入るまで詰めるのにさしたる時間も要せず、そしてそのまま反対から切り返すように薙ぎ払うネロ。
その動きは、並の冒険者なら決して避けることのできないような速度と意識の裏をつく意外性があった。
けれど、ルルには魔王時代からずっと続く膨大な戦闘経験と、わずかばかり発動させた身体強化魔法による視力の上昇の恩恵があった。
それは、ネロのその疾風のような動きを正確に捉え、即時の対応を可能にするだけの潜在力を持っていた。
ネロの切り返す槍を体を反らすことで避け、さらにもう一度切り替えされることのないようにルルはネロの槍に剣を添えた。
ネロはしかし、それでも力という点においては自分に利があると考えたのか、もう一度切り返すべく、ルルの剣による押さえ込みを吹き飛ばそうと力を込めた。
けれど、そこには明確な判断ミスがあった。
「……なにっ!?」
力を入れたはずの槍が、ルルの剣に吸いついて離れないのだ。
これはつまり、ネロの剛力よりもルルの腕力が勝っているということに他ならない。
そのことに驚きを覚えたネロは、一瞬、思考が止まる。
そして、そんな意識の間隙を歴戦の魔王としての経験をその身にため込んでいるルルが見逃すはずがなかった。
ルルは剣を槍に添えたままネロの懐へと飛び込む。
その脚力はすでに身体強化魔法により強化されており、ネロが我に返るよりも先に彼の懐までルルを運びきったのであった。
ネロが気づいたときには目の前にルルが現れていた。
不敵に微笑むその少年に、ネロは数瞬後の未来の中で敗北に沈む自分の姿を見た。
実際、何をされたのかも分からなかったネロである。
けれど、次の瞬間、閃光のように走ったルルの剣は、ネロの意識を一瞬にして刈り取り、そして地面へと沈めたのだった。
巨大な男は石畳の上に轟音と共に崩れ落ち、そしてそれを見ていた結界の向こう側の観客たちから歓声が起こる。
彼らにしてみれば、今まさに目の前で行われた決着は、小人が巨人を倒しきったという事にほかならず、それこそが闘技大会において起こるもっとも興奮させる出来事、つまり番狂わせ、というものに他ならないのだから。
「すげぇよ、お前!」「今回の闘技大会はあんたを応援するわ!」「決勝まで昇っちまえ!」
観客たちからそんな歓声がルルに向けていくつも放たれる。
手放しの賞賛もあったが、そうだとは言い切れないものもある。
と言うのは、闘技大会においては公認の賭けも行われており、予選第一回戦はそのための事前情報収集期間とも言える側面があるからだ。
本戦において、誰が勝ち上がるのか、予選の中で自分のひいきの選手を見つけて、賭け札を購入するわけである。
そんな彼らとしては、一見弱そうだが実は強い、という大会出場者は大穴として歓迎したくなるわけである。
もちろん、全員が賭けるわけではないが、そういう楽しみ方もあるために、今回のルルのような番狂わせはほめたたえられるというわけだ。
ルルは何とも言えないその実状を思い、手を振りながら次の獲物を探しに行くことにする。
実のところ、ネロのバッジを得たところですでに自分のものを含めて全部で四つのバッジが集まっている。
ルルを見て弱いと確信したらしい他の初級冒険者が襲ってきて返り討ちにしていたからだ。
そのため、ルルの残りのバッジ必要数はあと一つ。
最後の一つはもう少し強い者と戦っても良いかも知れない。
そう考えながら、ルルは歓声を送ってくれる観客たちに手を振りつつ街中を走り抜けていく。
◇◆◇◆◇
「なんなの……なんなのよぉ!!」
三人の魔術師然とした少年少女がまさに脱兎のごとく、といった形容そのままの様子で全力で何かから遠ざかろうと走っている。
おそらくは初級冒険者なのだろう、貧相で若い彼女たち。
そんな彼女たちの背後に一体何があるというのか。
そう思って予選の戦場である街中の通りを結界の外側にいる観客たちが見つめてみるが、そこには何もいない。
一体彼女たちは何から逃げようとしているのか。
そもそも彼女たちは胸にバッジを身につけていることから闘技大会の出場者であり、そうである以上、敵として考えられるのは同じく闘技大会の出場者である誰か、であるはずだった。
しかしそうであるにしても、その逃亡の仕方は異常である。
いかに強い相手に出会ったとしても、これほど怯えきった様子で逃げると言うことは少ない。
それこそ、生え抜きの特級クラスに出会った、というわけでもない限りは。
観客たちは不思議に思いながらも、彼らから目を離せない。
彼らがあれほどおそれる何かが、気になってたまらないからだ。
そうしてしばらくして体力の限界に達した彼女たちが足を止めた場所に現れたのは、意外なことに、彼女たちとさほど変わらない年齢と思しき一人の少女だった。
何の変哲もない、華奢で物静かな様子の、いっそ淑女といっても差し支えないような、そんな少女。
浮かべる微笑みには品があり、決して彼女を前にしたからといって竜を前にしたかのような形相で逃げる必要などなさそうな、そんな少女。
ただ一つ、特筆すべき点を挙げるとするならば、彼女は格別に美しい、ということだろうか。
まるで人形のようにすべらかな素肌を撫でるようにさらさらと風に揺れる銀色の髪、どんな偶然の妙が作用したのか、余りにも現実離れした顔の造作、そしてそんな彼女の印象を恐ろしく際だたせる赤く引かれた魅惑的な唇。
それは、普通の美しさではなかった。
全てを飲み込み、魅了する、そんな際だった、カリスマ性すらをも帯びた魔的なそれであった。
もしかして、魔術師風の少女たち三人は、彼女のあの凄絶な美しさに怯えて逃げたのか?
観客たちはふと、そんなことを考える。
そしてそんなことはあり得ないと首を振った。
ここは闘技大会の会場であり、予選の真っ最中なのだ。
美しい女たちがその美貌を競う場ではない。
ここでは美しさではなく、強さこそが価値であり、たとえ目の前にどれほどの美を提示されたからといって逃亡をする必要などないのだ。
自分たちも、ここでは美しさよりも強さを尊ぶだろう、と。
そして、思う。
そうであるなら、あの美しい少女は、あの銀髪の娘は、今しも逃げ出しそうに足をふるわせて相対しているあの三人の少女たちよりも遙かに強い、ということなのだろうか。
あれほどの恐怖を与えるほどに、強いというのだろうか、と。
ならば、それを見せてくれ。
今ここに。
その強さを、自分たちに見せてくれ。
観客たちはそんなことを思った。
そしてその熱狂は場を満たし、空気を変える。
怯えながら銀髪の少女を見ている三人の少女も、体力尽きてここは戦う以外に道はないと腹をくくったようだ。
魔術媒体たる杖を構え、悲壮なる覚悟を決めた瞳でそれぞれ詠唱を開始する。
魔術師にとってもっとも基本たる魔法の詠唱を。
それは、属性を球状にして飛ばすという極めてわかりやすく簡単な魔術。
しかしその代わりにありとあらゆる無駄を省いたが故に、発動速度、制御難易度、そして魔力変換率の全てにおいて他の全ての魔術を上回るという基本の中の基本と言うべき魔術であった。
少年少女たち三人は、それぞれ別々の属性を銀髪の少女に向けて放つ。
少年は、赤々と燃える、火炎の固まりを。
一人の少女は青く輝く圧縮された水の玉を。
そして最後の一人の少女は、全てを切り裂いていく球状の風を。
それぞれの魔術は、おそらく極限状態に置かれた影響もあって、彼らの人生の中でもっとも高い魔力変換効率で、かつ正確な制御でもって銀髪の少女のもとへと殺到した。
いかに初級魔法とは言え、その破壊力は並の人間を殺めることなど簡単に可能としてしまうものだ。
直撃を受ければ、身体強化を施していない限り、無事ではいられない。
仮に身体強化をしていたとしても、無傷、ということはあり得ない。
それだけの破壊力を持っているのが魔術師を火力担当と呼ぶ理由であった。
そして銀髪の少女に殺到した魔術は確かにその少女に命中し、あたりを爆音と共に水蒸気と砂煙で満たして視界を完全に遮る。
風の魔法によって吹き上げられた砂と、水の魔術と火の魔術がぶつかったことによって起こった現象であった。
「……これで……!!」
魔術師三人組のうち、一人がそう呟いて勝利を確信したそのとき。
もくもくとした視界を遮るベールがさっと何かによって吹き払われた。
何が起こったのか、誰が払ったのか、そんな疑問を感じる前に、少年少女たちの前に差し出された事実は、絶望と言っていいものでしかなかった。
「……これでおしまいでしょうか?」
凛とした声でそう呟いた少女――イリスは、無傷で彼女たちの前で微笑んで立っていたのだった。