第4話 冒険者
村の入り口からは、王都まで続く長い街道からの支道が延びていて、ラスティがそれを見ながら、「俺はいつかここから冒険に出るんだ!」などと言っているのをルルはよく見かけていた。
物心つき始めたころから、ラスティはずっとそんな感じなので、彼の冒険者に対する憧れ、というのは筆舌に尽くしがたいところがあるのだろうとは思っていた。
何が彼をそこまで冒険者に夢中にさせるのだろう、と考えてみたことは何度もあるが、たぶん、この村での生活は子供である彼にとっては暇で刺激の少ないものだからなのだろうというのがルルの考えた結論だった。
ルルは、かつて戦乱の中にあって、静かに風の吹く草原を日がな一日眺めていられるような平和を求めていたが、反対に草原を眺めるような生活を毎日続けている者は、むしろ戦乱や冒険を求めるものなのだろう。
ルルですら、ここ数年のぼんやりとした毎日に、多少の退屈を感じないではなかったのだ。
前世などなく、生まれてからずっと村で生活してきたラスティの退屈と、冒険者に対する憧れは、理解できないではなかった。
「……来たぞ!」
村の入り口で、ルル、ラスティ、ミィ、ユーリの四人でぼんやりとしながら待っていると、道の向こう側に人影が揺れるのが見えた。
こんな辺境の村に尋ねてくる者など行商人や、村人の知り合いを除けばほとんどいない。
特に今日この日に来ると言われている者が他にいない以上、見えているあの人影は、ラスティが聞いたという冒険者で間違いないだろう。
そうしてやっとはっきりと顔が見える位置まで来たその冒険者らしき人間。
それは二人組だった。
一人は、屈強な肉体を強固な鎧で覆い、その背に巨大な大剣を軽々と背負った、剽悍な男だった。
その顔立ちは端正と言うよりは荒々しく、一切の暗さを感じさせない気持ちのいい表情をしている。
もう一人は、女だった。
と言っても、人族ではないことは、その耳が長いこと、容貌の極めて美しいことから明らかだ。
この世界を神が作り、精霊を生み出してから、最も早い時期に創られたと言われる種族、古族。
その特徴を彼女は持っていたのだ。
二人とも冒険者らしい冒険者であり、見るからに一般的な職業には就いていないだろう、一癖も二癖もある雰囲気をしている。
ルルの目から見ても、その二人は中々の腕であると感じさせた。
二人の身に纏う魔力は、質、量ともに熟練者のそれで、確かに彼らのような人々を本物の冒険者と呼ぶことに違和感は感じられない。
実力までは見抜けなくとも、何とも言えない二人の雰囲気を感じ取ったからか、ラスティなどは目をきらきらさせてその二人を見つめている。
ミィとユーリでさえ、なんだか凄い人たちがくる、とでも言いたげな目の色をしていて、珍しいものを見るような気分だった。
いつもなら少女二人はラスティの夢物語を少しだけ醒めた目で見つめているのに、今日ばかりは違ったからだ。
いつかこの少女二人もラスティに感化されて、冒険者目指して村を出て行ってしまうのだろうか、とふと思う。
村を後にする若者は少なくない。
村だけではあまり多くは養えないと言うこともあるが、それ以上に都会に対する憧れというのもあって、ラスティのように冒険者になるとか、どこかの商会に弟子入りするなどと言って、大きな都に出て行ってしまうのだ。
それによって村が衰退しているということはないにしても、置いていかれる身としては、なんとなく寂しいものだ。
そのうち、自分が出て行く身になるにしても。
そんなことを考えていると、とうとう、二人の冒険者は目の前までやってきた。
近くで見ると、あまり乱暴そうなタイプではなく、ラスティたちが突然邪魔者扱いされて殴られたりはしそうもないのでルルは少し安心する。
「なんだぁ? ガキども。出迎えか?」
村に来て早々、ルルたちを見て、怪訝そうに顎を擦りながらそう言った剣士の男。
古族の女がそんな剣士の男の腕をひっぱたいて言う。
「そんなわけないでしょう。冒険者の出迎えに子供を遣るなんて、危なくて仕方がないわ。たぶん、見物に来たのよ……そうよね?」
古族の女は、首を傾げて、ラスティに聞いた。
ラスティは突然話しかけられて驚いたようにしどろもどろになっていたが、嘘をつくわけにもいかないと思ったのか、正直に、消え入りそうな声でつぶやく。
「は、はい……そうです」
「ほらねー! 私の言った通り。こういう村には冒険者になりたがる子供とか結構いるからなぁ……やっぱり貴方たちも冒険者志望なの?」
「はい……いつか本物の冒険者に!」
手を振り上げてそんなことを言うラスティ。
それに感じるものがあったのか、剣士の男がラスティの頭を撫でる。
「ははは。そうか、そうか。ま、無理とは言わねぇよ。冒険者への道は誰にでも開かれているからな……ただ、冗談じゃなく本気で目指すってんなら、修行するこった。ろくな腕も無いのに冒険者になっても死ぬだけだぜ」
「はい!」
「いい返事だ……よし、じゃあ、見込みがありそうなお前には俺がしてきた冒険の話をしてやろう! と言っても立ち話もなんだ。宿に案内してくんねぇか?」
「よろこんで!」
そんな風に妙な風に意気投合してしまったらしい二人はそのまま二人で肩を組みながら村の中に歩いていってしまった。
その様子を見つめていたルルたち。
ミィとユーリはため息をつき、
「あんまりラスティを焚きつけないで欲しいなぁ……」
「男の子って、いくつになっても変わらないのかしら……」
などとつぶやいて追いかけていった。
それを聞いた、その場に残された古族の女は顔を少しだけひきつらせて、俺の耳に口を寄せて言う。
「……なんか複雑な関係なの? あの子たち」
「えぇ、まぁ……いわゆる、三角関係という奴ですね」
四人が去っていった方向をぼんやりと見つめて頷くルル。
古族の女は納得するようにふんふんとうなずき、それからかくりと首を傾げた。
「ん……? あれ、あなたは?」
どうやら、三角関係にルルが含まれていないことが不思議に思えたらしい。
俺は自分の立ち位置に適切な言葉を探し、そして言った。
「俺は傍観者ですね」
「……変わってるわね。あの二人、村にいるだけだと分からないかもしれないけど、中々見ないくらいにはかわいい方よ? 今のうちに唾をつけておけば……」
大人にあるまじきアドバイスを七歳児にしようとしているその女に、ルルは子供が中々浮かべることはないだろう少しだけ皮肉げな笑みを浮かべて言う。
「見てる方が楽しいですよ、こういうのは」
その言葉に、表情を歪める古族の女。
そして首を振って、
「前言撤回。趣味悪いわね」
まぁ、その台詞に異論はない、と思ったルルは、とりあえずここら辺で雑談を切り上げることにし、話を変えた。
「はは。まぁ、とにかく、いくら冒険者とは言え、お疲れでしょう。宿に案内しましょうか?」
「え、あ、そうね。お願いするわ。ここに来るまでにも魔物に結構おそわれて疲れてるのよね……」
女は本当に疲れているようで、げんなりとした表情をしていた。
今日のところは早く休むべきだろう、そう思ったルルは、古族の女を宿まで丁重に案内する。
その気遣いが無駄になろうとは、そのときのルルは考えていなかった。
◇◆◇◆◇
「おい、酒もって来い、酒!」
「こっちにもだ!」
その夜、村に一つしかない、宿併設の酒場は盛況だった。
毎日、村の男たちが酒盛りをしてそれはそれはにぎやかなこの場所だが、今日はいつもよりもさらに五月蠅い喧噪に満ちていて、熱気も凄い。
それもそのはず、その喧噪の中心にいるのは、あの二人組の冒険者だ。
酒場の真ん中あたりで延々と機嫌良さそうに語り続けるその男の話を、村の男たちは楽しそうに聞いている。
彼の話に聞き入っているのは、大人だけでなく、子供もいた。
刺激の少ない村人たちにとって、外から来る旅人の話というのは数少ない娯楽の一つであり、こうやって人だかりが出来るくらいに人気が出てしまうものだ。
それに、今日の酒代については、二人の冒険者の奢り、であるということもあり、いつもより多くの村人たちが集まっている。
冒険者二人の性格が居丈高でも暴力的でもなく、ただ楽しい人たちであるということが宿の主人を通じて早くに知れ渡ったことで、子供がいても問題ないと判断されたため、村の子供も集まっている。
女たちも古族の女の話に聞き入っており、ほとんど村中の人間がここに入れ替わり立ち替わり集まっていると言ってもいいくらいだった。
「グラン! 次の話をしてくれよ!」
グラン、と言うのは、今回来た冒険者、剣士の方の名前だ。
ラスティの話の通り、彼は高位の冒険者であり、いわゆる"本物”という奴で間違いないらしいということが、ここまでの酒盛りの中で明らかになっている。語られる冒険には危険と宝物の存在が感じられ、そこに対して強い説得力を与えられる凄みがその男にはあった。
古族の女の方の名は、ユーミスと言い、やはり古族で間違いないようだが、一般的な古族が森や里から出てこないのに対して、彼女はほぼ家出同然で里を出てきた変わり者だという。
魔法の腕前はそれこそ古族の里でも指折りの存在だったらしく、だからこそ誰にも彼女の家出は止められなかった。
相当なお転婆だということがよく分かる。
そんな二人が繰り広げて来た冒険の数々は、一々がピンチの連続であり、それをいかに乗り越えていくかということが基本的な課題で、だからこそ起伏に富んで面白く、村人たちの強い興味を引いた。
だいたいが、彼らのうちどちらかが妙な罠にかかって危険な目に遭い、もう片方が何らかの手段でもって助けるのだが、それについて二人はお互いに責任を擦り付けあって喧嘩するので、その喧嘩をみんなが煽るのだ。
「あのときはユーミスが妙な興味を抱いちまってよ。だいたい、普通、遺跡におかしなでっぱりがあったら注意するもんだろ? なのにこいつ、『まぁなんとかなるわよ』とか言って後ろから手を伸ばして押しちまうんだぜ!? 馬鹿だろ!? いくら遺跡に考古学的価値があるとか歴史的発見がとか言い始めたって命あっての物種だろうが! 命を大事にしようぜ、命をよ!」
「はぁ!? それを言うならあんただってよっぽどよ! あれは……たしか訳わかんない闘技大会に突然出るとか言い始めたときのことよ! ちゃんと説明もしないで何でそんなのに出るのかと思えば、いけ好かない貴族との賭って明らかになったときにはひっぱたこうかと思ったわよ! いいわよ、別に! あんた一人で出るんならね! けどパーティ制で、しかも最大出場人数が六人なのに、二人で出場!? 馬鹿よ馬鹿! しかも勝つ度にブーイングと変な暗殺者が送られてくる会場とか阿呆じゃないの!?」
「おまっ……あれは、あの貴族の野郎が病気の子供抱えた女に借金の形に愛人になれとか言って脅してたから、それをどうにかしてやろうとおもってだなぁ……!」
「毎回毎回そんなことしてたらキリがないわよ! 馬鹿!」
「そんなこと言ってお前だって同じようなことしてたじゃねぇか! 薬の材料集めに竜の角を取りに行くとか言い始めたときは死を覚悟したぜ!」
「あっ、あれは……!!」
終始、そんな調子で二人は村人を楽しませてくれた。
ラスティもそこにいたが、彼らが一つ冒険を語る度に目のきらきら度が増していき、最後にはグランに弟子入りを申し入れて断られて泣きそうな表情になっていたくらいだ。
ただ、冒険者になれたら弟子にしてくれる、という条件まで引き出したあたり、意外と交渉がうまいのかもしれない。
父が言うには、ラスティはそれほど筋が悪くないらしく、冒険者になるくらいなら問題なく数年のうちに実現してしまうだろうとのことだった。
彼のグランへの弟子入りはもしかしたらほぼ決定なのかもしれない。
そうやって楽しい時間は過ぎていき、夜も更けて村人たちが三々五々散っていく。
みんな楽しかったようで、機嫌良さそうに帰路についていく中、ラスティ、ミィ、ユーリの三人は非常に寂しそうだ。
ラスティは言わずもがなだが、ミィとユーリもしばらく会話して二人の冒険者にすっかり懐いてしまったらしく、別れるのが寂しいらしい。
冒険者二人の目的は、宴会の中で語られたが、どうやら村の近くにある森の中に遺跡があるらしく、それがユーミスの個人的興味に触れるかららしい。
あくまで個人的興味、と言っているところに二人の変人度合いが感じられたが、そんな方針でやっているからこそ、彼らは本物の冒険者なのかもしれない。
その目的の遺跡については酒盛りの中で触れられたが、村人たちもよく知っている場所らしく、それほど凄いものではないとのことだった。
ただ、ユーミスの見解によると、何かありそうだというのだ。
と言うのも、彼女は同じタイプの遺跡を様々な地域で見ており、そしてそのどこにおいても、用途がはっきりとしていないことに疑問を感じていたという。
だから、その共通点を見つけようと、旅路の途中でそのタイプの遺跡があるところには寄るようにしているらしい。
目的の遺跡について、
「きっとあれは古代魔族が作ったのよ! そうよ、そうに違いないわ!」
などとユーミスは何度も言っていて、そのたびにルルはびくり、と反応していたが、
「そんなほいほい古代魔族の遺跡なんて見つかってたまるか! 見つかったとしても一体どうやってそれが古代魔族のもんだって断定するんだよ!」
などとグランに言われてしゅんとしていた。
ユーミスに言わせれば、古代魔族伝説は一種の浪漫らしい。
その気持ちは分からないでもないが、グランの台詞の方に理があるだろう。
この時代、遺跡がいつ誰が作ったものかということを断定するのはかなり難しく、数千年前の古代魔族が作った、などという特定はさらに難しいのだという。
なにせ、資料がほとんどないに等しいのだ。
それでも見つけたいと必死に頑張っているユーミスのような者は沢山いるらしいが、未だに見つかったためしはないらしい。
ルルなら見つけられる可能性は高いが、根拠を出せと言われたらそれで終わりだ。
難しいものである。
つまり、彼らにとって今回この村に寄ったのは、別の用事のついでなのだ。
そういうついで、というのはユーミスだけにあるものではなく、グランの方にもあるらしく、彼の場合、闘技大会やそれに類するものがある街に近いときには必ず寄るようにしていると言う。
随分と楽しそうな旅をしているなと思った。
そんな二人であるから、明日の朝早くから森に行くと言うことで、ラスティたちが次に彼らに会えるのは彼らが村に帰ってきたとき、目的を終えたときだ。
しばらく会えず、しかも会えても早々に村から旅立ってしまう、というのでは寂しいのも理解できる。
ただ、だからと言って、ずっとここで別れを惜しんでいるわけにも行かないのも当然だろう。
そんなわけで、ラスティたちは全員、親に引きずられて帰って行った。
最後に残ったのは、ルルとルルの母親であるメディアであった。
父パトリックは、今は休暇中ではないため、家にはいない。
そのため、今日は母と二人でここに来たのだった。
母は見かけによらず、酒に強い人で、今日も結構な量のアルコールを飲んでいたはずなのにその態度はいつもと変わらず、足どりも確かだった。
「ルル。そろそろ帰りましょうか」
そう言った母に、ルルは頷いて答える。
「うん、分かった」
酒場兼宿の入口で手を振る冒険者二人組に手を振り返し、そのまま歩きはじめる。
母と手をつなぎ歩きながら、星空を見上げる。
そこに浮かぶ星々は、数千年前から、その姿を大きく変化させてはいない。
あのとき見た星は、いまもまだ浮かんでいて、魔王時代の自分と、今の自分とのつながりを意識した。
母も夜空を見上げていて、ふっと、彼女は口を開いた。
「ねぇルル」
「何?」
「あなたもいつか……」
何かを言い掛けて、母は口を閉じた。
そして最後まで言わずに、
「……ううん。何でもないわ」
「そっか」
何を言おうとしたのか、それだけで、理解できた。
母は分かっている。
いつか、ルルが村を出ようとしていることに。
それにどうして気づいたのかは分からない。
ただ、いつか村を出るときは、しっかり話をしなければ。
ルルはそう思って、家路を急いだ。
次の日、大きな事件が起こるとは、そのときのルルには想像も出来なかったのは言うまでもない。