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第37話 聖なる女

『ではまず、国王陛下から開会の御挨拶がございます。皆さま、静粛に』


 先ほどまでの少し浮かれた様子とは異なり、緊張感に満ちたその声に、がやがやとした騒音に満ちていた会場は一瞬にして静寂の支配する場となった。

 それもそのはず、国王陛下を目にする機会など、一般国民にとってはこの闘技大会のような国を挙げてのイベントを除けばまずないに等しく、そして開会式のようなイベント会場に入れることも滅多にない。

 であれば、そのご尊顔を目に焼き付け、その声を耳にしっかりと残して帰ろうと思うのが人情と言うものだ。

 幸い、この国レナードの国王は賢王として知られている好人物であり、圧政などを敷こうとする気配は欠片もない。

 側近たちも有能で、国民にとっては善き王であると言って差し支えのない王であり、それがゆえに人気も高かった。


 そうして、闘技場の中心に築かれた壇上に国王陛下、グリフィズ・ラント・レナードがゆっくりと登り、それに合わせて会場に集った観客全員が起立して彼を出迎えた。

 それを目にしたグリフィズは、鷹揚に頷き、それから『楽にしてよい。皆の者、着席を』と言って座るように仕草で示す。

 張りと自信に満ちた、まさに王者、と言った風格のある声だった。

 その言葉に観客全員が従い、座ったのを確認してから、国王グリフィズは話し出した。


『さて、まずは雲一つない晴天と言う、此度の良き日に、大会当日を迎えられたことは大きな喜びである。年に一度の闘技大会。会場に集まった皆も、楽しみにしていたことと思うが、それは儂とて、同様のこと。昨日などは、興奮のあまり寝付けなかった……』


 少しばかり冗談めかしたその語りに、観客も好意的な微笑みを送った。

 それに国王は頷き、そして続ける。


『宮廷占術師によれば、この晴天は今後一週間の間、続くと言う。それもこれも、この大会に臨む強者たち、それに大会を今か今かと待ち望んでいた皆を天が祝福しているからであろう。顧みれば昨年は……』


 そうしてしばらくの間、国王の想い出話、昨年より以前の大会の様子などが語られ、観客達はしばらく国王の話に聞き入った。

 その話はおそらく、昨年会場に運悪く入れなかった者たちに対する配慮なのだろう。

 近くに座る観客に聞けば、毎年恒例であり、これを楽しみにしている爺婆もいるくらいであるということだから、好評らしい。

 確かに国王には講釈師としての才能があるのか、今まで行われた闘技大会のハイライトが極めて臨場感高く伝えられており、その話だけで観戦したような気分になってしまうような迫力があった。

 演説がうまいから国王なのか、国王になったから演説を磨いたのか、それは分からないが、彼には間違いなくそう言った才能があるのだろう。


 そうして、思い出話も一通り語られ、最後に国王は今回賓客として招かれた者たちへの謝辞と紹介を始めた。


『今回の闘技大会開催においては、多くの者の協力があって実現できたことである。その中でも、最大の功労は古族エルフによる結界設営の協力にあると言っても過言ではない。会場の安全上、前年までは、実力的に言えば上級上位までの者の出場までしか認めることができなかったが、今年はそうではない。特級に位置する者たちの出場をも可能とできたのは、まさに古族エルフの持つ不世出の技術の賜物である。ここに、深く感謝の意を表したいと思う……そのために、古族エルフ族長の一人であられる、ロットス長老にお越しいただいておる。どうぞ、こちらに』


 国王に促されて壇上に上がって来たのは、年老いた男性の古族エルフであった。

 いかに長寿の種族とは言え、長い年月には勝てないのかその顔には皺がいくつも刻まれているが、その精神にまで老いはやってきてはいないらしい。

 好奇心の塊のような、妙に茶目っ気のある瞳の色をしている。

 しかし、壇上に上がった彼の口調は厳粛で、静かなものだった。


『たった今、国王陛下よりご紹介に預かりました、ロットスでございます。このたび、この闘技大会の会場設営に携われましたことは、我が人生においても最上位に位置する誉れです。ただし、これだけは申し上げておかねばなりませんので、国王陛下に事前に申出、説明の機会を頂きました」


 そんな風に始まった彼の話は、観客からしてみればさほど興味のわかない内容だった、と言ってもいいかもしれない。

 つまり、彼の話したのは、闘技大会において使用する結界設備については、大会が終わり次第、回収するつもりであり、古族エルフとしてレナード王国に技術供与を行う、という意思を示したと言う訳ではない、ということだった。

 この点について気になって賓客として参加を承諾した他国の要人たちもかなりの数いたようで、その話に内心ほっとしているだろうことはその表情から見て明らかである。

 何せ、相当の力を持つものであっても破ることが出来ないと言われる絶対障壁である。

 そんなものが一国だけに供与されてしまえば、大きな脅威になるのは間違いない。


 古族エルフ族長ロットスが言いたかったのはそれだけらしく、あとは無難に、


『それでは、今日から一週間、皆さまと共に大会を楽しませて頂こうと思います。我々が出来るのは、会場を整えることだけ。皆様に興奮を運ぶのは、ここに集ったいずれ劣らぬ強者たちの役割でございます』


 そう言って、壇上から下がっていった。

 しかし不思議なことに、その瞬間、ルルはロットスと視線が合ったような気がした。

 どことなく、面白がるような不思議な視線で、それにルルは少し首を傾げる。

 隣に座るイリスに、


「……なんかあの古族エルフ、俺のこと見てなかったか?」


 と聞いてみるも、


「……気のせいでは? 私はそんな視線は感じませんでしたが……」


 などと言っていたので、おそらく気のせいだろうと気にしないことにした。

 と言うか、気にしている暇が無かった、と言うのが正しいだろう。


『では次に……』


 そう言って国王が次に壇上に上げた人物に強い興味を感じたからだ。

 彼がそう言って紹介した人物。


 ――それは、聖神教徒の“聖女”だった。


 ◆◇◆◇◆


『皆さま、こんにちは。……初めまして、の方もいらっしゃるでしょう』


 カリスマ性溢れる、独特の声。

 清冽でよく響き、そして自然に耳に入ってくるその声。

 ルルとイリスには、よく聞き覚えのあるもののように思えた。


「……似てるな」


 ルルが独り言のように、ぼそりと呟くと、イリスも頷いて、けれど少し考えてからゆっくりと首を振った。


「似ています。ですが……別人、のようですわ」


 誰と、とは聞かずとも分かった。

 ルルを滅ぼした四人組のうちの一角を占めていたあの聖女とは違う、とそう言う意味だと。

 実際、魔力によって視力を強化し、壇上に豆粒のように見えるその顔貌をズームアップしてつぶさに観察してみれば、明らかに別人であることが分かった。

 雰囲気は極めて似ている。

 まさに神の加護を受けたかの如く光り輝く金色の髪、その清純さを象徴するように一片の染みもない真っ白な素肌、神聖な言葉を紡ぎだすために存在しているかのような血のように深い赤色の唇。

 どれをとっても、それはあの“聖女”の持つものと同じだ。


 けれど、ルルもまた、イリスの言葉に頷いて言った。


「確かに、別人のようだな。顔が違う……それに、あれがあの聖女であると言うのなら、聖気がこれほどまでに感じられないのは不自然だ」


 言われて、イリスは目を瞬かせて、そう言えば確かに、と頷いた。


「一切の聖気が感じられませんわね……やはり、別人なのでしょう。警戒するに値しない人物、ということでよろしいでしょうか……?」


 あれが聖女であり、聖気を纏い、そして神聖魔術を操るものであるのなら、それは魔族にとって天敵とも言える存在である。

 けれど、その中核であるはずの聖気を、目の前の聖女は纏っていないように思える。

 だからこそ、イリスの言葉は正しい、と言うべきだろう。

 そう思ったルルが頷こうとしたそのとき、聖女は驚くべき姿を見せた。


『最後に、私から、会場の皆様に祝福を……』


 そう言って何をし始めるのかと思えば、彼女の体が不思議な光に包まれ出した。

 観客達は何が起こったのか分からないようで、首を傾げてその様子を見守る。

 けれど、ルルとイリスにはその現象が表す意味は明白であった。


 聖気の発現。

 聖女が幾度となく使用してきた神聖魔術の放つ光と同じ。


 ただ、これから先何が起こるのかは、ルルとイリスにも分からなかった。

 神聖魔術は、魔族には使用できないものだからだ。

 いや、魔族に限らず、本来であれば人族ヒューマンにも。

 それは神聖魔術が、その名とは異なり、正確には魔力を使うのではなく、聖気を使って発動するものだからだ。


 だから二人はその光を警戒し、食い入るように見つめ続けた。


 そして、光が収まったその時、そこにいた聖女の背に合ったのは、信じられないほど巨大な翼であった。


「……なんだあれは!」


 ルルが声を上げる。

 けれどそれに応えられる人間はこの場には存在しなかった。

 ただ、ふわり、と聖気を会場に満ちさせていっていることは理解でき、そうである以上、イリスには危険であると考え、ルルは彼女の周囲に魔力的防護を張って守る。

 少しばかり苦しそうにしていたイリスは、それによってだいぶ楽になったようで、視線でルルに礼を言った。


 それから時間が経つにつれて、降り注ぐように会場を覆った聖気は消えていき、聖女の背に生えた翼も見えなくなっていく。

 そして、聖女は完全に翼が消滅してから言ったのだった。


「皆様に、祝福を」


 壇上から降りていく、聖女。

 今の現象が祝福だった、ということらしい。

 ルルはともかく、イリスにしてみればむしろ害悪以外の何物でもなかったそれだが、会場の観客達には悪いものには感じられなかったようである。

 どことなく誰もがすっきりしたような表情で、聖女の後ろ姿を追っていた。


 それからも国王陛下の来賓紹介は続いたが、ロットスと聖女があまりにも観客の記憶に強烈に焼きついたため、陰が薄くなってしまったのは仕方のないことである。

 他にも大物、と呼べるべき人物は何人もいたのだが、ルルとイリスもあまり覚えていない。

 国王陛下が壇上から降り、そして闘技大会の会場やルール説明、それに去年の優勝者からの優勝杯の返却、それに今年の商品の説明なども行われたが、誰もが上の空であったと言ってもいいだろう。

 それくらいに、聖女のあの祝福は印象が強かった。


 この闘技大会、なんだか荒れそうだな。


 ルルはそう思ったのだった。


◇◆◇◆◇


 開会式が終わり、会場から出て家に向かいながら、イリスはルルに尋ねた。


「……あれはやはり、“聖女”、だったのでしょうか……?」


 不安そうにそう言ったイリス。

 けれどその表情には先ほどの聖気による影響は感じられず、ルルは少し安心する。

 それからルルはイリスの質問に答えた。


「いや……俺は、あれは“聖女”ではないと思う」


 そんな風に断言するようなルルの物言いに、イリスは驚いて質問を重ねた。


「それは、何故でしょうか? あの者は、確かに聖気を扱い、神聖魔術らしきものを発現させました。あの翼がなんなのかはよく分かりませんが……」


 イリスの言うことは、確かにもっともである。

 この時代において、神聖魔術を使用できる者に出会ったのは、実のところ初めてで、そのこと自体にルルは強い驚きを感じていた。

 あれは、人族ヒューマンが作り出した魔術体系の中でも高度かつ特殊なものであり、この時代に残っている、ということがあまり想定出来なかったものだからだ。


 けれど、だからと言って、あれが聖女である、ということにはならない。

 そもそも、あれを聖女と呼ぶことにルルはなぜか抵抗を感じた。

 なぜなら。


「確かに聖気と神聖魔術らしきものは見られたが……イリス。思い出すといい。あの女の……“聖女”の力はあんなものではなかった。たった一度の神聖魔術行使で、幾人もの魔族を灰燼に帰したあの力を、先ほどの聖女と比べることは、烏滸がましいにもほどがある。あの聖神教の聖女は、“聖女”じゃ、ない」


 そうだ。

 もし本当にあれが“聖女”だったと言うのなら、あの程度の聖気しか扱えないはずがない。

 聖気をある程度自在に扱えることさえも異常だが、しかし聖女はそれにも増してその身に宿した聖気の量からして常軌を逸していたのだから。

 ルルには、あの聖神教の聖女は、その意味ではまだ平凡な範疇に留まっているように見えた。

 もしあれが本物の“聖女”であるのなら、イリスが今この場で、息も乱さずに普通に会話できているはずがないと考えられるからだ。

 あの聖気の発現を察知したそのとき、ルルはすぐにイリスの様子を見たが、少しだけ苦しそうな程度で、消滅の危機などを感じている訳ではなかった。

 “聖女”の力は魔族の天敵。

 かつてのルルや、それに迫る者ならともかく、イリス程度の力では相対することも難しい。

 そんな存在だったのだから。


 だから、ルルはあれは“聖女”ではない、と明確に否定できる。

 そんな話をすると、イリスは納得したように頷き、言った。


「……私は、現実に“聖女”と相対したことがございませんでしたから……多少の誇張が入っているものと思っておりました。なるほどそれなら……私が生きている、そしてあの場でそれほどの危険を感じなかったということが、あの聖女が“聖女”ではないということの証明になりますわね……」


 ただ、だからと言って無関係である、とまでは言えない。

 それに、ルルのことを考えると、絶対にあれが聖女ではない、とも言いにくいのも確かだ。

 転生することによって力が減衰した、ということも考えられないではないからだ。


 けれど、ルルはほとんど直観的に確信していた。


 あれは、聖女ではない、と。

 それはかつて相対した者としての勘なのかもしれない。


 そんなものを頼るのは情けないとも思わないではなかったが、そういうものが生死を分けることがあるのが戦場と言うものであったのだ。

 ルルは自分の勘を、信じることにして、イリスと共に家路を急いだ。


 あれが聖女ではないとは言え、聖気を扱うのは事実である。

 その対策を、付け焼刃でもいいから教える必要があるとおもってのことだった。

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