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第34話 進展

 どんがらがっしゃーん!


 ルルが氏族クランの一階酒場で食事をしていると、ふと大きな音が酒場に鳴り響いた。

 その直後飛んでくる怒声。


「ちょっと! なにやってるんですか~!!」


 普段とは異なり随分鋭さの増した、厳しい声を発しているのは、この酒場の代表者たるシフォンである。

 そして、その言葉を向けられた方は、


「……す、すいませーんっ!」


 平謝りという感じで頭を下げたり、落とした皿や料理の掃除にてんやわんやの様子の我が家の居候、キキョウであった。

 その隣を頭に皿を乗っけて器用に運ぶ子犬、フウカが通り過ぎていく。

 彼女は全く危なげなく、しかも飼い主の横を通り過ぎる時にまるで失敗した後輩にいじわるをするお局のごとく「……フフンッ」と言った様子で鼻を鳴らすものだからシュールである。

 そのたびにキキョウはきぃぃぃ!と言った感じでフウカを睨むものだから、余計に。

 こいつらは本当に飼い主とその飼い犬なのだろうかと思わずにはいられない光景であった。


 酒場での仕事をすることに同意したキキョウをあのあとすぐにシフォンに紹介し、面接の結果、「明るいし可愛いから採用!」と少し話して決定した彼女。

 そこまでは良かったのだが、実際にキキョウに仕事を覚えてもらう段になって、その問題は明らかになった。

 その問題とは、彼女の仕事は、ウェイトレスで、つまり客からオーダーをとって、厨房に伝え、料理人から料理を受け取り、客に配膳するというものなのだが、そのどの段階にも間違いが混入する確率が極めて高い、とい事実である。

 オーダーの取り違えはもちろん、料理は落としたり違う客に持っていくことも日常茶飯事であり、これまで割った皿の枚数は数知れないと言う突き抜けっぷりであった。

 あまりの惨状に、いつも温厚な笑顔を浮かべているシフォンも、額に青筋を立てて「……クビ?」などと微笑みかける始末で、けれどそんなことになったらお金を稼ぐ手段がなくなるとキキョウがひたすらに拝み倒して、なんとか留まる、ということもあった。

 その際、キキョウの飼い犬フウカが、シフォンに手をたしたしして、「わふわふ!」と、目を潤ませてお願いしたのも効果があったようである。

 さらに、ご主人様が出来ないなら自分がやる!とばかりに皿を運び始めたので、これには一同驚いて止めようとしたのだが、飼い主と違って配膳ミスが全くないことが分かり、今ではキキョウより優秀なウェイトレスとして働いている。

 ちなみにオーダーはフウカの首にかけられた黒板に記載するという方式で行われており、ひと手間かかって面倒そうな気もするが、夜の酒場営業時はともかく、昼のランチ営業においては若い女性を中心にそのひと手間ついでにフウカを撫でて楽しむ、という需要があるために苦情もない。

 そういうわけで現在、給金も、フウカの方がキキョウより高かったりする。

 割った皿の枚数分、天引きされてしまっているのでかなり目減りしているのである。


 とは言え、キキョウもキキョウで頑張っていないわけではない。

 雇われた当初よりずっと慣れてきてはいて、皿を割る回数も一日三枚程度に収まってきているし、オーダーミスもほとんどなくなってきてはいる。

 このままやっていけば、おそらく闘技大会の頃までには完璧になっているのではないか、というくらいの上達ぶりであるのは間違いない。

 それに、キキョウにはそれなりの特技があった。

 氏族クラン時代の探究者エラム・クピードル”の酒場においては、客層からしてたまにあまりよろしくない性質の者が来ることが少なくない。

 ただ、ウェイター、ウェイトレスたちは、シフォンを除いてほとんどが一般人であり、荒事には慣れていない。


 けれど、キキョウは違った。

 夜の酒場営業時、少し酔っぱらって羽目を外しすぎた少しばかりがらの悪い冒険者の一人がウェイトレスの一人に絡んでいた時のこと。


「……おう、姉ちゃん、この後どうだ?」


 などと言いながらあまり口にしがたいジェスチャーでもってウェイトレスの腕をつかんでいた。

 それくらいならまだただの酔っ払い、で済むのだが、その後、その冒険者はウェイトレスから明確に「離してください!」と断られて逆上してしまったのだ。

 ウェイトレスにしても、もう少し温厚な断り方があったとは思うが、若く、まだそれほど慣れていない、それこそキキョウより後に入ったウェイトレスだったから、そういう対応になるのも仕方がないことだった。

 けれど、冒険者はそうはとらずに、しつこく絡み始めたのだ。


「なんだとぉ……この俺を誰だと……!」


 分かりやすい台詞であり、そして彼を誰だと知っている者は彼の仲間以外には少数だったようだが、それはいいだろう。

 その直後、乱暴に少女の手を持ち上げたので、少女は転んで足をひねってしまった。

 ざわめきが起きて、店の中にいる店員、客がその場所に注目して、その場で起こっていることをその瞬間みんなが把握した。

 そこで恥を掻いたことに気づき、素直に謝ればまだよかったのかもしれない。

 けれど、冒険者の男はむしろ怒り、「見せもんじゃねぇ!」と周りを怒鳴りつけてから、少女に手を伸ばして何かしようとした。


 それに気づいたキキョウ。

 彼女はそれから、その光景を見ていた者が一体何が起こったのか全く分からなかった、と言うほどの速度で男に近づき、手を掴んで、いつの間にか引き倒していたのだ。

 騒ぎに気づき、飛び出そうとしていたルルとイリスには、先に飛び出した彼女が何をしたのか理解できたが、そう簡単にはまねできない技量であることもまた分かった。

 人の体の構造、というものをよく理解しているのだろう。

 キキョウは手を掴み、それから男の腕をひねった後、背中か腰あたりに軽く手を添えてひねり、さらにそれと同時に疎かになった足元に右足を深くかけて倒したのだ。

 体重差は相当なもので、華奢なキキョウが男を倒せるはずがない、と一目でわかりそうなものだが、実際は簡単に倒してしまったのである。

 そんなキキョウの技は明らかに何らかの武術であり、そしてそれはこの国、レザードには存在しないものだ。

 おそらくキキョウの故郷であるという東方にある国に伝わる武術なのだろうと思った。


 キキョウに引き倒された冒険者の男は、しかしすぐに起き上がろうとしたのだが、キキョウは余程巧みに極めているらしく、立ち上がろうとしても立ち上がれず、力を入れようとしてもそうは出来ない男の苦痛に満ちた顔に少しだけ同情の念が湧いたほどである。


「乱暴は、働いてはいけませんよっ!」


 睨みつける男にそう言って、最後に「めっ!」と言いながら男の額にでこぴんをしたキキョウ。

 それに気を抜かれたのか、男は呆けたような顔をして、それから少女とキキョウに謝ったのだった。

 酔いがさめてきて、やっと自分の状況を把握できるようになった男は、周りの客たちにも謝り、その日、その場に居合わせた客の酒代は全て自分が奢ると言って、連絡先を言ってから、ここに自分がいると酒がまずくなるだろうと言って去ろうとした。

 しかし、自分の対応のまずさが事態に拍車をかけた、と思ったらしい、男に腕を掴まれた少女がもう気にしてない、二度としないと約束できるならそれで許す、と言い、男が同意したので「じゃあ、ここにいても大丈夫じゃないですかねっ」とキキョウが酒場の客たちに質問し、拍手でもって肯定されたので、その場はそのまま宴会の場へと化した。


 つまり、彼女には場を和ませる妙な力がある、わけである。

 用心棒としてもそれなりに使え、多少皿を割ろうともそこは経費として考えればまぁ、悪くない、という判断で雇い続けているようだ。

 シフォンもずっとここにいるわけではないため、彼女がいないときに頼れる武力と言うのは必要と感じていたようで、拾いものだったと言っていた。

 給金については普通のウェイトレスと同じで、フウカより低賃金だが、それはキキョウの自業自得である。


 今ではキキョウの皿割りも一つの観光資源と言うか、この店の看板に近いものになってきていて、彼女が皿を割っても怒るのはシフォンくらいなものだ。

 十分にうまくやっているキキョウを店で少し眺めて、ルルは食事を完食して店を出ることにしたのだった。


 ◆◇◆◇◆


 今日はイリスと鍛冶屋に行く予定である。

 同じ家に住んでいるのだから別に一緒に家を出ればいいだろう、とルルは思っていたのだがイリスの強硬な反対によりその提案は却下された。

 ルルは昼前に家を追い出され、酒場でご飯を食べてくるように、と言われて、さらに待ち合わせ場所を詳細に指定されて、今そこまで歩いているというわけである。

 なぜ唐突にそんなことをし始めたのかルルには理解しがたかったが、前日ミィとユーリが家にやってきて何かを話していたのが原因なのかもしれないとふと思う。

 彼女たちが帰宅したあと、少し考えるような顔をしていたイリス。

 それから思いついたかのように、明日は待ち合わせしましょう、などと言い始めたのだ。

 そこに原因がないわけがなかった。


 とは言え、どんな理由があるにしても、それはルルにとって気にするほどのことでもない。

 今日、大事なのは鍛冶屋に行くことであるのだから。


 なぜ鍛冶屋に行くのか、と言えば、武器の手入れのためにである。

 ルルは父から譲り受けた長剣を、イリスはユーミスにオーダーして王都で作ってもらい、村で愛用し続けてきた短剣をその獲物としている。

 定期的な手入れは自分たちでやっているのは勿論であるが、それだけでは切れ味も耐久性にも不安がある。

 必要なときは、鍛冶屋に行ってメンテナンスをしてもらうことにしていたのだった。


 待ち合わせ場所は中央広場。

 あの火竜解体のときに使われた王都で最も広い広場である。

 巨大な円形をしていて、その縁に沿うように噴水が設置してあり、広場のそこここで、大道芸を披露するものたちが客を集めていたり、楽器を奏でていたり、また婦人同士で集まって井戸端会議をしていたりして、にぎやかである。

 もちろん、ルルとイリスのように待ち合わせをしている者も少なくなく、その大半は見るからに恋人同士、もしくはそこに至る直前の友達以上恋人未満、と言った関係の男女であった。


 自分とイリスも傍から見ればそんな風に見えるのだろうか。

 いや、自分のようなおじさんと、親友の娘と言う関係にそのような関係性を見出すものなどいないか、と自分の年齢について苦笑するようなことを考えるルル。

 しかしそこには自分の容姿とイリスの容姿は客観的に全く同じ年齢に見えていると言う視点が欠けていることに、うっかりしていて気づいていなかった。


 噴水の前で、いつもよりも美しく着飾ったイリスの姿が見えた。

 周りの人々が、彼女を見ている。きっと、その場にいる誰よりも美しいからだと思った。

 ルルもまた、その姿に目をみはった。


 もともとあの友人の娘にしては器量が良すぎると思わないでもなかったイリス。

 しかしそれでもその程度にしか思わなかったのは、今までさほど着飾ったりはしていなかったからだということが分かった。

 いつの間にそろえたのか、今着ているものはいつも好んでいる黒を基調とするものだが、さりげなく耳や胸元にアクセサリーが輝き、また髪も深い赤色のリボンで結ばれていて、落ち着いた美しさを放っているのを感じた。


 大きくなったのだな、と思った。

 今まではそんなことは全く思わなかったのに、何か知らないものを突然目の前に差し出されたような、そんな新鮮な驚きがあった。


 その気持ちをなんと呼ぶべきかは分からなかったが、ルルはイリスに動揺を悟られぬように、普段通りに手を振りながら近づく。


「……イリス! 待ったか?」


 その言葉にイリスはゆっくりと首を振って、


「いいえ、たった今、参りましたところです、お兄様」


 と言って微笑みをもって迎えてくれた。

 不思議なことに、その台詞にさりげなく耳を澄ませてルルとイリスの会話を聞いていたらしい周りの人々、特に男性陣がほっとしたような雰囲気を発したことにルルは首を傾げる。

 しかしそのことについて、ルルは深く考えようとは思わなかった。

 考えても仕方がない、と思ったからだ。


 それからイリスはルルに近づき、


「さて、お兄様。今日は鍛冶屋でしたわね。参りましょうか」


 そう言ってさりげなくルルの腕をとって歩き出した。

 手を掴んで引っ張られたことは今まで少なからずあったが、腕を組まれたことは今までなかったかもしれない。

 そのことに、何も思わないわけではなかった。

 ただ、それは明確に言葉に出来る感情ではなかったため、ルルは別のことに思考を移してしまう。


 今日は鍛冶屋に行くのだと、そう思って。


 それは、イリスの笑顔がいつもより輝いている理由を深く考えるのは、あまりよろしくないとどこかで思っていたからかもしれない。

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