第31話 昔の友と今の友
かつん、かつん……。
暗闇をぼんやりと照らす蝋燭の光が、まるでその場所を黄泉の国へと向かう道のように彩っている。
――知っている。
ここが、今の自分にとって、確かに死へ向かうためだけに存在する道であるという事は、痛いほどに。
その気持ちがあきらめから来るものか、それともどこか漠然とした予知をしているからなのかは、分からない。
けれど、きっと自分はもう一度この道をたどることはないだろう。
そのときは、おそらく魂だけになって……。
そう考えたそのとき、
「……待て!」
後ろから、叫び声が響いた。
知っている声。
小さな頃から、物心ついた頃からずっと付き合ってきた、その声。
来るかも知れない、とは思っていた。
彼には任せている仕事があるというのに、そんなものは放り出して来てしまうような、そんな絆が彼との間には確かに存在しているのだから
来てくれたことに、深い、じんわりと広がるような感動を胸に感じながら、けれどその気持ちは外に表現しないで、何でもないようにいつも通りの仕草で振り返る。
「……何をしに来た?」
彼でなければ、震え上がったかも知れないほど、冷たく、厳しい声が自分の喉から発せられたのを耳で聞いた。
これが今の自分の気持ちか。
そう確認できる、暗い決意を帯びた闇の音色だった。
それも当然だろう。
今から、自分は滅ぼしに行くのだ。
自分たちに敵対する勢力であるところの、人族を。
理由なく魔族を迫害する、あの利己主義者たちの旗頭を。
けれど振り返ったとき目に入ったその顔は、むしろ悔しさと悲しさに彩られているような、沈痛なもので――。
今日このときまで、一度たりともそんな表情を見たことがなかったからか、せっかく努力して被っていたはずの仮面がぼろぼろと崩れ落ちていくのを感じた。
「何をしに来たって、ごあいさつだな……そんなの、決まってるじゃねぇか。俺も、お前と一緒に戦う。お前の横で。ただ、それだけのためにきた……」
目の前にいるのは、魔族には珍しい、燃えるような赤い髪をしている男だった。
年齢の割にかなり若く見える容姿を持っているが、その瞳の色だけは違った。
長い時を経たものだけが持つ、落ち着いた瞳の輝き。
それは今彼の目の前にいる自分について、その内面をも見通そうとしているようにすら思える。
実際、彼は分かっているのだろう。
自分がどんな覚悟でこの道を歩いているか。
だからこそ彼は本来の仕事を置いて、ここに駆けつけてくれた。
そのことを自分も理解していた。
けれど、だからこそ彼にはここから去ってもらわなければならなかった。
力になってくれようとするのは、ありがたいことは間違いない。
けれど――
「……無茶を言うな。お前では無理だ、バッカス……我以外の誰であろうとも、奴らと正面から挑むことなど出来まい……そう、あの女がいる限り」
本来、本拠地であるこの城の中で、一人で戦わなければならない理由など、ない。
それこそ魔族の全力を持って、叩き潰すのが正しい。
けれどそれが出来ない理由がここにあった。
もちろん、他の人員は、人族の軍団と相対するために割かれているとう事情もある。
けれど、それ以上に、自分以外の魔族が、これからの戦いに挑むことは自殺行為以外の何者でもないから、一人で向かうのだ。
バッカスが悔しそうな顔で下を向くのを申し訳ない思いで見つめた。
けれど、これは言わなければならないことだった。
話を続ける。
「……あの女は、人族にあって、異質だ。何があの女を生み出したのか、どうしてあんな物が人族に生まれたのか、それは我にも分からぬことだ……もしかしたら、奴らの言うように神の思し召し、というやつなのかもしれん。だが、あの女の前に立てる者として、我が生まれたのだということは、分かる。あの女の力と、我の力は、おそらく、対になるものなのだ……きっと、この戦いは、あの女が生まれたときから、決まっていたことなのだ……避けては通れぬ。だから、お前は持ち場に戻れ……」
諭すように喉から絞り出したその声は、思ったよりずっと優しく、そしてつらそうなものであることに、少し驚く。
部下に話すものではなく、友に語りかけるために紡ぎ出した言葉だから、そんな風になったのかも知れない。
だから、頼むから、自分の話を受け入れてくれ。
そう、思った。
けれど、バッカスは首を振り、
「別に前に出たからと言って、すぐ死ぬというわけじゃねぇ! ある程度なら、耐えることもできる……! その間に叩いてしまえば……」
「そうだな。だからこそ、奴には護衛が必要だった。だが、その護衛までもが神の加護を得、そして聖気満ちた武具を纏っている今の状況では、お前にはいささか厳しいのだ……分かってくれ……友よ」
最後に付け足した言葉に、バッカスは唇を噛み、そして小さく、
「死ぬんじゃねぇぞ……リア」
そう呟いて、その場を去った。
魔王ルルスリア=ノルドはその言葉に目頭を熱くし、それからすぐにマントを翻して自分の向かうべき場所へ向かう。
「……負けるわけには、いかぬ」
そんな決意を胸に、彼は人族との雌雄を決するために、最後の戦いへと向かったのだった。
◆◇◆◇◆
「おじさま! 朝ですよ」
じゃっ、とカーテンが開けられる音と共に、イリスの声が耳に響く。
ふっと目を開いて、見覚えのない天井が目に入ったところで、あぁ、そう言えば宿を変えたというか、ユーミスの持ち家の一つに押し込まれたんだったかと思い出した。
イリスは朝だけあって、いつものような着るのに時間がかかりそうな漆黒のフリル付きドレス姿ではなく、すとんとした純白のワンピース姿である。
昨日の夜もこんな格好だったから、これは彼女の寝間着の一つなのだろう。最近暖かくなりはじめているところだから、こういう格好でも寒くないのかも知れない。
対してルルは一般的な装飾も何もない何の変哲もない寝間着である。
三着くらいを何年も使い回し続けて、そろそろ変え時かと思う程度にはぼろぼろになりつつある。
今度買おうか、と思いながら、ルルはゆっくりとベッドから起きあがり、イリスに言った。
「おはよう、イリス。しかし少し早くないか……?」
なんでこんな台詞になったかと言えば、窓の外から見える太陽の位置から、今の時間帯を確認して早朝と呼べる時間であることを理解したからだ。
いつもなら日が高く昇るまで、とは言わないまでももう少し時間が経ってから起こしてくれるのだが、今日に限っては珍しく早い。
ルルの言いたいことをその眠そうな表情から理解したのか、イリスは、言った。
「人族の体はそういうところ、不便なのですね……」
実際、昔は数日寝なくても平気だったし、眠りをとってもこれほど眠たい、ということはなかった。
人族はどうやら古代魔族よりも睡眠を必要とするらしいのである。
だからルルは昔より遙かに朝に弱くなってしまった。
ただ悪いことばかりでなく、眠ることが昔よりもずっと心地のいいものになっていることも確かだ。
魔族の体は、眠っているときもどこか覚醒していて、本当にすっかり眠りに落ちる、ということがなかったのだろうと言うことが今にして分かる。
それが種族として優れている点なのかどうかは分からないが、一瞬の集中力という意味では今の方が上かも知れないとは時々思うことがあるので、種族的差異、ということなのだろう。
「眠るのも気持ちいいからこれはこれでいいものだけどな……それより、早起きの理由は?」
言われて思い出したようにイリスが言う。
「あぁ……そうでしたわ。今日は、ガヤたちと依頼を受ける予定ですから、この時間に起こすようにと……」
眠気のまだ抜けない頭だったが、そう言われてルルはそうだった、と思い出す。
闘技大会までまだしばらくある。
その間、何もしないで修行三昧、というわけにいかないのは、ルルたちもガヤも同じだった。
家賃はゼロなのはお互い同じなのだが、食事するためには当然、お金は必要だし、それ以外に趣味に費やしたい部分もある。
そうである以上、何かしらの依頼を受けて地味に稼いでいこう、とは考えていたのだが、冒険者になったばかりのルルとイリスにはそのためのノウハウというか、最低限の共通知識がない。
何も知らない新人冒険者は誰かと何度か依頼を受けることにより、その部分を補って行くのが一般的で、しかも氏族に所属している場合はその氏族の先輩冒険者に学ぶのが通常なのだが、ルルとイリスは闘技大会までその所属は内緒にしておく方向に決まってしまった。
ちなみに冒険者証には所属クランは別に表示されないようで、その点については心配することもなく、また冒険者組合は冒険者の情報をみだりに流したりはしないので、そこも安心していいところだ。
そういうわけであるから、ルルたちは闘技大会までの一月、無所属の冒険者として、だらだらやっていこうかと考えていたのだが、ここでガヤ少年から誘いがあったのだ。
曰く、自分たちは初級冒険者であるし、ついこの間初めての依頼を受けたばかりだ。けれど、冒険者の暗黙の了解と言うべき、共通知識の部分については自分の親たちが冒険者であり、その依頼に何度かついて行かせてもらったことがあるので、よく分かっている。だから、そう言うところに関して不安を抱えているだろう新人に、自分たちが冒険者のルールというものを教えてやろう。
と、つまりそういうことを言っていたわけだ。
初依頼で遠出して心配かけるあたり、正直本当に大丈夫なのか?という気はしないでもないのだが、知識を持っていることと活用できることはまた別だ。
彼らの親がそれなりの冒険者なのは真実で、基本的な冒険者のルールというものを知っているというのも本当なのは事実だろう。
そう思ったルルとイリスは、彼らの提案に乗ることにしたのだ。
嘗めてかかるのはよいことではないが、冒険者組合に張られてあったいくつかの依頼票の内容を見る限り、初級冒険者の依頼というのはそうそう失敗するようなものではないし、今回ガヤ少年たちがやってしまったような微妙な落とし穴にさえ気をつけていればそれで足りるような簡単なものが多い。
だから、そう言う部分については自分たちが常識の範囲内で気をつけていれば、ガヤ少年たちと一緒でもいいのではないか、と思ったのだ。
ユーミスに与えられた家は、二階建ての一軒家だった。
場所は一応王都の中にあるのだが、外れも外れであり、周りには家が存在しないような場所である。
しかしかといってひどい家かと言われれば全くそんなことはない。
よく手入れの行き届いた小綺麗な家屋であり、必要なものは揃えるまでもなく一通り揃っていて、買うべきはせいぜい食材くらいで、あとは備え付けのもので全て事足りる、そんな状態だったからだ。
引き渡しをしてくれた管理人である不動産関係の商会の従業員は、何か必要なものがあれば申しつけておいてくれ、と言っていたが、そんな必要はまるでないと言っていい。
そして肝心の食材であるが、その問題もしばらくは問題なさそうではある。
寝室からイリスと共に出て、家のリビングに進むと、そこには六人掛けの食卓がある。
イリスと二人だけで使うにはいささか大きすぎ、寂しそうだと思ってしまう大きさのそれであるが、けれど今はすでにその六つある椅子のうち三つが埋まっている状態にあった。
「おう、起きたか! 邪魔してるぞ!」
そう言って、いつかの険悪な表情などまるで覚えていないかのような顔でにこやかに笑いながら食卓で朝ご飯を食べてつつ、手を挙げてルルに挨拶したのは、あのときの少年、ガヤである。
「お、おはようございます……」
その隣で、少しばかり居心地悪そうに、というか申し訳なさそうにちょこりと首を下げたのは、ガヤと同い年くらい年頃の、彼と同じパーティに所属する大人しそうな猫系の獣族の少女ユユであった。
さらにその隣には、ガヤと正反対の落ち着いた微笑みの浮かぶ髪の長い少年が座っている。
「おはようございます、ルルさん、イリスさん。ガヤがご迷惑をお掛けしたのに、朝ご飯までご馳走になって、申し訳ないと言いますか……」
そう言いながら謝っている彼もまた、ガヤと同じパーティに属する少年シャリカであった。
少しくすんだ金髪を持つガヤが剣士であり、頭に猫系の獣族であることを象徴とする猫耳がついているユユが魔術師、そしてどこか押しの弱そうな青い長髪のシャリカが治癒術士という、バランスのとれたパーティ構成である。
ここにもう一人前衛と、中衛を担える人材が加わるともっと良くなりそうだが、初級のうちはこれで十分なのかも知れない。
ユユかシャリカが前衛も出来るように鍛える、というのもいいかもしれないが……。
そんなことを考えつつ、ルルは彼らの挨拶に返答した。
「あぁ、おはよう。別に気にするな。そもそも、その朝ご飯の材料はお前たちが持ってきたものだろう? わざわざ悪いな」
そう、ここに今並んでいる朝ご飯の食材は、全て彼らの持ち込みである。
話を聞くに、彼らの親からルルたちに持って行けと言われて渡されたらしい。
その理由は、ガヤ少年がルルたちに喧嘩ごしに振る舞いすぎたことの謝罪である。
また無理矢理闘技大会に出場させることになったのだから、ルルたちに冒険者のルールを教えるくらいのことはしてこい、と言われ、昨日の夜、わざわざここに訪ねてきて、野菜や肉を抱えて、今日のことを相談しにやってきたというわけだ。
その中で、じゃあいっそのこと朝早くから依頼を受けようかということになり、朝ご飯はここで、という約束をして今に至る。
それでも闘技大会のことは撤回しないあたり、どうなんだと思わないでもないが、今となってはむしろガヤ少年はルルをいいライバルとして見るようになったようである。
どちらが先に中級冒険者になるかも勝負だからな、とか言ったりもするようになってきたので、闘技大会はそのついでというか、途中何度も繰り広げられるだろう勝負の一つに位置づけられてしまったようだ。
そう言う風に何かの目標に上げられるというのは、昔から好きなので、それでも問題はないのだが、おそらく闘技大会で彼に色々見せることになるだろう事が少し不安だった。
心がぽっきり行かなければいいなと思うのだが、それは心配しすぎなのだろうか……。
ちなみに食材を調理したのはイリスである。
軍に所属していたときに、料理はしっかり学んだらしく、高位の魔族であったにもかかわらずこう言った細々とした仕事は遺跡から目覚めたときからしっかりと身につけていた。
それから七年、家で使用人に混じって働き続けた結果、今では彼女の家事スキルは一流のものとなっている。
ガヤ少年たちはイリスの作った料理に舌鼓を打ちながら楽しそうにしているので、ルルたちも席に座り、その会話に混じったのだった。




