第28話 おかしな空気
登録も終わったことだし、氏族に戻ろうと思い、ラスティと連れだって歩きだそうと彼に近づいたところ、冒険者組合入り口からミィとユーリがものすごい勢いで入ってきてラスティを引っ張っていった。
その際、ルルとイリスに視線で「久しぶり」というような意味合いの言葉を伝えてきたが、それも一瞬のことで、一体何だったのか、とあっけにとられてしまう。
ラスティにくっついていた少年も同様のようで、
「……ミィ先輩もユーリ先輩も、一体どうしたってんだ?」
などと言いながら首を傾げている。
あの二人も先輩扱いか、と含み笑いを漏らしつつ、しかし何かラスティに用事があったのか何なのか、なんとも言えずに、けれどここで考えても何も分からないことは明らかだったので、ルルはイリスとさっさと氏族に戻ることにした。
少年もおそらくは依頼から帰ってきたばかりだろうから、氏族に戻るのかと思っていたが、歩いていく方向はルルたちと逆で、彼は冒険者組合奥の受付の方に向かおうとしていた。
それを見て、そういえば彼らは薬草の採取依頼を受けたんだったな、と思い出したルル。
確かによく見てみれば、少年の腰には薬草が入っていると思しき袋がぶら下がっていた。
グランの話によると、少年のパーティは三人組らしいのだが、今一人しかないという事は、他の二人は氏族に戻ったか、別の用事を片付けている最中なのだろう。
少年は受付に向かう前に一度振り返り、
「じゃあ、俺は依頼完遂の報告をしに行くから。お前、約束を忘れるなよっ! ……そうだ、俺の名前はガヤだ! お前は!?」
ふと、なぜこの場で名乗ったのか、と思わないでもなかったが、すぐにその理由に思い当たる。
彼も、そしてルルも闘技大会に出るのである。
そして、いざ闘技大会に出ても相手の名前を知らなければどこまで進んだか確認しようがない。
そのために名乗っておけ、ということだろう。
自ら名乗ったところはポイントが高く、基本的には礼儀正しい少年なのだろうと思った。
ルルに対して割ときつい言葉遣いなのは、たぶん、出会いが悪すぎたのだろう。
尊敬する先輩に不注意でぶつかって、しかも馬鹿にするように笑った、と言う風に見えてしまっているはずだ。
ルルは納得し、頷いてから自分の名前を言った。
「俺の名前は、ルルだよ……こっちはイリス」
隣に立つ銀髪の少女の名前もついでに付け加える。
しかし少年ガヤはイリスには特に興味がないらしく、
「分かった、ルル! お互いがんばろうぜ! ま、ラスティ先輩には及ばないだろうけど、肩を並べるくらいの気持ちで挑戦しても罰は当たらないしな!」
などと行って受付に走っていったのだった。
そんなガヤの様子を見て、
「……悪い子では、なさそうですわ」
イリスがそう呟いた。
ルルもその点は同感で、
「あの氏族に所属してるんだから、それほど問題ある訳じゃないだろう。若いから、無鉄砲なだけだ」
遙か昔に過ぎ去った青春を懐かしむような、十四の少年にはいささか似つかわしくない視線をガヤの方に向けるルルに、イリスはふっと微笑み、からかうように、
「……おじさまがそうおっしゃいますと説得力が違います」
そう言ったのだった。
◆◇◆◇◆
氏族に戻ると、そこではなんだかよく分からない奇妙な雰囲気が流れていた。
朝出るまでの一階酒場は騒がしいながらもおおらかな空気が満ちていて、氏族構成員それぞれがルルとイリスに気さくに話しかけてくれたのだが、今はそういう感じではないのだ。
とは言っても、別によそよそしい、というわけでもない。
なんというか、まるで何かを隠しているというか、たくらんでいるというか、そういう不穏な空気が宿っているように感じられるのだ。
一体どういう事だ?
と、首を傾げつつも、ルルとイリスは昼食を食べるために一階酒場カウンターに腰掛け、カウンターの中で忙しく料理に取り組んでいるシフォンに注文することにした。
ちなみに、ここでの飲み食いの料金は、氏族構成員は原材料費ぐらいしか掛からない。
もちろん、シフォンは無給というわけではなく、氏族が持つ財産から支払われているので、直接的に店で料金を支払う必要がない、というだけだ。
「シフォン……何か昼飯をくれ」
そう言うと、シフォンは頷いて微笑み、それから少し潜めた声で言った。
「了解ですよ~……それにしても、なんか申し訳ないですねぇ……」
その言い方に、イリスが首を傾げつつ尋ねる。
「申し訳ないとは、この……なんとも言えない空気のことでしょうか?」
「そうそう、そうです~……それもこれもみんなユーミスさんが悪いんですけど……」
料理を作りながらシフォンが語ることによると、実はユーミスはあのとき、ルルとガヤ少年のやりとりを冒険者組合の端っこで聞いていたらしく、二人が闘技大会に出る話になったあたりで飛び出してここに戻ってきたのだという。
それからユーミスは氏族構成員たちにルルたちの会話の様子を語って聞かせ、面白そうだから全力でそれをバックアップして盛り上げよう、ということになった、というところまで聞いた辺りでルルは呆れてため息を吐いた。
「ユーミスの阿呆さ加減はいつまで経っても治らないんだな……」
遺跡に潜れば率先して罠にかかりに行こうとするような女である。
しかも何となく面白そうだから、という理由でだ。
それに幾度となく巻き込まれてきたグランが気の毒になる性格をしているが、しかし今回に限ってはそのグランも引き止めなかったようである。
不思議になってルルは尋ねる。
「グランはどうしたんだ? 賛成したわけか?」
このなんとも言えない氏族の雰囲気からして、そうであることはまず間違いない、と考えてよさそうだが、理由が気になった。
シフォンは器用にも全く手を止めずに、流れるように料理しながら答える。
「それが賛成しちゃったんですよね~……なんだかんだ言っても、あの二人は結局馬が合うんですよ……だから、よっぽどじゃない限り、反対なんかしなくて……」
呆れたように言いながらも、シフォンの手は止まっていない。徐々に肉と野菜が炒められ、丁度良くまじりあったそれにシフォン特製の調味料がかけられていき、いい香りを広げていく。
酒場の外まで匂っているらしく、それに釣られたらしい街の人が開いている酒場の席に腰かけてオーダーをし始める。
酒場の従業員はシフォンだけでなく、ウェイトレスやウェイターも何人かいる。
シフォンは続けた。
「それで、ですねぇ。ルルくんとイリスちゃんに言わなければならないことがありまして……二人とも、本当は今日からここの三階と四階に住むことになってたじゃないですか?」
この酒場は、一般客も入れているため、必ずしもここにいる人間全てが氏族“時代の探求者”の構成員というわけではない。
二階から上は時代の探究者の専用なのだが、一階だけは別という訳だ。
建物自体は、もともとはユーミスの持ち物らしく、氏族を創設するに当たって出資したものらしいのだが、ユーミスも持て余していたらしいので問題ないのだと言う。
そしてその上、三階と四階はそれぞれ、男性と女性用の寮になっており、外に家を持っている者を除き、氏族の構成員はみんな、ここで起居していた。
グランとユーミスからは、氏族に加入した以上、その寮を使う権利があるからと言われ、宿からこちらに居を移すこととなったのだが、どうやらシフォンの話からするとその予定が崩れたらしい。
ルルはどういうことか尋ねる。
「そうだけど、それがどうかしたのか? 今さらそれはだめになった、とか言われても困るぞ。宿はすでに引き払ってしまったことだし、今から探すのは厳しいからな」
イリスもそれに頷いて続けた。
「その通りです。流石に街の中で野宿するのは気が引けますわ……外ならまだしも、白い目で見られたくありません。スラムに行けばそういう視線は避けられるかもしれませんが、私とおにいさまが行ったら目立ちすぎて絡まれます」
全くその通りの話で、どんな理由があるにせよ、出来ることならそんな選択はやめてほしかった。
しかし、少し考え過ぎだったらしい。
シフォンが次に続けた話は、野宿する場所について検討しなければならないようなものではなかったからだ。
シフォンは言う。
「もちろん、そこまで酷いことは言わないですよ~。そうじゃなくて、この氏族本拠地ではなく、別の場所に泊まってもらえないか、ということです。ユーミスさんはあれで結構長く生きてますから、王都に何件か物件をお持ちでして~……そのうちの一つに移ってもらえないかと」
ユーミスは古族である。
その寿命は人族より遥かに長命であり、その結果として街に下ってくるような古族は資産家であることが少なくないらしい。
ユーミスはその例にもれず、結構な資産家のようだ。
高名な冒険者であることから、金に困っていないと言うのはある意味当然とは言えるので、不思議なことではないのだが。
ルルは、グランはあまりあぶく銭を持たなそうなタイプだから、資産家という感じではないなと失礼なことを一瞬考えてから、シフォンの提案についての疑問を言う。
「野宿しないで済むなら、別に俺たちはどこでもいいが……なんでそんなことに?」
するとシフォンは言いにくそうに言った。
「そこで初めの話に戻るのですが~……ユーミスさんの言う、全力でバックアップ、ってつまりルルくんとイリスちゃんが、ラスティくんたちの師匠的立ち位置にいることを、ガヤたちに秘密にしよう!っていうことらしくて……だから、氏族本拠地の寮にいられてしまうと、困ってしまう訳ですよ~」
その話に、イリスは納得したように頷いて、
「なるほど……あくまでおにいさまとあのガヤ少年は同じ初級冒険者である、という体で闘技大会に挑ませたいといことでしょうか?」
「そうそう、そうなんです~……ガヤが知らないでルルくんたちに喧嘩を売ったことを、ユーミスさんもグランさんも面白がっちゃって~……だったら、闘技大会で度肝を抜いてやったら面白いんじゃないかって。もちろん、お二人が断るようなら諦めるって言ってましたけどね? ……どうしますか?」
言われて、ルルとイリスは少し考えた。
やろうとしていることは少しだけ悪趣味と言えなくもないが、ちょっとしたサプライズの範疇に収まるものとも言えないこともない。
この企みによって不利益を受ける者も、いないと言っていいだろう。
ルルもイリスも、しっかり住居は確保できるわけだし、ガヤ少年にしたって、ルルを大体同列くらいの実力であるとみているようであるから、絶対に負けないようにと訓練にも力が入るだろう。
そんな風に将来有望な若者の目標になる、というのは魔王時代から変わらずなんとなく心躍る立場だった。
それに、闘技大会で、どこからともなく現れたダークホース、みたいな存在になるのも面白そうだ、とも思ったのだ。
氏族にはすでに加入しているのでそれを隠すのは難しいかもしれないが……と思って一応、シフォンに聞いてみると、
「闘技大会は特に出場者の所属氏族の名称を聞いたりはしませんよ~。ですから、隠したいのであれば、明言しなければそれで大丈夫です……隠して出るんですか? なるほど、ロマンですね~」
とにやりと笑って理解を示してくれた。
これで、問題は本当に全くないことが明らかになった。
ルルは頷き、それからイリスに確認する。
「俺はユーミスが用意してくれるらしいところにしばらく泊まってもいいんじゃないかと思う。イリスはどうだ?」
イリスも少し考えたようだが、会った時から変わらぬルル至上主義的な考え方はここでも発揮されることになった。
「もちろん、私に否やはございませんわ……それに、お兄さまと二人っきり……」
少しだけ、自らの欲望に従った発言がその小さな口から発せられたような気がするが、ルルは気づかなかった。
シフォンは耳ざとく聞いていて、
「なるほど~、なるほど~!」
などとかくかく頷いていたので、イリスが口元に人差し指を押しつけて「しーっ!」黙らせたのだった。