第274話 ルグンの現状
「……ん? 目が覚めたのか!? お前、大丈夫か……?」
しばらくして、シウ少佐とウォールズが慌てた様子で戻ってきた。
その後ろには治癒術師なのだろう、真っ白なローブに身を包み、杖を持った女性が付いてきている。
しかし、その女性は不思議そうに首を傾げていた。
その理由は、ルルたちには自明だった。
なにせ、先ほどまで一歩間違えれば死ぬかも知れないような状態だったファイサが、今はピンピンしているのだから。
治癒術師の女性はシウ少佐たちにかなり危険な状態の重傷者がいる、と聞かされてきたのだろう。
一応、ファイサの元にやってきて膝を突き、状態を診たが、やはり大きく首を傾げて……。
「……特に問題はなさそうですね? シウ少佐のお話ですと、重傷者がいるとのことでしたが……」
「あぁ、それなら……」
と、ルルが答えかけたところで、シウ少佐が慌てた様子で、
「い、いや! すまない。こっちの確認ミスだった。どうも、ただ気絶しただけだったらしいな……忙しいところ悪かった。戻っても構わないぞ」
「……? そうですか? あの鬼のシウ少佐でも、そのようなことがあるのですね。余程大げさに倒れられたのでしょうか……? ともあれ、承知いたしました。では、失礼いたします。ただ、私ども治癒師はルグン軍においては数が少なく、常に任務が山積みです。今回のようなことは今後、お控え下さいますよう……」
「すまなかった。あとで治癒師長にも謝罪しておこう。無理を言った」
「はい。では……」
女性治癒師はそう言って頭を下げ、部屋を出て行く。
不思議だったのは、シウ少佐が終始、下手に出ていた上、治癒師の女性の方も若干高慢さが目立ったところだろうか。
シウ少佐が、治癒師は少なくて貴重だ、みたいなことを言っていたことを思いだし、なるほどこういうことかな、と思ったルルだった。
そして、治癒師の女性の気配が完全に遠ざかったところで、シウ少佐が口を開く。
「……ふう。行ったか。なんとか誤魔化し切れたみたいで安心したぜ」
ルルがそれに対し呆れた声で、
「なんであんな風に途中で俺の言葉を遮ったりしたんだ? 誤魔化したというか嘘の報告だろう? いいのか、軍人が同僚にそんなことを……」
そう、シウ少佐の入り方は明らかにルルが自分が治癒術を使える、と言うことを妨害していた。
つまり、その情報を隠そうとしていたと言うことだ。
これにシウ少佐は、
「良くはねぇが……お前のためでもあるんだから多少は感謝して欲しいな」
「ん? どういうことだ?」
「言っただろう? 治癒術士は少ねぇってよ。なのに今日入ってきた新兵が腕利きの治癒術師だなんて情報が広まってみろ。特にさっきの奴は治癒術師だからな。間違いなく衛生部隊に配属が決まる」
「……駄目なのか? 別に軍に入れてもらうんだから、配属に文句を言うつもりはないんだが」
「いいや。やめておいた方が良い。まぁ、お前が地位とか権力とか、そういうものが好きで、他の軍人を顎で使えるような立場が大好きだというのなら止めないが……見たところそういう奴じゃないだろ?」
「まぁ、それはな。ということは、衛生部隊って言うのはそういうところなのか……?」
「あぁ。嘆かわしいことにな。戦場で怪我を負った場合、兵士たちの生き死にはあいつらが握ってる。だが、誰をどの程度治すのか決めるのはあいつらだからな……」
そう言ったシウ少佐に、ゾエが言う。
「でも、それはある程度は仕方が無いことでしょう? 医学や治癒術の見識がない者から見て、明らかに簡単に治る者を放置して死亡させ、逆にどう考えても助からなさそうな者を助けて時間を無駄にした、みたいに見える場合でも、それは正しい選別だということは普通にあるわ。それに文句を言っていては……」
ゾエの言うことは正論だ。
戦場に於いて、正しい選別は必要不可欠であり、それを正確に行えるのは専門職のものだけである。
しかしシウ少佐はこれについて首を横に振った。
「俺だって、それくらいのことは分かってる。正しい選別の上で、治癒の優先順位が決まったって言うんなら、たとえそれで俺や俺の部下が死んだところで文句なんかねぇさ」
「では、どうして先ほどの権力とか地位がどうこう、という話になりますの?」
イリスが尋ねると、これにはウォールズが答えた。
「その正しい選別が行われていないからです。衛生部隊が……というか、衛生部隊全ての長である、治癒師長が、恣意的に治癒の優先順位を決めていて……」
「それは……なぜそんなことを」
ルルが尋ねると、シウ少佐が継いだ。
「そもそも、ルグン軍というのは構成が複雑でな。ルグン商国という国の構成と同じなんだ」
「……なるほど。そこから来るわけか……」
納得したように頷いたのは、ファイサである。
ルルが首を傾げて、
「俺たちにも分かりやすく教えてくれ」
というと、シウ少佐が続ける。
「ルグン商国は、大商人たちが数人で治めている商人の国だ、ということは知っているな?」
これにはルルとイリス、それにゾエも頷く。
ファイサは当然知っているし、ウォールズも言うまでもないから特に頷いたりなどの反応はなかった。
シウ少佐は確認した上で続ける。
「その大商人たちで作っている統治機構……《ルグン参事会》というのがあるんだが、このメンバーである参事は全部で四人いる」
「あぁ、その辺りは一応、国に入る前に叩き込んだな。ただ、名前は知らない」
ルグンに入る際の筆記試験。
その中に統治機構についての知識も一応あった。
ただ、その中で覚えるべきとされていた中に、参事たちの名前はなかった。
参事が数人いて、《ルグン参事会》を構成するという知識に留まるものだったからだ。
参事の数は時代によって変わるという話で、必ずしも四人とは限らないようだったが……今は四人なのか、とルルは思った。
「全員覚えておかなきゃなんねぇってもんでもねぇが、まぁ、そいつは今はぶれるから後で教える。それより、その《ルグン参事会》についてなんだが、この国の権力をその四人で共有するような形になっていてな。誰が一番、だとかそういうことは決まってねぇんだ」
「……それは、不便というか……揉めたら解決するのが難しそうだな」
共有されている、ということは少なくとも多数決で一致しない限りは国家的な決定が出来ないと言うことになるのではないか
そう思ってのルルの言葉だった。
これにシウ少佐は頷きつつ、言う。
「その通りだ。だが、大きなところでの意見はかなり一致しやすくてな。それは参事全員が商人であり、利益追求がその行動理念だからなんだが……だから、ルグン商国は長い間、国として普通にやってこられた。だが、今それが大きく揺らいでいる。それは、今回の決定がまさに揉めたからだ」
「今回の決定って言うと……」
「禁域への侵攻について、だよ。お前らもそれは分かった上でこの国に入ってきたんだろ?」
ルルたちは顔を見合わせつつも頷き、
「まぁ、な……」
そう答えた。
シウ少佐は続ける。
「禁域への侵攻については、揉めた。なぜって、失敗したら国ごと消滅しかねないような大冒険だからだ。商人は勝てる賭けには出るが、負けが大きすぎる賭けには出ない。だから、最初は反対票が三票、賛成票が一票だったらしい」
「まぁ、妥当だろうな……」
禁域はそれだけ危険で、人の手に負えるものではない。
しかし、シウ少佐は言う。
「だが、最終的にこれはひっくり返った。反対に賛成票が三票、反対票が一票になって……それで、結局この国は禁域への進出に舵を切っちまったんだ」