第273話 一般人の頑張り
ファイサの動きはルルの目から見て、微妙に精彩を欠いていた。
それも当然である。
ファイサは本来、小人族の青年であり、今は擬態によって人族のそれへと変化させられている。
それによって身長も伸び、体のリーチも全て変わってしまっているのだ。
ルルが古代竜から学び、調整した人化魔術は決して幻影をかけて人の目だけをごまかすような中途半端な結果を出すものではなく、見た目も勿論のこと、触感や質感も含めて全てを完全に変えてしまうものである。
だからこそ、他人から触れられても一切気付かれることはないが、その代わりに大きく変わったその体そのものに慣れなければならないという作業が生まれる。
もちろん、戦いを生業としないものにとっては、あまり問題のあることではない。
歩いたり走ったりといった、基本的な行動さえなんとか出来るようになれば、あとは徐々になれていけばそれで十分だ。
しかし、ファイサのように、戦うことを必要とする者にとっては大きく話が異なってくる。
実際、今のファイサはそういったことが理由で今一、実力を発揮し切れていないのだ。
彼の相手をしているウォールズはかなりの腕を持った戦士であり、そんな彼と戦うにはエンジール族でも手練れのファイサであっても全力で挑まなければならないことは当然の話だが、こうまで大きく変化してしまった体でそれをやるのは難しい。
届くと思ったところに手が届かず、反対に届かないと思ったところに相手の武器が届く。
そんなことが頻繁に起こるのだから。
逆もないわけではないが、それも必ずしもメリットにはなっていない。
外れると思った攻撃がなぜか命中してしまったとき、次へ続く行動をすでに頭の中で想像して動き出していた場合には、むしろ大きな隙を生み出すことになってしまうからだ。
ルルも難儀な体にしてくれたものだ、とここでファイサは少しだけルルを恨んだ。
もちろん、彼が人化魔術を自分にかけてくれなければ、そもそも、こんな風にルグンに戻ってくることも出来なかったばかりか、刺客から逃れることすら厳しかったことを考えれば筋違いの恨みである。
しかし、せめてこんな風に戦うことになるのであれば、もう少し元の身長に近い体にしてくれたら良かった、と思わずにはいられなかった。
それが出来ない、ということを知っていても。
ファイサにとって、ルルの使った人化魔術は万能のもののように思えたが、ルルが言うには変化後の見た目についてはかなり制限があり、ルルが好き勝手に変えられるものではないのだという。
あくまでも《人》に《変えられる》魔術に過ぎず、どのような《人》になるのかについては選択できないのだという話だった。
実際、他の者に何度かかけたり習得して貰ったりしたことがあるのだというか、獣人族にかけた場合などは、あくまでも獣としての因子が取り除かれるだけになる場合から、大きく姿そのものが変わる場合まで様々だったらしい。
ただ、それでも推測であるが、人化魔術をかけた場合には、年齢などの要素はそのまま適用された形で人化するのではないか、という。
つまり、二十歳の小人族が人化したら、二十歳の人族になる、そんな風に。
ファイサの場合がまさにそれで、今の見た目は二十歳くらいの人族であり、小人族の時の年齢と同じだ。
身長は大きく伸びたが、大体、このくらいの年齢の人族の平均身長より少しばかり高い、くらいであり、小人族のときも小人族の中では確かにそのくらいの身長だった。
だから、この体になったのは必然で、意思の力ではどうしようもないことなのだ。
しかしだとしたら、もう少し訓練する時間くらい欲しかったが……この国ルグンの、そしてエンジール族のことを考えれば、悠長に特訓している時間もなかった。
だから、仕方ないのだが……けれど、このままでは負ける……。
「……ふむ。そろそろ最後の打ち込みか。もう体力も限界だろう?」
ウォールズが槍をぶん、と振り回して構え、こちらを見据えつつ言った。
確かに彼の言うとおり、ファイサの体力はもうそろそろ限界だった。
小人族のときより大きくなったからか、体力の消費が激しいのだ。
しかしその代わりに腕力は上昇し、リーチも伸びたのだが……やはり慣れが乏しかった。
これで試験に落ちるというのなら、それもそれで仕方が無い、そう思った。
だからといって、ここで諦めるというのもまた、違う話だが。
どうせ負けるのであれば、本気を出した上で負けたいものだ。
そう思ったファイサは自らの武器に魔力を通していく。
そしてそれを《変化》させた。
エンジール一族に伝わる技の一つ、《闘気》へと。
本質的には魔力なのだが、より洗練された力であり、単純に魔力を扱ったときよりもずっと攻撃力があがる。
そのため、真剣で使えば相手を意図せず殺してしまう場合もあるため、可能な限り使わないように気をつけてきた。
追っ手に追われているときですら、追い詰められたとき以外は使わなかったほどだ。
しかし、今のこの場においてこれを使わずに終わることは出来ない。
ウォールズも、この技術については知らないだろうが、何か空気感が変わったことはさっしたのだろう。
「……それがお前の本気か。良かろう。来い!」
「……行くぞ!」
そしてファイサが地面を蹴り……剣と盾がぶつかり合った。
ファイサとしてはその盾を弾き飛ばすか、あわよくば切り落とすくらいのつもりで剣を振り下ろしたのだが……。
「……ぬ、あぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
ウォールズが渾身の踏み込みと、額に筋が浮くほどの気合いでもって、ファイサの剣は盾に弾き飛ばされる。
そして……。
「……惜しかったな」
まずい、と思ったそのときには、腹部にその槍を突き込まれていたのだった。
視界が暗くなっていく……。
◆◇◆◇◆
「……う、ここは……?」
ふとまぶたの裏に感じた光に目を覚まし、起き上がってそんなことを呟くファイサ。
どうやら自分が気絶していたらしい、と気付いたのは、周囲が先ほど戦った試験会場であることを察したからだ。
ただ、試験官であるはずのウォールズとシウ少佐の姿はなく、ルルとイリス、それにゾエが横に座っているだけだ。
「お、起きたか? 体に問題はないか?」
ルルがそう尋ねてきたので、ファイサは頷いて答える。
「あぁ……大丈夫そうだ。腹にもあざは特にないようだし」
服をめくって先ほどウォールズに突かれた部分を見る。
刃先を潰された模擬槍とはいえ、あれだけの速度で正確に突かれたのであるから、内臓をやられていてもおかしくないくらいの攻撃だった。
だから心配はあったのだが、実際には皮膚も含めて綺麗なもので、痛みもない。
よほどうまく突いてくれたのか……?
そう思っていると、イリスが、
「ファイサさんの傷はお義兄さまが治癒して下さったのですわ。どうも、ウォールズ試験官は戦いに気合いが入りすぎたようで、一時は随分危ない状態で……二人がいないのは、治癒師を呼びに行ったから、ですわね」
「あぁ……でも、そういうことならルルが治せることは実際に治療を受けたシウ少佐は知っていたのでは?」
「ファイサさんが結構な血を吐いていたので、よほど慌てていたようです。それに、あれくらい高度な治癒は何度も使えるものではないだろう、今すぐに他の治癒師を呼びに行って来る、と叫んでいたので……まぁ、そういうことだろうと思います。実際には……」
「あれくらいなら日に何度でも使えるぞ。と言った頃にはもうすでに行ってしまっててな……いや、意外に気の良い奴らだよ。あの二人」
ファイサが死にかねない状態だったのを治したばかりだというのに、気楽な様子でそんな話をするルルとイリスに、ファイサはつい、ため息を吐きそうになる。
だが、もっと心配してくれても良いだろう、というのも何か違うし、かといって他に言うことがあるのかと言われれば、せいぜいお礼くらいしかないということにはすぐに気付く。
ファイサは改めて二人に向き直り、
「危ないところをまた助けて貰って、すまない……なんだか足手まといになってばっかりで……」
と、自分の情けなさを確認しつつ言った。
もっと自分に力があれば、とはエンジール湖を追い出されたそのときにも思ったことだが、あれからも何度も思っていることだ。
今日もこうして自分の弱さのせいで、ルルたちに迷惑を……。
そう思ったのだが、ルルもイリスもなんでもないような顔で、
「いや、気にすることはないぞ。むしろ助かったくらいだ。俺たちがあの二人に完勝してしまってたら、なんていうか……申し訳ないだろう? そこのところ、接戦で負けてくれたのはむしろ色々と言い訳が出来てありがたいくらいだ。イリスなんて素手でふっとばしたくらいだしな。あんなの派手すぎてなんて言えば良いのやらわかったもんじゃないぞ」
「お義兄さまったら……! 私も少しやり過ぎたかな、とは思ったのですけれど、でも戦士の前に手抜きをするのも申し訳ないかと思いまして……。殺し合いではなくてあくまでも模擬戦だったのですし、あれくらいは許容範囲かと思ったのです!」
「いやぁ……流石にやり過ぎだったんじゃないか。俺はこの後が怖いぞ。変に目をつけられて、このあと捕縛、とかなっても不思議じゃないからな。まぁ、そのときはそのときでさっさとずらかればいいことだけどな。そうなったらファイサ、この国のことはファイサが詳しいんだから、案内を頼むぞ。俺たちはそういうことに恐ろしく疎いからな」
そんな二人の話を、ここまで黙って聞いていたゾエが呆れた顔で、
「……ファイサ。そういう訳だから、まぁ……あんまり細かいことは気にする必要はないわよ。付き合いのそれなりに長い私でも、ついていけないと思うことは多いんだから。この二人のすることのスケールにいちいち驚いていたら、いくら命があっても足りないの。利用したら良い……とまでは言わないけれど、ファイサにも目的があるわけでしょう? それを達成できるまで、無意味に気後れしないで友達くらいだと思って付き合った方が気が楽よ」
そう言ったので、ファイサは色々と言いたいことを飲み込み、最後には、
「……分かりました。ゾエさん……」
とため息を吐きながら言ったのだった。