第272話 普通の人
「……やり過ぎたかな」
血を吐いて倒れたシウ少佐。
彼の元にルルはそんなことを呟きながら近寄った。
見れば、口元からは血がたらりと垂れ、眼は虚ろだ。
さっきの試合、最後の一撃のダメージによりそうなったのは勿論だが、目が虚ろなのはシウ少佐がゾエとの戦いから始めてずっと、極度の集中状態にあったからに他ならない。
本来、実力が上位の人間との戦いというものは人の神経を強く削るもの。
それを全く予想していないタイミングで、しかも三人立て続けに行ったのが今のシウ少佐だ。
限界までの集中が途切れ、精神的に限界が来ることも全くおかしくない話だった。
しかも、特に最後の試合は、ルルがあえてシウ少佐の限界を引き出すような戦い方をさせていた。
本来、ルルにはそんなつもりはなかったのだが、戦っている中で、シウ少佐が成長していくのを感じ、なんだか嬉しくなってしまってそんなことになったのだった。
シウ少佐と戦っている中、ルルは昔のことを思い出していた。
側近達や、魔王軍の若い者たちと、彼らを鼓舞するために模擬戦をしたときのことをだ。 当時は戦争中であり、戦いには楽しさよりも凄惨さや疲れを感じることの方が多かった中で、そのような瞬間はたとえ訓練であっても心をほっとさせてくれた。
今回のシウ少佐との戦いは、まさにそのときと似たような気持ちをルルに運んできてくれたのだった。
余談ではあるが、同じ経験のことをゾエに尋ねれば別の話が聞けることだろう。
魔王の側近や、魔王が直々に訓練をつける地獄の日がたまにあり、そんな日には自分がその場にいないことを願ったものだ、と。
ともあれ、シウ少佐はそんな経験の中に放り込まれたわけで、今の状態はむしろ軽傷といってもいいくらいだろう。
しかしそれでも……。
「……シウ少佐! 少佐ァ!」
審判に徹していたウォールズも、流石に血を吐いたシウ少佐を見て慌てて駆け寄ってきて、彼に呼びかけている。
ただ変に頭を動かしたり、揺すったりしては危険ということは分かっているようで、まずは呼びかけて、体の様子を観察しているだけだ。
シウ少佐も目は確かに虚ろだが、意識がないわけではない。
ウォールズの声に、
「……聞こえてるから、少し静かにしろ……ウォールズ。あぁ、ルルもそこにいるか。どうしたもんかな……もう一人分の試験があったが、俺もこんな体じゃ、流石に……そもそも魔力ももう空っぽだぜ……」
と息苦しげに言っている。
ルルはそんな彼の横に膝立ちになり、それから手をかざして唱えた。
「……『小治療』」
すると、ふわりとした魔力がゆっくりとシウ少佐を包んだ。
シウ少佐は、
「……これは……治癒魔術か。ルル……お前はそんなことまで……」
驚きながらそう言っている。
そして光が静かに消えていくと、先ほどまで虚ろだった瞳はしっかりと定まり、また体の痛みも引いたようで体を起こした。
それから腕、足、胸、頭と、自分の体を丁寧に一つずつ確認したシウ少佐は、
「……しっかりと治ってやがる。ここまで完璧な治癒魔術は俺でもついぞ、受けたことがないぞ。ルル、お前、傭兵より治癒術師になった方がいいんじゃねぇのか? 軍に限らず引っ張りだこだぞ。金も儲かる」
「……金?」
レナードでも治癒術師はそれなりに高給取りであるのは確かだが、ここ、ルグン商国の傭兵というのはそれよりも更に給金が良かったはずだ。
それなのに治癒術師の方を勧めることに若干違和感を感じたルルが首を傾げる。
するとシウ少佐は言った。
「この国じゃ、商人が最も金を持ってる。だが、金じゃ買えないものもこの世にはいくつかある……そのうちの一つが、健康だ。そうだろう?」
「確かにな……」
実際、ルルも遙か昔、前世においては他の誰の追随も許さないほどの大金持ちだった、と言えるが、そんな彼ですら結局、死ぬことになったのだ。
厳密に言えば不健康が理由で死んだわけではないが、重傷から復帰できずに死んだという意味では似たようなものだ。
命は金で買えないというわけだ。
それはいつの時代でも同じ……。
「つまり、これだけの腕を持ってりゃ、この国の大商人どもがお前に大金を払うってことよ。特に、今のような情勢じゃ、いつ大けがするか分かったもんじゃねぇからな。法外な金額を提示しても気持ちよく払ってくれるんじゃねぇか?」
この国、ルグン商国は今、禁域を攻略しようと必死になっている。
禁域というのは強力な魔物が跋扈する危険地帯であり、そういうところをつつくと何が起こるかは歴史が証明している。
つまりは、その地域で静かに生きていた強力な魔物が、他の地域に追い立てられ、結果として魔物の生息域に大きな影響を与える。
魔物の活動が活発になり、最後には滅多に見ない魔物が町や村を襲う、なんて自体になることも考えられる。
そうなれば町に住んでいようが非戦闘員だろうが区別されずに魔物に攻撃されることははっきりしているだろう。
そんなときのことを考えて、この国の商人というのは今、治癒術師を高給で雇おうとしていると、そういうことのようだった。
「そんなに心配なら禁域攻略なんて止めれば良いのにな」
ルルがそういえば、シウ少佐も笑って言う。
「確かにな。だが、止められない事情が、なにかあるんだろうよ……」
「それは?」
「……ま、それは後で説明してやる。まだ最後の一人の試験が終わってねぇからな。これ以上はここじゃ喋れねぇ」
「またお預けか……まぁ、ファイサが受かれば聞かせてもらえるんだろうし、いいか。しかし今からシウ少佐が試験してくれるのか? 言っちゃなんだが、ファイサなら魔力が空っぽのあんたくらいだったら普通に倒せると思うぞ」
実際、ファイサもそこそこの使い手だ。
盗賊団として徒党を組んで襲ってきた彼の実力を、ルルはすでに把握しているわけだが、まさに今のシウ少佐くらいであれば戦わずとも結果は見えていると言って良い。
これはシウ少佐も分かっているようで、
「……流石に俺もこの状態じゃ、試験にならねぇのは分かってるぜ。だから代わりに頼むことにする。ウォールズ。ファイサの相手はお前がやれ」
するとウォールズは頷いて、
「承知しました。手加減は……」
「……しなくていいんじゃねぇのか? ファイサも……ルル、お前達の仲間なんだろ?」
シウ少佐がルルの顔を見てそう言ったので、ファイサが慌てて近づいてきて、
「ま、待ってくれ。僕は確かにルルたちの連れだが……普通の人間だ。頼むから一緒にするのは止めてくれ……」
と懇願し始めた。
それを疑わしく見たのは、シウ少佐もウォールズも同様だった。
ゾエからの三人がまさに初めはそのような態度でいたが、実際に戦いが始まってみればその結果はこれだ。
ファイサも同じようなことになるんじゃないか、と疑って当然の話だった。
しかし、ファイサは必死に言う。
「……ともかく! 僕に対する試験は普通に行って欲しい。それで問題があるようだったら、そのときに改めて特別に手加減を止める、とかでいいじゃないか!」
この意見にはシウ少佐も、確かに、と頷き、
「……まぁ、最初の一撃を見れば分かるだろう。それでウォールズが転がったら終わりだろうが……あんまり嘘をついている感じでもないしな。ウォールズ。そういうことだから、普通に相手をしてやれ」
「……分かりました。大分不安ですが……その通りにしましょう」
◇◆◇◆◇
「それで、お前の得物はなんだ?」
ウォールズが訓練場の真ん中で、ファイサに向かってそう尋ねた。
彼自身はすでに、盾と槍を持って完全武装している。
始めにシウ少佐との戦いで見せたスタイルで戦う、ということだろう。
これは最初に説明されたとおり、試験官の戦いを見て戦いを組み立てる能力を見る、という部分に沿ったやり方だ。
ただ、ファイサは武具選択においては自分の有利なものを選ぶと言うより、得意なものを選ぶことにしたようだ。
「……これにする」
「片手剣か。ルル殿と同じだな……」
言いながら、まだファイサの実力を疑っているらしい。
もちろん、それは低く、というわけではなく、異様なほどに高く、だ。
ルルに殿が吐き始めていることから、ウォールズはルルの実力を完全に認めたようだった。
ファイサはそんな彼の言葉に苦笑し、ウォールズに言う。
「僕は彼ほどのことは出来ない。そもそも、彼と戦っても一瞬で組み伏せられてしまう程度に過ぎない」
「そうなのか? 少なくとも……それなりの腕はあるように思えるが」
武器を持ったファイサの動き、そして片手剣の扱いを見て概ねの実力を測ったらしい。
ウォールズもシウ少佐には劣るものの、軍の中では中々の実力者である。
普段であれば、この試験の試験官は主にウォールズが担当しているほどだ。
つまり、中級程度の実力は十分にある、ということだ。
油断して良い相手ではない。
ファイサはウォールズに答える。
「いやいや、貴方も見ていただろう? ルルたちの実力は……僕みたいなのと比べるのも烏滸がましいよ。だから本当に頼むから、普通に試験をしてくれ」
「……そこまで卑屈になることもあるまいに……。まぁ、いいだろう。分かった。構えるといい。審判は……」
「俺がやる。魔力はもう空だが、普通に動くことは出来るからな」
ウォールズの声に、シウ少佐が前に出てそう言った。
ファイサとウォールズがそれに頷いて距離を取り、試合の開始地点に着く。
それぞれ、ゆっくりと自らの武具を構えたのを確認すると、シウ少佐は手を掲げ、
「……では、両者、準備はいいか? ……始めっ!」
その言葉が放たれると同時に、足を踏みきったのはファイサの方だった。
今は人族の青年にしか見えない彼であるが、本来の体は小人族のものである。
その戦い方は基本は、素早い身のこなしにあるのは勿論のことで、それは身体の大きさが五割増しになっても変わらないようだった。
人化の魔術はただの幻影、というわけではなく、確かに実体もその大きさに変わるため、使い慣れない者はその動きに影響が大きく出るのが普通だ。
しかし、ファイサはその点、非常に優秀だった。
元々、それが自らの身体だったかのように流れるような動きでウォールズまでの距離を詰め、片手剣を振るった。
身体にも武器にも魔力が込められており、刃を潰した剣と言えども、その破壊力は決して小さくはない。
あれだけの速度と力が込められていれば、普通の人間が何もせずにその場に突っ立っていれば両断されてしまう。
それくらいの威力は込められていた。
模擬戦にしては威力が過剰のようにも思えるが、ファイサとしてはむしろこれくらいでなければ戦いにならない、と思ってのことだった。
ウォールズとシウ少佐の戦いを見て、ウォールズの防御の固さ、確実さを知り、自らの本気で挑まなければあの守りを抜くことは出来ない、とそう思ったのだ。
実際、初撃という最大のチャンスに自らの最高の一撃を放ったファイサだったが、ウォールズはそれを冷静に受け、いなした。
鮮やかな手腕であり、そしてなるほど、これだけの技術があればシウ少佐の大剣も確かに受け流すことが出来るな、と納得してしまったくらいだった。
「……確かに、普通のようだな」
ウォールズがぼそり、とそう呟く。
その意味は明らかで、ルル達のような何かを逸脱してしまったかのような力は持っていないようだ、とそういう意味だろう。
聞きようによっては馬鹿にしている、とも感じられる言葉だ。
お前の実力はルル達よりもずっと低い、とそう言っているようにも聞こえるからだ。
けれど、ファイサはむしろその台詞に助かった思いだった。
――これで普通に試験をしてくれる。
そう確信できたからである。
「だから、言ったじゃないかっ!」
言いながら、二撃目を叩き込むファイサ。
しかしそれもやはりウォールズには巧みにいなされる。
さらに、三撃目に入ろうとしたところ、ウォールズの槍が素早く突き出されたのでファイサは慌てて避け、距離を取った。
非常に僅かな予備動作しかない一撃で、それも盾で隠されてあまり見えなかった。
避けることが出来たのは、先ほどまでのルル達の戦いを見て、目が高速の戦闘になれていたからに他ならない。
見ているだけである程度の成長があるという戦いなどあるものなのだな……と若干の呆れも感じつつ思ったファイサである。
「……まさかこれで終わりではあるまい?」
力強く盾を構えつつそう言ってくるウォールズに、ファイサは、
「……当然だっ!」
そう叫んで、剣を振りかぶり再度かかっていく……。




