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第270話 殴り合いの提案

 一切油断できない。

 油断すれば、場合によっては死ぬ。

 シウ少佐がそう思ったのは当然の話である。

 なにせ、イリスが先ほど潰した鎧、あれはそんなに簡単に破壊できるようなものではないからだ。

 あれに命を助けられてきた経験が、ルグンの軍人には一度くらいはあるものである。

 にもかかわらず、おそらくあれを身に付けて戦っても防御すら出来ない攻撃を放つ者がいる。

 しかも素手で、と来ればどれだけ恐ろしいか分かろうというものだ。

 シウ少佐はウォールズが試合開始の合図を口にすると同時に、限界まで身体強化を自らの体に施す。

 かけなければ対応できる気がまるでしなかったからだ。

 そしてシウ少佐がこの新兵採用試験でこれだけ本気で身体強化をしたことなどついぞなかった。

 常に余裕で勝てるから、とは言わないまでも、そこまで隔絶した実力者などまず、来ない。

 冒険者で言う特級クラスが来れば分からないが、そう言った者たちはすでにどこかの組織に属しているものだ。

 わざわざ新兵採用試験なんかに来るわけがない。

 一応、外国人についてはそれなりの腕を持つ者のみを迎え入れてはいるが、それでもどれだけ強くてもシウ少佐より二段劣る、程度のものくらいが関の山だ。

 そんな相手にここまで本気で戦う意味はない。

 命がかかっているのなら別だが、あくまでも試験であり、相手の実力が見れればそれで十分だからだ。

 

 だが、今回ばかりは違う。

 そんな気持ちで挑めばどうなるか。

 流石にあの鎧のようにはなりたくない。

 

 シウ少佐は両手剣を握り、イリスがどのように攻めてくるのか観察しようとした。

 来るのは、目にもとまらぬ速度での突っ込みか、それとも正面から猛攻を加えて、徐々に崩していくタイプなのか……。

 しかし、実際にはそのどちらでもなかった。

 そうではなく、イリスはゆっくりとシウ少佐のもとへと進んでくる。

 走っているわけではない。

 ただ、歩いてくるのだ。

 誰にでも、どうにでもできる、非常にゆっくりな徒歩。

 ……ふざけているのか。

 そう思ったのは当然のことだ。

 こんな風に振る舞った者など、今まで一度もいなかったのだから。

 当たり前だ。

 こんな不用意に近づいて来れば、シウ少佐は迷わず一撃を叩き込む。

 そして、そこで試験は終わりだ。

 相手の不合格。

 そうなる。

 

 けれど。

 不思議なことに、今、シウ少佐はそれをする気には全くならなかった。

 こちらから突っ込んでいき、両手剣を振るって……それで、どうなる?

 分からない。

 分からないが、まともに命中するようなイメージが湧いてこなかった。

 強い戦士に必要なものは、気が遠くなるような過酷な訓練の積み重ねと、生まれ持って与えられた肉体の頑強さ、それに工夫である、とシウ少佐は考えている。

 そして、それに加えて最後に一つ付け足すなら……それはイマジネーションだとも。

 相手を見て、直感で感じ取る力。

 自分がどのように振る舞うと、相手は一体どんな風に応じてくるのか。

 それを想像する能力だ。

 これが無ければ、相手の意表はつけない。

 別に必ずしも意表を突く必要はないが、ほんの一瞬の切り合いの中で勝負を決めるのは、そういう瞬間的な判断であることを、シウ少佐は知っていた。

 そして、そのシウ少佐の持つイマジネーションは、今、イリスに切りかかることを良しとしていないのである。

 簡単なのに。

 それこそ、いくらでもなで斬りに出来そうなのに。

 なのに、出来ない。

 

 行け、シウ。

 

 そう頭の中で何度も考えるが、しかし結局、イリスがシウ少佐の目の前、両手剣の間合いに来るまで、シウ少佐は何もできなかった。

 そして、眼前のイリスは、言う。


「……切りかかってこないのですか? これだけ隙だらけですのに」


 それは、人によっては馬鹿にしている、と取るだろう台詞だ。

 この状況を加えて考えれば、間違いなく侮辱である。

 しかし、シウ少佐にとってはそうではない。

 やはりか、という思いを強くする言葉だった。

 イリスは切りかかってくるのを待っていた、誘っていたのだと、そう確信できる言葉だった。

 

 とは言え、だ。

 ここまで近寄られて、もう何もしないという訳にはいかない。

 あと二歩、こちらに近づけば、今度はイリスの拳の間合いに入ってしまう。

 イリスがちょうど、自分の拳の間合いではなく、両手剣の間合いにいるこの状態こそが、シウ少佐にとって最も有利な状況であることは明らかだからだ。

 これ以上、シウ少佐にとって楽な間合いになることは、ない。

 だから、シウ少佐は両手剣を振りかぶる。

 イリスに、一撃を加えるため、そして彼女がどれほどの存在なのかを見極めるため、だ。

 もしかしたら、シウ少佐の考えすぎで、ただ滑稽なほどに恐れているだけかもしれないが、それならそれでいい。

 

「お望み通りやってやるさ……見せて見ろっ!」


 そう叫んで、シウ少佐は剣をイリスに向かって叩き込んだ。

 自らの体に宿る剛力、その全てを注ぎ込んだ最良の一撃である。

 その気になれば岩をも両断することが可能な、強力な切り付け。

 けれど。


「……悪くはないですが、正直すぎるのでは?」


 イリスはその一撃に無傷でその場に立っていた。

 その左手は、そっとシウ少佐の振るった両手剣に添えられているように見え、確かにシウ少佐の両手剣はそこで停止している。

 客観的に見れば、シウ少佐がイリスに到達する前にその剣の進行をあえて止めた、とそう見えることだろう。

 しかし、現実は違っている。

 そうではなく、イリスこそが、その両手剣を押しとどめているのだ。

 片手で、しかも素手で、である。

 恐ろしいことだった。

 もちろん、訓練場にある両手剣であるから、しっかりと刃は潰されている。

 切れ味というものは基本的に存在しないが、しかし大きさが大きさであるし、もともとこれは切るというより叩き潰すというのに近い武器なのだ。

 刃が潰されているからと言って、それを叩き込まれる側からすればほとんど変わらない攻撃力を有していると言っていい。

 それが生身であるのなら余計にだ。

 にもかかわらず、イリスに傷は一切ついていないのである。

 これは、あまりにも異常な事態だった。

 しかも、シウ少佐は未だに両手剣にかける力を抜いていない。

 身体強化を駆使して、常人の何倍もの剛力を出せるようになっている状態にある。

 それを両手剣にかけ続けているのだ。

 それだけで普通の人間ならば押しつぶされてしかるべきである。

 なのに、イリスはそれを片手で受け止めて平然としている。

 

 ――なんだこれは。なんだこいつは。


 シウ少佐が戦慄と共にそう思ったのは至極当然の話だった。

 しかしイリスはそんなシウ少佐を見て首を傾げ、


「……? 動かないのですか? でしたら、こちらから参りましょう」


 そう言うと同時に、両手剣にびきり、と罅を入れるほどの握力で握り、そして両手剣ごと、シウ少佐をぶん投げた。


「なっ……!?」


 シウ少佐も大男、というわけでは決してない。

 むしろ、身長の割にスマートで、どちらかと言えば細身に属する体型だと言えるだろう。

 ただ、それでも軍人である。

 その体は引き締まった筋肉の鎧で覆われ、同じような体型に見える一般人と比べればかなり重い方だ。

 それに加えて両手剣の重さも考えると、とてもではないが小さな女の子に持ち上げられるような存在ではない。

 それなのに、まるで綿の詰まったぬいぐるみでも投げるかのような気軽さで空中に放り投げられた時の気分をなんと表現すればいいのか。

 シウ少佐には分からない。

 分からないが……しかし、だからと言って呆けるわけにもいかなかった。

 訓練場の壁が物凄い勢いで近づく中、しかし更に恐ろしいことに、イリスが迫ってきていた、

 自分で投げたシウ少佐を、追いかけて来たらしい。 

 そのまま追撃するつもりなのだろう。

 シウ少佐は空中にありながらも体勢をどうにか保ち、次の瞬間向かって来たイリスの拳を、なんとか防御することに成功する。

 しかし、それによってさらに勢いがついたシウ少佐の体は、そのまま訓練場の壁にたたきつけられた。

 幸い、壁はかなりの強度で造られていて、それで崩壊、ということにはならなかったが、それでも相当に痛いのは間違いない。

 そしてそれでもシウ少佐は一息つくわけにはいかない。

 イリスが向かってこないはずがないからだ。

 地面に足をつけられたと同時に、横に向かって飛ぶと、一瞬シウ少佐が足をついたその場所に向かって拳が叩き込まれた。


「……あら?」


 まるで蚊にでも逃げられたかのような気の抜ける声をあげたイリスだったが、しっかりとシウ少佐が立ち上がり、構えなおしたのを見て、彼女は笑う。


「もう少し、行けそうですわね」


 ……何がだ。

 そう聞きたくなったシウ少佐だったが、それをすればあまり気分の良くなる答えは返ってこなさそうだ、と即座に察知し、ただ警戒しつつ構えるだけに留めておいた。

 そして、このまま構えていれば、先ほどと同じようなことに陥るだろう、と考え、今度は自らイリスに向かって攻めるという選択をとる。

 それをしたからと言って、どれだけのチャンスが自分にあるのかは謎だったが、しかし、他にやりようもないのだ。

 十分に身体強化された身体能力を活用して、かなりの速度でイリスに肉薄する。

 そして両手剣を、自分に出せる最高の速度でもって振るい、イリスを攻撃し始めた。

 それは、両手剣どころか、片手剣で戦っているような猛攻である。

 これほどの連撃を、巨大かつ重量のある両手剣で、出来てしまう点が、シウ少佐の強さだった。

 大抵の魔物は、これだけの重く強力な攻撃を、幾度となく叩き込まれればその生命を容易に散らすものだが、しかし、イリスはそんな魔物たちとは違っていた。

 彼女はシウ少佐の斬撃をすべて、その腕で受けていた。

 信じられない話だが、まるでそこに不可視の盾でもあるように、腕で受けてしまうのだ。

 これだけの鉄塊が腕にまともに命中すれば、骨折どころでは済まないはずなのに、彼女は全く問題なさそうで、シウ少佐はこの戦いが始まって以来、何度目か分からない驚愕を覚える。

 自分は一体何と戦っているんだ……。

 そんな気さえし始めて来たそのとき、


「……この辺りで十分でしょうか。魔力も……減ってきてますし、ね」


 イリスはそう言って、シウ少佐の両手剣を弾き飛ばす。

 それから、その拳に強い魔力を集中させて、


「さぁ、受けてください。あなたが耐えてくれることを願いますわ」


 そう言って地面を踏み切った。

 それを見てシウ少佐は、あれは、やばい、と悟る。

 拳に込められた魔力量もそうだが、飛び込みそれ自体の速度も半端ではない。

 さらに、自分の魔力もそろそろ危険水域に達している。

 あと二人相手にすることを考えると、これ以上は消費できないだろう。

 

 そして、イリスが目の前に迫る。

 拳が振り下ろされた、その瞬間に、シウ少佐は両手剣をその軌道に差し込むように振るった。

 両手剣と拳が互いにぶつかり合い、一瞬だけ拮抗する。

 けれど、直後。


 ――びきびきびきッ!


 と、両手剣にひびが入り、そして根元からバラバラと粉々に崩れ去ってしまった。


「……次は、純粋に殴り合いを致しますか?」


 お茶会でもいかが、とでも言っているかのような気安い口調で殴り合いを提案してくる幼い女の子に、シウは戦慄する。

 当たり前だが、そんな質問に対する答えは、一つだった。


「勘弁してくれ。お前も合格だ、合格」


 若干投げやりなのは、色々な意味で疲れたから、というのは言うまでもない。


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