第266話 おかしな軍人
「ここが大商都ハタマか。中々に大きいな」
ルルは、数日揺られていた馬車から降りると同時にそう呟いた。
「そうですわね……レナードの王都デシエルトとはだいぶ毛色が違っていますけれど、これはこれで悪くありませんわ」
イリスがルルに続いてそう言う。
彼女の言った通り、レナードの王都であるデシエルトと大商都ハタマとは、ぱっと見の雰囲気からして違った。
賑やかで活気がある感じはどちらも同じなのだが、建築物や聞こえてくる声の勢いなどの性質が大きく違うのだ。
デシエルトはレナード風のレンガ造りの建築物が多く、色合いも白色を基調とした気品ある感じのものが多かった。
街の構造も計画的に形成されていて、通りは大抵まっすぐに出来ていた記憶がある。
しかし、大商都ハタマの建物は、削り出した砂岩などを使用した独特の風合いの建物が多く、また街の構造も雑多だ。
流石に大通りははっきりと広くとってあるのが分かるが、少し路地に入ってしまえば曲がりくねった狭い道がいくつも続いていて、詳しくないものが入り込めば永遠に出てこれなさそうであった。
もちろん、街の住人はそんな路地を活用して近道などしているのだろうが、ルルたちにはしばらくの間、そんなことは出来なさそうだった。
迷っても壁伝いに建物の上に上って屋根の上から現在位置を確認する、という普通なら出来ない方法を簡単に出来るルルたちなら迷って出てこられない、ということは中々なさそうだが、そんなことを頻繁にするわけにもいかないし、街に詳しくならないうちはやめた方がいいだろう。
「大商都の路地は死体すら隠す、ってことわざもあるくらいだしねぇ。そうならないように気を付けるのよぉ?」
と、ポーラが冗談でなく言う。
そんな昔話が大商都には山とあるらしく、子供を脅かすのにも使われるとのことだった。
どんな国でもそういうものがあるのだな、とルルたちは感心する。
ちなみに、一緒に馬車に乗って来て、そこそこに仲良くなったアルドはもうここにはいない。
曰く、早いとこ宿をとって、入隊試験のために英気を養うつもりらしい。
軍への入隊試験は大商都のルグン軍省庁舎に行けば申し込みが出来、早ければ次の日、遅くとも三日後程度の日付が指定されて試験が実施されるらしい。
早い方はルグン国民の志願者であり、遅い方は外国人の場合だと言う。
ということは、ルルたちは数日時間が空く可能性があるということだ。
「まぁ、路地裏についてはそのうち探索してみたいが、今は遊ぶよりも先にやることがあるな……宿探しかハタマ軍省庁舎に行くか、どっちにすべきかな?」
ルルがポーラとファイサにそう尋ねる。
やはり、ルグン出身者である二人の方が、ここでのことについては効率的な判断が出来るだろうと思ってのことだった。
これにまずポーラが、
「基本的にはどっちでもいいと思うわよぉ。結局、今日即座に試験ってわけでもないでしょうし。うーん、でもそうなると、宿を先に取った方がいいってことになるかしら?」
続けてファイサが、
「僕もその方がいいと思うが……いや。そうだな、二手に分かれればそれでいいだろう。大商都は初めて来た者には歩きにくいところだが、ここには幸い、ルグン出身者が二人いることだしな」
そう言った。
確かに、宿は代表者が言ってとればそれでいいし、入隊試験の申し込みも複数人が行う場合は代表者でも構わないのだと乗合馬車でアルドが教えてくれていた。
だからそれにルルは頷き、
「じゃあ、そうするか……。宿の方は、そうだな、ポーラと……」
「私が行くわ。ニーナちゃんもこっちね。入隊試験の方は、三人でお願い」
とゾエが即座に立候補して決まる。
ポーラを選んだのは、ルグン出身者でかつ、実家が商会の経営者ということで、宿についても良さそうなところを見繕ってくれるだろうと思ってのことだ。
ファイサの方は、あまり集落の外に行くことは多くなかったらしく、行ったとしても宿を取ったりなどの雑務は他の者が行っていたということだからやはりポーラの方がいいだろう。
ちなみにゾエがさっさと立候補したのは、早いところ宿に籠もりたいかららしい。
馬車から降りて、さほど歩いていないのだが、それでも先ほどから何回もゾエは通りすがりの人に話しかけられている。
具体的にいうと、その全てがナンパであり、全部断っているが面倒くさいらしかった。
レナードでは、そのようなことがほとんどなく、それはゾエに魅力がないからというより、ゾエの少し普通とは異なる雰囲気に物怖じして近づけない者が多かったからだ。
しかし、ルグンでは国民性が違うようで、むしろその一見して危険そうな雰囲気に惹きつけられる者が少なくないようだった。
ちなみにポーラは小人族から似たような目に遭っており、流石この国出身だけあってうまくあしらっているものの、長旅直後で疲れ気味のようである。
イリスもまたそのような目に遭いそうだが、異性が近づこうとした瞬間、かなり真剣な殺気を飛ばしているので誰も近づいてこない。
脅しとか、そんなレベルではない本気の殺気である。
それは、近づいてこれないだろう。
流石にもっと手加減してやれ、と思わないでもないルルだったが、それを口にすると藪蛇になりそうだという妙な直感を発揮して、黙っている。
それから、ルルはゾエとポーラに、
「じゃあ、二人とも頼んだ……ニーナも」
と言って、別れた。
そのままルルとイリスとファイサの三人はルグン軍省庁舎に向かう。
ファイサも一応、長の息子として何度かハタマには来たことがあるらしく、主要な機関の入っている建物の位置は大体覚えているようだ。
しっかりと先導してくれ、ルルたちは庁舎に到着した。
◇◆◇◆◇
「……入隊試験希望者。お前たちがか?」
庁舎に入って、受付に座っていた軍人と思しき男性に来訪の目的を告げると、胡散臭そうな顔でそう言われたルルたちである。
まぁ、気持ちは分からなくもない。
ルルとイリスは十代半ばの年齢にしか見えないし、ルルはいかにも育ちの良さそうな顔つきの少年で、イリスは華奢な体型の少女だ。
軍人になりたいんですとこの二人に言われたところで、あい分かったとは中々ならないだろう。
案の定、受付の男性は、
「軍は非常に厳しいところだぞ。やめておけ。そもそも、お前たちは出身が……レナードだろう? 入隊試験は現役の兵士との一騎打ちになる。いきなり思い付きで受けたところで怪我をするだけだ」
と忠告を始めた。
それは、別に邪険にするような言い方ではなく、本当に心配しての言葉のように感じられたが、ルルたちにはどうにも煩わしいものである。
とは言え、はっきりとそう言っても子供の虚勢か何かだろう、と思われてしまうだろう。
どうしたものか……と返答に窮していると、ルルとイリスの後ろから、ファイサがやってきて、
「……この二人は見かけに似合わず中々の使い手だ。門前払いにはせず、試験は受けさせてやってほしい」
と受付の男性に告げる。
男性はファイサを見て、
「お前は?」
と尋ねるが、ルルたちのときのような一種の侮りのようなものが宿っていない言い方だった。
それはファイサが今、人化の術によって姿が二十代くらいの精悍な男性のものに変わっているからだろう。
ファイサは男性の質問に少し悩んだ様子だったが、覚悟を決めた様子で頷き、答える。
「この者たちと共に入隊試験に臨む予定の者だ」
「この者たちと? どういう関係だ?」
「……何度か手合せしたことがある。その縁でな」
ファイサの答えに、受付の男性は、なるほど、と頷く。
おそらくは、師なり道場なりが同じなのだろう、と解釈したようだ。
そして、ファイサくらいの者とまともに打ち合える、というのは見かけによらない実力があるということも理解したようである。
しかしそれでも男性は、
「ううむ、そう言うことなら……しかし、今回の試験は普段とは違うのだ。やはり今回は見送り、次回に回った方が……実はな、」
いったん納得しかけたようだが、そう言って首を振る。
どうやら、何か事情があるらしく、男性はそれを言おうと口を開きかけた。
しかしそこで、
「……おい、何か問題でもあったか?」
と男性の後ろから、酷薄そうな顔立ちをした長髪の青年が現れて、男性にそう、尋ねた。
身に着けているものから、彼もまた軍人であり、しかも態度から受付の男性よりは立場が上らしいことが分かる。
受付の男性もそれに気づいて、慌てたような様子で、
「い、いえ。特に何もありません。シウ少佐」
と答えた。
シウ少佐、と言われた人物は、
「そうか? その割には時間がかかっていたようだが……それで、お前たちは?」
とルルたちに水を向ける。
特に詰問しようとしているわけではなく、単純に何があったのかを尋ねている様子だったので、素直にルルは答えた。
「軍の入隊試験の申し込みに来たんだが、受理してくれなくて困っていたところだ」
すると、シウ少佐は首を傾げ、
「入隊試験の申し込み? 受理すればいいだろ」
と受付の男性に尋ねた。
それに受付の男性が、
「いえ……この者たちはレナードの者でして」
と答えると、シウ少佐は目を少し見開いて、ルルたちを見る。
「……ということは、お前たちは現役の兵士と手合せするつもりで来たということか?」
シウ少佐は、ルルたちを見て、ルグン国民が軍に志願してきたのだと思っていたらしい。
たしかに受け付けはどちらでも同じであるので、そう勘違いするのも分かる。
「その話はさっき聞いたけど、そのつもりだ……何かおかしいかな?」
ルルがそう尋ねると、シウ少佐は、
「おかしくはないが……なるほど、そうか。お前、こいつらに思いとどまるように説得してたんだな?」
と受付の男性に言い、受付の男性はそれにぎくりとした顔をして、しかし正直に答える。
「ええ、まぁ……若者の将来を守ろうと思いまして」
「人を悪魔か何かのように扱うんじゃない……まぁ、そういうことならわかった。どっちにしろ、こいつらには覚悟があるだろう。眼を見ればわかる。受理してやれ」
とシウ少佐は言った。
おそらくは上官だと思われる人間からの命令に、受付の男性はしぶしぶ頷いて、
「分かりました」
と言い、ルルたちに銀色の金属製の数字の書いてあるプレートを手渡してきた。
「これは?」
ルルがそう尋ねると、男性は説明する。
「受験票だ。そいつをもって、明日の朝、ここに来れば中の広間で入隊試験が受けられる」
「明日? 数日かかるって聞いてたんだが」
「まぁ、普段はそうなんだが、今回は受験者が少なくてな……」
「それはまた、どうして?」
「それは……」
ルルの質問に、男性が言いにくそうにしていると、男性の後ろにいたシウ少佐が笑って答えた。
「それは、俺が今回の試験官だからだな。つまり、俺に勝てない奴は入隊できない」
これに、ルルたち一行は、なるほど、と思ったが、それ以上に反応しようがなかった。
そう言われてもまだ、理由がよくわからない。
これを見て、受付の男性は、説明を加えてくれる。
「普段は中級クラスの将校が試験官になるんだが……この方の実力は上級クラスだ。しかも手加減する気が一切ない人でな……上もどうしてこの人を試験官にしたのか……」
そんなことを言いながら頭を抱える男性に、シウ少佐は、
「それだけ手がなくなって来たってことだろうさ。ただな、手加減する気がないってのは嘘だからな。安心して試験を受けろよ」
皮肉気にそう言ってひらひらと手を振り、去っていく。
それを見ながら、イリスが言った。
「随分と軍人らしくない雰囲気の方でしたわ……」
それを聞いていた受付の男性が頷いて、
「まぁ、ここだけの話、だからあんまり出世できてないんだ。あの人の実力なら本当は今頃大佐になっててもおかしくないんだが、上から随分と嫌われていてな。その分下からの信頼は厚い」
「そんな話を俺たちみたいなのにしていいのか?」
「ははっ。こんなの、ハタマの人間ならみんな知ってることだからな。ただ、本当にあの人は強いからな。試験については期待するな。ではまた明日の朝、だな」
そう言って笑った。
まるで試験にルルたちが受かるとは思ってもいない様子であるだけに、あのシウ少佐に対する実力の信頼の度合いが分かる。
ただ、当然ながらルルたちは負けるつもりなどさらさらない。
一つだけ問題があるとすれば、それは、どの程度手加減して試験に臨めばいいのか。
それくらいだった。