第265話 道別れて
「さて、関所からもだいぶ離れたことだし、これからのことを相談しようか」
サウファが関所を抜けてしばらく経ってから、そう言い始めたのも当然のことで、これからどこに向かうかが問題だった。
ルルたちは基本的には冒険者組合からの依頼でルグン商国に入ったわけだが、本来の目的は湖底都市に向かうことにある。
だからルグンに入れた以上、まっすぐ湖底都市に向かいたいところだが、それは仕事を受けた以上適切ではない。
そのため、基本的には依頼のために、ルグンの中枢部――つまりはルグンの首都に当たる大商都ハタマを目指すべき、ということになるだろう。
しかし、ここで問題なのが、道中であったエンジール族の若者ファイサである。
彼は湖底都市の畔に居を構える一族の者であり、ルグンから脱出したエンジール一族が無事であることを残ったエンジール一族に伝えるという目的がある。
サウファとしても、ファイサをエンジールに届けることによって、後々、有形無形の利益をエンジール一族から得ようとしているため、そちらに向かいたいところだろう。
となると、一行はエンジール一族の集落のある、湖底都市に向かう方向で考えるべき、ということになる。
だからルルは、ファイサのことを考えて、言った。
「……ファイサとしては早く一族の無事を確認したいところだろう? 湖底都市に向かうべきじゃないか?」
これにファイサは頷いたが、その表情を少し難しそうにして言う。
「出来るならそうしたいところだが……さっき気になることを聞いてな」
この言葉にルルは首を傾げて、
「どういうことだ?」
と尋ねた。
すると、その質問には隊商のリーダーであるサウファが答える。
「関所で君たちが試験を受けていた間、僕らもただ寝転がっていただけ、というわけじゃないんだ。暇つぶしついでに色々と情報を集めていたんだよ。関所の兵士たちと世間話をしたりしながらね。その中でもちょっと、問題のある話を聞いたんだ……というか、考えてみれば当たり前の話だったんだけど、湖底都市に向かうルートはほとんど規制がかかっているらしくてね。そうそう簡単には行くことが出来ないらしい」
それに継いで、ファイサが、
「……僕はそれなりに道を知っているつもりだが、サウファ殿たちが集めた話を総合すると、抜けるのは難しそうだという結論に達した。今更だが、よほど後ろ暗いところがあるらしい……」
と語る。
ファイサは裏道や抜け道など多く知っていて、それらをある程度当てにして連れてきたわけだが、それすらもほとんど意味をなさないくらいに厳重な警備がしかれているようだった。
それでもファイサは、
「少人数なら何とかならないこともないが……それでももう少し詳しい情報がないと確実とは言えないだろう」
と言ったので、イリスが、
「ということは、湖底都市に行くのは諦めますの?」
と尋ねる。
これにサウファが答える。
「いや、諦めはしない。が、何の準備もなくまっすぐ行ってもおそらくたどり着けないだろうということさ。だから、準備をすべきだと思う」
と意味深な台詞である。
この言葉の意味に、なんとなく気づいたのはゾエだった。
「その準備っていうのは……つまり、あれね。さっきファイサが言った、詳しい情報をまず手に入れる、ってことよね?」
「その通りさ。もっと詳しく言うと、軍の展開状況とか、目的とか、そういうことを詳細に知れるとありがたいね」
「……つまり、軍から盗んで来いと?」
「そういうことさ」
笑顔で言い切ったサウファに、呆れた顔をするゾエ。
ルルとイリスは少し面白そうな顔をしたが、ファイサは唖然とした顔で、
「そんなことは無理に決まってる。機密情報だぞ」
と言った。
それしか手段がないと分かってはいても、出来ないことは出来ない。
そう言いたげだった。
しかし、サウファは、
「いいや、僕は出来ると思う。そこにいる三人なら、きっとやってくれるさ。それに、ちょうどよく君たちは軍の傭兵部隊の入隊試験を受けに行く予定だろう? そのまま入り込んで、機をうかがって盗んでくればいい。ついでに依頼の方もこなせて一石二鳥だろう?」
と相当無茶なことを言う。
実際、ファイサはなに馬鹿なことを言っているのか、という目でサウファを見つめているが、サウファの視線の先、ルルとイリスとゾエが、仕方ないな、という表情で頷いているのを見て、慌てて彼らに言い募る。
「……まさか、本当にやる気か? 軍の内部情報を盗み出すんだぞ? 捕まったらただじゃすまない……」
しかし、ルルは言うのだ。
「捕まったらただじゃすまないってことは、捕まらなきゃただで済むってことだろ。問題ないじゃないか」
それに続けてイリスも、
「その通りですわね。それに、そんなに難しい話じゃありませんわよ。ちょっと軍に入って、ちょっと書類をいくつか拝借してくるだけじゃありませんか」
軽い様子でそんなことを言う。
そんな二人の台詞に、ゾエは少し異なった視点から意見を述べる。
「……出来なくはないだろうけど、やった後、ルグン軍の軍人たちがどれだけ慌てるかを考えると可哀想な気がしてくるわ……重要書類を紛失なんてしたら、どれだけの惨状になるか、考えるだけで恐ろしいわ……」
かつて軍人だった身の上からか、相手側の方に同情心が酷く湧いてくるらしかった。
ルルとイリスは首を飛ばされる側ではなく、首を飛ばす側だからなのかあっけらかんとしているが。
ともかく、三人とも無理だとは一言も言わないその様子に、ファイサは奇妙な生き物を見るような視線になる。
そんなファイサにサウファは、
「……君だって彼らと一度戦ったんだ。とてつもない実力者だということは、分かっているだろう?」
と尋ねる。
ファイサはそれに頷いて、
「それは分かってるが……戦闘それ自体と、機密の盗み出しとはまた別だろう? それに相手の人数だって……」
エンジールの優秀な若者とはいえ、たった二十人そこそこの集団と、数百、数千もの軍人たちの集団とではまるで話が変わってくるのが当然のはずだ。
しかしサウファは、
「まぁ、君の言うことも分かるけどね……長く生きていると思うことがあるんだよ。世の中にはどう理解したらいいのか分からないような技術や力を持っている人が意外といてさ、ある日突然、目の前に現れたりするんだって。僕は彼らがそんな人たちに見えるんだ……実際、僕は相当な無茶をダメ元で言ったつもりだったけど、彼らは少しも難しそうだとは思ってないのが、見れば分かるだろう?」
確かに、ルルたちには一切の気負いがない。
難しい任務に挑もうとする緊張感とか、その反対に楽観的に考えすぎているがゆえの侮りとか、そういうものが全く存在しないのだ。
ただ、出来るから出来る。
それだけの話として捉えている。
そんな様子である。
だからファイサはサウファに答える。
「そう、だな……僕はどうにも経験不足らしい。こんな人たちには初めて会ったから面食らってしまった……」
すると、サウファは笑って、
「いや、そんなに頻繁に会えるような人たちじゃないからね。一生に一度あるかないかくらいだと思うよ」
と答えたので、
「それでは、永遠に経験など積めないな……」
と力なく答えたファイサだった。
◆◇◆◇◆
「それじゃ、ここで一旦お別れだね」
ルグン商国に入って、三つめの宿場町でサウファがルルたちにそう言った。
ルルたち、というのはルル、イリス、ゾエ、ファイサ、ポーラの五人とニーナを加えた一行のことである。
最終的に、ここから、サウファ達隊商と、ルルたちは別の方向へと向かう、そういう話になったためだ。
その理由は、ルルたちについては大商都ハタマに向かい、入隊試験を受けて軍に入り込むためであり、サウファ達は通行を規制されているとは言え、一応、湖底都市方面に向かって現地の情報を集められるだけ集めておくということになったからだ。
それに、もともと隊商として回っていた地域にもよる必要があり、そう言ったことを考えると一緒に大商都に、というわけにはいかないという事情もある。
「次に会えるのは俺たちがうまく軍の内部情報を手に入れた後ってことかな」
そうルルが言うと、サウファは、
「健闘を祈っているよ」
と言って笑った。
ラーヴァも、
「いつの間にかとんでもない話をまとめたもんだが、お前らなら出来るだろうよ。楽しみにしてるぜ」
そう言ってルルたちの肩を叩いた。
ラーヴァは、これからのことについて相談していた時、御者として馬車の手綱をとっていたので、あとで聞かされて度肝を抜かれた口である。
最初は無理なんじゃないか、と言っていたが、ルルたちの表情を見て意見を変えた。
ただ、無茶はするなと言ってくれるあたり、かなり人がいい男である。
それから、しばらくの間、隊商の人々と別れを惜しんだが、出発の時間になると、彼らは綺麗に去っていった。
隊商という存在には出会いと別れはつきもので、だからこそこういうところはさっぱりとしているらしい。
隊商の馬車が見えなくなった後、ルルたちは改めて自分たちの目的地に向かうため、待っていた馬車に乗る。
この宿場町から、大商都ハタマまでは街道が通っており、定期運行している乗合馬車があるのだ。
ルルたちはそれに乗せてもらい、このまま大商都ハタマを目指すことになる。
馬車の中には、同じように大商都を目指す者たちが何人か乗っていて、ルルたちが乗ると珍しそうな視線を向けてきた。
なぜなら、身に付けているものがルグン商国のものとは異なっており、少し目立つからだ。
ルグン商国の国民は、貫頭衣のような、少しだぼっとした衣服に、装飾品を身に付けていることが多いが、ルルたちのそれは比較的体にフィットした縫製の衣服で、あまりここでは見ないものである。
つまり外国人であることがまるわかりという訳だ。
ポーラとファイサはルグンの人間にもしっかりと馴染む民族衣装姿であり、それだけに若干の居心地の悪さを感じるルルたちである。
大商都についたら、改めてルグン製の衣服を購入した方がいいかもしれないな、と思ったのだった。
ただ、あまりにも浮いているため、興味は持ちつつも、遠巻きにされたのでそれは却って都合がよかったかもしれない。
あまり色々と聞かれてはボロが出そうで怖いからだ。
しかし、そうはいってもどこにでも変り者というか、物怖じしない人間というのはいるもので……。
「あんたたち、もしかしてルグンの外から来たのか!?」
そう話しかけてくる人物が一人、いた。
それは、ルルと同じくらいの年齢――つまり十四歳ほどの少年であり、人族と思しき容姿の者であった。
ただ、身に付けているものはルグン製で、話しかけてきた言葉からしても、ルグン出身の者だろうと思われた。
どうしたものかと思ったルルだが、どうせ大商都につくまで暇である。
暇つぶしに話すのも悪くはないだろうと、口を開く。
「あぁ、レナードから来た。ルルという。お前は?」
「俺? 俺はアルド。ラーシャの村から兵士になるために出てきたんだ!」
ルルの質問に、少年はそう答えた。
「へぇ、兵士か。奇遇だな。俺も兵士になろうと思ってルグンに入ったんだ」
「ルルもか! そりゃあいい! でも……ルルってレナードから来たってことは、入隊試験厳しいんだろ? 大丈夫なのか? あんまり強そうに見えないけど」
「人は見かけじゃないだろ。これでもそれなりだ。たぶん大丈夫なはずだ」
アルドの心配そうな質問にそう答えたルルだったが、実際はたぶんどころか余裕である。
しかし、アルドは尚も続ける。
「本当かよ……俺たちルグンの人間なら簡単な体力測定くらいで終わるらしいけど、外国人は現役の兵士と戦って勝たねぇとダメらしいぜ? そんなの無理だろ」
これから軍に入ろうという人間に、軍人と戦って勝利を収めろというのは確かに厳しい話である。
しかし、ルグンとしてはそう言う意図ではなく、むしろ経験者をこそ求めているのだろう。
軍人と戦って勝利を収められるくらいの実力がない、新人の新人など、外国からわざわざ求めていないと。
それは自国の志願兵だけで足りると、つまりはそういうことなのだろう。
このアルドのもたらした情報は、普通ならばかなり厳しい話になるだろうが、ルルたちにとってはそうでもない。
漠然と能力を見せて、それをよくわからない公開されていない判断基準で審査されて合否が決まる、というタイプの試験だったらたとえルルたちとは言え絶対に受かるとは言えないが、相手がいて、しかもそれを倒せばそれでいいというのは分かりやすさ満点の試験である。
むしろ、願ってもないという感じだった。
だからルルはアルドに言う。
「無理かどうかはやってみなければわからないものだぞ、アルド。まぁ、お互い、軍でまた会おう。そのときは仲良くしような」
そんな風に。