第264話 関所
「……ふむ、身分証の方は問題がないな。それで、ルグン商国訪問の目的だが……?」
いくつかの宿場町を経た後、やっと到着したレナード王国とルグン商国国境に築かれた関所において、そう尋ねたのは関所を担当する兵士である。
ルグン商国は王制ではなく数人の大商人を中心とした寡頭制のため、騎士は基本的におらず、軍事力についてはその大半が国軍と傭兵で成り立っている。
そのため、ここにいる兵士は民間から募集された職業軍人ということになる。
そんな兵士である彼が尋ねた訪問の目的だが、これはサウファに対してのものではなく、ルルたちに対するものだ。
サウファたちは今回検査をしている兵士とは顔見知りのようで、商隊のほとんど全員の顔を記憶しているらしく、その中でも見たことのないルルたちの顔が目立ってしまったらしい。
ルグン潜入という任務の中、突然訪れた危機だったが、ルルたちは何でもないような顔で答える。
「軍に雇ってほしいと思って来たんだ。今、ルグンでは傭兵がたくさん必要なんだろ?」
その言い方は、ルルの見た目通りの十四ほどの少年の口調であり、いつもの比較的理知的かつ厭世的なところのある口調とは全く異なる。
むしろ、好奇心と自分の実力に対して過大評価している少年のそれであり、こういう少年は兵士の方も頻繁に目にしているのだろう。
苦笑しつつ、質問を重ねた。
「よく知っているな、坊主。だが、それはあまり国外には伝わっていない話だ。誰から聞いたんだ?」
微笑みながらもしっかりと聞くべきことを聞いているあたり、有能な兵士なのだろう。
これについて、ルルは素直に、
「ポーラに聞いたんだよ! ポーラはルグンの出だから。なぁ、ポーラ?」
そう言って、後ろに立っていたポーラに話しかけた。
すると、兵士の注目もそちらに向く。
兵士の視線は最初、怪訝そうなものだったが、ポーラが額に巻いたバンダナを外すと、なるほど、と言った様子で頷いた。
「お嬢ちゃん……じゃないか、小人族なら、もう成人だな?」
「ええ、そうよぉ」
ポーラもまた、ルルと同様、面の皮厚くそう答える。
しかし、よくよく観察してみると口のあたりが妙に引きつっていることが分かるだろう。
ルルのあまりの変わりように噴出したくて我慢しているのだった。
このような場合には演技して乗り切るつもりだとは事前に聞いていたが、流石にいつもと様子が違い過ぎて、しかも子供の振る舞いをするものだから堪えるのがつらいのである。
しかし、ここで噴出しては怪しまれてしまう。
ポーラは意志の力で強く表情筋を制止させ、真面目で、かつ感じよく見えるように兵士の質問に答えていく。
「ルグン出身だというのは?」
「ええ、本当よぉ。国籍は今でもルグンだわぁ。ポーラ・アンジェというの」
「ふむ……アンジェ、か」
「父の名前はワルター・アンジェよぉ」
ついでに身分をより確かなものだと主張するためか、父親の名前も言ったポーラ。
しかし、その名前を聞いて、兵士の顔色が変わる。
「ワルター・アンジェ……ワルター? おい、それってアンジェ商会の……」
「そうねぇ、会頭だわぁ」
ポーラと兵士のやりとりから、ポーラの意外な出自が明らかになった瞬間だった。
そう言えば、今にして思い出せばモイツとイヴァンがポーラを今回の旅の案内役に選んだ理由を説明する中で、微妙に口ごもっていたことが一つあった気がする。
それは、おそらくこのことだったのだろう、とルルたちは理解する。
アンジェ商会、というのが一体どのような規模の商会で、ルグンでどういう立場にあるものなのかは分からないが、兵士のこの反応からして相当の大店なのだろう。
商人の治める国、ルグンであれば、権力もそれなりにあると考えるべきだろう。
実際、兵士はその事実を聞いた直後からあからさまに態度が変わって、
「……か、確認しますので少々お待ちを」
と言って関所の中にいったん戻っていく。
それから数分後、戻って来た兵士の顔色は青白く、
「た、確かに確認しました。ワルター殿のご息女のポーラ様でございますね」
と遜る。
それにポーラは微妙そうな表情で、
「ええ。それで、どうなの? 通してくれるのぉ?」
と尋ねると、兵士は、冷汗を吹きつつ、
「ええ、もちろんでございます。しかし、そちらの方々については……軍への入隊をご希望とのことですから、いくつか試験を受けていただく必要がございまして、今日のところは関所で一旦留まってそちらの方を受けていただかなければなりません……」
「ええ? 大商都の方で受けるんじゃないのぉ?」
「おっしゃる通り、大商都の方でも試験があるのですが、そちらは主に実技でして、この関所では国内法についての筆記が……」
若干不機嫌そうに言うポーラに、兵士は恐縮しつつ言う。
どうやら兵士の話によると、関所では国内法規についての試験を受けてからでないとルグン国内には入れてくれないらしい。
しかもこれでもかなり緩いという。
軍への入隊を希望していなければ、そもそも外国人には入国許可自体が下りない、ということだからだ。
事前に聞いていたこととはいえ、実際にそう言われると若干の面倒くささを感じる。
しかし、仕方ないと言えば仕方がない。
ポーラも、
「そうなの……まぁ、分かったわぁ。あなたもお仕事でしょうし、無理を言って押し通るわけにもいかないからねぇ。じゃあ、そういうことでお願いするわ。サウファ、いいかしらぁ?」
兵士とのやりとりを、商隊の代表として横に立って見ていたサウファは、ポーラの言葉に頷き、
「まぁ、僕としては早く行きたいところなんだけど、まさか君たちを置いていくわけにもいかないしね。それで構わないよ」
と答えたのだった。
◆◇◆◇◆
関所の中は小さな街のようになっていて、隊商全体が入っても問題ない位に広い。
しっかりと足止めを食らった人間のために宿泊所や必需品の購入店舗も完備されているが、値段を見る限り微妙に割高である。
「……しっかり商売してるってことか」
宿泊所を取った後、サウファから試験までの自由行動を認められたルルが関所内部の街を歩きながらそう呟く。
するとポーラが、
「そりゃあねぇ。売れるものならゴミでも売れ、がルグン国民のモットーだから。根っからの商売人ばかりなのよ。それだけに、禁域攻略なんてするっていうのは腑に落ちないんだけどぉ」
禁域攻略が割に合わない賭けだということはほとんど世界共通の認識に近く、それだけに利に敏いルグン商人がそんなものにおいそれと手を出すのは不自然だということらしい。
それだけ切羽詰っているのか、それとも他に理由があるのか。
今は全く分からないが、いずれ理由は明らかにしなければならないなと思う。
「ま、その辺りについてはそのうち分かるだろう。それより、今は試験だな。大丈夫だと思うか?」
ルルがそう尋ねると、ポーラは、
「大丈夫じゃないかしらぁ? モイツ様たちが事前にくれた問題集、全部覚えちゃったんでしょう? それなら平気よぉ。それにしてもあんなに厚い本、よく全部覚えられたわねぇ」
と若干呆れた顔つきで言う。
今回のルグン商国内部偵察任務は冒険者組合からの直接の依頼であり、そのサポートは最大限貰えている。
その中の一部として、ルグンの国内法規に関する筆記試験についての情報提供があった。
情報提供、と格好良く言っているが、結局のところ教科書と問題集を渡されて全部覚えろ、とこういうことである。
辞書のように分厚かったそれだが、ルルたちは魔術で乗り切ることにした。
完全に覚えきる、というのは無理だが、数日間頭の中にある程度の情報を無理に叩き込むことを古代魔族の魔術は可能にしているのである。
それによって今回の試験は乗り切れることだろう。
まぁ、数日たったら綺麗さっぱり忘れてしまうわけだが、問題ないだろう。
そもそも、問題の難易度はそれほどではなく、ただ倫理的に許されないような行為についての正誤問題のようなものが大半だというのだ。
モイツたちの提供してきたそれは過剰であり、本来ならそれほどの準備は必要ない。
あくまでも念には念を入れて、というだけの話だった。
ちなみにルグンの少数民族であるエンジールの出とは言え、正体を隠して外国人としてルグンに入ろうとしているファイサもまた試験が必要だが、彼は、
「ルグンの国内法規ならすでに頭に入っている。問題はない」
と言い切った。
今は宿泊所の部屋で試験まで疲れを癒すために眠っている。
よほどの自信があるらしい。
これにポーラは、
「エンジールの人たちは優秀な人材を輩出することで有名だからねぇ。その長の息子なら、余計にってことなんでしょうねぇ」
としみじみ言った。
それからイリスが小竜ニーナを抱えながらふと言った。
「それにしても、ニーナちゃんは特に言及されることすらなく入国を許可されるあたり、楽でいいですわね……全員、小竜に化ければこんな苦労をせずとも良かったのでは?」
言われてみるとその通りだ、と思ったルルとゾエだったが、しかし首を振って答える。
「……ダメだろう。人化魔術では小竜に変化することは出来ないからな」
これは本当に出来ない、というわけではなく、出来ないということになっている、という意味である。
ポーラは人化魔術と言うものがある、ということは北方冒険者組合本部職員として知らされていたが、その限界についてはあくまで人化出来るだけ、と言われていた。
実際のところ、ルルたちにとっては小竜になることも不可能ではないのだが、そういうことにしておかなければなるまい。
言われて、そうだった、とはっとしたイリスがわざとらしく、
「そうでしたわね……小竜になれればニーナちゃんとも一緒に遊べて楽しいかもと思ったのですが、出来ないことは仕方がありませんわ」
という。
それを聞いたゾエは、ぼそりと、
「……思いの他、こういうときは大根なのね……」
と呟いたのだった。
◆◇◆◇◆
ざーっ、と、その部屋に置かれている大きな砂時計の砂がすべて下に落ち切ると同時に、
「……やめ!」
という声が部屋の中に鳴り響いた。
いくつかの机の上で文字を書き続けていた者たちがその合図と同時に筆記具を置く。
それから、部屋の中で監視するように立っていた兵士たちが、今書かれた答案を回収し、枚数と番号が記載してあることを確認すると、
「では、これでルグン商国入国のための筆記試験を終了する。一刻後に合否を掲示板に張り出すゆえ、のちほど確認するように。落ちた者については明日の朝一番でレナードに戻ってもらうことになるから、準備をしておくこと」
と必要最小限の台詞を言って部屋から出ていった。
「……ふぅ。なんとかなった、かな」
ルルが体を伸ばしてそう言うと、後ろの席で試験を受けていたイリスも頷いて、
「思った以上に簡単でしたわね。これなら別にあんなに厚い書籍を頭に入れることなどなかったですわ」
と言った。
魔術によってズルをして頭に知識を叩き込んだルルたち一行だが、副作用があるため出来る限りやりたくなかったのだ。
しかし、確実性をとって実行した。
ちなみに副作用は、頭が非常に痛む、という地味につらいものである。
一日で抜ける痛みだが、しかし一日経たないと何をしても抜けない。
かなりの欠陥魔術なのだった。
しかもこれについては精神魔術、洗脳魔術に近いため、そうそう簡単に改良は出来ない。
そのためルルたちとは言え、そのまま使うしかなかったのだ。
「ま、それは結果論だからな……それに、受かった気になって実は落ちている、ということもあり得ない話じゃない。しっかり受かっていることを確認してから喜ぶことにしよう……」
それから合否発表が出るまでの間、ルルたちは宿泊所で頭痛に苦しんだわけだが、しばらくの後、掲示板に張り出された番号を確認して、やっと肩の荷が下りたような気がした。
つまり、ルルたちは合格したのだ。
これで、明日からはルグン商国に入れる。
そう思うと、若干頭痛も引いたような気がするのだから不思議なものだ。
実際は、全く引いていなかったのだが。




