第260話 無力化
「……それは、本当か?」
ラーヴァの切れ長の目が、まっすぐにゾエを見据える。
その視線は強く、鋭く、戦いを生業としない一般人であればそれだけで卒倒しかねないほどに威圧感の感じられるものだった。
けれど、ゾエにとっては何ほどのものでもない。
むしろ余裕の微笑みを浮かべながら返答する。
「もちろんよ。こんなことで嘘を言っても仕方ないわ」
ゾエの言い方に、ラーヴァは確かに嘘は言っていない、と感じ、視線を緩めて頭をぼりぼりと掻いた。
それから、
「って言ってもなぁ……そんな気配、全く感じないぞ。そもそも、俺の部下たちがしっかりと周囲を警戒しているんだ。そんな奴らがいたらもうとっくに気づいて……」
ラーヴァがそう言うと同時に、鈴の音が聞こえてきた。
隊商が持っている連絡手段の一つで、決められたリズムで鳴らすことによって簡単な情報を伝えるものである。
ある程度の地域で共通の音色もあれば、隊商特有の暗号もあるのだが、今回鳴らされたのは後者の方であり、ゾエにはその内容は分からなかった。
しかし、ラーヴァはそれを聞くと同時にため息を吐いて、
「……盗賊が来たってよ」
と呟いた。
「それで、どうするの?」
改めてゾエが尋ねると、ラーヴァは、
「このまま走らせ続けて逃げてもいいんだが、相手の実力が高いと少し困ったことになる。それをすると足の遅れた馬車から潰される可能性が高いからな……しかし、そうは言っても相手の規模も何もまだ分からん以上、様子見にもう少し走らせるのが常道だ。だが、あんたによれば、相手の規模は……?」
と呟いたところで、ゾエが、
「さっき言ったじゃない。全部で二十人くらいだって。それと実力の方は……まぁ、そこそこ高いと思うわよ。気配の隠し方が中々うまいもの。残念ながら、よくいるそこら辺の盗賊ってレベルではなさそうね」
と言う。
ラーヴァは、
「……それが事実だとするなら、進行は一旦止めた方が良さそうだな。それから護衛をある程度出して狩りだしてしまった方がいい」
言いながら、ラーヴァは御者に指示を飛ばして鈴を鳴らすように言った。
「あら? さっきは疑ってたのに、信じてくれるのね」
嫌味というわけではなく、軽い冗談がてら、そう言ったゾエである。
これにラーヴァは、
「それは悪かったな……つってもすぐに信じるわけにもいかないことは分かるだろ? 今はもう、実績があるからな。あんたの言う通り、盗賊が近づいてきている。それで十分だ」
冒険者らしく、事実をまっすぐに認める性質であるらしいラーヴァである。
しかし、それでも困ってはいるようだ。
「それにしても、二十人か。随分と多いぜ……それこそその辺の盗賊くらいなら余裕で何とかできるんだが、そこそこやれそうな奴らなんだろう? こっちも被害はある程度覚悟しなきゃなんねぇかもな……」
と悔しそうに言う。
この辺りの街道を頻繁に行き来する専門家であるラーヴァがそう言うということは、こういうことはほとんどないことだということなのだろう。
そもそもそれなりの護衛がついている隊商は襲われにくいし、盗賊の規模もここまで大きなものはこの辺りには少ないらしい。
それなのに、こんなことになって、ラーヴァは不思議そうだった。
しかし、起こってしまったものはしかたがないと認め、対応しようとしている。
そういうことだった。
そんなラーヴァの言葉に、ゾエは言う。
「……そういうことなら、私たちも少し、手を貸しても構わないかしら?」
本来はそれを尋ねるためにここに来たのだ。
他人の仕事に無理に出しゃばるつもりはなかったが、苦境にある冒険者組合の同僚の手伝いをする、というくらいなら構わないだろうと考えての言葉である。
これにラーヴァは、ゾエ、ルル、イリスが冒険者組合から認められている実力者であることを知っているためか、頭ごなしには否定せずに、ただ少し考えた様子で、
「ありがてぇ申し出だが……大丈夫なのか? 護衛仕事ってのは意外と気を遣うもんだぞ。盗賊の動きを制御しながら、馬車に被害が出ないように立ち回らねぇとならないしな……打ち合わせなしに引っ掻き回されるのも困るぜ」
と述べる。
それはもっともな話で、ルルとイリスは護衛仕事などほとんどしたことがないため、普通にやるならその辺りが問題になるだろう。
けれど、ゾエは五十年ほど昔の話にはなるが、かつて、何度となく護衛仕事をした経験がある。
それに、ルルとイリスにとって、そんなことは問題にならない。
なぜなら、ラーヴァの話が適用されるのは、あくまで時間をかけて盗賊を対象に近づけないように細心の注意を払いながら戦う冒険者についてだけだからだ。
ルルとイリスならば……。
しかし、そんな話をラーヴァにしたところで納得してくれるとは思えない。
むしろ、納得しない方が冒険者としては正しいだろう。
だから、ゾエは、
「言ってることは分かるわ。ただ、ルルとイリスはともかく、私はそれなりに護衛の経験はあるから。周りを見てやれると思う。迷惑はかけないわ」
と無難な台詞を言った。
そこでラーヴァはゾエのランクを思い出し、特級ならそれくらいの経験はあるか、と頷く。
ルルとイリスについても、若いから無鉄砲なところがあるかもしれないが、特級が指揮するのなら問題ないだろうと思ったらしく、
「……なら、任せるぜ。俺たちは馬車の方を主に守るから、あんたらは盗賊をやる方ってことでいいか?」
そう言った。
もし逆の提案をされたなら、自分たちを遊撃に当ててくれ、と言うつもりだっただけに、その提案は渡りに船だった。
ゾエは頷き、
「じゃ、仲間に伝えてくるわね。よろしく」
そう言って、来た時と同じように幌から出ていき、そのまま後ろの馬車へと跳んでいった。
今度は幌をあけたまま、ゾエの挙動を見ていたラーヴァだったが、本当に言った通り、魔力を使わずにかなり遠くの馬車に身体能力のみできれいに飛び移っている。
「……特級ってのは、あんなにとんでもねぇ奴じゃねぇとなれねぇんだな……」
しみじみとため息を吐いたラーヴァは、再度、御者に指示を出して鈴を鳴らさせ、その数分後、隊商は完全に停止したのだった。
◇◆◇◆◇
馬車からラーヴァの部下にあたる隊商の護衛がぞろぞろと降りてくる。
その数は十人ほどであり、全員が中級以上の能力のある実力者揃いだった。
確かにラーヴァの言った通り、そこら辺の盗賊なら簡単に制圧できることだろう。
しかし、今、こちらに向かっている者たちが相手となると、無理とは言わないが損害はそれなりに出るだろう。
ルルはそう考えながら、イリスと共に馬車から降りる。
ゾエはすでに馬車から降りて、盗賊たちのいる方向である森の方を見つめながら立っていた。
ルルとイリスはゾエに近づいて、話をする。
「さて、それじゃあ許可が出たってことで、大掃除といくか。具体的にはどうする?」
ルルがイリスとゾエにそう尋ねると、イリスがまず、
「三人で入って即座に決着をつけるのが早くてよろしいのでは?」
と言い、これにルルも頷いて、
「まぁ、そうだな……じゃあ、そうするか」
と言う。
しかしゾエが、
「ちょっと待って。さっきも言ったけど、ラーヴァはルルとイリスを私が指揮すると思っているのよ。そこら辺、少し考えて動いて」
と懇願する。
あまりこの隊商の中で目立ちすぎて、ルグンに入りにくくなると困る、と思っての注意だった。
これにルルとイリスは、
「それはもちろんだ。目立たないように頑張るよ。いつも通りに」
「ええ、その通りですわ。目立たないように、ですわね? 得意です」
と胸を張った。
その様子にゾエは、
「……どうやら私の注意は無駄になりそうね……」
と愚痴なのか独り言なのか分からない言葉を、ため息とともに吐き出したのだった。
◇◆◇◆◇
それから三人は揃って森の中に突っ込んでいった。
他の隊商の護衛たちはゆっくりと警戒しながら踏み込もうとしていたが、その横を物凄い速度で通り抜けていった三人に一瞬ぎょっとする。
そしてその直後、森の中から悲鳴が響き渡り始めた。
「ぎゃっ!?」「ど、どこから!?」「うぐあぁああ!!」
断続的にそんな声が続き、さらに魔術のものと思しき光が暗い森の中を一瞬照らす。
するとさっと獣のように横切る影が一瞬だけ見え、どさり、と誰かが倒れる音がする。
そんなことが何度となく続き、そして……。
がさり、と森の中から三人の人物が隊商の方へとゆっくり向かってきた。
敵か、と思い、慌てて身構えた隊商の護衛たちだが、近づいてきた顔ぶれに見覚えがあることを確認してほっと息を吐く。
と言っても、まだ敵は森の中にいるはずだ。
構えを解くわけには行かない……と、緊張は張りつめたままだった。
けれど、次の瞬間、その三人――つまりは、ゾエ、ルル、イリスのうち、最も身長の高い女性冒険者ゾエの口から出た言葉に、冒険者たちは目を剥いた。
その言葉とは、
「……終わったわ。全員制圧したから、ふん縛るの手伝ってくれる?」
馬鹿な、二十人からなる実力派盗賊団という話だったのではないか?
その場にいる、ルルたちを除く全員がそう思ったのは、言うまでもない。
◇◆◇◆◇
しかし、実際に森の中を探索してみれば、確かに全員が無力化されて転がっていた。
ほぼ一撃で意識を刈り取られているのが分かり、その手際の良さは並の冒険者のものではないことが一目で理解できる。
そんな盗賊たちを見ながら、特級なら確かにこれくらいは出来るのかもしれない、と思ったラーヴァだったが、そんなラーヴァの耳に、ゾエとルル、イリスの会話が耳に入る。
「ちょっと、私にも、もう少し残しておいてほしかったわ」
「悪かったって……。そもそもわざとじゃないんだから許してくれよ。妙に一部固まってたんだからさ」
「そうですわ。ゾエさんは位置取りが悪かったのでしょうね。わたくしが九人で、お義兄さまが……?」
「八人だな」
「私は四人……」
「十分じゃありませんか」
「いやいや、一応特級なのよ、私。面目が立たないじゃない。というか言い訳が面倒じゃない……あ」
ゾエがそう言うのと同時にラーヴァの方を振り返ったので、目が合ってしまった。
ゾエは、愛想笑いを浮かべてこっちを見ている。
あれで誤魔化しているつもりらしい。無理に決まっているだろう、白々しい、と思ったが、周りを見るとラーヴァ以外は今の三人の会話には耳を傾けていなかったようだ。
それよりも、捕まっている盗賊たちの方に興味が向いている。
まぁ、ゾエたちも色々隠したいことがあるようだし、冒険者というのは脛に傷のあるものばかりというのが基本だ。
そういうことなら黙っておいてやろうと、ゾエに向かってラーヴァが頷くと、ゾエが微笑んだ。
その表情が、普段浮かべているものと比べて妙に可愛らしく、何とも言えない気持ちになったラーヴァは、今日、何度目になるか分からないため息を吐いて、
「……とりあえず、こいつらの尋問をするぞ。今日のところはここで足を止めるしかない」
隊商全体にそう通達したのだった。