第259話 曲芸
「……聞かないようにしようかと思っていたけれど……あの三人は一体何者なんだい?」
唖然とした表情でルルとイリス、それにゾエの方を見つめながらそんなことを言ったのは、隊商のリーダー・サウファであった。
彼の視線の先には、ルルたち以外に、縄で縛られて地面に転がされている二十人近い盗賊がいた。
全員完全に無力化されている。
「俺にもわからんが……とりあえず、あいつらは北方冒険者組合でも上層部に相当信頼されているみたいだからな。いろいろとあるんだろうよ」
サウファと同じような表情で答えたのは、冒険者組合職員であり、この隊商の護衛の一人でもあるラーヴァである。
ラーヴァは、ルルたちについて、あの年齢にしてはかなり強いのだろう、と思ってはいたが、これほどとは考えていなかったようだ。
もちろん、生まれついた才能のある若者というのは多く、そういう人物をラーヴァもそれなりの冒険者人生の中で見たことがなかったわけではない。
だから、そういう意味での驚きは、それほどでもない。
けれど、北方組合長であるモイツや、その補佐役イヴァンがその実力に太鼓判を押していたとは言え、若ければ積める経験にも限界があるものだ。
腕力や魔力がただ強い、とか模擬戦をすれば国一番とか、そういうものになることは若くても出来なくはないが、ルルたちの強さはそういう、もって生まれた力とセンスのみで戦う若者とは一線を画していた。
そのことに、ラーヴァは驚いたのだ。
ラーヴァは先刻……盗賊が襲ってきたときのことを、改めて思い出す。
◇◆◇◆◇
テラム・ナディアを出た隊商はしばらくの間、速度を出して街道を西へと進んでいた。
テラム・ナディア周辺の道は、やはり北方冒険者組合本部へと続いているだけあって、しっかりと整備されており、道幅も広く、速度も出しやすかったためだ。
そのため、その日の旅路は順調に進み、隊商はかなりの距離を稼いだ。
そして、日も暮れて来たころ、隊商は進行速度を落とした。
今日、休憩する宿場町まで、それほど時間をかけずともたどり着けることが分かったためだ。
隊商の荷車を牽いているのはその大半が竜馬や地竜などの亜竜族とはいえ、あまり酷使すると徐々に疲労がたまり、いずれダメになってしまう。
そのため、休めるときには休み、無理をさせないことが長い旅を常とする隊商の基本的な考えだった。
だからこそ、速度を落としたわけだが、この判断が結果としてあまりよくないものを呼び寄せることになった。
そのことに最初に気づいたのは、イリスの膝の上でごろごろしていたニーナだった。
だらけて仰向けになりながら、イリスに撫でられてご満悦だったその表情がふと、珍しく真顔になり、さらに耳がぴくぴく動いて顔を上げ、街道横の森の中の一点を見つめたのだ。
「……あら? どうしたのでしょう、ニーナさん」
イリスがそう尋ねると、ニーナは、
「きゅっ! きゅきゅきゅ! きゅっ!」
と鳴き声を上げて、何かを訴える。
しかし、残念なことに、イリスには竜の鳴き声を言語として変換し、理解する能力はなかった。
ただ、なんとなくその身振りで言いたいことは分かったような気がした。
しっかり森の中を指さしているし、ちょっと焦ったような顔である。
「……誰かが来るのですか?」
「きゅっ!」
おそらくは、そうだ、と言う意味合いの鳴き声であろう。
イリスも改めて森の方を見つめ、魔力を研ぎ澄ませてみれば、確かに人の存在が感じ取れた。
「お義兄さま、ゾエさん。誰かお客様のようですわ」
言われた時にはすでに二人とも気づいていたようで、
「そうみたいだな。二十人はいるか? 近くを通りがかったからちょっと挨拶に来てくれた……わけじゃなさそうだ」
「こんな街道沿いの森に身を隠しながら近寄ってくる人たちなんて、ほとんど相場が決まってるわよ……盗賊よね」
二人が出した結論は、イリスが考えていたものと全く同じだ。
もしかしたら、これから向かう宿場町の狩人が、大物を狩るために集団で森に入っているという可能性もゼロではないが、注意しておくに限る。
「……どういたしましょう? この隊商の護衛にお伝えしましょうか?」
イリスがそう言ったのは、ルルたちは一応、護衛という訳ではないからだ。
あくまでポーラと共に乗っている、客もしくは積み荷という扱いで、隊商の護衛は、ルルたちとは別におり、そのリーダーはラーヴァということになっている。
「その方がいいだろうな。俺たちが変に出しゃばって仕事を奪うのも申し訳ないし……」
「じゃあ、私が行ってくるわ。二人は引き続き、警戒よろしく」
そう言って、ゾエが荷台から外に出ていった。
テラム・ナディアを出た直後よりかは速度は落ちているとはいえ、亜竜たちが牽いている馬車の速度は決して遅くはない。
こんな速さで走る乗物から飛び降りては無傷では済まないのが普通だ。
何か緊急事態が起こったことを他の馬車にも伝えるというのなら、御者が持っている鈴などで決まった合図を出すのが一般的である。
にもかかわらず、ゾエは自分の口でラーヴァに伝えに行く気らしかった。
たしかに、それが一番確実な方法なのは間違いないが、危険極まりない、と普通は考えるものだ。
そしてそういう風に常識的な思考をした人物が、ルルたちの乗っている荷台の中に一人いた。
ポーラだ。
ポーラは長い間馬車に揺られていて少し疲れていたのか、先ほどまで眠っていたが、ルルたちが会話している声で目を覚ましたらしい。
ぼんやりとした表情でルルたちの会話を聞いていた。
起き抜けで少し寝ぼけているようだったが、ゾエが荷台の外に飛び出していったところで完全に覚醒したようだ。
「ゾ、ゾエさん!? ちょ、ちょっと、大丈夫なのぉ!?」
悲鳴に近い声であり、純粋に心配した台詞である。
ルルとイリスはその反応に微笑みながら答えた。
「問題ないだろう。ゾエは特級だぞ」
「私たちの中で、“最も腕利きの”冒険者ですわ」
言われて、ゾエの冒険者のランクをポーラも思い出したらしい。
確かに、特級冒険者なら、あれくらいやっても問題ないだろう。
しかし、普段の、まるで普通の大人の女性にしか見えない彼女が、それほどの腕を持つ冒険者であると、すぐには頭の中に浮かばなかったのだ。
そもそも、特級冒険者など、目の前にするのはポーラは初めてのことだった。
遠目に見たことはないではないが、実際に会話したりはゾエが初めてである。
そして、話してみて感じた印象は、かなり普通の女性である、ということだった。
常識的であり、気遣いが出来て、優しい。
ルルとイリスを見る目は手のかかる弟妹を見つめる長女のような雰囲気だ。
体型も、出るところは出ているが、基本的には華奢で、戦いを生業とするような人物にはまるで見えない。
持っている長く重そうな槍だけが、彼女が戦士であることを教えていると言っていい。
だから、彼女がこの中で最も腕利きの冒険者である特級なのだから、と言われてもまだ、少し不安だった。
ちなみに、最も腕利き、と言うイリスの言葉であるが、ゾエが耳にすれば大きく首を振ることだろう。
その言い方には語弊がある、冒険者としての経験は確かにこの中では自分が一番上かも知れないが、実力的には一番下に決まってるだろう、と。
しかし、そんなことを知らないポーラは、ゾエこそがこの三人組の中で最強なのだろうと信じた。
ポーラは、
「それなら、いいのだけどぉ……そうそう、さっき、誰かが近づいて来ているって……」
頷きながら、話題を先ほどのルルたちの会話に戻す。
ルルは、
「ああ。おそらくは盗賊だろうな。隊商は腕利きの護衛がたくさんいて、狙いにくい得物だって話だが、うまくすれば一攫千金が狙えるんだろう? そういうのなんじゃないかな。いやぁ、ある意味、勇気と決断力のある奴らだ」
現代の冒険者事情にそれほど明るくはないルルであるが、先輩冒険者であるラスティやガヤに聞いた話は一応、覚えてはいる。
昼頃に停車して休憩したときに、ラーヴァとサウファからも世間話がてら聞いてもいたルル的には最新の、冒険者的には一般的な知識だった。
「それに加えて、よほど腕に自信があるか、もしくは彼我の戦力差を考えることが出来ないお馬鹿さんのどちらかでもあるだろうと思われますが……どっちでしょうね?」
イリスがそう言ってルルの話を受ける。
ルルたちからすればどちらでも構わない話だったが、ポーラからすれば生死を分ける重要な事実だ。
慌てた様子で尋ねてきた。
「ど、どっちなのかしらぁ?」
その言葉に、ルルは少し考えて、
「うーん……気配の隠し方からして、悪くないからな。前者じゃないか? たぶん」
続けてイリスも、
「奇遇ですわね、お義兄さま。わたくしもそうではないかと思っておりました」
そんな恐ろしいことを言う。
つまり、それが事実だとすれば、この隊商は運悪く、相当な実力を持った盗賊の集団に狙われている真っ最中、ということになってしまう。
「たいへんじゃないのぉ!? どうしてそんなに冷静なのよぉ!」
ポーラが叫ぶも、ルルもイリスもどこ吹く風である。
「いやぁ……まぁ、どうにかなるだろう。ラーヴァだって普通の冒険者換算で上級程度の力はあるって話だし、他の護衛も中々だったからな。そうそうやられはしないだろ」
「ええ、休憩のときにお話しさせていただきましたけれど、皆さん、良い冒険者の方々でしたわ。穴になりそうな人物もおりませんでしたし、それほど心配せずともなんとかなりますわよ」
そんな風に。
それから、ルルたちは盗賊とは全く関係ない、今日辿り着く予定の宿場町の名物の話をし始め、ポーラに、
「あれっておいしいって話だけど、どんな味だ? 話だけだとあんまり見た目の想像がつかないんだ。王都周辺の料理で言うと、何が一番近いかな?」
「焼き物が盛んな町だと聞きましたけれど、購入したら持ち帰れるでしょうか? 割れないように梱包していただけるとありがたいのですけれど……出来れば配送なども頼みたいところなのですが……」
などと言った話を振ってくる。
その様子は、まるで盗賊の存在など忘れてしまったかのようだった。
「もっと……」
ポーラがぽつり、とつぶやく。
その声に、ルルとイリスが首を傾げ、
「え?」
「どうかしましたか?」
そんなことを言ったので、ポーラは改めて、叫んだ。
「もっと危機感を持ってぇ~!!」
しかし、そんな叫びは、まったくの無駄なのだ。
二人は、あはは、うふふ、と意味深に笑い、そして再度、料理とお土産の話に戻ったのだった。
◇◆◇◆◇
ごそごそ、と妙な音が外から聞こえて、ラーヴァは首を傾げた。
馬車の走るがたごととした音ではなく、幌に何かが落ちてきたかのような音がしたのだ。
そしてその直後、荷台の幌がばっと開いたので、ラーヴァは驚く。
「……誰だっ!?」
手に取った剣の柄に手をかけながらそう叫んだのは、進行中の馬車の幌を開く者など、普通、あまり存在しないからだ。
強いて言うなら、押し入ろうとしてる盗賊くらいで、だからこその誰何だった。
しかし、入ってきたのは盗賊ではなく、見覚えのある顔だった。
銀色の髪と赤色の瞳を持った、この隊商の客人の一人、ゾエである。
「驚かせてしまったみたいね。ごめんなさい」
素直に謝ったゾエに、ラーヴァは柄にかけた手を下げながら言う。
「なんだ、あんたか……驚かせるなよ。というか、あんた三台後ろの馬車に乗ってたはずだろ? どうやってここまで……」
そう言ったのは、ゾエからまったく魔術の気配がしないためだ。
身体強化をしているのなら、それほど奇妙な話ではないが、彼女は素の身体能力でもってここまで来ている。
それは、そう簡単なことではない。
しかし、ゾエの答えは呆れてしまうほどあっけないものだった。
「そりゃあ、もちろん幌の上を跳んできたのよ。きれいに同じ速度で進んでいるから、楽だったわ」
それを聞いたラーヴァは、何をしているんだ、こいつは、と思うと同時に、身軽すぎると驚く。
確かに隊商の馬車は同じくらいの速度で進んでいるが、それなりに距離が離れている。
普通に考えて、身体強化も使わずに飛び移れるような距離ではない。
けれど、ゾエは実際ここにいるし、身体強化もしていない。
やってのけたと考えるしかなかった。
それに、今重要なのはそれではないな、とラーヴァは頭を切り替えつつ、答える。
「ゾエ、あんたは冒険者よりもむしろ、曲芸師にでもなった方がいいと思うぜ……で、何の用だ?」
そう、いかに曲芸師じみた身体能力があるとはいえ、意味なくこんなことはしないだろう。
何か迅速に伝えなければならない事柄があって、彼女はここにいるはずだ。
そう思っての質問だった。
ゾエは、ラーヴァの質問に端的に答える。
「森の中に盗賊と思しき者が二十人ほどいるわ」
その言葉に、ラーヴァの表情は鋭いものに変わった。