第256話 地獄への招待状
「軍、か。それもいいかもしれないな」
ラーヴァの、一見突飛な意見に賛同を示したのはルルである。
ルルの言葉にラーヴァは意外そうな顔で、
「おい、いいのかよ。そもそも、お前、冒険者だろうが。副業は禁止されてないが、後々面倒なことになるんじゃないのか?」
と尋ねた。
しかし、ルルは首を振り、
「ルル・カディスノーラとしてルグンの軍に入るっていうなら確かにそうかもしれないが……」
そこで言葉を止めて、モイツとイヴァンを見る。
二人は少し考えるそぶりをしたが、すぐに頷き合い、それからイヴァンがその場にいる全員に顔を寄せるような身振りをした。
皆がそれに従って、顔の距離が近づく。
それを確認したイヴァンが、小声で言った。
「ここだけの話にしておいてほしいのですが……」
そんな前置きに、ラーヴァとポーラが頷いたので、イヴァンは先を続ける。
「ここにいる三人、と一匹にはルグンに潜入調査を依頼するつもりであることは申し上げましたが、その際に身分についてはちょっと細工をすることが決まっているのです。ですから……まぁ、ラーヴァが危惧するような問題は起こらない可能性が高いでしょう」
ラーヴァとポーラは、一瞬、イヴァンの言葉に驚いたような表情をしたが、すぐに納得したような顔になる。
ラーヴァが言った。
「……なるほどな。それなら、軍に入るという選択肢が出てきてもおかしくはないか。だがなぁ、国内の人間は徴兵していても、外部から来た奴らには当然、入隊試験が課されるぞ。そこそこの難関だという話だ。それはどうする?」
「試験? 傭兵なんかをたくさん集めてると聞いているのですが……?」
ルグン商国は商人の国で、資金力があり、それが故に傭兵を集めていると聞いた。
とは言え、その資金力も尽きかけているとも聞いてはいるが、禁域への兵の派遣は最後の賭けとしてそれなりに金をかけているのだろうと思われる。
そういう事情があるので、外部からの軍に対する応募もアバウトというか、とりあえず雇ってくれるものかと思っていたが、どうもそういうわけにはいかないらしい。
ラーヴァが言う。
「ルグンの連中は多くが商人だからな。傭兵とは普段から付き合いがある。基本的には、そういう奴らを雇っているんだ。闇雲にどんな傭兵でも雇っているわけじゃあない。信頼あるところに頼んでるってわけだな」
言われると、納得のできる話だった。
国が乱れ始めているルグンにスパイを送りたい国は多くあるだろうし、適当に兵士を募集していてはそこにねじ込まれる可能性が高いだろう。
そうである以上、そうそう簡単に外国の人間を軍に雇い入れるわけがなかった。
傭兵については、普段から築かれている信頼があるから、ある程度の安心感があるというわけだ。
となると、軍に入るのも難しそうだということになりそうだ。
とは言え、それは試験の内容次第だろう。
一応、と思いルルはラーヴァに尋ねる。
「事情は分かったが……望み薄かもしれないが、出来れば試験の内容を教えてくれ。大体でいい」
ルルの言葉に、ラーヴァは顎をさすりながら言う。
「そうだな……まず、ルグンの国内法なんかに関する筆記だ。ただ、これはまぁそこまで難しくはないな。基本的な犯罪とそれに対する刑罰を大まかに知ってればいい、程度のものらしい。外から招き入れた奴にむやみに犯罪を起こされたくないってこったな。次に、戦いに関する実力を見る実技だ。こいつは軍の戦技教官たちと戦ったり、魔術を使って見せたりすることになる。国内の人間ならともかく、国外の人間には相当な実力が要求されるから、ここで落とされる奴が多いって話だぜ。さらに、思想に関する検査もあるが、これは魔術で行われる特に厳格なものだ。まず、ルグンに対する悪意がある奴は通らないだろう……そういう感じだ」
無理だろう?
そう言いたげなラーヴァであった。
しかし、むしろそれを聞き、ルルたちはそれなら大丈夫そうだ、と思った。
まず、筆記についてだが、内容からしてかなりアバウトかつ簡便なもののようだ。
普通に数日勉強すればどうにかなるだろう、と思える。
次に実技だが、これは特級を凌駕する実力を持つルルたちにとって、問題にすることではないだろう。
さらに最後の思想検査だが、純粋な面接で、細かくチェックされるというならともかく、魔術で行われる、という点がルルたちにとってラッキーなところだった。
本来であれば、魔術による思想検査は口頭で行われるそれよりも遥かに厳しく、疚しいところがあればたちどころに見抜かれてしまうものである。
しかし、ルルたちにとっては必ずしもそうではない。
魔術の構成を見て、それをごまかすことなど造作もないことで、そうである以上、やはりこれも問題にはならない。
だから、ルルはイリスとゾエに言う。
「なんとかなりそうだな?」
「そうですわね。問題は実技ですわ。どの程度までやっていいのか、さじ加減が……」
やりすぎてあれは化け物だと言われては元も子もない。
ゾエもそれは心配なようで、ルルとイリスを見ながら、
「……二人とも、色々と自重してよ」
そんなことを言っている。
ゾエはこの三人組の中では比較的常識人であり、そのさじ加減も十分に理解しているが、どこか前世の感覚が抜けていないルルと、昔の意識が抜けていないイリスについてはどこまでも心配なようだった。
田舎で長い間過ごし過ぎたというのも大きく影響しているルルとイリスの非常識が、今回発揮されないことを切に祈るゾエであった。
この三人の物言いに、ラーヴァは、
「おいおい、お前ら、俺の言葉を聞いてたのか? 筆記はともかく、他はどう考えても無理だろ。身分を偽る時点で間違いなく思想検査に引っかかるぜ。そもそも、実技だって普通の冒険者には通るのも難しいレベルが要求されるはずだ。それなのに……」
しかし、この言葉にイヴァンが反論した。
「……まぁ、あなたの言いたいことは分かりますが、この人たちにそういう、一般的な常識を説くのは虚しいだけですよ。通ると言っている以上、間違いなく通ります。この人たちは」
その、げんなりとしたようなイヴァンの表情に、ラーヴァは言いかけた言葉を飲み込み、イヴァンの耳元で尋ねる。
「……そこまでの奴らなのか?」
これは、そこまで強いのか、というのと、そこまで信頼できるのか、という二つの意味を含んでいたが、イヴァンは、別の意味で受け取った。
「ええ、まぁ。こういうのもなんですけど、そこまでおかしな人たちなのですよ……」
ラーヴァはその答えに、そう言う意味で聞いたんじゃないんだが、と言う顔をして、しかし深く尋ねるのも、冒険者組合でも機密に属する事柄だろうし、と考えて諦めたようだ。
それから、ラーヴァは、
「ま、大丈夫だっていうならそれでいいんだがな……ただ、ルグンに入るときは十分に注意しろよ。国境の奴ら、かなり気が立ってるからな。よっぽど注意しねぇと、あぶねぇぜ」
と言った。
それに対して、イヴァンは、
「まぁ、そこも大丈夫でしょう。ラーヴァ、お願いしますよ」
と出し抜けに言った。
ラーヴァは、驚いて、
「はっ? な、何を言ってやがるんだ?」
「話を聞いていなかったのですか? 彼らは案内役を探しているんですよ。その適任者が、今、私の目の前にいる。そういうことです」
先ほど、冒険者組合に所属しているルグン出身者やその関係者については抽出した、と言っていたイヴァンである。
誰を案内役につけるのか、その選定まですでに終わっていた、ということだろう。
もしかしたら今、決めたのかもしれないが。
「いやいや……別に構わないっちゃ構わないが、俺がルグンに入るのはほとんどが隊商の護衛を兼ねた情報収集だぜ? 往復で行くのが大半だし、ルグンに入るだけならともかく、そのあとの細かい案内は厳しい。下手にいつもと違う動きをして、ルグンの奴らに目をつけられると今後活動しにくくなるしな」
隊商というのはふつう、決まったルートを動くもので、その護衛は基本的に離れることはない。
ルグン商国の軍に入隊するためには首都まで行く必要があるが、ラーヴァが言うには直近で首都まで向かう隊商というのは今、ほとんどないようだ。
ルグンとレナードの仲の悪化が大きく影響しているということだった。
となると、途中からはルルたちだけで首都まで旅しなければならないということになるが、今、他国人がルグン内を歩き回っているとどんないちゃもんをつけられるかわからないというのだ。
だから、ラーヴァはかなり悩んでいた。
実際のところ、ルルたちにはどうとでも出来る問題なのだが、それはあくまで力技でということになってしまう。
それでは最終的に冒険者組合に迷惑がかかり、ルルたちの出自が調査されれば国際問題にもなりかねない。
出来る限り、穏便な方法で行くべきだった。
しかし、この点についても、イヴァンには腹案があったようである。
彼は、ポーラの方を向いて、言った。
「その問題は、ポーラ、貴女も案内役をやっていただければ解決します」
「ふぇ? ど、どうして私がぁ?」
ポーラが目を見開き、抱いているニーナを圧迫しながら言う。
ニーナは何度も強く抱きしめられたことで、「ふぎゃ……」とぐったりしている。
どうやら、ポーラは見た目以上に力が強いらしかった。
そんな彼女に、イヴァンは続ける。
「あなたはルグン商国出身の小人族です。調べてみたところ、あなたの国籍は今もルグンにある。そして、ルグンという国は、小人族や身内に相当大らかなところがありますね? 故郷を想う小人族の女性が、軍に入りたいという実力者たちを連れて故郷に帰って来た。ストーリーとしても悪くありません」
「それはそうかもしれないけれど……でも、私には他にも仕事があるのよぉ。そう簡単に放り出してはいけないわ」
至極まっとうな反論をするポーラである。
しかしイヴァンは、
「すでにあなたが所属している地域の冒険者組合にはあなたの本部栄転について、連絡をしています。まだ、返事待ちですが、おそらく拒否されることはないはずです。なにせ、栄転なのですから」
と驚くべきことを言った。
突然の出世勧告に、ポーラは目を見開く。
「ほ、本部栄転!? ど、どうしてそんなことになるのよぉ!」
「それは当然でしょう。今回のルル殿たちの任務は、冒険者組合にとっても、レナード王国にとっても重要性の高いものです。そんな任務に従事するものを、一介の地方の冒険者組合所属にしておくわけには参りません。お給料も上がりますし、いいことずくめですよ……激務ですが」
最後に付け加えた一言が、本部栄転に関するデメリットの厳しさを端的にポーラに伝えていた。
最後の一言を言ったイヴァンの目は、死んでいたからだ。
ポーラも聞いたことはある。
本部勤めの冒険者組合職員がどれだけ激務なのかを。
今日、テラム・ナディアに集まった情報調査員の中には本部勤めももちろんいるが、非常に有能であると同時に、本部勤めに帰っていく彼らの後姿は何か、勝てるはずのない強力な魔物に向かっていく冒険者のそれに似ていた。
自分が、それになる?
いや、もちろん、本部勤めが冒険者組合職員の中でもエリート中のエリートであり、紛うことなき出世コースであることは分かっている。
しかしそれを加味しても、その道はいばらの道どころか、溶岩沸き立つ火口の上に築かれた薄氷の道のごときものだと感じていた。
つまり、その道はすぐ溶けて落ちるわけである。
そして、目が死ぬのだ。
勘弁してくれと思わずにはいられなかった。
「あ、ありがたいお話だけれど、丁重にお断りさせてもらうわぁ……! わ、私にはあまりにももったいないお話だものぉ!」
必死に言ったポーラだったが、イヴァンは、
「拒否権はありません。貴女は、冒険者組合職員。上からの命令は絶対です」
そう言ったイヴァンの目は座っていた。
ポーラの喉からおかしな音が鳴り、直後、ポーラは叫んだ。
「ぱ、パワハラだわ! パワハラよぉ!」
しかし、そんな叫び声など気にも留めずに、イヴァンは笑っている。
「はっはっは。出世してお給料も上げるというのです。どこがパワハラなのか、私には分かりかねます。ねぇ?」
そう言って、周囲の人々を見た。
ルルは、その言葉に、
「……恐ろしい集団だな、冒険者組合って」
「まぁ、人間たちというのは、昔から下の者は上の者に逆らえないと決まってるから……」
ゾエが分かったかのような口調でそう言う。
「わたくしはお義兄さまに死ねと言われたら死にますが」
イリスが過激な意見を言うも、ルルは、
「そんなこと言うはずないだろ……」
と返答する。
ラーヴァは、
「また一人、地獄に引きずり込まれたか……」
と独り言を言っている。
彼もまた、本部勤めの一人として、思うことが色々あるらしかった。
モイツは全員を見ながら、まるで孫を見る祖父のような表情で微笑んでいた。
「いずれ天国に変わりますから、大丈夫ですよ」
そんな不穏なことを言いながら。