第255話 ルグン入国の方法
「ここが“夜鷹亭”かな?」
ルルが店の看板を見上げながらそう言った。
イリスがそれを確認し、頷く。
「ええ、そう書いてありますわ。営業中の看板も掲げてありますし」
「よさそうな店じゃない。流石薦めるだけあるわ」
とゾエが店の中から香ってくる煮込みの匂いを嗅ぎながら言った。
彼女には、漂ってくる食べ物の匂いからいい店かどうか、即座に判断できるらしかった。
ゾエの肩の上でニーナもまた、匂いを嗅いで「きゅっ! きゅきゅ」と言っている。
竜的にもおいしい匂いらしい。
「じゃ、入るか」
そう言ってルルが店の扉を押すと、即座に「いらっしゃいませ!」と店員の元気のいい声が返ってくる。
案内の店員がすぐに寄ってきたので、ルルが言う。
「ラーヴァかモイツかイヴァン、もしくはポーラという客が先に来てないか? 一緒に食事をする約束をしていたんだが」
すると店員は、
「あぁ、ご予約のお客様ですね。こちらへどうぞ」
と言って、店の奥の方へと進み始めた。
そこは個室になっていて、周囲に会話が漏れないような作りの部屋だった。
人数的にも十人くらいは入れそうな広めの部屋である。
モイツたちはまだ来ていないようだったが、一人、先についていた者がいた。
「やっときたわねぇ!」
と、言ってエールの入ったジョッキを掲げたのは、三つ編みの小人族ポーラであった。
すでに出来上がっているようで、飲み干したらしいジョッキが二つほど置いてある。
店員が気づき、即座にそれを持ち、ルルたちに飲み物のオーダーを尋ねたので、それぞれ思いつくものを頼んた。
ゾエはアルコールだが、ルルとイリスはお茶と果実水、というおとなしいものである。
体質的に、イリスはいくらアルコールをとっても酔わないが、見た目からあまりよくは見えないだろうと思ってのことだった。
ルルは飲めば酔う体質だが、魔術によっていくらでも分解できる。
ただ、やはりこちらも、見た目の問題で頼むのをやめておいたのである。
アルコール関係は、ゾエに任せよう、ということだ。
当然だが、ゾエは全く酔わないでいくらでも飲み続けることが出来る。
「やっとも何も、早く来すぎだろ。冒険者組合の調査員たちの交流はいいのか?」
ポーラの仕事は、冒険者組合の情報調査員である。
今回は各地の調査員たちの情報交換のためにテラム・ナディアに集まっている。
したがって、久しぶりにあって旧交を温める、という時間があったのではないかと思っての台詞だったが、ポーラは、
「そういうのは明日だって言ったでしょ? 今日はみんな色々と準備があるから、宿に籠もってたり、テラム・ナディアを歩き回ってたり色々なのよぉ」
という。
この台詞に首を傾げたのはイリスだ。
「準備とはいったい何のでしょう?」
「それはもちろん、情報交換会のための準備よ。一種の発表会みたいなものでね、そのために資料整理したり、集めて来た情報の過不足がないか確認したり、テラム・ナディアの知り合いに新たな情報がないか確認したり……色々してるの。ここで発表したことは各地の冒険者組合に広がるからねぇ、下手なことはできないのよぉ。だからみんな、緊張してるのよぉ」
軽い交流会だと思っていたら、思った以上にしっかりとした集まりだったようである。
確かにそこまでの影響力があると、適当なことは言えないだろう。
それに、各々が情報収集のプロであるところ、突っ込みも厳しいのだろう。
自分が同じことをしなければいけないと言われたら、胃がきりきり痛みそうだ、とルルは思った。
しかし、そういうことならポーラもまた、宿なりなんなりでしっかりと明日のための準備をしていなくていいのか。
そう思ったゾエは尋ねる。
「ポーラ、貴女はこんなところで飲んでても平気なの?」
「私は今回はそこまでしっかり準備して発表すべきことはないからねぇ。気楽なのよ」
聞けば、全員がその大変な発表をしなければならないわけではなく、相当に重要、と思われる情報を集めて来た調査員のみが行うらしい。
どの情報が重要か、というのは事前に連絡をして決めているようで、ポーラの持つ情報の中でそこまでのものはないということらしかった。
そういう立場の者は、こうやって飲み歩いていても問題ないようで、他の調査員の中にもただ観光に来ているような者も少なくないとのことだ。
だからと言って何もしないでいい、というわけではなく、会合場所の設営などはそう言った者たちの仕事のようだが、それは明日やればいいということらしい。
「だから今日は飲むのよぉ」
そう言って、ポーラはジョッキを再度、掲げたのだった。
◇◆◇◆◇
しばらくして、冒険者組合の重鎮とその補佐、それにラーヴァがやってきた。
モイツは案の定、少年姿であり、イヴァンが少し呆れた顔をしている。
店員は当然、モイツには気づかず、イヴァンとラーヴァについては丁重に扱っていたが、モイツに関しては子供に話しかけるような口調で、モイツは何だか楽しそうだった。
それから三人は席につき、飲み物を頼む段になって、モイツは酒を頼もうとしたが、やはり店員が止めた。
ポーラについて指摘し、自分も、と一応の主張をしたが、あちらの方は小人族ですから、とやんわりと拒絶されてしまったのだった。
「……この姿でお酒を飲むのはあきらめた方がいいかもしれませんね……」
と残念そうにルルと同じお茶を飲み始めたモイツである。
ラーヴァがモイツの方を叩いて、
「まぁ、大人になったら飲めるさ。それまでは我慢だな」
と笑った。
モイツは特に不快そうではなく、楽しそうだったが、イヴァンは息が止まりそうな表情をしていた。
そんな二人の会話を聞いたポーラが、
「ルグンなら飲めるわよぉ。あそこはまず、お酒を出すのに年齢確認なんてしないからねぇ」
とニーナを胸に抱きながら言ったので、モイツが食いつく。
「そ、それはどういうことなのでしょう?」
そのあまりの様子に、ポーラは若干引いて、その結果腕に力が入ったのか抱かれているニーナが「ふぎゅっ……」と苦しそうにしていた。
しかし、そんなことは気にせず、強くニーナを抱きしめたまま、ポーラは質問には答える。
「え、そ、それは……ルグンの人口の三割くらいが小人族だからねぇ。年を確認してるとかなり面倒くさいのよぉ。私みたいに見るからに小人族っていう感じならともかく、向こうだと額の宝石隠してたりすることも少なくないから……」
小人族には特有の民族衣装があって、ポーラが着ているものの多くはそれである。
だからぱっと見で小人族だとほとんどの者が判断できるが、ルグンではそう言ったものを身に着けない小人族も多い、ということらしかった。
それだけならまだしも、小人族特有の額に埋め込まれた宝石を隠されると、それはもはやただの子供にしか見えない。
そうなると、他種族の者にはそれが小人族なのかどうか判断できない。
ルグンでは、そういうこともあって、酒場に子供らしき者が来て、酒を注文したら基本的に大人と扱う文化があるらしい。
たまに、大人の小人族のふりをした人族の子供も来るようだが、意図的に子供に酒を出した場合ならともかく、本人が自分は小人族の大人であると主張していた場合には、店は特に問題視されることはないのだという。
まぁ、別にどこの国であっても飲酒に年齢が設けられているわけではないが、基本的にあまり若すぎるとよくないという感覚はある。
ルグンはそう言った感覚が少し希薄だということだろう。
これを聞いたモイツは、
「いいことを聞きました。ルグンには何度か行ったことはあったのですが、そういう細かい文化については不勉強でしたから……。今度、必ず、参りましょう」
と、そんなことを言っている。
そんなにその姿のまま酒が飲みたいのか、だったら人化の術の年齢のいじり方でも教えようかな、と一瞬思ったルルであったが、人化の術をあまり便利にし過ぎると色々な危険がある。
モイツ一人の利便性のためにあまり詳しく教えるのはよくないか、と思い直し、放っておくことにしたルルであった。
それから、ふとポーラのルグン解説を聞いて思ったことを尋ねる。
「ポーラは随分とルグン商国に詳しいんだな?」
冒険者組合の北方組合長であり、それなりに多くの情報に触れる機会の多いモイツですら知らない隣国の文化を、よく知っているなと思っての質問だった。
ポーラはなんでもないことのように答える。
「あー、だって、私、もともとはあの国の出身だものぉ。子供時代はあそこで育ったの。知っていて当然よぉ」
なるほど。
そういうこともあるだろう。
レナードにもルグン出身の者はたくさんいるのだから。
しかしそれにしても近くにいたものだと少しだけ偶然に驚かないではなかった。
ルルは、イヴァンに、
「知っていたか?」
と尋ねると、イヴァンは言う。
「ええ。皆さんの案内役を選定するにあたって、冒険者組合職員の中のルグン商国出身者は抽出しましたからね。その中にいたので……まぁ、今日初めて知ったので少し驚きましたけれど」
この言葉にポーラが、
「あらぁ? 何かルグン商国出身者に用事でもあるの?」
と尋ねて来たので、答えていいものかとモイツとイヴァンの顔を見た。
一応、依頼としてはルグン商国を探ってこい、というもので、隠密性の高いものであることから、知っている者は最小限に抑えるべきであるからだ。
しかし、問いかけたルルの視線にモイツが頷いた。
説明してもいい、ということらしい。
ここ数日の旅路と、冒険者組合内のデータを見て、ポーラが信用できると判断してのことのようだった。
ルルは言う。
「……ちょっと依頼があってな。俺たち、ルグン商国に入り込まないとならなくなったんだ。ただ、一度も行ったことがないから、誰か案内役を探してて……」
これだけでポーラは事情を察したらしい。
「なるほどねぇ。ここのところ、あの国、少しおかしいものねぇ。それに、レナードの人間が行こうとしても、そう簡単には入れてくれない……か」
「その通りだな。まぁ、絶対ってわけでもなさそうだが」
そう言って、ルルはこの場にいるもう一人の冒険者組合職員ラーヴァを見る。
確か、彼はレナードとルグンを行き来する、珍しい冒険者だったはずだからだ。
ラーヴァは言う。
「俺は母親がルグンの人族なんだよ。国籍としてはレナードの人間なんだが、ルグンに知り合いも結構いてな。その伝手で行き来が出来るんだ。だが、完全にレナードの人間が……となると、やっぱり難しいだろうな。他の国の人間だったらともかく、ルグンとレナードの仲は最悪だからなぁ」
どうやら、ラーヴァがルグンと行き来できるのは彼の特殊事情に起因するらしかった。
特にレナードの人間がルグンに行くのは相当、厳しいらしい。
しかし、そういうことなら、他の国の人間として行けばいいのだ。
モイツとアドラーがルルたちの身分を偽造してくれる予定なので、その点はクリアできそうであった。
「国籍の問題がクリアできたとして、他に何か難しいところはありますでしょうか?」
イリスがラーヴァとポーラに尋ねる。
二人は顔を見合わせてから答えた。
「少し前までならなかっただろうが、今はな」
「そうねぇ、ただの観光、とかが目的だとそれでも入れないと思うわぁ」
これに首を傾げてイリスが尋ねる。
「それは、なぜ?」
ポーラは、
「今、ルグン商国では国内各地の禁域を攻略しようとしているからねぇ。他国民を観光に招き入れる余裕がないのよぉ。男手は多くが軍に徴兵されているみたいだしねぇ」
そして、ラーヴァがその先を続けた。
「まぁ……それこそ、軍に入るため、ってんなら入れてくれるかもしれねぇけどな。流石にそれはなぁ……」