第251話 西方組合長
モイツの、つまりは北方組合長の執務室に入ると、モイツは即座に執務室の中、壁を這っている管の先端に近づいた。
どうやら、それは伝声管らしく、確かに思い出してみればこの冒険者組合本部の天井にそれらしき管がたくさん這っていた。
魔術による通信技術は高度であり、またかなり多くの魔力を使用するが為に、こういった多少大きな建物内での会話で使われることは少なくないものだ。
全く魔術を使っていない、というわけではなく、聞こえやすくするためにある程度魔法技術は使われているものだ。
モイツは伝声管のうち一つを選んで、話しかける。
内容は、こうだ。
「私です、モイツです。アドラーが来たと聞きましたので、呼んできていただけますか? ……ええ、ええ。では、よろしくお願いします」
どうやら、テラム・ナディアにいるというもう一人の四方組合長への連絡を頼んだようだ。
モイツは会話を終え、振り返り、ルルたちに言う。
「アドラーはせっかちなタイプなので、連絡が伝わり次第、すぐに来るはずです。それまでここで待っていていただいてもいいですか?」
特にルルたちとしては文句はないので、それに頷いたのだった。
◆◇◆◇◆
遠くから、どたどたとした音が聞こえ、それからしばらくして、モイツの執務室の扉が乱暴に開かれた。
「……モイツっ! やっと帰ってきたのか!?」
北方組合長であるモイツを呼び捨てにしていることからして、やってきたのはおそらくはレナード冒険者組合の幹部である四方組合長 の一人、アドラーなのだと思われた。
先ほどモイツが呼んだのであるから、それ自体は特に不思議なことではない。
ただ、それでもルルたち三人が首を傾げてしまったのは、アドラーの容姿にあった。
きょろきょろとモイツの姿を探しながら執務室全体を睨みつけているのは、まだ十五にも至っていないような少年であったのである。
これが冒険者組合の重鎮の一人だと言われても、納得しかねるというのが正直なところだった。
「……若いな」
ルルがぼそりとそう言うと、イリスも頷いて、
「ちょうど、今のモイツさんと同じくらいの背格好ですね……。まぁ、かわいらしいお耳が生えていらっしゃいますが」
言われてみてみると、確かに少年の頭には長い耳が生えている。
ゾエがそれを見ながら、
「……なるほど、兎系獣人族ね。女の子だと随分色っぽい種族だけど、男の子だと……かわいい感じが多いわ」
王都でよく顔を合わせていた兎系獣人族の少女は年齢の割には出るところが出ている、非常にメリハリのついた体型をしていてもの凄い色気があったが、今、この部屋に現れた少年は彼女と比べると大人っぽさは皆無だった。
むしろ、非常に幼い、すべすべの肌をした紅顔の美少年と言った感じである。
確かに、昔から、兎系獣人族というのは男女でこういう両極端なところがあったな、とルルは思う。
なるほどなるほど、と頷きあいながら会話しているルルたちには目もくれず、アドラー少年はいつまで経ってもモイツを見つけられずに、顔見知りらしいイヴァンに近づき、言った。
「イヴァン! モイツはどこだ!? あの大きな体をどこに隠したんだ!?」
この質問はかなり声が大きく、当の本人であるモイツがふふっ、と吹き出す。
イヴァンはそれを見て呆れた顔をしているが、質問にはしっかりと答えた。
「……どこにも隠しておりませんよ。アドラー様」
「そんなわけないだろう!? だったらどうして見つからないんだ!? 帰ってきたと、ここにいると職員に聞いたのに!」
「ですから……いるのですが……。まぁ、とりあえず、腰をおかけになっては? ミレーユ殿が苦笑しておられますし」
そう言ってイヴァンはアドラーの背後に、微笑みつつも無言で立っている人物を見て席を勧める。
そこにいたのは、妙齢の女性だった。
非常に華やかな容姿をしていて、体の線が思い切り出るドレスを着ている。
淡い茶色の長い髪を結っているその緑の瞳の女性には、やや紫がかったドレスがよく似合っていた。
どんな人物か、と気になったところで、イヴァンが紹介してくれる。
「ルル殿、イリス殿、ゾエ殿。こちらは私と同じ立場の……レナード冒険者組合西方組合長補佐の、ミレーユ・ベルジェ殿です。ミレーユ殿、こちらは、特級上位冒険者のゾエ殿と、中級冒険者のルル殿とイリス殿です」
紹介されて、立ち上がり、ルルたちは頭を下げた。
「ルル・カディスノーラです。よろしくお願いします」
「妹のイリスです。よろしくお願いいたしますわ」
「……ええと、ゾエです。よろしくお願いします」
イリスが自分のことを妹の、と言ったものだから、自分についてどう説明すべきかと一瞬悩んだゾエであった。
保護者でもないし、友人でもないし、まさか下僕ですもないだろう。
仕方なく、特に何も説明せずに頭だけ下げた。
紹介された方、ミレーユは特に疑問を感じなかったようだ。
それも当然で、ゾエは特級上位冒険者であるとすでに説明されていたので、それ以外に何か必要とは考えなかったのだろう。
「ミレーユです。こちらの方の補佐をさせていただいております。どうぞ、よろしくお願いします」
と、流れるような仕草で頭を下げた。
冒険者組合の人間にしては洗練されているので、ルルたちは少し驚く。
「ミレーユ殿は元々貴族の姫でいらっしゃいますから。ただ、大変なじゃじゃ馬で、ご実家の意向を聞かずに飛び出してしまったと」
イヴァンがそう解説したので、ミレーユの所作や容姿に納得がいく。
しかし、それにしても思い切ったことをしたものだ、という視線をルルたちが送ったので、ミレーユは笑って、
「いやですわ。そんな、大したことはしておりません。ただ、あの家は私には合わなかっただけです」
だからといって家を捨てる貴族の令嬢はあまりいない。
「しかし、冒険者組合は合っていた、と。そういうことですね。アドラー様の手綱を取れるのは貴女しかいらっしゃらないと皆が言っておりますよ」
イヴァンはそう言って、アドラーを見た。
当のアドラーは席を勧められたのに未だ座らず、そこら中をきょろきょろしている。
「あの方はモイツ様に対するライバル意識が強すぎるだけで、普段はそれほど難儀な方ではありませんよ」
「とてもではないですが、そうは見えませんが……」
「いえ、いえ。そうですね……アドラー様! 席にお着きください。みっともないですよ!」
ミレーユがそう言ってアドラーに厳しい声で言いつけると、アドラーは一瞬びくり、とした後でゆっくりとミレーユを見、それからゆっくりと近づいてきて、席に着いた。
それを見て、
「はい、それでよろしいのです。……ほら、素直な方でしょう?」
とミレーユがイヴァンの方を向いてにこやかに言うものだから、イヴァンは少し顔をひきつらせて、
「え、ええ……」
と頷くのが精一杯だった。
どうやら、この二人の上下関係は対外的なものとは正反対らしいとそれで知れた。
それから、一通り観察を終えたアドラーが口をとがらせつつ、イヴァンに言う。
「……それで? 結局モイツはどこにいったんだ……?」
と、先ほどより静かな調子であるのは、ミレーユが怖いらしい。
イヴァンはそれに答えようとしたが、部屋の隅でアドラーの様子を見ながら微笑んでいた、モイツ本人が近寄ってきて、
「ここにいますよ」
と言った。
これには、アドラーも首を傾げて、
「……お前は、使用人ではないのか?」
と言ったので、モイツは再度笑ったのだった。