第245話 トラブルと提案
酒場での出会い、その次の日のこと。
ルルたち一行は村を旅立つべく、宿を出ようとしていた。
といっても、それほど早くない時間帯である。
他の旅人たちが村を出て、しばらく経っただろう、というくらいの時間帯だ。
というのも、この村からテラム・ナディアはそれほど遠くなく、あまり早い時間帯に出なくてもたどり着くのが分かっているからだ。
夕食に間に合うくらいに着ければちょうどいい、というくらいの感覚であった。
本来なら、モイツがテラム・ナディアに着くと同時に大勢の出迎えが来ると予想されるが、今の姿ならそんな心配はない。
強いて言うなら、馬車がテラム・ナディアから乗ってきたものなので、それでバレる可能性はあるが、その点についてはルルたちが幻影魔術を使ってうまいこと誤魔化すことにしたので問題にならないだろう。
それらは全て、モイツがテラム・ナディアを自由な立場で見回るための方策だった。
夕食の時間に、というのも、普段であれば、モイツのためだけに用意された料理がテラム・ナディアの冒険者組合本部で提供されるわけだが、それよりも適当な店を探して楽しみたいというのもあるらしい。
そう言うわけで、モイツの我が儘を聞いた結果、出発はこの時間帯になった、というわけである。
「私のために、申し訳なく……」
色々と要望はしたと言っても、それはかなり控えめなもので、もしこう出来たらいいなぁ、という独り言程度のものだったのだが、ルルたちがじゃあそうしようと着々と実現に向けて方策を考え始めたので、結果としてそうなったというだけだ。
モイツには全く責任はないのだが、それでも色々させて悪いと思ったらしい。
「いや、俺たちが勝手にやったことだからな。馬車の外装の変更もまぁ、楽しかったし」
ルルたちが三人で色々と魔術をかけた結果、馬車は村にたどり着いたときとは似ても似つかぬ代物になっている。
少し大きめの、白っぽい馬車だったはずなのだが、今はかなり精緻な彫刻の施された、高級品のような見た目に変わってしまっている。
所々に、控えめではあるが鯨や古代魔族などが描かれており、さらにそれに加えて、かつてルルが戦った勇者や聖女たちの紋章などが彫られていたりするなど、無意味に凝っている。
古代魔族や歴史の研究をそのライフワークとしているユーミスや、同じ穴の狢であるところのウヴェズドやシュイなどがそれぞれの紋章などの意味をルルから直接解説されながら観察すれば、その価値に涙を流しそうなほどの代物だが、幻影魔術で描かれているものであるから、テラム・ナディアに到着し、馬車が格納されたら消滅させる予定のものである。
あとでそれをユーミスたちが知ったら、別の意味で涙を流しそうであった。
「……勝手ですが、馬車自体の強度も上げてしまいましたけれど、よろしかったでしょうか……?」
控えめにイリスが尋ねれば、モイツとイヴァンは、
「そんなことまでしていただけたのですか? いやはや、ありがたい限りですよ」
「……この馬車は、モイツ様専用にいたしましょう……もはや、他のものとは一緒には出来ません……」
と言う。
聞けば、馬車自体は汎用品らしく、鯨系海人族のような巨体の持ち主も乗れるようにはなっているが、テラム・ナディアの冒険者組合職員なら誰でも使用可能なものらしい。
同じものがテラム・ナディアにはいくつもあると言うが、ルルたちが魔改造を施したため、そう言ったものとは一線を画す性能の品になってしまっていた。
イリスは少し強度を上げた、などと言っているが、中級魔術程度なら無効化が可能なほどの性能であり、さらには仮に破損しても自己修復まで出来るようになっている。
そんな代物は現代に置いては魔導機械と言われるもの以外にはほとんど存在しておらず、あったとしても通常の馬車と比べれば目玉が飛び出るくらいに高価だ。
なにを作ってしまったのか、いまいち自覚していないルルとイリスに、ゾエがぽつりと呟く。
「……さすが、陛下とお姫様は違うわね」
ゾエも手伝いはしたし、まぁまぁ規格外なことはやったのだが、ルルとイリスに比べれば見劣りする。
そのことを分かって、全体的なデザインに多少口を出すくらいにしておいたら、とんでもないことをやり始めてしまって止めるまもなく完成してしまった感じである。
性能もさることながら、紋章や彫刻関係にしても、貴重なものが多い。
勇者や聖女の使っていた正確な紋章は現代では失われており、血眼になって探している学者もいるくらいだ。
それをああもさらっと無造作に配置されては、何とも言いようがなかった。
ただ、それこそが彼らの彼らたるゆえんであることは分かっていたし、みただけでこの馬車がそういう、とんでもない代物だと理解できる者はいないだろう。
隠蔽、という面で見ても、やはり規格外だからだ。
まぁ、しかし詳細に調べれば普通の魔術師でも理解できる程度のものだ。
他の部分の性能と比べれば、まだ、許容範囲であった。
「……ま、それはそれとして、そろそろ出発ね」
そう言うと、モイツの馬車の隣の馬車を引いている双頭竜の頭の上にいたニーナが飛んできて、
「きゅっ! きゅっ!」
と鳴き、双頭竜を誘導し始めた。
位置の関係で、先に出なければ出せない位置にモイツの馬車があるからだった。
それからニーナと双頭竜の馬車を先頭にして、村の入り口まで向かう。
すると、
「……はて、おかしいですね」
御者をしていたイヴァンがふとそう言った。
荷台から顔を出し、御者台の方にルルが行くと、イヴァンの視線の方向に確かに奇妙な光景が見えた。
「あれは、確か昨日の……」
ルルとイヴァンの視線の先には、昨日、酒場で飲んでいた小人族の女性、ポーラが立っていた。
小さくて目立たないのだが、イヴァンとルルの視力は一般的な人族よりかなりいい。
見つけられたのも当然の話だった。
そのまま無視して通り過ぎても良かったが、一緒に酒杯を酌み交わした仲である。
昨夜、朝一番に村を出るという話も聞いていた以上、このまま放置して去ると言う選択はしがたかった。
イリスとゾエ、モイツにも事情を説明すると、では少し話を聞いてみるか、ということになり、馬車を道の端に寄せて、みんなで降り、ポーラのところに向かう。
「……あら? 貴方たちはぁ……」
特徴的な、語尾がふわりとしたような話し方はどうやら、酒に酔っていたから、というよりも元々の口調だったようである。
ポーラはルルたちに気づくと、すぐに話しかけてきた。
「昨日は随分とお世話になったわねぇ。酔っぱらっててごめんなさい。なんだか、久しぶりに楽しかったのよぉ」
酔っていたとは言え、しっかりと昨日のことは記憶に残っているようである。
まぁ、あれだけの酒量を消費しながら、最後までまっすぐ歩いていたのだ。
記憶が飛んでいるということがないのも納得だった。
「そう言ってもらえると俺たちも嬉しいよ。俺も楽しかったし……みんなもそうだよな」
ルルがそう言えば、みな、頷いた。
昨夜は途中、いやな雰囲気に酒場が支配されかけたわけだが、ポーラの見事な対応により、その危機を免れたのだ。
その後も、場を明るく保つのに貢献してくれ、一緒に酒を飲むのにはまさに最高の女性であったのは間違いない。
しかし、それだけに不思議である。
彼女の昨日の立ち振る舞いは、今日、朝一番に村を出ることを前提としたものだったはずだ。
それなのに、太陽も中天に上りかけたこんな時間帯に、村の入り口で佇んでいるのはいかにも奇妙な話であった。
モイツが不思議に思って尋ねる。
「ポーラどの……いえ、ポーラさんは、今日の朝一番に村を出るはずだったのでは……?」
どの、と呼びかけてさん付けにしたのは、今の彼の容姿では似合わない言葉遣いだと思ったのだろう。
実際、威厳ある元の姿でならともかく、今の容姿で殿、などと言っているのはなんだか少しちぐはぐな感じがする。
さん付けがちょうどいいだろう。
ポーラも特に不快には思わなかったらしく、笑顔で質問に答えた。
「それがねぇ、少し困ってるのよぉ。朝一番にここに乗り合い馬車が来るはずだったんだけど、こなくて……。たぶん、どこかで問題があったのねぇ」
「それは……」
途中で魔物におそわれたか、それともそれ以外のトラブルか。
理由は分からないが、何か問題があったことはここに来るはずだったのに来なかったことが証明していた。
深刻な顔になりかけたルルに、しかしポーラは首を振った。
「あ、そんなに大変な話じゃないのよぉ。私は困ってるけど、この辺ではあんまり珍しくないの。たまに、ものすごくアバウトな人がいて、そういうときはちょっと時間通りに来なかったり……」
まぁ、小さな村を繋ぐ定期的な乗り合い馬車など、そんなものかもしれない。
これが大都市から出ているようなものであれば話は別だが、それでも場合によっては遅れたりすることは珍しくない。
そのことを考えれば、仕方のないことなのだろう。
「ふむ……まぁ、そういうことなら。しかし、こんなところで待っていて大丈夫なのですか? 昨日の冒険者が……」
いくら酔っていても、そろそろ起きてくるだろう。
そうなると危険であるとモイツは言いたかったようだ。
けれどポーラは、
「あぁ、大丈夫よぉ。もう、謝ってもらったから」
「え?」
「馬車が来ないから、さっき一度村に戻ったのだけれど、そのとき顔を合わせてねぇ。まずいかなぁと身構えていたら、がばっと土下座されてぇ。やっぱりね、悪い人たちじゃなかったのよぉ」
思いも寄らない解決であった。
しかし、まぁ、ポーラの人を見る目が確かだった、ということなのだろう。
ただ気になるのは、
「……そういや、金貨一枚もらってしまったわけだけど、それについては?」
ルルの質問にポーラが答える。
「気づいたみたいだけど、迷惑料だと思ってとって置いてくれって。酒場にも謝りに行くって話だったわよぉ。円満円満」
「非常に丸く収まったのですね……」
イリスが少し目をみはってそう言った。
確かにここまで綺麗にこういったもめ事が片づくのは珍しく、驚くに足りる話だった。
「安心しましたよ。貴女に何かあったらと」
モイツが何の気なしに言った言葉だったが、ポーラは、
「あらぁ? 心配してくれたのぉ? うれしいわぁ」
と言ってモイツに抱きつく。
モイツも元と比べれば相当に小さくなったが、しかし小人族と比べれば幾ばくか大きい。
今のモイツは150半ばくらいの身長だが、ポーラは130くらいなのだ。
モイツは、ポーラに抱きつかれて、少し狼狽した様子で、
「ちょ、ちょっと……妙齢の女性がこんなことをしては」
と言うが、ポーラは気にしたそぶりも見せない。
「あら、いいじゃないの。ちょっとお姉さんに、美少年を堪能させてねぇ?」
と微笑んでぽんぽんとやっている。
別に嫌らしい感じとか、そういうものは全くなく、単純に感謝を示しているのだと分かるような雰囲気であるからそう言う意味では問題はないのだが、客観的に見て、ポーラのしていることは、雲の上の人と言ってもいい上司に抱きついているのである。
後でこれを知ったならどうなるのか……と心配になってくる。
ただ、イヴァンは黙して何もいわないし、ずっと秘密のまま、通す、というのもあるかもしれない。
基本的にモイツはお忍びで人化の術を使いたいのだから、そうそう、正体をバラす、ということはしないだろうから、その可能性が高いと言えた。
その場合は、ポーラの精神衛生にも良さそうだが……。
まぁ、そのときはそのときか。
考えるのをやめたルルは、そう言えば、と思い出してポーラに行う。
「ポーラは……テラム・ナディアに向かうって話をしていたな?」
「ええ、そうよぉ。調査も終わったし、報告に向かうの」
「なら、この後はまっすぐテラム・ナディアに?」
「……? ええ。そうよぉ」
ここまで聞いて、ルルはモイツの顔を見て、言う。
まだポーラはモイツに抱きついたままで、モイツは未だ少し狼狽している。
どこか顔が紅潮しているような気がするが、それは触れない。
「ちょうどいい。俺たちもテラム・ナディアに行く予定だ。寄り道も特にするつもりはないし、馬車には余裕がある。小人族一人くらいなら乗せていける余裕もあるし……一緒に乗せていったらどうだ?」
そう言ったのだった。