第241話 北方組合長の誤算
「よっこらせ、っと……」
年寄りくさいかけ声をしながら馬車を降りたルルである。
それに続いて、イリス、ゾエがイヴァンの手を借りて降りてきた。
ルルも手を貸そうかと思ったのだが、イヴァンに、それは自分の仕事であると拒否された。
確かに彼は御者を今やっていて、その仕事は馬車の操作と乗降の手助けであり、そのことを考えると彼の仕事であるのは間違いない。
けれど、イヴァンの本業はモイツの補佐であり、レナード冒険者組合の中枢に関わる仕事なのである。
その中でも、イヴァンの地位は各地の街にある冒険者組合の組合長よりも高く、従って平冒険者に過ぎないルルたちからすれば上司に当たる人だ。
そんな彼に色々と雑事を放り投げているのはいいのだろうか、と言う気が少ししてしまう。
しかし、彼は、
「最初に出会ったときに喧嘩を売ったことを考えれば、色々尽くさせていただいた方が私の気が楽になります」
と言って取り合わなかった。
確かにイヴァンとの間には色々あったが、既に水に流したことである。
特にもう、ルル達に尽くす必要などはないのだが、気分の問題だと言われてしまえばそれまでだった。
そして、ルルたち三人に続き、最後にモイツである。
「モイツ様、どう、ぞ……?」
馬車の中に声をかけたイヴァンであるが、ごそごそと現れたその人物に絶句した。
「あぁ、イヴァン。申し訳ないですね。手伝っていただいて」
そう言って、白髪の少年姿のモイツがイヴァンの差し出した手に自然につかまった。
イヴァンは、
「あ、い、いえ……え? こ、これはどういう……」
モイツの動作が非常に自然であり、いつもしているように、イヴァンに全く体重をかけないような持ち方であることを思いながらも、イヴァンは不思議そうな、あわてたような、そんな妙な表情をしている。
「ふむ……? イヴァン、どうか致しましたか? 何か変なところでも……っと、あぁ、そうでしたね!」
首を傾げつつ言いながら、途中で気づいたモイツだった。
納得したような表情で、イヴァンに笑いかけつつ、言う。
「これは、言ってませんでしたね。イヴァン、ほら、思い出してください。シュゾン殿が使っていた人化の魔術ですよ。ルル殿が改良して、我々にも使えるようにしてくれたのです」
「え……? あ……」
言われて、数秒フリーズしていたイヴァンだったが、徐々に理解がその顔に広がっていった。
確かに、魔物であるシュゾンが人に変わったあの魔術のことは、覚えている。
そして、それをルルが改良している、という話も聞いていた。
それが完成したということらしいと、理解したのだ。
しかしだからといって、驚かないはずもなかった。
イヴァンはなんとか驚愕を自分の心の奥に押し込めつつ、口を開く。
「あ、あの……モイツさま、なのですよね……?」
「ええ、思いのほか、小さくなってしまいましたが、間違いなく私がモイツですよ」
「なぜ、そのような少年の姿に……?」
「それはですね……」
そしてモイツはルルから聞いた人化の術の概要についてイヴァンに解説した。
イヴァンは頷き、
「驚くべき魔術ですが…少々、心臓に悪いですね。いったい何が起こったのかと混乱してしまいました」
「それくらいでなければ、せっかく人化した意味がありません。ともかく、村にいる間はこれで通すつもりですので、よろしくお願いしますよ、イヴァン。設定としては……ちょっと裕福な商家の息子、くらいでいかがでしょうか?」
面白そうな顔でモイツはイヴァンにそう言った。
本来の地位である北方組合長だと言っても誰も信じることはないことを考えれば、その設定は必要だろう。
イヴァンも頷いて、
「かしこまりました……」
と呆然とした様子で言った。
まだ、完全には飲み込めていないらしかった。
◆◇◆◇◆
村はあまり規模の大きなところではなかったが、馬車を止めるところと、宿には不自由しなかった。
単純な村、というよりは宿場町に近いところだからだろう。
数軒宿があり、そのいずれにも旅人がそれなりにいた。
その中でも、一番良いところに宿を取ったルルたちである。
ルルたち三人組と古代竜ニーナは安いところで全くかまわなかったのだが、イヴァンがさっさと決めてしまったからだ。
といっても、贅沢をしたかったとかそういうわけではなく、モイツの設定上あまり安いところを選ぶわけにはいかなかったようだ。
「……余計な設定でしたね。宿代は私の方から出しましょう」
とモイツが言ってくれたが、高いと言っても村の宿である。
一番良いところでも懐はほとんど痛まないのでそれについてはお断りしたルルたちだった。
しかし、なぜかモイツが少し残念そうな顔をしているので、
「……なんだ、何かあるのか?」
と尋ねてみれば、
「いえ、みなさんと会ってからずっとお世話になりっぱなしなのに、いまいちお礼を出来ていないような気がしまして……」
と言う。
そうは言っても、今回、魔導帝国に行くために色々と便宜を図ってもらうのだ。
それで十分だとルルたちは思っているのだが、モイツからしてみるとそれだけでは味気ないらしく、何かおごりたいらしかった。
「別にいいのにな?」
ルルがイリスとゾエにそういうと、
「闘技大会の賞金がまだ余っておりますし、懐はあまり寂しくないのですものね……」
「そういえば、あなたたちはそこで随分稼いだんだったわね……まぁでも、おごりたいって言うのならおごられとけば? ちょうど、モイツも酒場に行きたいって言ってたじゃない」
ゾエの提案に、ルルは頷く。
「酒場か。それなら……いや、でもなぁ……」
一瞬納得しかけたルルであるが、微妙な表情で悩み始めた。
イリスが首を傾げて尋ねる。
「どうかされましたか?」
しかしルルはそれには答えず、
「いや、いいんだ。とりあえず、行ってみることにしよう」
「……?」
ルルはそれから、モイツに言う。
「モイツ、何か奢ってくれるって言うなら、酒場はどうだ? 確か、この村にもあったのを見ただろう。モイツも行きたいと言っていたことだしな」
ルルの提案に、モイツは嬉しそうに微笑み、
「おぉ、それはいいアイデアですね! でしたらそういたしましょう。いくらでも飲み食いしていただいて結構ですよ!」
と言って、宿の部屋に運び込んだ荷物を整理していたイヴァンを誘いに行った。
部屋は二部屋借り、男女で分けた形である。
ルルたちは部屋の外の開けたスペースで話していたのだが、そういえば、とイリスが思いついたような顔をして、自分の部屋に歩いていった。
それから戻ってきたイリスの小脇には目を瞑ったニーナが抱えられていて、なるほど、部屋で寝転がっていた彼女を取りに行ったのだとわかった。
ニーナは宿に着いてから、随分と疲れていたらしく、ベッドで仰向けになって爆睡していたらしい。
それをそのまま持ってきたわけだ。
まぁ、確かにずっと御者をしていたのであり、あの小さな体には堪えたのだろう。
「……眠らせてやっていたらどうだ? 無理に連れて行くのもかわいそうなんじゃ」
とルルがイリスに言うと、
「いえ……食べ物がある場所に行くのに置いていくと、後で泣き出すものですから……」
と目を逸らして言った。
聞けば、フィナルにいたときに、何度かイリスとゾエだけで甘味を食べに行ったりしていたらしいのだが、そのことをニーナに後で話すとかなり絶望的な表情をしていたらしい。
シュゾンと忙しそうだったから誘いようがなかったと説明してもそれである。
連れていける状態なのに連れて行かなかったらむしろその方がかわいそうだ、ということらしかった。
「まぁ……それなら仕方ないか……でも寝たまんまでいいのか。起こさなくて」
そう尋ねたルルに、ゾエが少しだけあきれたような口調で、
「食べ物の匂いがし始めたら起きるから大丈夫よ」
と言ったのだった。
◆◇◆◇◆
「きゅっ!?」
酒場につき、その扉を開くと同時に、ゾエが予言したとおり、目を覚ましたニーナである。
すんすんと匂いをかいでいる様は少し浅ましい気がしないでもないが、百歩譲ってかわいいということにしておこうと諦めたルルであった。
「結構盛況だな」
酒場の中を見回しながらルルがそう言った。
実際、それほど大きくない村の酒場にしては結構な人がいて、繁盛しているようだった。
適当にあいている席を探し、座ると即座にウェイトレスが注文を取りに来たので、飲み物と、店でも人気の品を頼んだ。
飲み物は当然、酒場であるから酒類である。
ウェイトレスは注文を確認して、店の奥に引っ込んでいった。
しかし、問題はそれからしばらくして飲み物が運ばれてきたときに起こった。
ルルたちの前に酒類が並べられていく中、モイツの前に置かれたのは……。
「……あの、これはいったい……?」
モイツがウェイトレスに確認する。
ウェイトレスと言っても、若い娘というわけではなく結構な年齢の、女将と言った方が正しいような女性だ。
実際、その予測は正しかったらしく、
「あぁ、それはねぇ……さすがにあんたに酒を出すには若すぎるってうちの主人がね」
と言って女将は店の奥にむっつりとした顔で佇むマスターを振り返って苦笑いした。
飲食店の主にしては随分と無愛想なその表情にあきれたのかも知れない。
モイツはそんなことはどうでもいいらしく、それよりも自分の飲み物の方が問題のようだった。
「いえ、あの、私はもう大人ですよ! 酒類をたしなんで全く問題のない年齢です!」
立ち上がりながら訴えかけるように言ったその台詞はまさに事実以外の何者でもなく、モイツはおそらく、この場にいる人族の誰よりも年上であろう。
髭もじゃの男たちも、枯れたご老人も、モイツの年齢の前には皆同じく小僧と言っても差し支えないほどの年齢をモイツは刻んでいるのだから。
しかし、それが通じるのは彼にいつもの容姿と威厳があってのことだった。
「いやだねぇ、あんた、どう見ても子供じゃないか。こっちの二人はともかく、さすがにあんたほど小さいとお酒なんてまだダメだよ。ミルクでも飲んでおきな」
ルルとイリスを示した後、馬鹿にしているのではなく、ただただ心配した様子で女将はモイツの前に置いてある白色の液体を薦める。
この辺りの家畜からとれた新鮮なミルクらしいが、酒場に来てそれは味気ない。
ルルとイリスはぎりぎり飲酒が可能と認識されている年齢に引っかかっており、そのため、酒類を頼んでも、まぁ、この年齢にはありがちな背伸びだなと言うくらいにしか思われず、普通に薦められたが、モイツについてはそうはいかなかった。
さすがに十二、三に酒類はアウトであるという判断のようである。
まぁ、理解できなくもないし、モイツも今の自分の外見年齢を考慮して、仕方がないか、と思い始めたようであった。
けれど、ため息をついて、モイツが自分の席に座りかけたそのとき、ふと目に入った存在にモイツは再度ヒートアップしてしまった。
「あちらのお客には出しているのに、なぜ私にはダメなんですか!?」
言われて、女将がモイツの示した方向を見ると、そこにはどう見てもモイツよりも小さい、どう見ても子供にしか見えない少女がエールをぐびぐび飲んでいるのが見えた。
確かに、あの少女に出せるなら、モイツに出しても良さそうな気がする。
しかし女将は首を振って、
「あの娘はあれで成人だからね。小人族だよ。もう二十歳はいくつか越えていたはずだ」
その言葉に、なるほどと思ったルルたちである。
たしかにかの種族ならば、あの容姿でも十分に大人だ。
問題は本当に小人族なのかどうかだが、彼らはその額に小さな菱形の宝石のようなものをつけている。
少女をよく見ると、しっかりと赤色に輝く菱形の宝石がその額に見え、小人族なのは真実であることが分かった。
「しかし、それを言うなら私だって……」
と女将に続けたモイツだったが、
「私だって?」
と首を傾げられて、自分の容姿がどのように見えるのか、どのような説明が出来るのかということを客観的に判断し、小人族とも他の種族とも言い難いということを改めて理解してしまい、
「……いえ、何でもないです。騒いで申し訳なく……」
と最後にはがっくりと諦めたのだった。