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第239話 バルバラの暇つぶしとその成果

 馬車がゆっくりと走り出し、フィナルの街が遠ざかっていく。

 ルルたちが乗っている馬車の後ろにはしっかりと双頭竜の馬車がついてきている。

 もちろん、御者はニーナだ。

 双頭竜の頭の上にちょこんと乗って、手綱などまるきり握っていない状態で御者、と言っていいのかどうかは謎だが、しっかりと進む方向やスピードを指示しているらしいのはちゃんとついてきていることからも明らかだ。

 馬車の荷台の窓からわずかに顔を出したモイツが、


「……なんと申しますか、この目で見ても微妙な光景ですな。小竜リガ・ドラゴンが双頭竜の馬車を操っているというのは……」


 と何ともいえない表情で呟く。

 ルルは、


「まぁ、事故さえ起こさなければいいだろうさ」


「それはそうかもしれませんが……おや?」


 仕方なく納得しようとしたモイツが、ふと、首を傾げる。

 どうしたのかと思って彼の視線の方向を見てみると、窓から遠くの方を見つめていた。


「何かあったのか?」


 ルルの質問にモイツは頷く。


「ええ、向こうから……何か走ってきます」


「どれ……あぁ」


 モイツの後ろから窓の外を見つつ、魔力での感知を広げてみれば、誰がこちらに向かってきているのかは明らかだった。

 その速度は馬車に匹敵するもので、また挙動から見ても人間ではない。

 そして、しばらくして近付いてきたその物体は、唐突に馬車の荷台の上に飛び乗った。

 がたん、とわずかに揺れが増すが、飛び乗った勢いの割に衝撃は小さい。

 それもそのはず。

 直後に、


「……失礼する」


 と窓から顔を覗かせたのは、言わずと知れた地獄犬ヘルハウンドのシュゾンであった。

 荷台の上で人化したらしく、その容姿は漆黒の長い髪に、赤い瞳の若い女性である。

 普通に見れば美しい女性なのだが、窓から顔を見せる彼女はまるで天井からぶら下がったような姿勢のために、少しばかり、怖い。


「……まぁ、なんだ。とりあず、中に入れよ……モイツ、いいよな?」


 とルルが呆れながら言うと、モイツも頷いて、


「ええ、何かご用事があるようですから……」


 と答えたのだった。


 ◇◆◇◆◇


「で、またどうしたんだ? 何か山の方であったのか?」


 シュゾンは今は美女の格好をしていて、少しばかり間の抜けた登場をしたけれども、本来は泣く子も黙る強力な魔物、地獄犬ヘルハウンドなのであり、その実力は相当に高い。

 今のログスエラ山脈においても、その地位はバルバラに次ぎ、実質的にナンバー2と言ってもいいだろう。

 そんな彼女が自ら、こんなに急いでルルたちを追ってきた、ということは何か山脈に関連することで重大な問題が起きたからだろう、と予測するのは何もおかしな話ではなかった。

 モイツやイリス、それにゾエも真剣な表情で彼女を見つめている。

 しかし、そんなルルたちの緊張はどうやら無駄だったらしい。

 ルルの質問にシュゾンは首を振ったからだ。


「いや、全くそんなことはない。山は以前と同様に平和になった。フィナルの住人とも今は協力できているから、余計にな。今回、来たのはまったく別の理由だ」


「別の理由? 何だろうな」


 ルルが尋ねると、シュゾンは腰につけた革袋をごそごそといじりだし、そしてそこから何かを取り出した。

 首を傾げて観察すると、どうやらそれは瓶のようである。

 それを見てもまだピンと来なかったルルであるが、イリスには分かったようだ。


「あぁ! そう言えばすっかり忘れておりましたが……それは、バルバラさんからの?」


 イリスが尋ねるとシュゾンは頷く。


「あぁ。本来ならもう少し早く届けるはずだったのだが、あの方があまりにも中に詰めるものにこだわりすぎてしまってな。こんな時間になってしまった。追いつけない距離まで行ってしまったらと不安だったぞ」


 そう言って、シュゾンはイリスに手に持った瓶を手渡す。

 イリスは、


「別にわざわざそんな苦労をしてくださらなくても良かったのですが……」


 と微妙な表情で、ルルは首を傾げる。


「それは……?」


「お義兄にいさま。ほら、バルバラさんがおっしゃっていたではありませんか。私に水妖スライムの瓶詰めをプレゼントしてくださる、と」


 そう言われてルルは初めて思い出し、


「あぁ! あれか! まさか本気だったとは……」


 相当にどうでもいいと思っていたからか、すっかりと記憶から抜け落ちていたルルである。

 イリスの渡された瓶詰めを見せてもらうと、確かに中に粘性のある水のようなものが詰められていた。

 なんだか妙にカラフルで、目の惹かれる色合いをしている。

 水妖スライムは通常、もっと透明であったような……。

 緑色をした毒水妖ポイズンスライムなどもいないわけではないが、わざわざ人に贈るのだから、さすがのバルバラでも無害な通常の水妖スライムを贈るだろう。

 それなのに、この色合いである。

 不思議だ。

 ルルがそう思っていると、シュゾンから解説が入る。


「あの方に言わせると、水妖スライムは非常に興味深い生き物らしくてな。とても変異しやすい生き物だと言うことだ」


「と言うと?」


「たとえば……水妖スライムには様々な種類があって、通常のものの他に毒水妖ポイズンスライムなどがいることは知っているな?」


「もちろんだ」


 魔族、人族ヒューマン、種族問わず、毒水妖ポイズンスライムは危険だから近づいてはいけないよ、とは子供の頃に確実に習うことだ。

 通常の水妖スライムなら、あまり巨大でなければ子供でもなんとかなるのだが、毒水妖ポイズンスライムとなると触れただけで死の危険すらある。

 だから、その存在は常識なのだ。

 シュゾンは続ける。


「あの方は、湖底都市を根城としてから相当暇だったようでな。暇つぶしに、そう言った水妖スライムと、他のものとがどうして違いが生まれるのかを調べていたらしい。そして、その結果、いくつかの結論を得た。毒水妖ポイズンスライムのような水妖スライムは、通常の水妖スライムから変異して生まれるのだ、という結論をな」


 強力な魔物や何か人にとって有用な魔物ならともかく、ある程度の危険があるとは言え、どこにでもいて、簡単に倒せる魔物である水妖スライムを真面目に調べようとする者などいない。

 いても、魔物の年月というのは人と比べて長大だ。

 人族ヒューマンでは調べきれないし、かといって他の種族は別のことに夢中であることが多く、水妖スライムの事細かな生態は明らかになっていなかった。

 もちろん、それでもいくつかの仮説は立てられてはいるのだが、実際に調査するとなると、まず水妖スライムの捕獲から始まり、他の様々な種類の水妖スライムを収集し、さらに繁殖させ、それを何代も続け……ということが必要になってくる。

 そこまで暇な学者というのは中々おらず、水妖スライムについての学説は仮説の段階を出ていないものが大半なのだった。

 それを、バルバラは古代竜エンシェント・ドラゴンという種族であるが故の長い時間を利用して実証したということだろう。

 すごい。

 すごいが、暇人だ。

 何せ、それが分かったところで大した意味はないと、多くの者が考えていることだからだ。


「その時間をもっと他のことに使えなかったのかと聞きたいところだが……」


 ルルが呆れて言うと、シュゾンも若干だが同意して、


「……言うな。あの方は、いつまで経っても、どこか少女のような方なのだ……」


 と呟く。

 まぁ、年の割に子供っぽい性格をしていることは否定しがたい。

 直接言ったら怒られそうだが。


「それで? バルバラが水妖スライムの生態に詳しいからなんなんだ?」


 ルルの質問にシュゾンは答える。


「あの方は、研究をさらに進めて、どうすれば水妖スライムが望む種に変異するのかも調べたのだ。その結果、いくつかの種については人工的に生み出すことに成功された。たとえば、毒水妖ポイズンスライムは通常の水妖スライムにある特定の毒草を規定量与え続けると変異する、とか氷水妖アイススライムは一定期間凍らせた上で冷えたものを餌として与え続けると変異する、とかな」


「気の遠くなるような実験が必要そうだな、それ」


 かなり調べるのが面倒くさそうな条件ばかりだ。

 やっぱり、バルバラくらいに時間を持て余してないと出来ない研究だろう。

 シュゾンは続ける。


「そして、複数の条件を満たすと、複数の水妖スライムの特性を持った水妖スライムが作り出せることまで発見されてな。いまイリスに渡したその瓶詰めの中にいる水妖スライムは、それだ。毒水妖ポイズンスライム氷水妖アイススライム炎水妖フレイムスライム麻痺水妖パラライズスライム、そして治癒水妖キュアスライムの特徴を持っている。それを作るのに、あの方はだいぶ時間をかけた結果……まぁ、こんな時間になってしまったわけだ」


「……意外と、すごいことやってるな、バルバラ……」


 ルルは、シュゾンが言った言葉に思いがけず驚いていた。

 なぜなら、複数の水妖スライムの特性を持った水妖スライムなど自然状態では見たことがないからだ。

 さらに進んで、治癒水妖キュアスライムについてまでも人工的に生み出せると言うことにも驚いた。

 これが出来るというなら、一家に一匹、治療水妖キュアスライムを置くことによって、多少の傷なら治癒術師を頼る必要もなくなってしまう。

 水妖スライムは基本的に雑食性であり、治療水妖キュアスライムもそうであることから、残飯を与えておけば傷を治してくれる生き物が家に常にいる、という状態になるのは現代ではあまりにも革新的だ。

 バルバラは、もしかしたら天才なのかも知れなかった。


「もっと、どうでもいいものを渡されたつもりだったのですけれど、そんな説明を受けてからだと相当なお宝をもらった気分になりますわね……」


 顔をひきつらせつつ、イリスが瓶の中身をみた。

 きらきらと輝きながら、うねうねと様々な色がうごめいている。

 きれいと言えばいいのか気持ち悪いと言えばいいのかわからない物体だ。

 しかし、これは相当便利なアイテムである。

 ちょっとした治癒に使えるだけでなく、カイロにも使えるし、夏場は冷やしてくれるだろうし、大けがをしたときは感覚を麻痺させてくれるだろうし、武器にちょっと毒など塗りつけたいときにも重宝するだろう。

 まさに万能なのかもしれなかった。

 最後の用途は使うかどうかはあれだが。


「まぁ、そういうわけだ。命令は聞くようにしつけてあるから、瓶から出しても言えば戻るということだ。治癒などの能力についても命令すれば使うらしい。我が主ながらとんでもないものを作り出したものだが……大切に飼育してやってほしい、とも言っていたぞ」


 その伝言からして、バルバラ的には便利な道具と言うより、かわいい愛玩動物ペットなのだろう。

 ニーナに対する態度からもそうだが、そういう母性というか、過保護な部分にも溢れている彼女らしかった。


「分かりましたわ。バルバラさんに思いもかけないものをありがとう、とお伝えくださいませ」


「あぁ、分かった。では、私はこれで失礼する」


 そう言ってシュゾンは窓から外に飛び降りる。

 高速で走る馬車からそんなことをして大丈夫なのか、と窓の外を見てみれば、そこには馬車と併走しつつ、徐々に遠ざかっていく漆黒の黒犬の姿があった。

 全く問題ないらしい。


「言い忘れていたが、シュゾンも元気でな!」


 ルルがそう言うと、イリスとゾエ、それにモイツも続いた。


「お元気で!」


「また来たときにはよろしくね!」


「フィナルをお願いいたします!」


 そんなルルたちをちらりと一瞥し、さらにルルたちの馬車の後ろにいるニーナの方も見てから、わおん、と吠えて、シュゾンはそのまま遠ざかっていき、そして遠くの森の中へと消えていったのだった。

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