第236話 オロトスの死相
「――で、どこに行くつもりだ? 王都に戻るのか?」
クロードが尋ねてきたので、ルルが答える。
「まだ決めてはいないんだが、大体、王都に行くか西に行くかってところだな。王都にはちょっと用事を残してるし、西は……魔導帝国に行きたいというのもある」
「用事ってなんだよ?」
気になったのか、クロードが首を傾げる。
特に隠すことでもないので、ルルは正直に答える。
「闘技大会の賞品をまだ受け取ってないからな。禁書庫にある書物の閲覧をさせてもらう予定なんだよ」
その言葉に、クロードは驚きを示すように目を見開く。
「禁書庫って王族のか?」
「そうそう」
軽く頷いて同意を示したルルだったが、クロードは真剣な声で、
「あそこは兄貴がいくら頼んでも解放してくれなかったらしいのに……まぁ、闘技大会の賞品としては妥当なのか?」
と言う。
モイツがその言葉にゆっくりと首を振って、
「いえ、王族の禁書庫、というのはレナード王国のみならず、他の国々にもありますが、通常は何があっても外部に閲覧許可など出ませんよ。なにせ、禁書庫にある書物には王族ひいてはその国家にとって誠に都合の悪い事柄が記載してある場合も少なくないらしいですからね。たとえ闘技大会の商品として“願いを叶える”としているレナード王国でも、許可が出ること自体、異例のことと言っていいでしょう。それだけ、ルル殿が信用されているか……それとも、他に何かあるのでしょうかね?」
意味深にそう言った。
他に何か、とは禁書庫の書物の内容が漏れないようになんらかの措置が施されているかもしれない、ということを匂わせているのだろう。
つまりは、俺がグランやユーミスにかけたような契約魔術の存在を疑っているのだ。
そしてその可能性は低くはない。
禁書庫に入れば自動的にかかるのかもしれないし、入るにあたって事前にかけることを求められるのかもしれない。
まぁ、それは分からないが、別に誰かに言いふらしたいわけではなく、ただ過去の歴史についての事実を知りたいというだけなので仮にそうだったとしても問題はないだろう。
「どっちなのかはわからないけど、たぶん後者なんじゃないか? 俺の父親は国でもそれなりの立場にいるけど、だからと言って俺まで信用する理由としては薄いだろうしな。それか、大した書物はないってことかもしれないし」
言いながら、そうだったとしたらやだなぁと、ルルは思った。
そしてそれが最も可能性が高そうだとも。
いつの時代も、人族の歴史というのは勝者によって改変されるもので、禁書庫にある書物もそう言った歴史に基づいて書かれている可能性は低くない。
「そうだとしたら禁書にする意味も薄い気がしますが……」
モイツの言葉に、俺は言う。
「単純に、本の価値が高いとかそういう理由かもしれない。ま、入ってみないと分からないから、推測はここまでにしておくよ」
「そうですか……もし禁書庫の書物の内容を見たら、出来たらでいいので内容を教えていただけませんか?」
この言葉は個人的興味からのものなのか、冒険者組合の重鎮としてのものなのかはわからないが、どちらにしろ聞きたいだろう。
俺としては問題がないが、国から止められればそういうわけにもいかない。
だから、答えもそういうものになる。
「出来たらな。口止めされたら俺は話せないぞ」
「ええ、それならそれでいいのです」
モイツもそれは分かっていたのか、あっさりと引き下がった。
それから、ルルが、
「クロードはいいのか?」
と尋ねると、クロードは、
「国の秘密を知りすぎると俺の立場だと問題になりそうだからな。そこは聞かないでおくことにする」
と言う。
そういう判断もありうるだろう。
あえて国内貴族には語らない秘密があるかもしれないのだ。
それを知って、かえって動きにくくなったりすることを懸念しているのだろう。
それからクロードは話をすぐに変えてつづけた。
「……で、魔導帝国に行きたいってのはなんでだ? やっぱりソフィのこととか気になってるからか?」
「それもある。が、ちょっと知り合いがそこにいるかもしれないって情報を得て、な。会いに行きたいと思ってるんだ」
バルバラが教えてくれた話だ。
熱病密林にあるらしい、古代魔族の施設の中である。
行けば高い確率でかつてのルルの側近であったヴァンがいるのだ。
行ってみる価値はある。
しかし問題はないでもない。
「知り合いが魔導帝国に……? また随分と引き裂かれたもんだな。分かってると思うが、レナード王国と魔導帝国は仲悪いぞ。レナード王国の身分証じゃ魔導帝国にはそう簡単には入れねぇぞ」
ルルの言葉に、クロードが眉を寄せてそうつぶやいた。
ソフィの行動からして、レナード王国に打撃を与えたいと考えていることが明らかな国なのだ。
政治的にどういう態度をとっているかどうかはともかくとして、事実としてレナード王国と魔導帝国は仲が悪いと言って間違いないだろう。
そして、クロードの言葉はそんな仲の悪い国同士に知り合いがいる、というのも珍しい話だ、ということだ。
王国から帝国に行くのが難しければ、その反対もまた、難しいのである。
それなのに……、というところだろう。
しかし、ルルたちとヴァンはそもそもレナードとクリサンセがこの世に存在する前から分かたれていたのであり、仲の悪い国同士に引き裂かれたという感じではない。
もちろん、そんな話は説明しようがないので、分かたれた理由については適当に流し、帝国に入る手段の方に話を進める。
「そこが困ってるところでな。どうにかして、合法的に入れないものかと……何かないかな?」
ルルは、クロードとモイツにそう尋ねた。
二人はそれなりに権力があるし、知人も多い。
したがって、そういう方法に関しては何かしら心当たりがあるのではないか、と思っての質問だった。
これにクロードは、
「非合法な方法ならいくつか浮かばないでもないが……あくまで合法的に入りたいんだろ?」
「より厳密にいうなら、客観的に見て合法的に見えればそれでいい感じだな。よくよく調べてみても、非合法だと分からなければそれでいいんだ……」
この言葉に、クロードは考え込んだが、モイツがさらりと言う。
「それならば、大きな声では言えませんが、身分証の偽造などはいかがですか?」
軽く言ったものだが、普通に考えて犯罪的な行為である。
そう簡単に出来るものでもないはずだが、モイツはつづけた。
「ご存知の通り、私はレナード王国冒険者組合の北方組合長ですから、やろうと思えば不可能な話ではありません。冒険者の素性を隠してなんらかの依頼を片づけてもらうこともないではないので……そういう場合には、偽造した冒険者証を交付することがあります。それならば魔導帝国にも入れるかと……」
かなりとんでもない話であるが、確かにそれならば客観的には合法的に見え、かつ、調べても冒険者組合自体が交付している冒険者証なのだから偽物だとは分かりようがない。
ルルの注文にすべて答えていると言えた。
しかし問題は……。
「そんなことしていいのか?」
ルルが尋ねた通りのことで、たとえ冒険者組合の重鎮とはいえ、そこまでやってもいいのか、というのがある。
しかしモイツは首を振って、
「ゾエ様にはかなり沢山の恩がありますから、それくらいのことは……。それに、これは信頼できる冒険者に対してしか行ったことがないことです」
「どういう意味だ?」
「……そう簡単に本来の身分がばれない、もしくはばれても身柄を確保されないような実力を持った者に対してしかやらないということです。その点、ルル殿たちは……後者の意味で問題がないだろうと思われますので」
前者の意味では問題がある、と言いたげなセリフだったが、その感覚は間違いではないだろう、とゾエは考える。
ルルは微妙にあてこすりのような言い方に気づかなかった。
自分は常識が結構ある、と思っているからだ。
しかしそれが気のせいであることを、ゾエはよくわかっている、という話だった。
「そういうことなら……頼めるかな?」
とルルが言うと、モイツは頷いて、
「ええ、問題ありません。ただ、色々と手続きがありますので、一度、レナード王国冒険者組合本部に来ていただけますか? 地底都市テラム・ナディアにあるのですが……」
冒険者組合本部がそこにある、ということはルルも冒険者の端くれとして一応知っていた。
しかし一度も行ったことがない。
イリスもである。
しかし、ゾエはどうなのか、と思ってルルは尋ねる。
「ゾエは行ったことあるか?」
ゾエはこの質問に首を振る。
「ないわ。昔からあったのは知っているけど、行く用事もなかったし……」
この言葉に、モイツが無念そうに、
「何度か来てもらえるように頼んだこともあったのですが、すべて断られてしまいました」
と言った。
しかしすぐ後に、
「今度は来て頂けるようなので、これは悲願が達成できそうですね」
と笑う。
丁度よく、というわけではないだろうが、地底都市テラム・ナディアはフィナルから見て西にある。
魔導帝国に向かう道の途上にあるわけで、時間が無駄になることもなさそうだ。
もっとも、ルルたちは何も急いで旅をしているわけでもなんでもないので、たとえ時間が無駄になろうとまったく構わないのだが。
「となると……次の行先は西ってことになるか? 王都に行ってからでもいいが……そうすると二度手間だしな」
ルルがイリスとゾエ、それにニーナに言うと三人そろって頷いた。
そもそも、ルルの意向に逆らうことはまずない二人と、基本的に何も考えていないニーナである。
大きな問題がない以上、反対の声が上がるはずもなかった。
「――というわけで、行先は西に決まった。俺たちは先にテラム・ナディアに行って待ってればいいかな?」
モイツにはこの街でもおそらくまだ仕事があるだろうと思ってのことだった。
報告書の取りまとめや、冒険者組合内でのオロトスのあまりにも膨大な仕事の手伝いなど、モイツの手が不必要とされているはずはないだろうからだ。
しかしモイツは、
「いえ、明日……明後日でしょうか? 皆さんが出発される日に合わせて、私たちも出発いたしますよ」
その台詞に驚いたのは、ルルたちではなくモイツの補佐をしているイヴァンであった。
「え!? で、でもまだまだ大量に報告書や調査のとりまとめなどが……オロトス殿の仕事の手伝いも……!!」
やはり、色々と仕事はあるらしく、まだまだ終わる気配はないようである。
ただ、モイツはイヴァンの肩に手を置いて、それからぐるんぐるんとした妙な目で真剣にイヴァンと目を合わせつつ、
「……イヴァン。物事には時と場合、というものがあるのです。それは果たして重要な仕事でしょうか?」
「えっ? い、いえ……あの、お、おそらく非常に重要……」
「……イヴァン。報告書には、ソフィの発言や行動、それに魔導帝国の動向などについての解析などはすでに記載していますね。残るのは……細々とした仕事ばかりのはずです」
「え、ええ、まぁ、そうですが、オロトス殿一人では決済の手間などを考えますと……死んでしまうのでは……」
それだけ、今のフィナルの冒険者組合の組合長には仕事がたまっているということだろう。
だからこそ、モイツは手伝っていた。
けれどモイツはゆっくりと、重々しく首を振り、
「今回のことで、フィナルの重要性は増します。そして、そのフィナルにおいて組合長を務めるオロトス殿は、これから激務の中に放り込まれていくのです……ですから、今のうちに慣れておくのも大事だと思うのですよ……そう、私のように……」
遠い目をしたモイツである。
確かに、イヴァンの目から見て、モイツの仕事量というのは常に常人のこなせる量をはるかに超えていて、この街フィナルで起こったことを考えれば、その間にフィナルで組合長をしていたオロトスの冒険者組合内での重要性や発言力も増すだろう。
したがって、オロトスはおそらく出世街道に乗ったと思われるが、出世する、というのは地位が上がる以上に、仕事量が数倍に増えることも意味するのが冒険者組合であった。
そのため、モイツのいうことにも、一理ある。
一理あるのだが、モイツはその理由にかこつけて何か、自分の目的を達成しようとしているような不穏な気配が……。
「とにかく! 私たちがここでしなければならないことは、終わりました。私は本来休暇中ですし、あとはオロトス殿にお任せしても大丈夫でしょう。ですので、私たちはルル殿たちと一緒に、テラム・ナディアへ出発するのです。よろしいですね?」
「は、はい……」
反論をさせぬ、と言いたげな迫力を感じ、イヴァンは仕方なくうなずいた。
何かいろいろ丸め込まれた気もするが、モイツがこんな風に我儘になっているのをイヴァンは初めて見た。
なので、たまにはいいか、という気持ちもないではなかったのだ。
オロトスには非常に申し訳ないが、しかし、確かに重要な仕事はほとんど終わっており、あとは純粋な事務処理的な仕事が大半である。
オロトスが死ぬ気でやれば何とかならないでもないし、本来なら彼一人でやっていたはずの仕事だ。
地獄を見てもらおう、と、冒険者組合の方に手を合わせたイヴァンだった。
◆◇◆◇■
「……くしゅんッ!!」
冒険者組合内の組合長執務室に大きなくしゃみの音が響く。
その主はオロトスであった。
彼の補佐をしていた組合職員が彼に話しかける。
「お風邪でも……?」
「いや……? 何か急に悪寒がしてな。何か、嫌な予感が……」
不安そうな表情でそう答えたオロトスだが、すぐに執務机に積み上げられた書類の片付けにとりかかった。
書類を片づけながら、オロトスは言う。
「それにしてもこんな時期に、モイツ殿がいらっしゃって本当に良かった。そうでなければ私の書類仕事はこれに倍する量をこなさなければ終わらなかったはずだからな……いやぁ、たすかった、たすかった……」
「本当に、ですね。流石のオロトス様でも、この倍の量の書類仕事は死んでしまいますよね」
「まったくだ。悪い冗談のような話だな。ははは」
「あはは」
二人で笑いながら書類を片づけているのは、あまりにも量が多すぎて精神が壊れてきているからだが、彼らが自分が口にした絶望的な話が事実になるのは、この次の日のことである。