第235話 冷えた視線
「きゅっ!」
ニーナがそう鳴いたのは、ルルたち一行が目的地である館にたどり着いたからだ。
一行の目の前にある建造物は人の居住用としてはフィナルでもおそらくもっとも巨大なもので、必然、そこに住むものが誰かははっきりとしていた。
館の前にある門の横には立派な鎧を纏い、槍を構えた門番が二人立っていて、ルルたちを見つめている。
遠目では不審そうにルルたちを観察するような目で見ていた彼らであったが、ルルたちが近づいてきて、その顔ぶれがはっきりすると笑顔を向けて話しかけてきた。
「……あなた方は……! ルル殿にイリス殿、それにゾエ殿に……ニーナ殿!」
ニーナにまで殿付けなのはなんだか微妙な違和感を感じるが、その本性を考えればまったくおかしくはない。
古代竜相手に対等に振る舞おうとする者は少数派だろうからだ。
けれど、ニーナの本性など、彼ら門番が知るはずがなく、したがって、ただの小竜に対してその感じとなると、途端におかしな話となる。
小竜というのは、基本的にはただの愛玩動物として扱われ、犬猫と扱いが大きく変わるものではない。
したがって、他人が小竜を連れていても、それを殿付けで呼んだりはしない。
よくて、“ちゃん”付け“くん”付け程度がふつうである。
そんな理由に基づき、ルルが門番たちのニーナの扱いに首を傾げているのを察してか、イリスがその理由について門番に尋ねる。
「……ニーナちゃんをどうして“殿”付けでお呼びになるのですか?」
その質問に、門番たちは、顔を見合わせて苦笑しながら答える。
「あぁ……それはですね、我々もあの戦いのとき、門番は若い者に任せて、前線におりましたから……。地獄犬にまたがって戦場を駆け抜けるニーナ殿を見ました。可愛らしいものでしたけど、あの地獄犬のシュゾン殿がものすごかったですから。それで、そこらの魔物が紙のように屠られていく様子が、一瞬、巨大な竜に跨って空を駆け抜ける伝説の竜騎士のようにも見えたりもしまして……あんな地獄犬の頭に乗せてもらえるなんて、ただ者……ただ竜(?)ではないのではないか、と。戦いが終わった後も、ずいぶんと癒されましたし、それだけでも敬意を表するに余りあることですので」
言われて、思い出したルルが尋ねる。
「そういえば、少しの間、魔物の残党の警戒のためにシュゾンと一緒に北門のところにいたんだったか?」
「ええ。そのときに、ニーナ殿について、ちゃん付けで呼んだりした騎士たちもいたのですが、シュゾン殿がひどく睨むので……いろいろ試した結果、殿付けに落ち着きました……」
何のことはない。
シュゾンの圧力だったらしい。
しかしニーナは気づいているのかいないのか、殿付けで呼ばれるたびに胸を張ってふんぞり返っている。
ドヤ顔である。
まぁ、本人たちがそれでいいというならいいか、と首を振って、ルルは話を進めることにした。
「――ところで、今日、俺たちはクロードに挨拶に来たんだが、取次を頼めないかな?」
と要件の方を告げる。
目の前の巨大な館、これはフィナルの領主であるクロードの館だったわけだ。
門番は頷き、
「ええ、もちろん構いません。クロード様からも、貴方方がいらっしゃった折にはお通しするようにと申し付けられていますので……ただ、現在来客中ですので、少々お待ちいただけますか? 確認して参りますので」
「来客中? なんだ、そういうことならまた後で来るぞ。別に無理に時間を作ってもらう必要はない。先に来ていた客を追い出すようなことになっても申し訳ないしな」
ルルは気を遣ってそう言った。
実際、何が何でも今日中に挨拶しないといけないというわけではない。
ルルたちは言っては何だが、基本的に暇人である。
出発が多少前後しても何も問題ないのだった。
しかし門番は、
「いえ、ルル殿たちをここまで来させてただ帰らせたのでは私たちが叱られてしまいますので……本当に今すぐに確認して参りますので、私たちを助けると思ってほんの少しだけ、お待ちいただけないでしょうか?」
そこまで言われて首は振れないルルたちである。
「……わかったよ。ただ、別に急がなくてもいいし、客を無理に追い払ったりはしなくていいと伝えてくれ。そのときはまた日を改めて、必ず訪ねるからともな」
「承知いたしました。では、確認に行ってまいりますので、失礼します……」
そう言って門番の一人が駆けて行った。
彼は言ったとおり、ものすごい速度で館に入っていき、そして本当に確認してきたのだろうかと不安になるくらいの短い時間で戻ってきた。
そして、
「どうぞ、中へお入りください」
と言ってきたので、
「……先客の話はどうなった?」
「問題ない、とのことでした」
「……んん?」
ルルはイリスとゾエと目を合わせて首を傾げたが、クロードが問題ないというのなら別にいいのだろう。
頷いて館の中に入っていく。
中に入ると家令が案内をしてくれ、しばらく歩いて、以前も通してもらった応接室にたどり着く。
「では、どうぞごゆっくり……」
そう言って家令が扉を開いたので、ルルたちは頷いて中に入った。
そして、中にいる人物を見て、なるほど、確かにこれなら問題ない、と得心する。
「来客とは貴方でしたか。モイツ様」
ルルには珍しく、敬語である。
それに眉を顰めたのは、鯨系海人族のモイツであった。
隣には彼の部下であり付き人のような立場であるイヴァンがいるが、彼の方はルルの口調に特に問題を感じていないようだ。
しかしモイツは言う。
「ルル殿。敬語はやめてくださいと申し上げたではないですか。それに、戦闘中などはもっと砕けた口調で話されていたでしょう」
「緊急事態でしたから許されるかと思い、あのような話し方をしていました。今は……周りに人がおりますし、モイツ様と私はいわば上司と部下の関係なのですから、このような話し方が適切かと……」
実際、モイツとルルの関係を一言で表すとしたら、冒険者組合の上司と部下という以外の何物でもない。
しかも、モイツの立場はルルから見ればはるか雲の上の人であると言って間違いない。
本来なら、タメ口なんて許されるような関係ではなかった。
周囲に人が全くいないならともかく、ここにはフロワサール家の使用人もいるし、モイツの立場も悪くなってはと思ってのむしろ気遣いだったが、モイツは首を振った。
「そんな……私がいいと言っているのですから、やめてください。私の立場などを気にされてそのような話し方をされているのなら、余計に。言いたいものには言わせておけないのですよ。そもそも、そんな流言飛語の類が飛び交ったからと言って、どうにかなるような立場でもないのです」
これは、モイツの自信の表れでもあり、また、地位や権力にしがみついているわけではないという意味の台詞でもあった。
「本当ですか?」
とルルが尋ねると、モイツは微笑むだけで答えなかったが、イヴァンが横で頷いているあたり、まったくその通りなのだろう。
「そういうことなら、普通に話させてもらおうかな……」
「おぉ、ありがとうございます。その方が落ち着きますな」
とモイツは微笑み、一連のやり取りを聞いていたクロードが、
「しかし、そう言われても本当に四方組合長にタメ口利ける奴なんてなかなかいねぇぜ。相当な変わり者だよな、ルルは。おっと、そうそう、よく来たな、わが家へ」
と付け足しのように歓迎の台詞を言う。
「領主にタメ口を利いてるんだ。今さらだろうさ」
「はは、違えねぇ」
クロードとはもうすでに言葉遣いについては合意が出来ている。
とは言っても、やはりあまり人前ではというのはあるが、今は問題ないだろう。
ここは、彼の館の中なのだから。
「それで? 今日はまたどうして来た? 茶でも飲みに来たか?」
言葉通り、気軽に来てもらってまったく構わない、と言いたげな言葉である。
実際、ルルが本当にお茶を飲みに来たと言って尋ねてきても、歓迎してくれそうなところがクロードにはある。
しかし、本当にそんな目的で来たわけがなく、またそのことはクロードも理解しているようだった。
ルルは首を振りながら答える。
「そんなわけないだろう……そうじゃなくて、そろそろフィナルを出発しようと思ってな。その挨拶に来たんだよ」
この台詞に、そのうちそうなることを予想していなかったわけでもないだろうに、クロードは大げさに驚いた表情をしながら、
「なんだとぉ! おい、もう行く気なのか!? 今すぐか!?」
と胸ぐらを掴んで尋ねてきた。
その血相に少し怯んだルルは、ゆっくりと首を横に振りながら、
「いやいやいや……今すぐの話じゃないって。明日か明後日か……まぁ、そのあたりを考えてるんだが……正確には決めてないな。用事があらかた終わり次第ってところだ。クロードへの挨拶もその用事のうちの一つで……モイツのところにも後で行くつもりだったんだが、手間が省けた感じだな」
今すぐじゃなく、明日か明後日か、とルルが口にした辺りでクロードはルルの胸ぐらからほっとしたように手を離した。
そしてルルの台詞を最後まで聞き、
「そうか……てっきり俺に挨拶もしないで行く可能性もあったのかと思って、少し腹が立っちまった。しかし……それでも明日明後日の話か。なんだ……寂しくなるな」
と冗談でなく言うので、意外なものを感じた。
「そんなに惜しんでくれるとは意外だな? 仲が悪かったつもりはないが……そんなに仲良くなれた気もしないんだが?」
いろいろあったが、個人的な仲がかなり良くなった、というほどでもないというのがルルの認識であり、そしてそれは事実だろう。
しかしクロードは首を振って、
「いやぁ、お前からすればそうかもしれねぇが、ここまで気兼ねしないで話せる年の近い奴っていうのは実は初めてに等しくてな。本気で惜しいんだ。俺も領主じゃなかったら、お前についていきたいところだが……」
「おいおい……」
その目に本気の色を感じ取ってルルは少し後ずさる。
しかしその光はすぐにふっと消えて、
「ま、現実的には無理だからな。いいさ。それよりまぁ、何かあったら手紙でも寄越せよ。力になれることがあれば協力するぜ」
領主の手助けを受けられる、というのは相当な力になる。
ルル自身、貴族の出身なわけだが、貴族の権力というのは当然ながらかなり大きいからだ。
それに、フィナルには数多くの貴重な素材が眠っている。
そのうちのどれだけをフィナルの人間が把握しているかはわからないが、クロードは特級冒険者であるシュイの弟だ。
それなりにレクチャーを受けているものと思われ、貴重な素材については世にその存在が知られていなくても把握しているものと思われた。
ルルは物作りの人でもあるので、そう言った、その地域でしか手に入らない素材の入手に伝手が出来るだけでもありがたい話である。
国王陛下ですらもある程度は融通を利かせてくれる可能性もあるのだ。
それを考えれば、そこだけでは大した旨みがあるというわけでもないが、フィナルの領主であるクロード、となるとかなりよいつながりになるのはそういう意味だった。
もちろん、そんな打算的な部分だけでなく、単純に知り合いが増えるというのはそれだけでうれしいものだ。
かつて、人族の知り合いなど作りようもなかった立場からすれば、人族の友人などが徐々にできていくのは非常にうれしい。
だから、ルルは頷いて答えた。
「そう言ってくれるとありがたいな……反対に、俺が力になれることがあったときにも言ってくれ」
「お、本当か? そう言われると頼りたいことだらけなんだが……」
とクロードが身を乗り出して俺に近づくと、イリスが後ろから、落ち着いた声で、
「……お義兄さまはお忙しい方ですので、控えめにお願いいたします」
と言う声が聞こえた。
ルルの耳には、その声はいつも通りのものに聞こえたが、クロードは少し仰け反って、それからまたルルに近づき、その耳元でひそひそと言う。
「お前の妹君は……なんだ、超怖くないか?」
「……? そうか? 気立てもいいし優しいぞ。かなり戦えるし、料理もうまい。何の問題もないと思うが……」
かなりすんなりと出て来たイリスを評する言葉だが、クロードは、微妙な表情で別の方向を向き、それから頷いて、
「……ま、まぁ……お前がそう思うなら、いいか……」
と言ってから、
「あ、頼み事は、最後の手段にしておくな。今回みたいなことが起きた時とか……お前の力でなくても解決できることは、俺たちが自分の力でやらなきゃならないよな……」
とルルに、というよりは自分に言い聞かせるように呟いたのだった。
その際、チラチラとルルの後ろの方をうかがっているので、どうしたのか、と思いつつルルが振り返れば、そこにはにこやかな表情のイリスの顔があった。
何か、問題がありそうには思えない。
奇妙に思いつつも、ルルは話を進める。
その後ろで、ゾエがぽつりと、
「……ちょっと脅し過ぎだわ、イリス……」
と言い、イリスがそれに対して、
「脅したつもりはありません。ちょっと視線が厳しくなってしまっただけですわ……それにしても、お義兄さまに褒められてしまいました……あぁ……!!」
と恍惚の表情を浮かべだしたので、ゾエはため息をつきながら首を振ったのだった。