第234話 贈り物とお願いと
「これは……鱗か?」
手渡されたものをしげしげと観察しながら、ルルはそう言った。
バルバラはそれに対して頷きながら答える。
「ええ、私の鱗です。それを友人に手渡せば、たちどころにルルたちが私と親しくしていることを理解してくれることでしょう」
てらてらとした黒色に輝いているその鱗は、固く、丈夫そうであった。
大きさ的に掌よりは少し大きいかな、というくらいなので素材としての使いどころは難しそうだが、削ればナイフにくらいは出来そうな大きさである。
そう言った素材的価値を考えてか、ゾエがふと、
「古代竜の鱗……売ったらいくらくらいになるのかしら」
と口にした。
しかしこれはバルバラ的には問題発言だったようである。
「う、売らないでください。値段は……分かりませんけど、それがないときっと友人は会ってくれませんよ!」
即座にバルバラはそう叫んで悲しそうな顔をした。
ただ、ゾエも本気だったわけではないらしい。
ひらひらと手を振って、
「冗談よ、冗談。別にお金には困っていないから、売ったりはしないわ……でも、もしなくしてしまったら、貴女のお友達とは他に会う方法がないのかしら?」
ゾエもだが、ルルたちは三人とも今回のことで依頼料に加え、結構な額の報奨金をもらっている。
したがって、金銭的に困窮している、ということは全くなく、貴重な素材を売り払う必要もない。
バルバラは、ゾエの質問に少し考えて、
「その場合は、真正面から向かうしかないでしょうね……。一応、正面玄関的な道がないではないのですよ。ただ、湖底都市は広いですから、友人のところにたどり着くまでにはかなり時間がかかると思いますよ。当たり前ですが、魔物も出ますし、当然侵入者には襲い掛かってきますので。さほど強くはないのですが、見た目とか動きとかがかわいくないのですよね……」
と言った。
「魔物の動きがかわいくないのは当然のことなのでは……」
とイリスが突っ込むも、バルバラは、
「いいえ、小竜なんかはかわいいじゃないですか。それに、水妖などもふるふるしてなんだかずっと見てると癒される感じがしますし……瓶に閉じ込めるとなんだかよいインテリアになりますよ」
と反論する。
まさか小竜を瓶に閉じ込めてはただのはく製か保存液漬けになってしまうから、瓶に入れるのは水妖の方なのだろうが、しかしそんな楽しみをしているとは思わなかったイリスである。
眉を顰め、
「……想像が、出来ませんわ……」
と、ぽつりとつぶやいた。
そんなイリスの反応を見てバルバラはなぜか残念そうに、
「本当によいものなんですよ……あっ」
と何か思いついたような顔をして、それから言った。
「イリスにはお世話になりましたし、おいしい魔力も提供してもらいましたから、餞別にスライムの瓶詰をお贈りしましょう! 皆さん、いつ頃、フィナルを発たれる予定ですか?」
と聞かれたので、ルルが、
「そうだな、明後日くらいになるかな……」
と言った。
するとバルバラが頷いて、
「でしたら、それまでに宿の方に届けさせますから、楽しみにしておいてくださいね!」
と無駄にやる気に満ちている様子である。
「まさか……これから、そのスライムの瓶詰とやらを作るつもりですか……?」
とイリスが困ったような表情で尋ねれば、バルバラは不思議そうな顔で、
「当然じゃないですか。水妖は何でも食べますけど、魔力を与えておけばいつまでも生き続けるある意味、不死の魔物ですから、持ち運びも便利ですし!」
と明後日の方向の返答をする。
イリスはそれを聞き、ルルとゾエを見て「どう扱ったら」という顔をしたが、二人そろって「あきらめていただいておきなさい」という顔をしたのでがっくりと肩を落としたのだった。
それから、バルバラは、
「そうそう、ニーナのことですが……」
「ああ。ここに残ってもいいんだが、どうする?」
とルルがニーナに尋ねれば、
「きゅー! きゅっ!」
と怒ったようなそぶりで頬を膨らませ、ひしっ、とルルにしがみついた。
「……まぁ、言葉にせずともどうしたいのかは分かりますね。連れてっていただけますか?」
とバルバラが言ったので、ルルは、
「いいのか? せっかく姉妹で出会えたのに。ログスエラ山脈の守護だってあるだろうに」
本来、ここはニーナの管轄であるはずで、それを代わりにバルバラがやっているだけだ。
本来の主がいた方がいいだろうと思っての台詞だったが、バルバラは言う。
「もともと、ここと湖底都市とで離ればなれで暮らしていましたからね。多少離れるくらいはそれほど寂しくはないんですよ。何年かに一度、会えればいいかなというくらいのものなので……」
さすがに千年を生きると言われる長命な魔物だけあって、時間の感覚がひどく長いらしい。
バルバラはさらに続ける。
「ログスエラ山脈の守護も、今のニーナの状態では難しいでしょうし、ニーナが元の状態に戻るまでは私がここで主をやっているのが一番でしょう。もともとの私の縄張りであった湖底都市周辺が気にならないではないですが、あのあたりはもともと、私が、というより、私の友人が全体を治めていた土地ですから、私がいてもいなくてもさしたる問題はないのです。ですから、気にされなくても大丈夫ですよ」
「ま、そういうことなら……じゃあ、一緒に行くか。せっかくここまで一緒に旅してきたんだし、ここでお別れっていうのも寂しいしな……」
「きゅっ!」
もちろん、と言った様子で手を上げて喜ぶニーナに、ルルだけでなく、イリスとゾエ、それにバルバラとシュゾンの目も微笑む。
それから、ルルが思い出したように、
「あぁ、そうだ。ニーナで思い出したんだが……」
「なんでしょうか?」
「人化の魔術を教えてもらうわけにはいかないか?」
そう言ったルルにバルバラは首を傾げる。
ただ、それはルルに教えたくないというわけではないようだ。
「……ルルは、魔物なのですか?」
人族にしか見えないルルに、そんなものが必要だとは思えないからこその質問だった。
「どう見ても……人族だろう……だよな?」
とイリスとゾエを振り返って尋ねたのは、古代魔族だった過去についてうまく隠せているのかどうか、急に不安になったからだ。
少しずれてる自覚はあるルルである。
だからこその不安だった。
ただ、見た目だけの話を言うなら、ルルはどう見ても人族である。
心も体も紛うことなき古代魔族であるイリスとゾエも、現代においては人族にしか見えないくらいなのだ。
正真正銘、人族の体を持つルルが、他の種族に見えるということがあるはずがない。
「どう見ても人族ですわ。お義兄さま」
イリスが断言したのでほっとしたルルである。
「よかった……」
胸をなでおろすルルに、バルバラはさらに首を傾げて、
「魔物でもないのに、あんな魔術がどうして必要なのですか?」
と尋ねてきたので、ルルが答えた。
「ニーナが人の姿になりたいときもあるんじゃないかと思ってな。普段はこれでもいいだろうが、人の手を使わないと食べられないものとかもあるだろう。菓子の味を知ってしまったニーナには辛いこともあるんじゃないかと思ってな」
飴程度ならいいだろうが、陶器の器に入っているような、フォークやスプーンを多用して食べるような菓子は流石に食べにくいだろうと思ってのことだった。
これにはニーナと同じく食いしん坊なバルバラも頷いて、
「なるほど、それは一大事ですね! おいしいお菓子が食べられないなんて、地獄のようです……」
と頬を押さえて絶望を表している。
バルバラがフィナルに行くようになったのは最近だが、もはや最近はお忍びでかなり何度も出かけては、フィナルの菓子店を巡ったりしているらしく、趣味と化しているとのことだった。
シュゾンもそれに付き合わされているらしいのだが、彼女も別に嫌いなわけではないらしく、割といい楽しみになっているということだった。
「あぁ、それとできれば人族にも教えたいんだが……いいか? ダメならダメであきらめるんだが……」
これにはバルバラも首を傾げた。
「人族に人化の魔術を教える意味があるんですか? 人族になるための術ですのに」
「俺みたいな全くの人族には何の意味もないだろうがな。海人族みたいな種族には重宝しそうなんだ。ほら、鯨系海人族のモイツがいるだろう?」
名前を言われて、何度かやりとりをしているからか、しっかりと覚えていたらしいバルバラは頷き。
「あぁ、あの白く大きな人ですか。覚えていますよ……あの人がどうかしましたか?」
「人族と比べて巨体だろう? だが、人化の魔術をうまく使えば、一般的な人族くらいにまで体を小さくできるんじゃないかと思ってな……」
その説明にバルバラは、
「なるほど。確かに小回りが利くようになって便利かもしれませんね。私も古代竜姿ですと、解放感があって楽ではあるんですが、森に入れば木々を押し倒してしまったりと、色々困ったりすることがありますから……気持ちは分かります。フィナルの街を見れば分かりますが、あのモイツさんのように大きな人のために配慮されている部分も多々見受けられましたが、酒場などを見ると、そう言った席はやはり、通常のサイズのものよりも数が少なかったりしますもんね」
「そういうことだ。それと、単純に、モイツなんかは有名人だからな。人化してしまえば、それこそお忍びで色々なところに行けるかもしれない、と言う期待もあるみたいだった」
「ははぁ。その気持ちも分かりますね。体を見るだけで恐れられないというのも、また、楽でしょうから……」
バルバラは古代竜である。
その巨体を見るだけで通常の人間はおびえ、逃げ惑うだろう。
しかし、人化したバルバラを見て、怯える人間はまず、皆無だ。
むしろ見とれるくらいの美人である。
だからこそ、モイツの期待するものを正確に理解できたのだろう。
そして、すべてに納得したらしいバルバラは頷き、
「そういうことでしたら、教えても構いませんよ。ただ、非常に複雑な魔術ですし、使う魔力の量も多めです。ルルなら問題ないでしょうが、一般的な人間にとってはかなり厳しい部分があるかもしれません」
「そこのところは問題だと思ってる。だが、魔術だからな。改良の余地があるだろう。俺が魔法具として形にしてもいいし……」
ルルは古代においても、魔術を扱う者としては最高峰の魔導師であった。
当然のことながら、魔術の発明や改良は得意中の得意であり、人化の魔術も魔術である以上は、その構成さえ知れば出来るのではないかと思っている。
そもそも、なぜ人化に大量の魔力が必要なのかと言えば、おそらくは、魔物から人族への変化というのは、その変化の幅があまりにも大きすぎるからだろうと予測していた。
魔物から人族になるよりも、たとえば海人族から人族になる方が簡単であり、魔力消費もそれに比例して減少するのではないか、と。
もしくは、人化の魔術自体、使い手が少なすぎて、他の魔術と比べて効率化がされていない可能性も考えられた。
そう言った、様々な観点で見れば、どこかに魔力消費の効率化の糸口は見つかるはずだ。
仮に、人化の魔術自体の難易度が高すぎる、ということであれば、魔術の構成だけ代理する魔法具をルルが作ってもいい。
出来るかどうかはやってみないと分からないが、挑戦してみる価値はあるし、いい暇つぶしにもなるだろうとも思っていた。
そういう諸々をバルバラに説明すると、彼女は頷き、
「確かに、どれも可能性がありそうな話です。私たちは面倒くさくてそういうことはやっていませんでしたが……ルルがやってくださるというのなら、構いません。出来れば結果など後で教えていただければ嬉しいです」
「それはもちろん。あんまり魔力消費が激しくなくなったら、ニーナも自分で出来るようになるかもしれないし、そうなったらニーナに尋ねればいいさ。また、そのうちここに来る機会もあるだろうしな」
「では、楽しみにしています。湖底都市の友人にも、よろしくお願いしますね」
そう言って、バルバラは笑ったのだった。