第233話 挨拶まわり
「何だか感慨深い感じがするな」
ルルはカードをかざしながらそうつぶやいた。
その手には銀色の、中級冒険者用のカードが光り輝いていて、しっかりと「ルル=カディスノーラ」と印字されている。
その隣にはイリスもおり、同様の色をしたカードを見つめている。
「ずっと初級の方が気楽だったような気がするのですが……あのあと、オロトスさんに言われてしまいましたしね。『仮に実力については置いておくとしても、今回の功績を鑑みればもはや、初級にとどまらせておくのはどう考えても不可能だ』と。……そこまで大したことをしたつもりはないのですけれど」
そう言って首を傾げるイリスである。
そんな二人を呆れたような表情で見たゾエは、
「一つの街を壊滅させかねないだけの数の魔物のうち、半数を魔術一発で倒したり、敵の首魁や幹部クラスを一人でとっ捕まえてきておいて、大したことない、は通用しないわよ。かつての魔王軍だってそれくらいのことを一兵士がしたら勲章ものだし、階級だって一気にあげられるわ」
「そういうものなのですか? しかし父はいつもそれくらいのことをしていましたが、特に何か勲章をもらったりはしていなかったような……」
イリスが口元に指を当てながら、思い出すようにそう言った。
ルルも、
「前線に出れば機会さえあればそれくらいのことは出来るだろ? そこまでのことじゃあないと思うんだけどなぁ……」
とつづけた。
その答えを聞いて、あぁ、そうだった、とゾエは頭を抱える。
この二人は、そういう下々の者の苦労みたいなものとは縁遠い生活をかつて送っていたのだったな、と。
イリスの父であるバッカスは当時、言わずと知れた魔王軍の最高幹部の一人、魔王側近であり、その実力たるや戦場に出れば手柄を立てないことはないというくらいの戦士であったし、ルルは最強の魔族、魔王陛下であったのだ。
敵の首魁を倒すとか、重要な幹部を捕えるとか、そんなことは当たり前のようにできてしまう人たちで、あったのだった。
手柄を手柄とも思っていないというか、出来て当然だった人たちで、だからこそ、そういうところについての感覚はちょっと、いやかなり、ずれている、というわけだ。
しかし、ここのところはしっかりとわかっておいてもらわなければならないと、ゾエは説明する。
「あのねぇ、普通はそんなことできないわよ。機会があればっていうけど、一般兵なんてそんな重要な地点まで進めることなんてまれだし、仮にそれが出来たとしても敵の幹部って普通は強いものよ。知略を駆使するタイプもいるけど、その場合は周りに熟練の戦士がいっぱいいたりとかするんだから……。そんな戦場に出れば誰でも手柄なんて立てられるだろうみたいな感覚を持ってたのは魔王側近の方々と、陛下くらいのものよ」
この説明にルルは、
「言われてみると……そういうものか? あんまり前線には行けなかったからなぁ。ちょっとずれていたかもしれない」
と納得したように頷き、イリスは、
「お父様はまるでいつも遠足に行くような感じでうきうきと戦場に向かっておられましたから……大変そうな感覚がなかったのですよね。けれど……そうですわよね、普通、大変なもので……敵の首魁や、幹部を倒すのはそう簡単ではありませんわよね……」
と自分の内面に語り掛けるような雰囲気で独り言のようにそう言った。
思った以上にずれているらしい自分の感覚に気づいたらしい。
それから、
「しかし、そういうことならやはり、中級に上がるのは仕方のないことですわね。それだけの手柄を、立ててしまったようですから」
「あぁ……これからはもう少し自重していくことにしよう。あんまりぽんぽんランクが上がっても面白くないからなぁ……」
と二人で頷いていた。
ゾエはそんな二人の様子を見ながら、この人たちにはきっと、自重なんて無理なのだろうな、と思ったが口にしないだけの分別が彼女にはあった。
そして、自分の心の中に浮かんだそんな感想を流して、とりあえずこれからのことについて話すことにした。
「ま、それはともかくとして……これからあいさつ回りに行くのよね。まずは……どこに行く?」
冒険者組合を出て、とりあえず宿に向かって歩いていた三人である。
ここフィナルですべきことはもはやなくなったため、あとは旅の準備をして、フィナルで世話になった人々に挨拶しに行くくらいしかすることはない。
向かう場所はとりあえず西か王都、と決めてはいるが、どちらにするかはまだ確定ではない。
色々な人に挨拶して、それから気分で決めようかという感じだった。
「そうだな……まずは遠いところから先に済ませておくか」
「と、申しますと?」
イリスが首を傾げると、ルルは答えた。
「バルバラたちのところだよ……行先を考えるのに、まず話しておいた方がいいだろうしな」
◇◆◇◆◇
フィナルからログスエラ山脈の頂上までは、急げば大した距離ではないが、普通に向かえば一日がかりの距離である。
とは言え、体力的に何か問題があるような三人ではなかった。
別に急ぐ事情があるわけではないし、色々あってゆっくりと眺める暇もなかったログスエラ山脈やその周辺の森林の景色を見るのに十分な時間をかけて向かうことにしたのだった。
結果として、普通の人間がログスエラ山脈頂上に辿り着くまでに要するのと同じくらいの時間がかかったわけだが、それでもまったく疲労が見えないのはルルたち三人ならではであろう。
一抱えはありそうな貴重な植物などを採取しているのも、彼ららしい。
「あら、三人ともよくいらっしゃいました。なんだか久しぶりのような気がします」
バルバラはそう言ってルルたちを出迎えた。
そこにはシュゾンとニーナもいて、ニーナはぱたぱたと飛んできてルルの胸元に飛び込んだ。
「きゅー!」
結構な勢いだったが、ルルからしてみればなんということもない衝撃で、しっかりと受け止めて見せる。
「お前たちもいたのか。北門の指揮はもうしなくてよくなったんだな」
とルルが尋ねれば、シュゾンが答える。
「あぁ。オロトス殿やクロード殿を初めとするフィナルの幹部たちの手が空き始めたからな。私たちは本来の、この山脈と周辺の森林の守備の方に戻らせてもらった。所詮は魔物だからと、早いところこちらに戻った方がいいと思っていたんだが、意外なことに結構引き止められたな」
「引き止められたって、フィナルの人たちに?」
ゾエが尋ねる。
「北門を今も守備している騎士や冒険者たちに、だな。街の人たちもだが……そちらはどっちかというと、私よりもニーナを止めにかかっている感じだったな。北門の者たちの家族がたまに食事や物資なんかを届けにやってくるたびに、大人気だったからな……ニーナは」
と呆れたような顔で言うシュゾン。
言われたニーナは、
「きゅっ! きゅっ!」
と自慢げに胸を反らして鳴いている。
「そこまで受け入れられるとは、意外だな……ニーナはともかく、シュゾンはどうして引き止められたんだ? まさか、愛嬌か?」
と冗談交じりにルルが聞けば、シュゾンはむっと眉を寄せて、
「ニーナのように愛嬌がなくて悪かったな」
と言ってから、つづけた。
「……冗談はともかく、それなりに頼りになるから、ということらしかったな。何人か北門が戦場になっていた時に助けたのを覚えていた者もいて、そういう者たちが率先して止めにかかってな。困ったが、少し嬉しくもあった。時間が空いた時には元の姿で訓練などもしたりしたし……これからも悪くない関係が続けられそうな気はした」
と思いのほか柔らかな表情で語った。
バルバラがシュゾンのそんな言葉に頷いて、
「フィナルと、ログスエラ山脈とは今後、いい関係を続けていけそうな気がしています。ルル。あなたのお陰で、この辺りは人、魔物問わず、平和になりそうです。色々と本当にありがとうございました」
と頭を下げた。
突然のことに驚いて、ルルは、
「おい、ちょっと待て……そんなに感謝されるようなことをやった覚えはないぞ」
と顔を上げてくれるように頼む。
しかしバルバラは続ける。
「いえ……貴方がここに来なければ、こんな風にはなっていませんよ。それに、今更ですが、ニーナのことも。闘技大会ではあなたがニーナを倒したということでしたが、その後、この子をこうやってここまで連れてきてくれなければ、会えなかったかもしれません。私たち、古代竜というのは、“皮”を失うと本当に小竜と何ら変わらない能力しかないものですから。どこかの小竜狩猟者に捕えられてしまって、売られていた可能性もなくはないのです」
小竜狩猟者というのは野生の小竜を捕獲することを生業にしている者のことを言う。
小竜は愛玩動物として非常に人気があるため、そういう職業も成り立つのだ。
さらに、色々な色彩や角の形、体型などが小竜にはあるため、人工的に繁殖させ、品種改良したものが高値で取引されることも少なくないのだが、同様に野生の珍しいものも、高値で取引されることがある。
ニーナの場合、実際に野生でそこらへんを飛んでいたら、間違いなくそう言った職業の者に捕えられて売られていたと思われる。
彼女の小竜姿はそれくらいに珍しい色合いをしている。
「そう言われてもな。ただの偶然みたいなものだし、そもそもニーナの“皮”だって俺たちの事情で奪い取ったようなものだからな……」
「過程も大事ですが、やはり結果の方が大事なものです。私にとって、ニーナをここまで連れてきてくれたという事実が、一番大事なのですよ。フィナルとログスエラ山脈を平和に導いてくれた、ということも。ですから……」
さらに感謝を続けそうなバルバラに、ルルは、
「分かった分かった! どういたしまして! これでいいな」
と強引に話を断ち切る。
ルルは意外とここまでまっとうに感謝されるのになれていなかった。
というのも、魔王時代にしていたことはすべて、義務であり、誰かに感謝されるようなことではない、という認識で行っていたからだ。
実際は、配下すべてが彼のために何もかもを擲っても構わないと思うくらいには感謝されていたのだが、面と向かってそれを口にする者はいなかった。
それをすることすら、不敬であると誰もが考えていたからだ。
だからこそ、ルルはこういう、まっすぐで直接的な感謝が少し、苦手だった。
「意外な弱点があったものね……」
とゾエがルルのそんな様子を見ながらつぶやく。
しかし、バルバラはそれでもさらに感謝を続けようとしたが、ルルが止めたのでそこで終わった。
「もう、感謝とかはいいんだ。それよりも……」
「あぁ! そうですね、何か差し上げなければ……。人間の感謝というのはそういうものだと聞きましたよ。私たちも、獲物の譲り合いとか、そういうことはしますし。何か欲しいものはありますか?」
といきなり言ってきたので、ルルは、
「……いや、そうじゃなくて。俺たちはそろそろフィナルを発つから挨拶をしようと思ってきたんだが……」
とげんなりしながら言う。
それを聞いたバルバラは、
「あら、そうなのですか……。それは、残念です。どこに向かわれるのですか?」
「西か、王都に行くつもりだよ。まだどっちかは決めていないんだが、西に行く場合には、以前、バルバラが言ってた湖底都市に向かうつもりなんだが……」
「あぁ、あの遺跡への道順を尋ねたいのですね。となると……友人に話を通しておかなければなりませんが、一飛び、というわけにもいきませんから……」
とバルバラは少し悩んだ。
というのも、彼女が言う“一飛び”とは古代竜姿でばっさばっさと向かうことを意味しており、それはかなりの脅威を周辺に与えるのが明らかで、せっかくフィナルとログスエラ山脈とが仲良くなってきているのに、それを妨げるようなことになりそうなそんな行為はしがたい、という理由があるからだ。
とは言っても、ルルたちが彼女の友人の魔物に会わないわけにもいかないので、そのための方策が他に何かないかと考え、そして思いつく。
「ふむ、では、これを……」
とバルバラは言って、ルルに何かを手渡してきた。