第232話 昇進
死んだのか逃げたのか、それがはっきりしないにしても、冒険者組合内の地下施設である牢獄に外部からの侵入者があり、その何者かがソフィに害意を持って接しただろうと言うのはほぼ間違いないだろう。
ソフィがいたはずの牢獄内にあれだけの血痕と肉片が残されていて、何もなかったというのは当たり前ながらありえない話だからだ。
血痕と肉片が本物であることは、冒険者組合側が確認したようであるし、そうである以上、よほど特殊な事情がない限りは、ここでソフィか、彼女を始末しに来ただろう刺客が死んだと考えるべきである。
もしかしたら、その侵入者が一人でなく二人以上で、片方が死んだ、という可能性もないではないが、薬剤による幻惑状態というのはそれほど万能ではない。
一人ならともかく、二人も三人もぞろぞろ入ってきたのでは、さすがに気づくだろうと思われた。
「しかし、生き残ったのが、ソフィにしろ、侵入者にしろ……心配だな」
ルルがそうつぶやいた。
「何がです?」
イリスが首を傾げたのでルルが答えた。
「アエロが、だよ。どっちにしろ、事情を知る奴はみんな処分した方がいいって考えになるんじゃないか? ソフィはアエロの生存を知らないが、牢獄の外に出れば気づくかもしれないし、侵入者だってアエロが魔導帝国の技術の産物だとするなら見ればわかるだろう。一般的な獣族とは違うことは事情を知る者が見れば一目瞭然だしな」
「なるほど、見に行った方が良さそうだな……」
ルルの言葉を聞き、オロトスも頷いてアエロの房へと向かう。
「あっ、こんにちは!」
実際は、特にアエロに問題はなく、心配は無用だったらしいことがすぐにわかったが、しかし無駄足というわけでもなかった。
アエロはルルとイリスの顔を見るなり、
「あのね、ソフィから二人に伝言があるんだよ」
と突然言うものだから、驚かされたルル、イリス、ゾエ、オロトスの四人である。
「やっぱりあいつの方が生きてたんだな……で、伝言って何だ?」
ルルはしかし、ある程度予想していたからかすぐに衝撃から立ち直ってアエロに尋ねた。
アエロは口元に手を当てながら、思い出すように話す。
「えっとねぇ……『色々世話になったな。次に会ったときは覚えてろよ』って」
その台詞にルルたち三人は呆れたような顔を浮かべて、
「……いくらなんでももう少し捻れよ……」
「分かりやすい悪役の台詞ですわ。まぁなんというか、そう言っている姿が頭に簡単に思い浮かぶ、という意味では似合いの台詞かもしれませんが」
「まぁ、いいんじゃないの。挨拶残していくだけ、まだ。でも不思議ね? 黙って出ていった方がいろいろ混乱させられそうだけど……」
とゾエが首を傾げたところで、アエロが続けた。
「あ、まだ続きがあるよ。あのねぇ、『……というのは冗談だ。というか、俺はもう魔導帝国は抜けるからしばらく放っておいてくれ。殺し屋がやってきたんだ。返り討ちにしてやったが、戻ったっていいことなさそうだぜ。そもそもイリスがいるんだから真っ向から向かっていく気にもならねぇ。というか出来ることならもう関わりたくねぇ。田舎に引っ込んで農業でもやることにする』だって」
今度はオロトスも含めて四人で呆れた顔になった。
「農業……本気か?」
オロトスがその強面をさらに厳しくする。
「どうだろうな。でも、ある日突然気が変わった、とか言いそうなタイプではあったよなぁ。もう出てこないって言ってるんだから放っておいていいんじゃないか?」
ルルは無責任というか、適当というか、素直に受け入れてそんなことを言う。
しかしオロトスにはそれは出来ないらしい。
冒険者組合長という地位にいる以上、ルルのように適当に放任というわけにはいかないのも当然だった。
「馬鹿を言うな。そのまま鵜呑みに出来るか! ……ただ、本当にもう関わってこないというのなら、悪くはないが……」
無駄に高い能力を駆使して、かつほとんど一人でフィナルを転覆させかけた少女である。
魔導帝国を本当に抜ける、というのならそれだけでもかなり戦力が低下するだろうと考えての台詞だった。
ソフィのような存在が魔導帝国には山のようにいる、というのならその考えも成り立たないだろうが、もしそうなら湯水のごとく前線に出しまくればいい話で、魔道帝国がそうはしない以上は、おそらく、ソフィは特異な存在であると考えてもよさそうだった。
仮にたくさんいたとしても、一人減ったと割り切ればそれでいいだろう。
「と、おっしゃいましても、追いかける手段がありませんから……放置以外にとれる手段はないのではありませんか? 聖気を使う以上、通常の魔力を使用した追跡手段は効果がないでしょうし、となると原始的な人海戦術か、追跡に特化した特殊な職業の方などに任せるというほかないでしょうが……」
イリスが現実的なことを言ったので、オロトスも考える。
「追跡を生業とする者は何人かいるが、魔力を全く使わないで、となるとな。一応、依頼はしてみるが、おそらくは見つけることは出来ないだろう。一晩経ってしまっているし……もう少し早く気付けば何とかなっただろうが……」
「それこそ今更いっても仕方のないことでしょうね。ま、私もソフィは嘘を言っていないんじゃないかと思うわ。ただの勘だけどね。それに……フィナルが今すべきはソフィの追跡よりも、フィナル自体の復興とか、守備を固めるとか、王都や冒険者組合本部に対する報告書のとりまとめとかだと思うわ」
「それは確かにそうなのだが……あの娘を捕まえれば何かもっとわかることがあるのではないかと思ってしまうのだ」
オロトスは無念そうにそう言う。
その意見も理解できるが、発見の可能性が低いことがはっきりしている今、そこは割り切るべきだろう。
そしてそれは当のオロトス自身が最もよくわかっていた。
彼はため息を一つ吐いて、
「ま、仕方あるまい。仕事に戻るか……」
と言った。
彼は組合長として片づけなければならない仕事が山ほどある。
本当ならこんなところで油を売っている暇はないのだ。
◇◆◇◆◇
「それで、お前たちはこれからどうするつもりだ?」
地下牢から戻ってきて、オロトスが執務室に戻る前にそう尋ねてきた。
横には牢獄から外に出されたアエロがいる。
ソフィもいなくなったし、問題がなさそうであるから牢から連れ出してきたのだ。
とはいっても、これから魔術による色々な検査があるらしいが、ルルたちが見る限りでも彼女に何か幻惑や洗脳のようなものがかかっている気配はない。
問題はないだろうと思われた。
「どうするもこうするも、もうここに俺たちのすることは残ってなさそうだしな。王都に戻るか、西に行くか……ってところだ」
そもそも、フィナルにルルたちが来たのはログスエラ山脈の異変の調査と、素材収集の依頼を受けてのことである。
どちらについても報告書をすでに片付け、さらに素材については冒険者組合経由で送ってある。
王都に戻る必要は特にないが、グランたちに直接ここでの顛末を話すのも悪くないだろう。
休暇がてらに、とも思わないでもない。
ただ、バルバラから得た情報――魔導帝国に存在するらしい古代魔族の施設も気になっている。
ルグン商国まで向かい、そこにある湖底都市に行ってバルバラの友人の魔物に話を聞きに行くという選択肢もある。
その場合は王都へ帰るのはしばらく後になりそうだが、魔導帝国の遺跡にかつての魔王側近の一人が眠っていることはほぼ間違いないのだ。
出来る限り早く行って起こしてやりたいという気持ちもあった。
バッカスに放置されっぱなしなのだろうかつての戦友は可哀想にもほどがある。
当人からすれば、何千年の月日だろうと一瞬にしか感じないのだろうが、バッカスについての話を聞けば怒り狂うことだろう。
そのことを考えると起こしに行くのが少し怖いが、まぁ、代わりに怒られてやってもいいだろうと思わないでもなかった。
詳しい話についてはもちろん、オロトスに話すわけにもいかないので、西に、と言われてオロトスは不思議そうな顔をして尋ねてきた。
「ほう? ルグン商国か……それこそ魔導帝国にでも行ってくるつもりか? 何の目的かはわからないが、だったらついでに偵察とかしてきてくれると助かるんだが」
と冗談でもなく言いながらである。
「魔導帝国はそんなに簡単に入り込めないだろう? ルグン商国は……偵察とか必要なのか?」
「いつであっても他国の情報というのは欲しいものだぞ……というのは冗談にしてもだ。ソフィの話を聞いた後だとな。ルグン商国は色々と厳しい立場に置かれているようだ。今、誰に権力があり、どのように政治が動いているのか、は知っておきたいところだ。他国の冒険者組合とは基本的に結びつきが薄いからな。情報もある程度統制されているから、そこから得るわけにもいかないのだ。冒険者組合からの指名依頼を出してもいいぞ」
と大盤振る舞いである。
冒険者組合からの指名依頼など、本来そうぽんぽんと出されるものではないはずなのだが、ルルたちにはその理は通用しないらしい。
「あぁ、あとついでだが、お前らのランクは上げておいたからな。今、ルルとイリスは中級下位だ。あとで受付から新しい冒険者証をもらっておけ。中級だから、銀のカードになるな。おめでとう」
と一方的に告げてきた。
「……唐突過ぎるだろう。というか、俺たちは特に何も功績を上げてないんだぞ。それを……二階級も飛び級させてしまって……いいのか?」
もともと初級下位である。
中位、上位、とあがって、初めて中級下位になれるはずなのに、どちらもすっ飛ばしてしまっている。
ルルたちがこなした依頼の数は大したものではなく、普通ならこんな風に上がれるはずがない。
しかしオロトスは首を振った。
「……敵の話を言うのも問題かもしれないが、ソフィも言ってただろう。お前たちみたいなのを初級冒険者なぞにしておくと苦情が来るのだ。冒険者組合は節穴かとな」
そう言えばそんなことを言っていたな、と思い出すルル。
「いや、それならイリスだけ上げればいいんじゃないか? 俺は言われてないし」
実際、突っ込まれたのはイリスだけである。
ルルについては特に名指しではいわれていない、はずだ。
正直言って、ルルはあまり階級を上げたいとは思っていなかった。
地味に少しずつ上げていくのが楽しいのであって、こうぽんぽん上がってはありがたみも何もないだろうと、そう思っているからだ。
しかし、そんな裏切りを許すイリスではなかった。
「いいえ、お義兄さま。あのとき、ソフィは『こんなものを初級にしておくな』と申しました。つまり、それは私程度の実力があれば初級にしておくべきではない、という意味合いだったと。そしてわたくしの実力がお義兄さまの遥か下にあることは、闘技大会での顛末でも明らかですわ。つまり……」
「つまり?」
「一緒に中級の階段を上りましょう?」
と、そういう台詞をにこやかにほほ笑まれて言われてしまっては、ルルにもなす術はなかった。
「結構、頑固というか……そういうところ、父親に似てるよな……」
とぼそりと言ったルルであるが、イリスの耳にはしっかりと入ったらしく、
「似てませんわ!」
と即座に返答されたのはご愛嬌である。