第231話 反撃
冒険者組合は多くの冒険者たちが時間を問わず訪れ、依頼を受け、またはその完了を報告していく場所である。
そのため、その性質上、営業時間帯は特別な場合でもない限りは一日中に亘る。
しかし、そうは言っても、人間の基本的な活動時間帯というのは日が昇っている間であり、出来る限りは昼間の依頼を受けて夜は眠りたいと考えるというのは至極自然なことである。
したがって、二十四時間営業の冒険者組合とは言え、日が落ちて、多くの酒場も閉まった後の真夜中の時間帯においては、さすがに閑古鳥が啼いているのがふつうということになる。
そのときは、まさにそういう時間帯で、フィナル冒険者組合の中には職員が数人と、思いのほか時間のかかった依頼をやっと片づけて報告をし、処理を待っている中級冒険者が一人しかいなかった。
冒険者組合と言えば荒くれ者の集うところ、巨大な武力を持つ団体であることは誰でも知っていることから、わざわざここに強盗に押し入ろうとする者などいない。
それがゆえ、必然的に真夜中の警備は薄くなるのだが、それでも問題が起こったことはほとんどなく、もし仮に強盗の類がやってきたとしても次の日には完膚なきまでに報復されるというのが普通だった。
だからだろう。
そういう、分かりやすい暴力に対してなら十分に対処可能な冒険者組合でも、静かな侵入にはさして強くなかった。
もちろん、そうはいっても他の場所よりは十分に警戒がされているし、いくつかの防犯設備も存在しているのだが、フィナルを襲った今回の災害のせいで、職員も疲れ切っていたというのもある。
ゆらり、と冒険者組合内を照らす明かりが揺れたことに、その場にいる職員も冒険者も気づかなかった。
その結果なにが起こったのか、と言うと、何も起こらなかった。
いや。
何も起こらなかったと誰もが認識した。
冒険者組合の中に、一人の黒いローブを身にまとった怪しげな人物が入ってきたのにもかかわらず、職員も冒険者もそれに気づいたそぶりはなく、いつも通りに過ごしていた。
その人物の足が、まっすぐに地下牢獄へ続く階段に向かっていて、冒険者組合職員であれば必ず引き止め、またその目的を尋ね、場合によっては武力によって排除しなければならないにも関わらず、である。
また、地下牢獄へ続く階段の前に立つ屈強な見張り二人も、その人物に対しては何の反応も示さなかった。
自分たちはいつも通り、しっかりと仕事をしていると、猫の子一匹、その階段へは近づけていないのだと、そう言いたげな顔で、である。
しかし、実際は、見るからに怪しげな人物がするりと彼らの横をすり抜けて、いたって冷静な様子で階段に辿り着き、そして降りていく。
結果として、その場の誰も、その人物には気づかず、そして、いつも通りの時間がその場に流れていたと後で証言することになるのだった。
◇◆◇◆◇
牢獄の中で寝転がっていたソフィは、ふっと嗅いだことのある匂いがしたことに気づき、起き上がる。
「……おいおい、ここの警備は万全じゃなかったのかぁ?」
馬鹿にしたような口調だが、あまり嬉しそうでもない。
むしろ、勘弁してくれと言いたげなその口調の意味は、
「竜胆の香り……俺を始末しに来たのか」
つまりはそういうことだった。
ソフィはその香りを漂わせた人物が、一体どこから来た誰なのかを知っていた。
実際、しばらくすると、ある意味では予想通りの、そしてある意味では予想を外れた人物がそこに立っていて、ソフィは額を叩く。
「やっぱり来やがったか……」
牢獄の鉄格子の前に立つその漆黒のローブをまとった人物は、ソフィの悪態に、
「失敗した者に生き残っていられては困る。お前に少しでも恥を覚える心があるのなら、自害しろ」
そう言って、懐から短剣を取り出し、投げ渡してきた。
ソフィのそう言った武器にあたる持ち物はすべて取り上げられていて、自害しようにもできない状態だったのを理解していたらしい。
ソフィは短剣を手に取り、その刀身の輝きを見、また柄の模様を眺め、何かに気づいたらしく、目の前の人物に尋ねた。
「この短剣は……?」
「陛下が下賜されたものだ。最後にはなるが、お前に、とな……ご恩情だろう」
もっともらしく言ったその人物に、ソフィは笑いかけ、
「へぇ、陛下が……。ところで、お前、まだ新顔だな?」
とふっと表情を変えて尋ねる。
鋭さを帯びた、剣呑な表情。
明らかに、今から自死しようとする者の表情ではないことは、ローブの人物にもわかったらしく、怪訝な顔になる。
「……それが何だというのだ」
実際、ソフィの指摘は正しく、ローブの人物は少し狼狽する。
ただ、それを隠す技能も身に着けているのか、すぐにそう言った気配は霧散した。
しかし、ソフィも只者ではなく、一瞬の動揺であってもソフィにとってははっきりとした肯定に他ならなかった。
ソフィはぶつぶつと言う。
「誰かが融通してくれたのかね……? あの皇帝がそんなことしてくれるハズねぇし……わかんねぇ。まぁ、運が良かったと思っておくか?」
その言葉にローブの人物は、
「お前……何を言っている? ぶつぶつ言ってないで、さっさと自決しろ!」
言葉は命令口調だったが、そこに何か焦燥のようなものが混じっていたのは、ソフィの不穏な気配を本能的に察していたからだろう。
「そういう、筋書きがあるならその方がいいかな? ま……俺は運が良かった、お前は悪かった、そう思ってあきらめるのが一番だな」
「何の……何の、話だ……?」
「こういうことさ」
ソフィの手から短剣がものすごい勢いで投擲され、ローブの人物の喉元に命中した。
◇◆◇◆◇
次の日の朝、ルルたちはオロトスに呼び出され、冒険者組合地下牢獄へとやってきていた。
「……真っ赤だな」
大した感慨もない様子でルルがそうつぶやいて見たのは、先日までソフィが入れられていたはずの牢獄の内部である。
膨大な血と肉片で汚されているその部屋は汚らしくも、また何かのオブジェのようにも見えた。
「あの娘は……ソフィは、殺されたと言うことでしょうか?」
イリスもまた、若い娘にとっては凄惨過ぎるというべき光景を前にしながら、一切の動揺がない。
戦時を駆け抜けた経験は彼女の中にも生きている。
当然、ゾエにも。
「分かりやすい口封じよね……。ま、今思えば、あの帰り際の言葉は口封じが送られてくることに対する警戒から出たんでしょうよ。哀れね」
「せっかく捕まえてくれたのに、こんなことになってしまって申し訳ない……冒険者組合としてもせっかくの情報源にこんな死に方をされてしまっては面目丸つぶれだ……重要なことはあらかた聞いたとはいえ……あまりにも、酷い……」
このメンバーの中で、もっともソフィに対して同情を示しているのはオロトスだった。
いくら敵だったとは言え、これほどまでにひどい死に方はすべきではなかったと思っているのかもしれない。
実際、人の死に方としては考えうる限り、かなり酷い方に入る死に方である。
「魔導帝国の口封じと言うのはこれほどまでに苛烈なのか……」
と、無念そうにオロトスは言った。
しかし、ルルはその言葉に首を振る。
「いや……口封じが来ること自体はそれほど不思議じゃないが、いくらなんでも派手にやりすぎだろう。こういうときは、普通、よほどの理由がない限りはもっと手早く、簡単に処分するのが一番のはずだぞ。それを……」
途中で言葉は切ったが、その先に続く言葉を想像できないオロトスではない。
ここまでやる必要が、倫理的に、というわけではなく、合理的にここまでやる必要性があったのか、とルルはいっているのだ。
「死体から得られる情報もある。そう言ったものについて、一切相手方に渡すつもりはないという意思表示ではないか?」
とオロトスは言ったが、ルルは首を振った。
「そういう調べはもうすでに済んでいるだろう。わかると言っても、せいぜい出身地とかどの程度の魔力を持っていたのかとかその程度のはずだ。それをわざわざ隠すためにここまでやる必要はないだろう。まんまと冒険者組合内に入ったとはいえ、まったくのノーリスクというわけではないはずだ。できるだけここにいる時間は短く取りたいと考えるだろう」
「しかし、職員も冒険者も、ここに入る者は誰も見ていないと言っていたぞ。警備の者もだ」
「……幻覚系の魔術か? いや……」
そう言ってルルは少し考えてから、ふと、匂いを嗅ぐ。
「竜胆の香りがするな。俺はこの匂いに覚えがある。イリス、ゾエ……」
そう言って振り返ると、二人は頷いた。
「おそらくは香を使われましたね。幻覚魔術ほどの効果はありませんが、使う者の熟練度次第では、そこにあるものについての認識をひどく鈍くさせることが出来るものですが……」
「ああいう技術だけはどれだけ時間が経っても受け継がれているものね。この辺りに原料はないようだけど、取り寄せて作ってるのかしら。難儀なことね」
三人で納得するようにうなずいている中、オロトスは、
「わたしにもわかるように説明してくれないか……」
と言ったのでルルが話し始める。
「簡単に言えば、薬物だよ。人の物事に対する認識や関心を一定時間、ひどく薄くする働きのある、な。この辺で取れる薬草では作れないはずだが、まぁ、そういうものは遠くから取り寄せてでも作るものだしな。おそらく、それを使われたのだろう。特徴は竜胆に似た香りのすることだ……訓練によって効かないようにすることが出来るのも利点でな。重宝するんだ。おっと、俺たちは使わないからな」
オロトスの視線が途中から厳しくなってきたので、自分たちの潔白を述べるルル。
「薬物か……そういったものに対する対策も冒険者組合内には施しているはずなんだが……」
オロトスはそう言って首を傾げた。
実際、その内実を聞いてみれば結構な数の薬物や魔術に対する対策設備が冒険者組合内に施されていることが分かった。
けれど、ルルたちの言う香に対する対策はなかった。
それをわかっていて、あえて選んだ、ということなのかもしれない。
魔導帝国なら、冒険者組合内の情報はある程度掴んでいる可能性が高いからだ。
そう言った、魔術などに対する対策についても、である。
だとすれば、今回のことはどうしようもなかった、ということになるのかもしれない。
「現実にこうやって入り込まれた上、目的を達成されている……からな。魔導帝国の方が上手だった、ってことなんだろう……」
言いながら、しかしルルの言葉にはどことなく納得いっていないような色があった。
それを感じたイリスが尋ねる。
「何か……御懸念でも?」
イリスの質問に、ルルは少し考えてから、
「……懸念、というほどでもないのかもしれないが……ソフィな。死んでないんじゃないか?」
「えっ? しかし、この場の血しぶきや肉片は……」
首を傾げるイリスに、ルルはつづけた。
「さっきも言ったが、派手すぎるからな。もちろん、それだけじゃ根拠にならないし、ただの勘と言えばそこで終わりかもしれないが……口封じに来た奴の仕事にしては、汚すぎるというか……」
「では、ここで何があったというのだ……」
オロトスが尋ねる。
ルルは答える。
「俺は意外と、ここにあいつを口封じに来た奴の方が返り討ちにあったんじゃないかと思うな。そしてソフィは悠々と逃げていった……まぁ、ただの想像だが」
そうつぶやいたルルの予想が当たっていると分かったのは、それからすぐのこと、アエロの房を気になって訪ねた後のことだった。