第230話 皇帝と道化師
なぜ、そういうことになっているのかはわからない。
ただ、クロードの話を聞く限り、神術の効果は聖気――つまりはそれを行使する技術であるところの神聖魔術と非常によく似ているのは間違いがない。
過去のクロードの体内魔力が希薄になっていた、という部分からそれが分かる。
少し疑問に感じる部分は、なぜ神術によって不治の病が治癒したのか、というところだろうか。
そう言った術式があるとか、既存の魔術によっては治癒しにくいものを神術は治せるという事実があるのは間違いないだろうが、それは、神術が高度な技術であることに起因するものか、それとも魔術とは別の体系の技術だからなのか。
詳しい理論を誰かに尋ねたいところだが、その詳細を知る人物はこの場にはいない。
一応、ソフィが聖気を使うことが出来るわけだが、彼女の使う技術が果たして神術と同じものかどうかはまだ分からないのだ。
ただ、当たり前のことながら、聞かないよりは聞いておいた方が今後の判断のためにも、そして個人的な興味を満たすためにもいいだろうと、ルルはソフィに尋ねる。
「おい、ソフィ」
「あぁ? なんだよ……」
ソフィは面倒くさげに顔を上げたが、話に応じる気はあるらしい。
それに満足して、ルルは質問を続けた。
「お前の使っているその技術は……神術なのか?」
ストレートにもほどがある聞き方で、尋問も何もあったものではない質問の台詞だったが、ソフィはその単刀直入さが嫌いではなかったらしい。
噴き出すように笑って、
「もっとひねったらどうなんだよ……捕虜にする質問の仕方じゃねぇぜ」
しかし、ルルは肩をすくめて、
「悪いな。俺は本職じゃないんだ。ただの冒険者でしかない……だから、こういうのもまどろっこしいのは嫌でな。できれば答えてくれるとありがたいんだが」
「変わったやつもいるもんだ……いや、馬鹿にしてるわけじゃねぇぜ? むしろ気に入ったくらいだが……そうさ、答えてやってもいいくらいだ。だが、お前、俺が何か言ったとして信用するのか?」
「真偽の確認は後でするさ。とりあえず答えてくれればそれでいい」
どうせソフィがなにを話したところで最終的にはそれをせざるを得ないのだ。
ならばこれくらい割り切って聞いてしまった方がわかりやすくていいだろう。
そんなルルの態度をどう見たのか、ソフィはゆるゆると首を振り、
「……適当なやつ……。まぁ、いい。それなら俺に聞くより直接、どっかその辺の教会やら何やらに確認を取った方が早いぜ。お前と……この女なら、見ればわかるだろ?」
ソフィは横に未だに立って威圧的な雰囲気を漂わせ続けているイリスを顎でしゃくってそう答えた。
ソフィのルルに対する口の利き方にピクリと体を動かしかけたイリスであったが、ルルがイリスを見て首を振ったのでしぶしぶ、停止した。
しかしその拳はぴきぴきと握り込まれており、彼女の押しつぶした感情がどれほどの激情だったのかはっきりとわかる。
ただ、そんなことに気づくのはこの場ではルルとゾエくらいのものだ。
他のものはソフィの今の台詞の内容の方が気になるようである。
おそらく彼女の言う、見ればわかる、とはどういう意味かと言えば、神術がソフィの使う技術と同じものかどうか確認できるだろうという意味だろう。
つまり、それくらい同じか、もしくはまったく別物であるということなのだろう。
そのどちらなのかは、実際に見なければやはり、分からないことだ。
ルルはソフィの言葉に頷き、それから最後にと尋ねる。
「そういうことなら、そうさせてもらおうか。……ついでだが、ソフィ。お前はその技術……どこで身に着けたんだ?」
「おいおい、俺はさっきからクリサンセの間者だって言ってるんだぜ。愚問だな」
つまりは、例の魔導帝国で身に着けた、と言いたいらしい。
その言葉の真偽は神術のそれと違ってそう簡単には確かめられないだろう。
魔導帝国の、少なくともレナード国内に間者が秘密裏に送り込まれていることを知っている高官に確かめなければわからないことなのだから。
とはいえ、神術のそれについても確かめるのは容易ではないだろう。
その辺の教会関係者に聞けばいい、と簡単に言ったソフィであるが、クロードの話によれば神術はそもそも秘匿技術であるとのことである。
そう易々とその詳細について懇切丁寧に教えてもらえるとは思えない。
調査はそれなりに難航しそうだ。
ただ、何もヒントがないよりはまし、と言ったところだろうか。
この調査は、ルルが、というよりは組織力のある者が行うべきで、そのことはこの場にいる者は皆、理解している。
オロトスとモイツ、それにクロードが二、三言、言葉を交わし、その調査については冒険者組合が責任をもって行うということに決まった。
その際、ルルたちにも協力を求めることがあるかもしれないという話になったが、神術に関する調査は基本的には各教会に対する質問や交渉が主になるわけで、ルルたちの突出している武力の出番はあまりなさそうである。
脅して無理矢理聞き出すという手法もないではないが、ことさらに問題を起こす必要もないだろう。
少なくとも、最後の手段に取っておく位の分別はさすがのルルたちにもある。
ここはオロトスたちに丸投げ、もとい任せておくのが最適だろう。
「さて、俺からの質問はそんなものだな。何か言いたいことはあるか?」
ソフィに向かってルルがそう言うと、彼女は首を傾げる。
「なんだ……恨み言でも聞いてくれるのか? こんなところに閉じ込めやがって、とか」
「言いたいなら言ってもいいが……俺が言うのはそんな話じゃなくて、誰かに連絡をつけてくれとか食事を豪華にしてくれとかそういうあれだ。まぁ、俺に権限があるわけじゃないから、正真正銘、聞くだけだがな」
ルルは笑う。
ソフィは呆れたような目で、
「おい、それじゃあ何言ってもしょうがねぇだろうが……。だいたい別に連絡つけたい相手なんていねぇ。それこそもっとうまい飯をくれってことぐらいだな。流石に固いパンと一杯の水しかくれねぇんじゃ、いくら俺だって、そのうち死ぬぞ。こう見えてかなり燃費が悪いんだ」
ソフィの体は小柄だが、やってきたことを考えれば燃費が悪いというのは納得できる。
普通の者が数十人、数百人集まっても出来ないことを、あの自称古代魔族と協力してとは言えやり遂げたのだ。
その体が体力や魔力の代償として、それこそ数百人分の食事を要求したとしても仕方ない気もしないでもない。
もちろん、現実には一人分しか食べないのだろうが、一般よりは食事量が多いのだろう。
「そんなに質素なのか? オロトス。もっとどうにかならないのか……」
ルルが振り返って尋ねると、オロトスは、
「お前、ここは牢獄だぞ。豪勢な食事など期待するんじゃない。が、要望としては聞いておこう……ここだけの話、体力を削ろうと食事は他のものより貧相なものになっていたのだ」
最後の方はルルに耳打ちされたものだ。
なるほど、あまりにも手ごわいから弱らせようとしたわけだ。
いくら捕虜と言っても死なせては元も子もないのである。
通常なら、もう少しマシな食事が出されるはずだった。
ルルは頷いて、今知った事実のうち、ソフィに朗報と言えるものを伝えてやる。
「よかったな。食事は次から豪華になるっぽいぞ」
ルルの責任感のまるでなさそうな言い方にソフィは疑わしげな目を向けて、
「本当かよ……」
と言ったので、オロトスが、
「一応、事実だと言っておこう。次からはおかずが一品増えるぞ」
そう保証したのでやっと信じたようだ。
「楽しみが増えるぜ……」
と大して嬉しくもなさそうに言ったソフィであったが、先ほどまでの不適なものとは異なる、力なさげな微笑みが一瞬覗いたので、やはりいくら飄々と振る舞っていてもかなり消耗していたということなのかもしれないとルルは鋭く見抜いた。
それから、誰にももう、これと言ってこの場で尋ねたいところがないことを確認したところで、牢獄を後にすべく一同が踵を返そうとしたところ、後ろから、
「おい、ちょっと待て」
とソフィから声がかかる。
そして、
「一応聞いておきたいんだが、ここの警備はどうなってる?」
これにはオロトスが呆れたように、
「お前にそれを語るはずがないだろう」
と言った。
それは、牢獄の警備の詳細を捕虜に語るのは馬鹿げた行為だと言う意味だったが、ソフィが尋ねたかったのは牢獄が脱獄できるかどうかを判断するための情報、というわけではなかったようだ。
オロトスの言葉にめげずに、ソフィはつづけた。
「やっぱり、かなり厳重なんだよな?」
「当たり前だ……っと、もう答えんぞ……」
そう言ってオロトスは先に行ってしまう。
それをその場の者は見送ったが、イリスが首を傾げてソフィに尋ねた。
「なぜそんなことが知りたいんですか?」
「……いや。別に……」
とソフィは珍しく歯切れの悪い様子だが、まぁ、脱獄計画を練っている、とは言いにくいのだろう。
オロトス以外の者も特に気に留めることなく、牢獄を後にしたのだった。
◇◆◇◆◇
レナード王国からしばらく西に進むと、ルグン商国という国に辿りつくのだが、そのさらに西に魔導王国クリサンセ、と呼ばれる巨大魔導国家が存在している。
そこはありとあらゆる魔導技術の集積場であり、魔導について深く知りたければクリサンセに向かえとまで言われる高度魔導技術国家であった。
その首都であるマージアルカ、その中心に、この世においてもっとも美しいと言われる城である紫水晶宮の最奥、玉座の間において、目に狂気を宿した一人の老人と、それを皮肉げに見つめる滑稽でカラフルな衣装をまとった男が会話をしている。
それは奇妙で、笑いを誘うような雰囲気を帯びたものだった。
「……あの娘が失敗したようだ。あれだけ大量の資金や資材を供与しておきながら、大した結果も出せずに現地の冒険者組合に捕らえられるとは、笑いも出んわ」
吐き捨てるように老人がそう言うと、滑稽な様子の男はことさらにおどけて振る舞いながら、
「その親玉がこんなのだとは、むしろお笑い草だよね! そろそろ棺桶に片足をつっこんでるのに余計な色気を出すからこんなことになったのにさ」
少女や子供が口にしたなら、まだ、わからないでもない台詞である。
しかし、その言葉は中年にさしかかっているとおぼしき男の口から出たものだ。
しかも、その男の話し方はおよそ成人男性のそれとは感じられず、高く、ふざけた、笑いを常に含んだようなものだった。
紫水晶宮に足を踏み入れられる者はそのほとんど全てが高位の貴族、もしくはそれに準じる者であり、老人もまたその中の一人であることは身につけている者や物腰から見て間違いない。
それなのに、こんな物言いをすれば通常であれば叱責程度では済まず、場合によっては首が飛ぶだろう。
にもかかわらず、老人はむしろくつくつと不気味に笑いながら男に言うのだ。
「全くよな。お前の言うとおり、わしも年だ……そろそろ隠居して子供に地位を譲り、死神の迎えに乗りたいところなのだが、それをするにも今の情勢では心許ないのだ」
「というと?」
男がくねくねと手を老人に差し出しながら続きを促す。
この態度も失礼きわまりないが、やはり老人は気にしなかった。
「宮廷道化師スタク。お前にはわかってるだろう? わしの子供たちがどういう者たちかという話だ」
その言葉に、スタクと呼ばれた男は手を開き、指を一つずつ折りながら言う。
「長男はお馬鹿さん、次男は女狂い、三男は死にかけ、長女は性悪女で、次女は夢見る少女……あれ、誰も継げないね、皇帝の地位は!」
皇帝と呼ばれた老人は深く頷いて答える。
「まさにな。いや、かろうじて三男は病さえ治れば継がせることも出来よう。ただ……東に憂いを抱えたままこの国を引き渡すのはどうしても出来ん。全てを安堵してから、わしはこの国を次代に託したいのだ……」
「無能な子供を持つパパは大変だー! ぼくが代わりに継いであげようか?」
「その気があるなら任せてもいいぞ。お前がわしの息子ならと何度思ったことか」
「ごめんね、ぼく、やっぱりふざけてるのが好きだからだめだ! 皇帝がふざけたら駄目だよね!」
即座に手のひらを返したスタクに、皇帝は少し考えてから言う。
「大事なところ以外はふざけて楽しめるのもいいところだとわしは思ってるがな」
「それじゃ余計に駄目だ。ぼくは一番大事なところでふざけて台無しにしたいんだよ!」
「その、一番大事なところを見抜ける目を持っているだけで、お前は得難い……なぜ、わしの子供たちにはそれがないのか……」
「親が育て方を間違ったからじゃない?」
「耳が痛いわ……ま、それは良い。それよりも、あの娘のことだ。処理の方は抜かりないな?」
「連絡はしておいたよ! 怖い人たちが行った!」
「ならばそのうち、いい知らせが聞けよう……。わしは眠る。お前はいつものように、そこでおどけているがいい」
「やった!」