第226話 灰髪の少女
それから、アエロといくつか話をする。
ルルについて、オロトスはアエロに、
「お前の怪我を治してくれた人だ。礼を言いなさい」
と、まるで孫に言い聞かせるような言い方で紹介し、アエロの方も、
「そうなんだ! ありがとう! 私、貴方のお蔭で、元気になったよ!」
と邪気のない様子で返答する。
「いや……構わない。何か体に問題はないか?」
アエロの様子に、ルルも毒気を抜かれて、気遣うようにそう尋ねた。
彼女は自分の体を見たり、翼を触ったりして確認したが、
「大丈夫だよ! 前よりも調子がいいくらい!」
と言って笑った。
ルルが彼女に使った治癒魔術は傷を治すのみならず、体内の魔力を調整する効力もあり、アエロの言う通り前よりも調子が良くなっているというのも事実かもしれなかった。
ルルとしても、問題がないというのならば怪我についてはそれでいいだろう。
そして、多少聞きたいこともあり、少し質問する。
「ならよかった……ところでいくつか聞きたいんだが」
「なあに?」
「アエロは魔物から今の姿になったということだが……」
そうして、いくつか彼女が人になったときの情報について質問を重ねた。
しかし、やはり彼女はあまり多くを知らないようだ。
オロトスたちの尋問の結果と同じというわけだ。
ただ、やはり魔物の姿に戻れないというのは事実だということが再確認できたくらいである。
そして、最後に一つ、ルルは尋ねた。
「……ベルンフリート=ケプラーという名前に聞き覚えはあるか?」
それはゾエが戦った自称古代魔族である。
あの灰色の髪の少女と、この自称古代魔族がおそらくは手を組んでいたことからして何か知っているのではないかと思ったのだった。
しかし、アエロはこの名前を聞いても不思議そうな顔で、
「聞いたことないよ?」
と首を傾げた。
本当に知らないのだろう。
そういう顔だ。
もしかしたら会ったことすらないのかもしれない。
「そうか……わかった。時間をとらせて悪かったな」
そうルルが言えば、アエロは、
「ううん! ここ暇だから、たまに来てくれるとうれしいよ!」
と言う。
遊びに来たか何かだと思っていたらしい。
確かにものを知らないというのもここまで来るとちょっと奇妙だろう。
オロトスがそんなルルの考えを見抜いたように、
「……徐々に社会に馴染ませていこうと考えている」
と答えた。
どういう意味か気になってルルは首を傾げたが、ここで答えるつもりはないようだった。
オロトスは他の面々に質問がもうないか尋ね、全員が首を横に振ると、アエロに声をかける。
「では、アエロ。そろそろ私たちは行く。また、そのうち来るからな」
と言った。
アエロは、
「うん。ばいばい!」
とルルたち全員に手を振っていた。
それはおそらく、ルルたちが見えなくなるまで続けられたのだろう。
少なくとも、ルルが最後に振り返った時、アエロはいまだに手を振り続けていたのだから。
◇◆◇◆◇
「……どうするつもりなんだ?」
牢獄を歩きながらルルはオロトスに尋ねる。
もちろん、それはアエロについてこれからどうする気なのか、という意味での質問だ。
確かに今のアエロはルルの目から見ても、外に出したとしても問題はなさそうだ。
しかし、だからと言って以前したことがなかったことになるわけではない。
オロトスは答える。
「さっきも言っただろう。社会に馴染ませていくつもりで……」
「どうやって……」
「いろいろ考えたのだがな。仮にあの娘を処刑したとてあまり意味がないだろう?」
アエロのしたことは、大勢の騎士・冒険者たちの殺傷である。
普通であればまず間違いなく死刑だ。
意味があるなしではなく、罪は償わせなければならないのではないか、とルルは思う。
しかしオロトスはつづけた。
「幸い、というべきか、あの娘が参加した戦いでは重傷者は多数出たが、死者は一人もいなかったと聞く」
この言葉にはイリスとゾエが頷いた。
彼女たち二人が交戦した戦いで現れたのがアエロだからだ。
「それに……アエロは、結局のところ何の判断能力もない子供だったに過ぎない。責任は、それを命令したものこそがとるべきだろう。法でもそうなっている」
確かに、レナードの国法では、子供を自分の手足のように使って犯罪を行った場合は、子供の方ではなく、子供を操った者の方に罪を負わせている。
その場合、子供の方については、十分な矯正を施し、その後、社会に復帰させる、ということが多い。
つまりはオロトスはアエロについてもそれに準じて考えるべきだと言っているのだ。
実際、本来はいくつなのかわからないが、アエロは十歳弱くらいの容姿をしている。
精神の方も、それくらいか、もっと幼いくらいだろう。
それを考えると、理屈としては理解できた。
「しかし……そうは言いましても、危険なのではありませんか? 見た目は愛らしい子供に見えても、その実力はおそらくは上級程度はあるでしょう」
モイツが懸念を口にするが、オロトスはこれについても考えがあるらしい。
「ですから、あくまで冒険者組合預かりとして矯正をしていく、ということでどうかと……」
「職員として扱うということですか?」
モイツが驚いたように目を見開くが、オロトスは怯まずに頷く。
「ええ。北方組合長であるモイツ様には言うまでもないことでしょうが、冒険者組合とは本来そのようなものでしょうからな。社会に馴染めなかった荒くれの集まり。ですから……」
「確かにそのような側面はありますが……」
今でも、冒険者は山師のようなものとして見られるところがある。
特級まで突き抜けると英雄として扱われるが、基本的には荒くれ者だ。
その中には当然、犯罪者だった者やもともと住んでいた土地を追われた者などがいる。
ただ、そんな者たちも冒険者組合の先達によって鍛え上げられ、徐々にまともな冒険者として働くようになっていくものである。
冒険者組合にはそう言った役割もあるのだ。
アエロについても同様に見て、更生をさせていく、とオロトスは言っているのだ。
「……もっと常識を重視するタイプかと思ってたんだが、意外と……型破りなんだな?」
ルルとしては別にどっちでもいい話だ。
魔術によってアエロの性質が、今や人に敵対するものではないということは分かっているのだから。
オロトスが責任をもってそうするというのなら、それでいいと思っている。
ルルの言葉にクロードが答える。
「フィナルにはログスエラ山脈があるからな……あんなところの目と鼻の先で、常識だ規則だと雁字搦めにされるような人間じゃ、組合長なんて勤まらねぇぜ。このおっさんは、割と昔からこんな感じだ。ちょっと情に厚すぎる気もするけどな」
と。
ルルはオロトスの顔を見て、
「なるほど、アエロに情が移ったってことか?」
オロトスとしては、いろいろと理屈をつけて、率直なところを語るのは避けてきたのだろう。
だから、あまりにも正直にまっすぐに聞いてくるルルに、オロトスは何とも言えない顔をしていたが、最終的には、
「……まぁ、そういうことだ。まだあの娘は引き返せるのだ。それを処刑してしまうのは……私にはできない」
と言って頷いたのだった。
◇◆◇◆◇
「……こちらになります」
通路を歩いてしばらく経ち、ルルたちは一つの牢にたどり着いた。
牢の外側には二人の屈強な男が立っているが、ただ見張りのようにそこにいるだけである。
彼らが尋問官なのだろう。どことなく陰惨な気配がすることからそれが分かる。
しかし、牢獄の中にいる存在はそんな二人に全く気を払っていない。
まるで、彼らが自分に何もできないと分かっているようだった。
そんな牢獄の虜であるはずの灰色の髪の少女は、ふてぶてしい態度で横になって頭を片手を枕にして支えていた。
「なんだぁ……? 性懲りもなくまた追加が来やがったのか。そろそろ諦めろってのによ……」
面倒くさそうな様子で起き上がり、ひらひらと手を振ってそう言う少女。
「……確かにこれは人を食ったような態度と言えるな」
ルルが呆れたようにそう言った。
「牢に入ってからずっとこんな感じで……何を聞いても答えようとしないのです。尋問官たちにもどうしようもないようで……そうだな?」
職員が尋問官に尋ねれば、
「……申し訳なく。このような虜囚には出会ったことがありませんでしたので……」
と重苦しく苦悩が満ちたような声で言った。
「それほどに怪力なのですか?」
モイツが首を傾げて尋ねた。
尋問官が取り押さえることが出来ない言う少女は、こうして目の前にすればその華奢さ、小ささが分かる。
むしろ、アエロよりも小さいかもしれない。
食器より重いものは持てなさそうなくらいである。
対して尋問官二人は二メートルを超える大男だ。
露出の激しい服装から見える筋肉がものすごい威圧感を放っている。
とてもではないが、少女が力比べをして勝てるような雰囲気はではない。
しかし、職員はため息を吐いた。
「……なんでしたら、ご覧になりますか? 二人とも、見せてやってくれ」
と尋問官に指示を出す。
尋問官二人は職員の指示に若干いやそうな顔をしたが、職業意識で感情を出すのを抑え、深くうなずいて牢獄の扉を開いて中に入った。
もちろん、すぐに牢獄のカギは閉める。
それほど大人数を収容することを想定した牢獄ではないのだろう。
ここまで歩いてきた中には広い牢獄もあったが、この灰色の髪の少女の入っている牢獄は一人か二人、多くて三人が限界というくらいの大きさである。
そんな中に、二メートルを超える大男が二人入ったのだ。
その閉塞感は普通の少女であればたまらないもののはずだ。
しかし、少女はにたにたとした笑みのまま、つぶやく。
「また俺と遊びたいのか?」
と。
むしろその言葉に尋問官二人の方がびくりと体を震わせるが、彼らにも矜持があるのだろう。
無言で少女に飛び掛かった。
まずは取り押さえようと、そういうことなのだろうと思われた。
しかし、向かってきた二人の男の腕を少女は目にもとまらぬ速さでひっつかみ、それから、軽々とぶん投げたのである。
体重からしてそんなことは出来るはずがないのだが、しかし現実として行われている。
投げられた尋問官二人はそのまま壁と、そして牢獄の鉄格子に思い切り激突した。
それでも、その筋肉は伊達ではないらしく、すぐに起き上がってもう一度少女に向かおうとする。
けれど、これ以上やっても無駄だと職員は判断したようで、
「もういい! 戻ってきてくれ」
と声をかけた。
尋問官二人は頷いて、牢獄の扉に近づき、そして中から出てきた。
「……というわけです」
職員が苦々しい口調でそう言うと、クロードが唖然とした様子でつぶやく。
「ありゃあ……なんだ。ただの人族だよな?」
他種族であるなら、まだ理解できるのだが、少女は見るからに普通の人族なのである。
あれほどの怪力を発揮できるはずがない。
そう言う意味での言葉だった。
職員は頷き、
「ええ……おそらくそのはずですが、正直あれほどの怪力を発揮されますと確信が持てません」
「で、しょうな。しかし海人族や獣族ではないのは間違いありません。気配がありませんので……」
モイツがそうつぶやいた。
どうやら海人族には海人族や獣族の気配というものが分かるらしく、しかし少女にはそう言ったものがないということらしかった。
ということはやはり人族ということになるが、しかしあの怪力の説明がつかない。
そんな中、ルルたち古代魔族組は難しい顔で、小さな声で囁き合う。
「……さっきのは……聖気、だよな。わずかだったが」
「ええ、足元が光りました。あれは聖気でしょう。ここでは魔術は使えない、ということでしたが、聖気は使えるのでしょうね……」
ルルの言葉にイリスが頷く。
「まぁ、劣化聖剣を持ってたんだから、使えてもおかしくはないけれど……しかしそうなると、冒険者組合の人間には分が悪いでしょうね。向こうは特殊な力が使えるのに、彼らには使えないのだから。やっぱり私たちがどうにかすべきでしょうけど……」
この世界において、聖気を使える者がどれだけいて、どれほど知られた力であるのかはわからないが、少なくとも、あの程度の発動ではここにいる面々には感じられないのは間違いない。
そうである以上、放っておくというわけにもいかないだろう。
いずれ脱獄される危険すらあるのだから。
とはいえ、聖気となると、古代魔族にとってはあまり相性が良くない。
イリスに取り押さえてもらうつもりだったが、ここは一人でというのは却ってよくないかもしれないと思い、ルルは言った。
「情けない話だが、人族でしかない俺にはあの中に入って取り押さえるのは難しいからな。二人に頼みたい。一人だと危険だろうしな……」
もちろん、ルルであれば、魔術を封じる仕組みそれ自体を破壊することは出来るが、そんなことをしても仕方がない。
だからこそのお願いだった。
これに対してゾエは、
「私は構わないわ」
と言ったのだが、イリスは、
「いえ……あの程度の聖気でしたら、消滅の危険はないでしょう。要は、反撃をさせなければいいのです。わたくし一人で大丈夫ですわ」
と言った。
この言葉にルルは、
「……無茶はするなよ。何かあってからじゃ遅いんだからな……」
と心配性な父親のような口調で言ったが、確かにあれくらいの聖気であれば、イリスがやられるということにならないだろうとも思った。
そのため、そんな風に言いながらも、特にイリスの提案には反対しなかった。
それを確認して、イリスは、
「では……行ってまいります」
そう言って、前に出た。