第225話 翼の生えた少女
冒険者組合諸君の先導で目的の牢獄まで向かう。
冒険者組合の地下に広がる牢獄はジメジメとして暗い。
しかも、ついこの間、破壊された部分の壁が補修中であり、牢獄としての使用に耐えるのかどうかも疑問に思えてくる有様だ。
そのことをオロトスに尋ねれば、
「……まぁ、半分くらいは使い物にならんがな。残りの半分は使えないこともない。崩落の危険だけ無くなるように補修を急がせているから、問題はないだろう」
つまり今は少なからず崩落の危険があるということになる言い方だが、オロトスは、
「大丈夫だ。その間は魔術師に補強させ続けているからな。百歩譲って地下牢が崩落してもそれ自体は構わないが、この上には冒険者組合建物が乗っかっているのだぞ。崩壊させるわけにはいかん。対策は万全だ」
と説明してくれた。
なるほど、確かにこの地下牢が崩れたらその上も次々に崩れていく道理である。
それを避けるためにかなりの数の魔術師を投入しているらしかった。
そのすべては冒険者組合からの直接依頼扱いであるらしく、依頼料も悪くないようだ。
幸いというべきか、魔物と戦うのに比べて仕事自体の危険性が少ないために、魔術師たちには評判の依頼になっているらしい。
確かに依頼料を聞けば、一日数時間の拘束でかなりの金額を稼ぎ出せるため、暇があれば受けてみたいという気になるようなものだった。
しかし、ルルたちがこれを受ければ三人ですべて賄えてしまい、今現在この依頼を当てにしているものにとってはとんだ営業妨害になりそうだったので、そこは自重することにした。
そもそも、ルルたちは今回の一連の活躍で結構な報奨金を冒険者組合と領主であるクロードからもらえるらしい。
本来は依頼料だけのはずなのだが、目覚ましい活躍を見せたものにはそれなりに何かを与えることになっているのだという。
だとすれば、これ以上、余計な仕事をすることもないだろうと思ったのだった。
そもそも、ルルは魔術を使える状態ではなく、イリスとゾエもその介助の方が忙しいというのもあった。
ルル自身が一人で大丈夫だと言っても取り合わない二人である。
心配性にもほどがあるとルルは思ったが、そんなことを二人に言えば、無茶をする貴方が悪いと言われるのが分かっていたので、そこは口にしないだけの分別がルルにはあった。
「……さて、ここですね」
地下に降りてきて通路をしばらく歩いてたどり着いたところで冒険者組合職員の足が止まった。
そこには鉄格子のはまった牢獄があり、中に翼の生えた十歳前後の少女がいた。
翼と同じく茶色がかった髪を二つに結んでいるその様子はまるきりただの幼児にしか見えない。
しゃがみ込んで地面と何か会話しているように見えて首を傾げると、オロトスが視線でもっとよく見ろと伝えてきたのでルルたちは改めて少女とその視線の向いている方向を注視した。
すると、そこには随分と芸達者な動きをしているネズミが一匹いる。
「あれがあの少女が妙に大事にしているネズミだな。地下牢で勝手に飼っていたらしいが……まぁ、ネズミくらいそこらじゅうにいるからな。別に構わんのだが……よくあそこまで仕込んだものだな」
とオロトスが妙な感心の仕方をするくらいに、そのネズミは少女に従順である。
少女はしばらくの間、ネズミに夢中だったが、遊びがひと段落したのか、ふっと顔を上げ、ルルたちが牢獄の前に来たことに気づいて、声をあげる。
「あ、こんにちは! オロトスおじさん……だっけ? あとそっちの人たちは……森で戦った人?」
その声には一切の暗さがなかった。
捕まったことに対する怒りや悲しみもなければ、捕まえたイリスに対する怒りもないらしい。
オロトスに話しかける声も、至って楽しそうであり、本当にその辺にいる素直な子供の反応である。
オロトスはそんな少女の反応に、
「……あぁ。元気そうだな」
と、それこそ久しぶりに会った親戚の子供にするようなぎこちない言葉をかけた。
少女はそれに対し、
「うん。ザザも私も元気だよ。前も言ったけど、ザザを助けてくれてありがとう!」
と屈託がない様子である。
オロトスはルルに少女について、
「……こんな様子なのだ。友好的だろう?」
と言ってから、少女に再度話しかける。
「それについては気にするな。こっちが勝手にやったことだ。しかし……お前もそのネズミに学んだだろう? 命の大切さを」
と妙に威厳と重苦しさの含まれた声で言うものだから、どうしたのかと思ったが、少女は殊勝な様子でその言葉に返答した。
「……うん。私、分かった。命って大事だったんだね。なくなると……怖くて悲しいものなんだって、奪っちゃいけないものなんだって、分かったよ。ザザが教えてくれた……」
「……なら、いいのだ。これからは、そのことを胸に刻んで生きていくといい」
オロトスは捕虜に向けるようなものではない笑みを少女に向け、頷いた。
少女の方も、敵対する組織のトップの一人に向けるようなものではない嬉しそうな笑顔で、
「うん! 私、頑張る」
と素直に頷いた。
妙な光景である。
ここは地下牢で、少女は敵で、オロトスは彼女を虜の身にしている者のはずだ。
それなのにあまりにもおかしな状況にルルたちも、モイツたちもはなんといっていいのかわからない。
しかし、それを理解したのか、ここまで案内してくれた冒険者組合職員が説明を始めた。
「困惑されるのはわかりますが……あの少女はここに捕らえられた当初から、なんと言いますか、まるで世の常識を知らないような有様でして……」
職員の話によると、あの少女、アエロは命という概念すらよくわかっていないような様子であり、人を殺そうが何をしようが何ら痛痒を感じないような精神をしていた、という。
よほど異常な育ち方をしたのだろう、と当初、職員もオロトスも思っていたようなのだが、しかし、調査はしなければならない。
そんな義務感のもとに、根気よく、丹念に少女の話を聞いて行くうち、オロトスたちは気づいたらしい。
少女はそもそも、生まれたばかりの子供のようなものなのではないか、と。
確かに言葉も話せるし、会話も通じる。
多くの語彙も知っているようである。
そのことを考えれば、赤子とは異なるだろうが、しかしそれぞれの単語やものの考え方に対する理解が実感や経験を伴っていない、とわかってきたのだ。
たとえば、命、という言葉は知っているけれども、それがどういうもので、どういう風に扱うべきか、という感覚は完全に欠落している、などである。
そして、これは、この少女は、まるきり何も知らないのだと、オロトスたちはそう結論付けたのだった。
何度も話をしていくうちに、彼女が魔物から人に変じたことも明らかになり、今のような知性はそのときに身についたものだということもわかったという。
魔物だった時の記憶はどうなっているのかと尋ねれば、少なくともアエロにはほとんどない、ということだ。
ぼんやりと靄がかかったような、遠い国での出来事のような感覚がしているらしい。
執事風の青年――グラスに関しては魔物だったころの記憶もあるようだった、ということだが、これはもはや確認ができない。
彼は犠牲魔術によって他の人型と合体させられ、消滅してしまったからだ。
ゴライアスについても同じである。
そんな風にオロトスは何度もこの少女と会話を重ね、今のような関係になったということだ。
「……戦い方も何か突然力だけを手に入れた子供のようでしたし……納得できるお話ですわ」
とイリスが言った。
実際にアエロと戦った彼女からしても、そういうことだったかと納得できることらしい。
「今の彼女は、もう人に敵対する意思が感じられません。これは魔術によっても確認しましたので、間違いないでしょう。本来ならここから出しても構わないくらいなのですが、ただ、もう一人の少女の方が問題でして……。アエロは、もう一人の少女によって魔物から人に変じた、と語ったのです。そうだとすると、今アエロを外に出して、何か問題が起こる可能性も否定できず……」
グラスとゴライアスは犠牲魔術によって大規模な被害をフィナル北門で引き起こした。
フィナル自体に被害はなかったが、あのとき命を失った騎士・冒険者の数は恐ろしいほどである。
同じことがアエロについても起こった場合、今度は街中であるから一般人にも被害が出る可能性があり、それは容認できないということらしい。
当たり前の話だ。
ただ、ルルたちの知識からすれば、犠牲魔術はそうそう乱発出来るものではない。
それに、あのときは大量の人型や、騎士・冒険者たちの血があの場所にあったからこそ、あそこまで危険な存在が作り出されてしまったのである。
犠牲魔術は、捧げる犠牲の規模によってその効果が決まる。
フィナル北門において捧げられた犠牲は、人型に、あの場に存在していた人々の血や死体、それに充満していた魔力など、とてつもない規模のものであった。
しかし、アエロに犠牲魔術を使ったとしても、それほどの犠牲は捧げられることにはならない。
せいぜいがアエロ一人の肉体程度のもので、それで引き起こせるような事態であれば終息にもさほど労力は必要としないと思われた。
けれど、だからと言って無視できるものではないだろうし、ことは慎重に運んだ方がいいことを考えれば、職員やオロトスの考え方を支持すべきだろう。
そう思って、ルルは頷く。
「そういうことなら、仕方ないだろうな……。もう一人の少女の方の尋問が済んでからにした方がよさそうだ。そっちの方は進んでいるのか?」
ルルの疑問に、職員は難しい顔で返答する。
「そちらはアエロと反対に難航しています。彼女の方はアエロと違って何かを知っている様子なのは間違いないのですが……」
「非協力的ってことか?」
「ええ。何と言いますか、人を食ったような態度というか……捕まったことに対してもさほど危機感を感じていないようなのです。力づく、と言いますか……拷問によって何かを聞き出そうにも、取り押さえるのも難しい有様で」
職員の話によれば、もう一人の少女の方は特殊な魔法具によって魔力を封じられているにも関わらず、ものすごい怪力なのだという。
屈強な男が取り押さえようとしても跳ね除けられてしまうくらしい。
魔法具は牢獄自体に取りつけられたもので、牢獄内にいる者すべてについて魔力の使用を封じるものであり、中に入れば単純な筋力勝負となるがゆえに、どうにかできると判断したらしいが、これが裏目に出たようだ。
「我々としても、どうしたものかと思っていたのです」
ほとほと困りはてた様子の職員だが、ルルは隣に立つイリスの顔を見て、尋ねる。
「どうにかできるか?」
素の身体能力で古代魔族に勝てるものは少ない。
聖気のように、魔力それ自体を消滅させられるような空間に放り込まれるとあまりよくない影響があるが、聞けば牢獄に取りつけられたそれは単純に魔術を使えなくするという効果しかないようだ。
それなら、ということでイリスは頷いた。
「あの少女を捕まえたのはわたくしですし、ここはわたくしが責任を取るところでしょうね。しかし、話を聞けるかどうかは……」
拷問などによって話を聞くのは、意外と簡単なことではない。
痛めつければ真実を言うのかと言われると必ずしもそうではないからだ。
さじ加減もそうであるし、言っていることが真実かどうか見極める目も必要になってくる。
だからこそ、そういうことを専門にする職人がいるのだが、イリスはそうではない。
そう言う意味でのイリスの言葉だった。
職員は、
「尋問官が今も尋問にあたってはいるので、そういうところは彼らに任せればよろしいかと思います。ただ……やはり、普通とは違う少女ですので、取り押さえられたとしても、通常のやり方が通じるかどうかは分かりません」
そんな風に言った。
それに対して、
「……まぁ、その辺りは取り押さえてから考えることにしましょう」
と言い、イリスは物騒に笑ったのだった。