第223話 あの人たちはどこに
魔力が枯渇している、とは言っても別に完全に動けないというわけではない。
倦怠感やらなにやら体の不調を様々な部分から感じないではないが、起き上がることも出来れば歩くこともできる。
ただ、そのたびに酷く痛むし、体も重くて出来ることならしばらくの間は動きたくないなと思ってしまう。
しかしそれでも、動く必要がある場合もある。
「……本当に大丈夫でしょうか……?」
ルルがベッドから起き上がろうとするのをイリスが横から介助しつつそう尋ねた。
ゾエはイリスの反対側から手を貸している。
「まぁ……動いたところで死にはしないだろう。これでも初めよりは大分いい方だしな」
そう言いながらも、起き上がるルルは辛そうである。
いつもなら目にもとまらぬ速さで動いても汗一つかかないその顔に、脂汗が浮かんでいるくらいだ。
イリスはポケットからハンカチを出し、甲斐甲斐しくその汗を拭う。
「無理して参られなくとも、わたくしたちが代理して行って参りますのに……」
イリスがルルを見て心配げにいい、ゾエも続いた。
「その通りよ。オロトスとクロードに呼ばれたからって、律儀に行かなくてもいいのよ。だいたい二人だって無理に来なくてもいいって言ってたのに」
ルルがベッドから起き上がろうとしているのは、二人から呼び出しを受けたためだった。
その内容は、捕えた少女二人についての相談であり、出来れば面会もしてみて意見を聞かせてほしいとのことで、相談だけならここでも出来るが、さすがに今、あの二人を牢の外に出すわけにもいかないので、こちらから出向くしかないのだった。
けれど、オロトスとクロードもルルに負担をかけすぎている、今、治療院から冒険者組合まで来てもらうというのは厳しいだろう、とも感じていたらしい。
来れるようなら、という留保のもとでの呼び出しだったわけだが、ルルは今の状態でもそれくらいは出来ると立ち上がろうとしているのである。
体を起こし、足を地面に下ろして靴を履く。
服装は先ほど治療院の患者服から、いつものルルのものよりはゆったりとした、体をあまり拘束しないものに着替えている。
動きやすいが同時にはだけやすいのであまり激しい動きは出来そうもない。
そもそもできないので、問題にはならないかもしれないが。
「確かにその通りだが、行かないわけにもいかないだろう。二人とも捕まえたのはイリスだから俺は不要かもしれないが、逃げた男のことがある。あの男は以前も古代魔族の話をしていたし、今回イリスが捕まえた方の――劣化聖剣を使ってた方の少女は、俺たち三人にとって重要な情報源になるかもしれないしな」
ルルはゾエにそう言って、微笑んだ。
実際、ルルの言うことは正しく、現状、古代魔族についての情報がそれほどない今、出来る限りの情報は得ておきたい、というのが正直なところである。
今、期待できそうな情報は、バルバラが話した、バッカスと出会ったという遺跡と、レナード王国の禁書庫くらいだ。
前者については、起きていなければだが、間違いなく一人、古代魔族が眠っているはずである。
後者については、そこまで大きな期待は出来ないかもしれない。
あくまで禁書が所蔵されているだけであって、古代魔族について何らかの情報が存在するのが確実視されるわけではない。
貴重な情報が得られるかもしれないが、ルルたちにとっては全くの無駄足になるかもしれない可能性はゼロではなかった。
まぁ、それでも、今のルルにとって、生きている中でそうやって古代魔族の足跡やら情報やらを追うのは半分以上が趣味だ。
急いでいるわけでもないし、こつこつ探して、死ぬまでに過去何が起こったのか、ある程度理解できればそれでいい、というくらい気持ちでいる。
気楽なのだ。
背負うものが、今は何もないから。
そう言った話を二人にすれば、イリスは、
「でしたら余計にしばらくゆっくりしていただきたいくらいですが……」
と言ったが、ルルは、
「たとえ趣味でも手を抜くのは俺の性分じゃないからな。できることは全部やりきるのさ」
と答えて笑った。
過去でもルルには、魔王にはそういうところがあったとゾエはその話を聞いて思う。
極論、自分たちを守るのも彼の趣味のようなものだったのかもしれない、とすら思うが、たとえそうだとしても自らの持つ魔王に対する尊敬の念に一つの傷もつかないことをゾエは確信している。
だから、というべきか。
ゾエはルルの言葉に頷きつつ、イリスに言った。
「趣味なら仕方ないわよ……イリスの趣味だって、今はルルと一緒にいることみたいなものじゃない」
趣味というか、ほとんど人生の目的と化している、ということをわかっていながらゾエはそんな言い方をした。
イリスはその言葉に、
「な、ななな……」
と何も言えない様子だったが、ルルは特に何も思わなかったらしい。
「また随分と面白くなさそうな趣味だな……」
と冗談交じりに言ったのだが、イリスに、
「すごく有意義な趣味です!」
と怒られてしまった。
なぜ自分がこれで怒られるのだろうか……。
とルルは情けない顔でゾエに視線で尋ねていたが、ゾエの目は「自業自得です」と語っていたのでルルはがっくりとあきらめたのだった。
◇◆◇◆◇
冒険者組合につくと、ルルの顔を見ると同時に冒険者組合職員が飛んでくるようにして目の前に現れ、そして即座に会議室に案内してくれた。
もちろん、ゾエとイリスも一緒である。
そして、会議室につくと、そこにはオロトスとクロード、それにモイツが待っていた。
「よく来てくれたな、三人とも」
オロトスがそう言って笑顔で近づいてくる。
クロードとモイツもそれに続いた。
「おい、ルル、さすがに厳しいんじゃないか? 大丈夫か?」
と、ルルの様子を見てクロードが心配げに言い、
「……無理はされない方が……」
とモイツも同様に心配を表現する。
しかし、問題なしとは言わないが、大丈夫だと思ったからここに来たのである。
ルルは一言、
「大丈夫だ」
と言って、それから話題を変えるべくモイツに尋ねる。
「それよりも、北門の守りの方は良いのか?」
ルルは現状、フィナルがどういう状況にあるのかを起き上がってからイリスとゾエに聞いていた。
モイツが北門でオロトスとクロードに代わり責任者を務めているとも聞いていたから、こんなところに今この三人がいて大丈夫なのかと思ったのである。
これに対して、モイツは意外な答えを返す。
「ええ、それについては……今はシュゾン殿とニーナ殿が代わりを務めていてくださいまして……」
なぜか、と聞けばモイツもそろそろ地底都市テラム・ナディアに戻る必要が生じているところ、今回起こった様々な問題の顛末について冒険者組合本部に持ち帰り、分析する必要があり、そのためにはどうしても事務仕事をする必要があったらしく、誰か責任者を任せられる者は、と探していたらシュゾンとニーナがどこからともなく現れてきて、引き受けてくれたらしい。
「こんなことを言うのは問題なのかもしれないが……魔物に任せてもよかったのか? あの人は……あれで地獄犬だと知っているだろう?」
変身するところを間近で見ていたのだ。
知らないはずがなく、そんな人物に指揮を任せてしまおうなどとは普通は思わないだろう。
たとえ、協力関係を結んでいたとしてもだ。
しかしモイツは首を振った。
「それについては今更ですよ。私たちは一緒に命をかけて戦ったのですから、信頼については十分な確信を得ることが出来ました。それに、シュゾン殿が地獄犬だと知っているのは私だけでなく、北門で戦ってた騎士・冒険者たち皆もです。シュゾン殿が魔物であるから、指揮者として不適であるというのなら、彼らの方から反対の声が上がるはずですが……」
「なかったか?」
「ええ、まったく。それどころか、戦場でシュゾン殿にはかなりの数の騎士・冒険者たちの危機を地獄犬の姿で救っていただいたようで、みな、それを深く理解しているのですよ。彼女が来なければ自分は死んでいたとね。自らの危機を救ってもらったわけではなくとも、間近で戦友の危機を救ってもらえば、やはり信用してしまうものです。もちろん、そういうことを見越して行動し、のちの利益のために利用しようと考える者もいるでしょうが……シュゾン殿は、何と言いますか、魔物という割にまっすぐな方で……そう言った手練手管を使う感じには思えませんので……」
モイツはそう語った。
つまり、シュゾンが北門の指揮をとることは、モイツだけでなく、現場の騎士・冒険者たちも満場一致で支持したということなのだろう。
意外なこともあったものである。
これは、ここがフィナルという特殊な土地であることも影響したかもしれなかった。
北門の向こう側に広がるログスエラ山脈、そしてそこに住む古代竜を魔物とは思いつつも、身近に感じてきた人々がここには住んでいるのだ。
魔物に対する忌避感、というのも他の街よりもずっと薄いのだろう。
仮に王都でそういうことがあっても、確実に魔物だからと排斥する者たちが何人も現れただろう。
そう言うわけで、いろいろな意味で、運のいい土地だったのかもしれなかった。
「まぁ、本人たちが納得しているなら、それでいいんだろう……。せっかく協力関係を結んだのに、もう一度争いが、なんてなるのは勘弁だからな」
「そう言うことにもなりませんでしょう。あの小竜の……ニーナ殿……で合ってますか?」
この場合は、名前はそれでいいのか、ということだろう。
モイツは、人型のニーナに会ったことはないし、古代竜だとも知らない。
だからこそ、こんな聞き方になる。
ルルは頷いた。
「あぁ、そうだが、それがどうかしたのか?」
「あの小さな竜が、北門の戦士たちに大層な人気でして……ほとんどアイドルのような扱いになってしまっているのですよ。ですから、シュゾン殿はもちろん、ニーナ殿にも全く悪いイメージが持てないようで……」
だから、争いなど起こりようがない、ということらしかった。
ニーナの愛嬌はどんなところでも発揮されるらしい。
たとえそれが戦場であっても何も変わらなかったと、そういうことだ。
そもそも小竜というのは多かれ少なかれ愛嬌だけを武器に生きているところがある。
だからこそ、治療院などでも、患者たちの緊張を解したり、気分を上向きにさせるために小竜が何匹か飼われていたりする。
ルルのいる治療院でも、ふよふよと飛んで他の病室に入っていくところを何度か見た。
ルルの部屋にだけはなぜか入ってこなかったのだが、なにが理由かは謎だ。
ちなみに、確実に効果はあるようで、小竜がいるのといないのとでは回復する確率が一割二割は違うとのことだった。
恐ろしきはかわいい動物の効果であるということだろう。
ちなみに、厳密にいうならニーナは小竜ではないわけだが、見た目も仕草も今はすべて小竜なのだ。
そんな扱いになるのも当然と言えば当然だった。
「私がルル殿の話を聞くために冒険者組合に行くという話を聞いた時には不満そうな様子でしたが、北門は北門で居心地が悪くないらしいですよ。飴など、お菓子を多くの戦士たちからもらっていましたから」
ニーナは屈強な戦士たちに色々と貢がれているらしい。
すごい力だと感心せざるを得なかった。
「まぁ……元気ならそれでいいんだろうけどな……」
とルルは呆れたように頷いたのだった。