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第222話 約束

「……?」


 イリスが首を傾げてゾエを見た。

 その意味は、扉をノックしたにも関わらず返答がない、ということを不審に思っているということだとゾエは理解する。


「この部屋にいるのは間違いないのだから、入ってしまったら?」


 ゾエはイリスにそう言った。

 返事はないかもしれないが、それはとりあえずはいいだろうと。

 しかしイリスは、


「お義兄にいさまの許しを得ずに勝手に入るなんて、とんでもないことですわ……!!」


 と首を振る。

 彼女からしてみれば、ルルの望まないことはどんなことであれすべきでなく、その可能性がある時点で遠慮すべきであるのだと心の底から思っているのだった。

 しかしゾエは少し違った。

 イリスより長く生き、まだ現代で多少なりとも生活して色々と昔よりも精神が柔軟になっている。

 ルルが魔王陛下である、という意識には全く変わりはないし、どんなことがあろうとも命令が下れば絶対的に服従するという感覚も自然に持ってはいるが、そのルル自身から現代では自分に対して遥か昔のような態度で当たらないようにと、友人のようにしてくれと言われているのだ。

 で、あればここで、ノックに対する返事が聞こえなかったのだから、とりあえず中を覗いてみようとすることは間違った選択ではないだろう。

 友人であるなら、気心知れた関係であるなら、そういうことはよくあるものだ。

 それでルルが嫌がったなら、そのときは出ればいいのである。

 そう思って、ゾエはイリスを横において、扉を勝手に開いてしまった。


「ゾエさん……!?」


 なんて不敬なことを!

 とか言い出しそうなイリスの表情であるが、彼女もさすがにそんなことを実際に言ったりはしない。

 そもそも理屈では分かっている。

 ゾエくらいの態度がルルの望む態度なのだろう、ということは。

 しかしイリスには小さなころから色々な思いが刷り込まれていて、それがゾエほどの思い切りをイリスにさせないでいた。

 どこまで踏み込んでいいのか、というのはイリスにとって難しい線引きなのだ。


「別にいいじゃない。ルルだって怒らないわよ」


 ゾエはそんなイリスの心の内を理解しつつも、ぞんざいにそんなことを言いながら、構わずにずかずかと中に入っていく。

 ここまでされては、イリスも中に入らざるを得ない。

 ゾエがルルに会っているのに、自分が顔を合わせないなどということはあり得ないからだ。


「ま、待ってくださいまし! 私もまいります!」


 そう言ったとき、ゾエは口元にわずかに笑みを浮かべたのだが、イリスはそれには気づかなった。


 ◇◆◇◆◇


 部屋は広く、白を基調とした調度はよく考えて設えられていて、なるほど、最高級の部屋だということが理解できるつくりをしていた。

 窓からは落ちかけた夕日が差し込んでいる。


 中心に大きめのベッドが据え置かれ、そこからは色々と管が伸びて、横に置かれた魔法具につなげられているのが分かった。


 ルルはそこに眠っていた。

 穏やかな寝顔がそこにはあり、普通、治療院を訪れた親族などがここでこういう患者の表情を見るとほっとするものだが、イリスとゾエは少し違った。


「……!?」


「…………」


 目を見開くイリスに、ぽかんとした様子でルルを見つめるゾエは、どう見ても尋常な様子でなく、それはルルの寝顔がそこにあることに起因する。

 まず、始めに口を開いたのは、イリスだった。


「お義兄にいさまが……これほどまでに無防備で眠っていらっしゃるのは……初めて見ましたわ……」


 続いてゾエも、


「……私もよ。なるほど、ただ単純にノックの音が聞こえていらっしゃらなかったのね……陛下は……」


 とつぶやく。

 あまりに驚きすぎたからか、言葉遣いが昔に戻っていた。


 二人の驚きは、つまりルルがここまで無防備に、何の備えもなく眠ることは過去において一度たりともなかったということである。

 魔王だった時代は寝所で眠るときは必ず二人以上の側近が寝ずの番をして守護していた。

 現代においては、そのような見張りをする者はいなかったわけだが、本人が自らを守る魔術をかけ、眠っているときに何かが起こっても問題ないように注意していた。

 それくらいに、ルルは自分の意識がないときを注意しており、だからこそ、この無防備さは二人とって驚愕に値することだった。


「守護系の魔術は何もかかっておりませんわよね……?」


 イリスが注意深くルルに一歩ずつにじり寄りながら、ゾエに尋ねた。

 ゾエも周囲の観察に余念がない。

 イリスの言葉に頷きつつも、


「……私たちには見えないだけで、実のところ複雑な隠匿魔術がかかっている可能性も否定できないわ……気を付けて!」


 と大真面目に言っている。


 ベッドに眠る患者に近づくのにここまで警戒する親族、知人もいないだろうが、二人にしてみればそれだけありえないことだということだ。

 一歩近づくことすらも何か仕掛けがあるのではないかと恐ろしく、しかし一歩近づけるたびに何もないことが却って恐ろしかった。

 そして、このままではルルの枕元までたどり着くのに一時間や二時間はかかりそうである。

 これを見ている者が他にいれば、この状況に業を煮やし、早くしろと怒鳴りつけたかもしれないが、実際に何時間もかかる、ということはなかった。


「失礼します……」


 とそのとき扉がノックされ、一人の治癒術師が中に入ってきたためだ。

 その治癒術師は深い経験と知識がありそうな様子の中年女性であり、部屋に入ると同時におかしな格好で静止しているゾエとイリスを見て、


「あら、ご家族かしら」


 と言いつつ近寄ってきて、


「ちょっとごめんなさいね。容態をちょっと見るから……」


 とルルの枕元に何事もなく近づいて、その額に手を当て、軽く体のいくつかの部分を押したり曲げたりしながら確認すると、


「うん、大丈夫よ。問題なさそうね。お邪魔してごめんなさい。何かあったら、そこにボタンがあるから呼んでね。下につながるようになってるから……じゃあ」


 と軽く手を上げて部屋を出ていた。


 その一部始終を見つめていたイリスとゾエは、お互いに顔を見合わせて、


「……何も、起こりませんでしたわね……」


「そうね……何もないのよね。きっと。当たり前と言えば当たり前だけど」


 言いながら、未だに変な格好で静止している自分たちに気づき、さっと何事もなかったかのように姿勢よく立って、ルルの枕元に近づいた。

 案の定、そこには何もなく、ただ無防備なルルが眠っていて、やっと二人はほっとしたのだった。


 ◇◆◇◆◇


 ルルが眠りから覚めると、そこにはイリスとゾエがいた。

 ルルが目を開き、体を起こすと同時にそれに気づいた二人が近寄ってきて、


「お義兄にいさま……! 目覚められたのですね。体の調子はいかがですか? どこかおかしなところなどございませんか? 何か食べたいものなどありましたら言ってくださいませ。あぁ、必要なものがありましたら、わたくしなんでも……」


 イリスが畳みかけるようにそう言ったので、ゾエがその後ろで微笑みながらイリスの肩を叩いた。


「イリス……いくらなんでも慌てすぎよ。それにそんなに一気にいろいろ言われたらルルだって困るわ……」


 冷静な意見であり、まったくもって正しい。

 ただ、イリスの心配のほどもわかったので、ルルは微笑みながら言った。


「いや、困りはしないけど……何を言えばいいのやら、迷うな。イリス。体は問題ないよ。だからもう少し落ち着け」


「ほ、本当でございますか? 魔力枯渇によって倒れられたと聞きました……。お義兄にいさまがそんなものに陥るはずがないのに……」


 イリスが心配げな様子で尋ねる。

 なるほど、ルルの魔力を知っているから、魔力枯渇以外の何らかの問題で倒れたと思っていたらしい。

 そしてそうであるなら人族ヒューマンの治療などあまり意味がないと思っていたのだろう。

 しかし、その推測は間違いでもあり、正しくもある。


「確かに……厳密にいうなら魔力枯渇ではないな」


 ルルの体内には強大な魔力の泉がある。

 魔王だった時と同じだけの大きな魔力がそこには今もあった。

 取り出そうと思えばいくらでも取り出せる……つまり、原理的に魔力枯渇などありえない、と言うことになりそうだ。

 しかし、今ルルの覚えている倦怠感の原因は、魔力そのものがなくなった、ということではなく、普段よりも体に魔力がいきわたっていない、ということに起因するのだ。

 体の一点にだけ魔力があっても、それでは意味がないのだ。

 普通、人族ヒューマンの体には魔術の使える者も使えない者も、常にある程度の魔力が流れているのだが、それがまったくなくなった時に、俗に魔力枯渇、と言われる症状が出てくる。

 倦怠感や吐き気、頭痛などのわかりやすい症状である。

 そして、それは、体に魔力があまり通ってないことが理由なのであった。

 まれに魔力をまったく持っていない者も存在するが、そういう者は初めから魔力がない状態が通常の状態であるからか、そう言った問題は生じない。

 ルルは昔からそんな状態に陥ったことがなく、だからこそ魔力枯渇の症状が出ているのだった。


 それを聞いてゾエは納得したらしく、


「それなら、普通の魔力枯渇と同じと思っていいのかしら?」


 とゾエが尋ねてきたので、ルルは頷く。


「あぁ。むしろ、根本の魔力が問題ないからな。普通よりも早く回復すると思うぞ。徐々に魔力が体に通ってきているのも感じるしな……まぁ、無理に通すと危険そうだからやめているが」


 死にはしないだろうが、何かしら深刻なダメージを受ける可能性はないとは言えない。

 だからこそ、避けている行動だった。


「それなら、自然に回復するのに任せた方がいいわね……イリス、納得した?」


 言われたイリスは少し考えた様子だったが、最後には頷き、


「ええ。そういうことでしたら、良かったですわ」


 と言い、ほっとしたようにつづけた。


「……お義兄にいさまのことですから、いきなり亡くなったりはされないだろうと思っておりましたけれど、それでも何かあったらと気が気ではありませんでしたわ……。こんなことならずっとお傍にいればよかったと思ったくらいでしたから……。これからは、そう致します」


 と、絶対に離れない宣言をするイリスである。

 しかしルルは、


「心配しすぎだ……ずっと傍にばっかりいたらイリスも疲れるだろう? それに俺もそこまでの無茶はそうそうしないさ。今回ばっかりはな、仕方なかったんだよ。なにせ犠牲魔術なんて使われた日には今の人族ヒューマンになす術はないからな」


 少なくとも、フィナルのような地方都市に簡単に対抗できるような技術ではない。

 王都なら特級もある程度いる。

 どうにかできたかもしれないが、しかしフィナルではそうはいかない。

 そのことはイリスにもよくわかってるらしく、しぶしぶだが頷いて、


「それはわかりますが……それでも、少女の治療については……」


 それがダメ押しになったことも知っているらしい。

 けれどルルはこれにも首を振る。


人族ヒューマンの治癒術師にはどうにもできないことだったからな。やっぱり俺がやるしかなかったのさ」


 それもイリスは聞いている。

 しかし、それでも文句を言わずにいられなかっただけだ。

 理屈では、ルルがすべてやらざるを得なかったのだということはよくわかっている。

 納得できるかどうかは別なのだ。


 ただ、それらは皆、もうすでに終わったことだ。

 今、ルルが無事でいる。

 それだけが、イリスにとって大事なことで、そうであるなら他のすべてはどうでもいいことなのも事実である。

 イリスは仕方なく頷いて、


「……もう、こんなことはしないと、お約束していただけますか?」


 しかし、ただで転ぶ気はなかったらしい。

 どうしてもこれだけは譲れないと、小指を差し出して言う。

 そんな仕草を見て、ゾエは子供っぽいと思ったのか、優しげな様子で笑ったが、ルルはそのイリスの姿を見て、懐かしい気分になる。

 遥か昔、それこそ子供のころのイリスと指切りをしたことが何度もあった。

 大抵が誕生日に行く約束であったような覚えがある。

 バッカスはそんなことしなくてもいい、とルルの多忙さを理解して言ってくれたが、ルルは毎年律儀に次の年も必ず来ると言って指切りをしてきた。


 つまり、ここで断るわけにはいかない。


 ルルはふう、とため息をつきつつ、負けを認め、その小指をイリスのそれと絡ませ、そして言った。


「……あぁ、約束だな。ただ、あれだ。不可抗力の場合は例外だぞ」


 と最後に付け足すのを忘れなかった。


「意外とずるいのね、陛下」


 とゾエが悪戯っぽくつぶやいた。


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